第35話 騎士とルールの氷解
京総小学校の校門が見えた時、肺が焼けるように痛んだ。
まばらな木々に囲まれた校庭には誰もいない。
夏休み中だから当然だが、その静けさがやけに不気味だった。
ありさの姿も、七海の姿もない。
二人とは電話が繋がらない状態が続いている。
「ちっ……」
焦りばかりが募り、走っては周囲を見渡すことを繰り返している。
「冷静に、冷静に……。師匠も言っていただろう」
自分に言い聞かせるよう呟いてはみるが、あまり効果は実感できない。
「いや、冷静には考えられてるんだよな」
そう、冷静だからこその焦りがある。
ありさから電話のあったポイントには既にたどり着いている。
ここまで、瞬間移動アーティファクトの妨害は受けずに来れた。使用条件の未だわからないアーティファクトではあるが、仮に使えないのではなく、使わなかったのだとしたら。
……それは、時すでに遅く、使う必要すらなかったということではないのか。
「七海とも電話が繋がらないんだ。二人はまだ通話中、そういうことだろ。大丈夫だ」
ありさに何かあったのだとしたら、その時点で通話は切れ、七海の方とは繋がるはず。だから、今はまだ大丈夫。
これもまた、理屈の通る推理だ。
だからこそ、今はただ焦りだけが心を支配している。
「くそっ、いったいどこに……ん?」
スマホに通知。七海からだ。
開いてみると、送られてきたのは地図だった。
「なるほど、遠くないな」
すぐに地図に示された場所へと向かった。
角を曲がった瞬間、七海の背中が見えた。
細い路地の入口に立ち、スマホを耳に当てたまま、微動だにしない。
「七海!」
声をかけても振り向かない。
数歩で追いつき、肩に触れる。
「……如月さん」
かすれた声だった。
七海の視線は、路地の奥へと固定されたままだ。
俺もその先を追う。
いた。
ありさが、路地の中央に立っている。
こちらを見ている。
だが、その目は焦点が合っていない。
深い赤ワインのようなその瞳が、今は血反吐を煮詰めたように淀んでいる。
「ありさ!」
反応はない。
代わりに足元のアスファルトに、ぱちりと火花が弾けた。
「下がれ」
七海の腕を引く。
火花は断続的に、ありさの周りで弾け続けている。
俺は一度、こうなったありさを見たことがある。
「アリサちゃん、どうしちゃったんですか?」
「まあ……持病みたいなもんだ」
嘘が下手だな、俺は。
あれこそが、ありさに植え付けられた危険因子、戦慄のアーティファクトの予備段階だ。
モルスや他の大怪盗達が大探偵時代の最後まで探し求めた災害級のアーティファクト。
「大丈夫だ、ありさ。落ち着いてくれ」
鹿撃帽を目深にかぶり、一歩ずつ歩み寄っていく。
死ぬこと以外かすり傷にしてくれるこのアーティファクト帽も、身体を刺す火花の痛みは和らげてくれなかった。
「七海、周り警戒しといてくれ。怪盗アリスが近くにいるかもしれない」
「怪盗アリス、ですか?」
そういや、言ってなかったな。
「ありさにちょっかいかけてる怪盗だ」
「なるほど。了解です」
ありさの目の前まで近づき、季節外れのインバネスコートを脱いで、ありさの肩へかけてやる。
「こういう使い方をするとは思ってなかったが、着てきて正解だったな」
その昔、俺とありさがまだ孤児院にいたころ、戦慄のアーティファクトを暴走させかけたありさを師匠が止めてくれた方法だ。
纏った人間の身体を守るように、勝手に動かすインバネスコート、師匠から譲り受けたもう一つのアーティファクト。
飛んでくる銃弾を避けるように身体を捻ったり、体内にも影響があるのか軽い怪我や風邪程度なら1時間もあれば完治する。
ありさの体内のアーティファクトも、これである程度は抑え込める。
「よーし、いいぞ。大丈夫だ」
ありさと俺自身に言い聞かせる。
だんだんと周囲の火花が小さく、少なくなっていく。
ゆっくりと髪をなでると、ありさの眼に光が戻っていった。
「ん……あれ? ……真守? なにしてんの」
「はあ……いつものありさだな。良かった」
俺のことを睨みつけるありさの眼に、その場に座り込みそうになるほど安心させられた。
「お前が呼んだのに、何してんのとはご挨拶だな。まあ、ありさらしくていいけどさ」
「あっ……。そうだわたし、あの時の真守みたいに急にいる場所が変わって、それで……」
言いながら、周囲を見渡すありさ。
