第4話 星と水面のチェイス
夕日の差し込む北園寺の街並みが、穏やかな金色に染まっていた。商店の看板の縁が橙に縁取られ、路地の奥には長い影が静かに伸びている。昼間の喧騒が一段落するこの時間帯は、どこか街全体が息をついているように感じられた。
源さんの交番を離れた俺は、本来ならステラ・エトワールの痕跡を警察より早く掴みたい。しかし成り行きのまま、猫探しに二時間近くも付き合わされていた。
夕方までは人通りの少ない北園寺一丁目の歓楽街。外の人間が少なく静かなこと、それに猫好きで餌をくれる住人が多いことが合わさって、北園寺の猫は日中のほとんどをこの界隈で過ごす。
だからまずはここから――そう踏んで探し始めたのだが、どうにも空振りらしい。こうなると次の候補は駅の反対側、巨大な敷地と豊かな自然で知られる沼尻公園になる。だがあそこを一日二日で探し尽くすなど到底無理だ。
せめてもの救いは、同行している依頼者が目の保養になるという一点である。
「佐藤さん、これから一時間もすればこの辺りは人が増える。そうなれば猫たちは別の場所に移動してしまうんです。この辺りの知り合いに、見かけたら教えてもらうよう伝えておきましょう。今日のところは引き上げるのがいいと思います」
佐藤瑠美。北園寺本町一丁目に住む二十四歳で、普段は駅前の焼き鳥居酒屋で働いているらしい。
優雅に通った鼻筋、落ち着いた光を宿す瞳、そして歩くたびに揺れる柔らかな黒髪。派手さより気品が先に立つ、モデルのような美人だ。道行く誰もが振り返りそうな容姿だが、本人は気に留めた様子もなく自然体で立っている。その無防備な端正さが、かえって目を奪われる。
「はい……そうですわね」
佐藤さんは落胆を隠さず、肩を落とした。
見た目の印象からはもっと若者らしい話し方をするのかと思っていたが、彼女の口調は名家のお嬢様を思わせるような丁寧で品のある話し方だ。それが嫌味なく板に付いている。
「ちょうど、このくらいの時間になればみんな出勤してくるし……あ、ほら。あの人とか」
俺は鹿撃帽を左手でかぶり直し、右手でわざとらしく指差してみせた。師匠がよくやっていた仕草だ。
「あれー? 真守ちゃんどうしたの? 彼女さんー?」
ショッキングピンクのドレスを揺らしながら、高いピンヒールでコツコツと器用に駆け寄ってくる。この街のママこと、さくらママだ。
年齢不詳の美魔女で、北園寺の歓楽街では知らぬ者がいないほど顔が広い。笑えば周囲の空気が柔らかくなるような、華やかで包容力のある人だ。
「やめてくださいよ、さくらママ。こちらは依頼人の佐藤さん」
「あらら、ごめんなさいねー。うふふ、真守ちゃんにも春が来たのかと」
佐藤さんと並ぶと、さくらママは少しだけ年上に見える。しかし、その“少し”は本当は少しどころではない。さくらママは、俺の知る限り十年は同じ見た目のままだ。若いころの師匠や源さんと写っている写真を見たこともあるが、そこでもやはり今と同じ姿だった。
一度、アーティファクトの力で歳をとらなくなったんじゃないかと疑ったこともあった。しかしその時は、師匠に烈火のごとく怒られた。“美しさは花や月に喩えるものだ。アーティファクトなんてものを引き合いに出すんじゃない”と。
「さくらママ、俺たち今、猫を探してるんだ。シェルナって名前の……こういう子だ」
ポケットから写真を取り出し、ママに手渡す。
「あらあら、かわいらしい子。ロシアンブルーよね?」
「ええ、その通りですわ」
佐藤さんが即座に答えた。
さっきからずっと感じていたが、よほどシェルナが大事なのだろう。
「んー、でも残念。見てないわねえ。珍しい品種だから、見ていたら記憶に残ると思うのだけれど……タバコ屋の梅子ばあちゃまのところは? 聞いてみた?」
「いや、これからだよ。さっき通りがかったときは、店番しながら昼寝してた」
梅子ばあちゃんも、俺が子どいころから全然見た目が変わっていない。ただ、こっちはまあ――元から皺だらけだっただけだ。
「酒屋の雄くんには、あたしから話しといてあげるから、真守ちゃんは梅子ばあちゃまに聞いてみるといいわ。おばあちゃんの知恵袋って言うでしょ」
「それが万能だと、探偵の仕事が減っちまいそうだな」
本人には言えないが、さくらママだっておばあちゃんの歳なんじゃないかって疑惑もあるなあ、なんて考え苦笑する。
