第34話 例外とアリスの女王様
シェルナを腕に、北園寺の西の外れにある事務所へと戻って来た。
猫を抱いて歩く人間は、変人の多い北園寺といえどさすがに珍しく、途中すれ違う人々の視線を感じながらの帰路となった。クールな探偵のイメージでいたかったんだがな。
事務所のドアを開けると、こもった熱気が出迎えた。
「……今日はまだましだな」
シェルナを床に下ろし、窓を少しだけ開ける。
冷房はまだつけない。
キッチンの隅でポットに水を入れ、スイッチを押す。
豆は昨日挽いたやつが残っている。
ストローは机の上に置いた。
吹くなよ、と自分に言い聞かせる。
湯が沸くまでの間、腕を組んで考える。
伊藤も、キョウカも、怪盗ステラ佐藤瑠美も、皆一様に北へ約100メートル。
瞬間移動を起こすアーティファクトの性能の限界が、北へ100メートルなのだと考えるのが自然だ。
俺が2回くらった時が、その法則に当てはまらないことだけが例外だ。
一度目は北西、二度目は南東に、それぞれ約300メートル。
「怪盗アリス、か。ありさに何かしてるオタクと同一人物だと楽なんだが、どうなんだろうな」
1人呟くと、ポットが小さく音を立てた。
半拍おいて、錆びついたドアベルがガラガラと無遠慮な音をたてる。
「おかえりなさい」
「お前が家主の時に言うんだよそれは」
やってきたのは、もちろん七海だ。
Tシャツにショートパンツ、片手に団扇。
いかにも暑そうだ。
「いやー、ちょうど見えたので」
「何がだ」
「帰ってくるの。うちのベランダから」
七海は当然のように言う。
「冷房つけっぱなしにするのもったいないし。あ、ほら。早く冷房いれてくださいよ」
「意味が分からん。どうせ客も来ないから、今日はまだ付けないんだよ」
「じゃあわたし、何しに来たんですかここに!」
「知らねえよ」
勝手に理屈を作るな。
七海は俺を押しのけるように奥へと入り、ソファに腰を下ろす。
「コーヒー?」
「ああ」
「アイスがいい」
「まだ作ってない」
「じゃあ今からアイス」
注文が多い。
なんで自分の分がある前提なんだ。
氷をグラスに入れ、ドリッパーに湯を落とす。
香りが立つ。
七海は机の上のストローに気づいた。
「なにこれ」
「拾い物だ」
「ふーん」
七海は手を伸ばしかける。
「吹くなよ」
「ストローって普通吹きませんよ」
それもそうだな。
バカはシャボン玉が好きそうだなと内心思っていたのが、つい口に出てしまった。
シェルナが七海の足元に近づき、丸くなる。
「そういえば、今日はシェルナちゃんを連れてましたね。お散歩ですか?」
「仕事してたんだよ。副所長だからな」
「へえ、偉いね~」
七海は雑に返し、シェルナを撫でる。
コーヒーを注ぎ、グラスを渡す。
「で?」
七海が一口飲んでから言う。
「で、ってなんだよ」
「アリサちゃんの変化について、調べてたんじゃないんですか?」
「まあな」
俺は机に腰を預ける。
自然に事務所へ入り浸っているが、七海は部外者だ。調査状況を共有する筋合いはない。
まあ、今回はヒントを貰ったことだし、他のことなら教えてやるか。
「そのストローがアーティファクトだった」
「……は?」
「吹くとシャボン玉が出る」
「可愛いじゃん」
「そういう問題じゃない」
思わずため息が出る。
一人で怪盗アリスについて、しっかり考えたかったんだがな。
このバカが隣で騒いでいたんじゃそれどころじゃない。
開け放った窓から、風が渡り来るのを眺めながら、本格的な推理は後回しにしようと心に決める。
俺は、七海から少しでも有用な情報を得ようと、ダメ元で声をかけた。
「そういえば七海。お前、最近瞬間移動とか経験してないか?」
「ん! んん、んん!」
「おい吹くなって言っただろ」
少し目を離した隙に、七海は早速例のストローをおもちゃにしていた。
風に乗ったシャボン玉が事務所の中央へと運ばれていく。
「おバカ寄りの犬でももう少し我慢できるぞ」
「失礼ですね。それより、瞬間移動、ありますよ」
「そういうのはすぐ言えって、教えただろ」
「教わってないです」
いや、言ってなかったかもしれない。
「で、その瞬間移動ってのは、いつ、どんな風に」