直前まで散発していた火花の焦げ跡がそこかしこに刻まれた路地裏を見て、その表情を曇らせていく。
「またやったの……? わたし」
「お前じゃない。アーティファクトだ」
さて、ありさの無事だけ純粋に喜んでいるわけにもいかないんだよな。
この事態を引き起こした怪盗アリスの野郎を、捕まえてやらないと。
まずは事務所に戻って、ありさから何があったのか聞いて……そういえばマユミさんと遊んでいたって言ってたな。マユミさんには、適当に言い訳してごまかしておく必要があるな。
「あのー! いつまで警戒してればいいですかー?」
「__あ、そういえば七海いたんだったな」
すっかり存在を忘れていた七海を振り返ると……機敏なフラミンゴのモノマネ、か? あれは。
不思議な踊りを繰り返していた。
「いたんだって何ですか!? わたしがアリサちゃん見つけたんですよ!」
「そうだったな。警戒は常にしておくべきだが、その踊りはやめていいぞ。というか、人に見られたら恥ずかしいから今すぐやめてくれ」
「踊りじゃないです! 空手の構えですぅー!」
空手を愚弄するのも大概にしろよ。
「とりあえず、事務所に戻ろう。ありさも、七海も。いいな?」
事務所も安全とは限らないのは、先日この身で証明しちまったが、それでも会話を誰かに聞かれるリスクは少ない。
壁に耳あり障子に目あり。どこで怪盗アリスが聞き耳立ててるかわからんからな。
「いろいろ言いたいことはありますけど、アリサちゃんが見つかったからそれでいいですよー」
「お前は何をいじけてるんだ」
「変な踊り呼ばわりについてです! わかりませんか!?」
機敏なフラミンゴは言わないでやったのに……。
まあ、バカは相手するだけ無駄か。
「マユミさんには急用ができたとか言っておけ。行くぞ、ありさ」
「ちょっと待って真守」
ありさの手首を引こうとしたところを、逆に引き戻される。
「わたし、あんまり覚えてないけど……たぶん見たの。ネオンライオットのファンの人だった」
「分かってる。怪盗アリスって名前で活動してる、ステレオタイプなオタクファッションの奴だろ?」
「ううん、それもなんだけど」
それも、か。
やはりあいつが怪盗アリスで正解だったか。
「地図を持ってた。北園寺の地図なんだけど、赤く光る点がいくつもあって……たぶん、アーティファクト」
「地図? 鏡じゃなくてか?」
キョウカの話では、あの厄介ファンはことあるごとにありさに鏡を見せ、その度にありさが奇行を働くようになるって話だったはずだ。
怪盗ステラ・エトワール事件の中で行方しれずになった鏡のアーティファクトの件もあって、その鏡がアーティファクトだと考えていた。
「うん、ちょっと変わったところが光る点以外にもあった気がするけど、北園寺の地図。それを広げて、ナイトは1人でいいって、そう言ってた。推理のヒントにならない?」
「地図……と、ナイトか」
そういえば、怪盗アリスは最初のネット投稿の段階からそんな言葉を使っていた。
『赤の女王様に近づくウジ虫が。ナイト気取りもそこまでだ。オレと勝負しろ。__怪盗アリス』
そして今日、及川から聞いた俺への殺害予告の書き込み。
『探偵・如月真守は女たらしのクズ。怪盗アリスがナイトとして処刑する』
この時もナイトと言っている。
何か特別な意味がある、と考えるべきなのだろうが、これだけでは何とも言えない。
地図上に光る赤い点というのも、何を示しているのか、実物を見ないことにはどうにも……
「いや、待て。その地図が瞬間移動アーティファクトなんだとしたら……なるほど。……すべて繋がる!」
「あー、また如月さん自分の世界に入ってる」
七海が茶化す。
今いいとこなんだ、邪魔するんじゃねえ。
「ったく、バカは喋るなって小学校で教わんなかったのかよ」
「昭和の小学校ですら、それは言われないと思いますけど」
「まあいい、解説してやる。人々を瞬間移動させるアーティファクト、その正体を」
「何かっこつけてんの真守」
……ありさまで。
何ゆえこの名シーンを邪魔するかね。女にはこのクールさが分からんのかなんて、時代錯誤な言葉が喉まで出かかった。
昭和発言に釣られたか。
「はあ、帰りながら話してやる。三人でいれば、怪盗アリスも手出しできないからな」
推理の披露はお楽しみということにしておこう。
今回の事件に使用されたアーティファクト、北園寺を盤に見立てたチェス盤のアーティファクトの全貌について、な。