「じゃあ、お店に行くからまたね真守ちゃん。あんまり夜更かししちゃダメだよー」
「ああ、またね。もう子供じゃないんだけど、さくらママの言うことだし頭の片隅には入れとくよ。雄平さんのとこは頼んだね」
軽く手を振ってさくらママと別れ、さて次はタバコ屋の梅子ばあちゃんのところだなと佐藤さんに向き直ると、彼女は不思議そうに俺を見つめていた。
「お詳しいのですね」
「え?ああ……一応この街で探偵してますから。街のことならだいたいは」
「いえ、そうではなくて。だいぶお若く見えるのに、酒屋さんやタバコ屋さん、夜のお店までお詳しいので。おいくつなのかなあと」
ああ、そういうことか。あんまり人に、特に依頼人に話すことじゃないから自分からは決して言わないようにしているんだが。
「昔、この街一番の悪ガキだったんです。それでまあ、いろいろありまして……でも今はちゃんと改心して、探偵やっていますからシェルナのこと、安心して任せてください。名探偵・門倉秀樹の一番弟子ですから!」
自嘲を悟られないように、あえてキザにウインクして見せる。
そう、どこまでいっても俺は探偵・如月真守ではなく、門倉秀樹の弟子。それが世間の評価だ。
しかも今、依頼を増やすために怪盗を育てようなんてことすら考えている。何も改心などできてはいないのかもしれない。
「はい。シェルナのこと、お願いいたしますね探偵さん」
せめてもの罪滅ぼしではないが、猫探しの方はしっかりやり遂げよう。猫が見つかって悪いことは一つもない。
__そう心に決めた時だった。
「怪盗だーっ!!」
誰かが通りの奥から叫ぶ声がした。
背筋に冷たいものが流れ頭が冷えていくのを感じるのとともに、心臓に熱い血が集まっていくのを感じる。
__怪盗。憎むべき悪であると同時に、俺のような探偵の存在意義でもある存在。
「すみません、佐藤さん。ここからは別行動でもよろしいですか?」
「え、ええ。わたしもそろそろ居酒屋の方に行かなくてはいけませんし」
好都合だ。
依頼人も大事だが、怪盗を捕まえて手柄を挙げるチャンスを逃す手はない。まともな怪盗は絶滅危惧種とはいえ、名声を上げれば全国から依頼が来る可能性だってあるのだ。
「では、今日はここで失礼します。進展があったら先ほど交換した番号に連絡しますね」
言い終わるが早いか、叫び声のした方向へと走り出す。
ひさびさの怪盗との対決だ。ステラ・エトワールか七海だったなら逮捕しない程度に追い込んで、見逃すことも選択肢だな。そんなことを考えながら俺は歓楽街の裏路地へと飛び込んだ。
舗装の剥げた細い道が複雑に絡み合い、昼間は猫の寝床、夜になれば風俗店の従業員が近道に使う迷宮みたいなところだ。土地勘のないやつなら三十秒で方向を失う。
耳を澄ませば、遠くで割れたガラスを蹴るような軽い音が跳ね、すぐ別の路地へ吸い込まれていく。俺はその反響のわずかな歪みを追い、壁すれすれを駆け抜けた。
脚は軽く、血だけがやけに熱い。
「__いた!あいつが怪盗か」
いよいよ視界に捉えた後ろ姿は赤いマントに大量の星柄モチーフをつけどこかの国旗のようになった姿。後頭部にも大きな星型のリボンのようなものが見える。
あのしつこく主張する星の数々、怪盗ステラ・エトワールで間違いなさそうだ。
「まったく、あんな目立つ格好しやがって。やっぱりバカ怪盗だったな!__この街で俺から逃げられると思うなよ」
見失う前に一気に距離を詰めようと脚に力を込めた時だった。ステラ・エトワールが前を行っているにも関わらず、__後方から別の悲鳴が聞こえた。
「なんだあれ!? 飛んでるぞ!」
「はあ!?」
思わず振り返ると、屋根の稜線を、青白い光がすべるように移動していた。
人間離れした跳躍なのに、着地の衝撃は水面に落ちた風の粒ほどもない。
建物から電柱へ、さらに看板の縁へと、青を基調にした仮面の影がひらりと移る。
その度に光が淡く揺らぎ、夜の街の上に静かなさざ波を描いていく。
勢い任せの跳び方ではない。研ぎ澄ました軌道をなぞるように、重力すら手懐けている身軽さだ。俺は思わず目を細めた。
あの青をモチーフとした服、宵闇に紛れる怪盗なのに光る衣装というバカさ加減、間違いない。
何やってんだあのバカ!怪盗マリンランタン、七海灯!!