「先週くらいだったと思いますよ。沼尻公園の簡易ステージあるじゃないですか、あそこで猿回しを見てたんですよ」
くらいって何だよ。突然わけもわからず瞬間移動したのに、なんでそんな反応薄いんだ。
「そしたら、急にエステサロンに景色が変わって」
「どこのエステだ」
「エリザベスってとこです。ヴァイオレット通りの。いやー緊張しましたけど、けっこう良かったんですよこれが」
「なんでそのまま施術受けてんだよ。どんな神経してるんだ」
七海の太すぎるメンタルはこの際置いておいて、だ。
沼尻公園の野外ステージからだと、やはり北に100メートルくらいだな。
「それがアリサちゃんと何か関係あるんですか?」
「いや、聞いただけだ……っと、電話だ」
スマホを取り出すと、及川からだ。
「はいよ。どうした及川」
『すごい書き込みがあったでござるよ。殺害予告でござる』
「殺害予告?」
つい聞き返してしまったのがまずかった。
七海が興味を持ち、頬が触れるくらいの距離までスマホに耳を寄せてくる。
『真守殿を名指しで、怪盗アリスからの書き込みでござる。「探偵・如月真守は女たらしのクズ。怪盗アリスがナイトとして処刑する」とのこと』
「まあ、相手は俺のこと知ってるからな。むしろとっ捕まえる理由になってラッキーくらいのもんだ」
今まで怪盗アリスがしていたのは、人を無造作に瞬間移動させることと、同一人物であればありさに妙な趣味を吹き込んでいたことだけ。
怪盗を名乗ることそのものが犯罪とはいえ、探偵として私人逮捕に踏み切るには若干弱い根拠だったが、俺を名指しで殺害予告とあればその心配もなくなったってわけだ。
『いやいや、これは一大事ですぞ。真守殿、親友の某に女性を紹介してくれたことないでござる! それなのに女たらしとは、これいかに!?』
「絶対今そこじゃないだろ。親友呼びするならます心配してくれ」
バカは隣だけで足りてるんだ。勘弁してくれ。
「あ、わたしも電話です。……アリサちゃんからだ」
いつの間に連絡先を交換してたのか。
七海の方にはありさから着信が入ったようだ。
『今! 女性の声がしましたですぞ真守殿! 真守殿!!』
「うるせえ。そういうんじゃねえって」
及川のあまりの声量に、思わずスマホを耳から離す。
どこに地雷があるか、わかったもんじゃねえな。
「うん、如月さんと一緒に事務所にいるよ。如月さんは電話中。うん……急に小学校に?」
「っ!?」
"急に"、だと……?
「おい七海、替われ!」
七海からスマホを引ったくる。
「ありさ! 大丈夫なのか!?」
『あ、真守。……うん、まゆみさんと買い物してたはずなんだけど、急に小学校の方まで来て……』
「とりあえず人の多いところに! すぐ迎えに行く。京総小学校でいいんだよな?」
『うん。わたしは大丈夫。真守こそ気をつけて』
俺達が昔通っていた小学校。北園寺の東の果てだ。
駅からあまりに離れており、商業施設がほとんどないエリアだ。
俺はデスクから北園寺の地図を引っ張り出し、小学校の位置に印をつけ、七海に押し付けた。
「七海、とりあえず向かってくれ! お前の方が足は速い」
そのままスマホを返そうとして、この緊急事態にそれでも訊かずにいられない引っ掛かりがあった。
「ありさ、どこで買い物してたんだ?」
『うちの近く。内裏山の方』
「……そうか。すぐ行くから待ってろ」
それだけ言って、七海にスマホを投げ返し、手で「もう行け」と合図する。
七海はすぐに事務所を飛び出していき、俺も鹿撃帽とインバネスコート、そしてパイプを順に手に取る。
暑いとか言ってられねえ。持ってるアーティファクトは全部使ってありさを助ける。
俺はすぐに準備を整え、及川との電話を切り、事務所を出た。
「内裏山から小学校……だと?」
走りながらも必死で北園寺の地図を思い浮かべる。
内裏山エリアのどこだかまでは分からないが、短く見積もっても東に600メートルは移動している。
これまでにない長距離移動だ。
「なんでよりによって、ありさでイレギュラーを起こすんだよ……!!」
こみ上げる不安を飲み込みながら、ありさの元へとひたすらに急ぐ。
昼前の活気に満ちた北園寺が、どこか薄ら寒く感じられた。




