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インサイダー幕引き 〜ダメ怪盗の少女と、名探偵の街〜  作者: 日高 純
第二章 ダメ怪盗アリスの歪んだ恋慕
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第30話 飛距離とカウントの観測誤差

 ネットカフェの最奥は、昼夜を問わず時間の流れが歪んでいる。

 照明は常に薄暗く、モニターの青白い光だけが人の顔色を浮かび上がらせる。


 その一角で、及川はいつも通り、病的に前のめりな姿勢でキーボードを叩いていた。


「……よう、及川」


 声をかけた瞬間、肩がびくりと跳ねる。


 振り返ったその顔は、相変わらず青白く、そして少しだけ楽しそうだった。


「これはこれは真守殿。最近よく来るでござるな。何か急ぎの用件でござるかな」

「まあな。世間話で来たわけじゃない」


 俺はブースの仕切りに軽く腰を預け、周囲を一瞥した。

 ヘッドホンをつけた客ばかりで、会話を気にする人間はいない。


「NEON RIOTの話だ」


 その一言で、及川の指が止まった。


「ほう……女王様絡みでござるか」

「ありさじゃない。キーボードの方だ」


 俺は、できるだけ感情を乗せずに言った。


「キョウカ。ファンが“看守様”って呼んでるやつ」


 及川は椅子に深く座り直し、顎に手を当てた。


「なるほど……確かに、あの御方は表に出てこないタイプでござるな。ライブ後の打ち上げにも顔を出さぬ、SNSも鍵付き、DMは基本黙殺。噂話も少ない」

「だから聞いてる」


 俺は即座に返す。


「直接会う手段はないか? 他のメンバーにバレないようにだ」

「ほう?」

「ちょっと事情があってな。ありさにも、他の連中にも知られずに、話を聞きたいだけだ」


 及川は少しだけ目を細めた。


「……真守殿にしては、随分と慎重でござるな」

「いつも慎重にしているつもりなんだがな」


 瞬間移動のアーティファクトを駆使して挑発してくる怪盗アリス。

 そして、まだ確信はないが、ありさに何かしていると思われる何者か。


 同一人物だと決める材料はない。それどころか片方は実在するかすら曖昧だ。

 だからこそ、余計な線を踏みたくなかった。


「知りたいのはひとつだけだ」


 俺は言った。


「キョウカと安全にコンタクトを取る方法。会わずに、バレずに、こちらの存在を悟られずに」


 及川は数秒黙り込み、それから、ゆっくりと笑った。


「……なるほど。それは、情報屋の仕事でござるな」


 キーボードに手を戻しながら、続ける。


「看守様と同一人物ではとそれがしが踏んでいる人物がいるでござる。NEON RIOTのファン層とは被らないところにいるが故、真偽のほどは分からぬが」

「お前が外に出て確かめれば、それで一発なんだがな」

「不可能なことをおっしゃる」


 何があったらこいつは外に出るんだろうな。

 全部片付いたらいろいろ試してみようか。


「それで、その人物というのが、ミニチュアショップのアルバイトの三国みくにさんという方でござる」

「ミニチュアショップ?」


 ムーンストリート商店街の北の果てに、店外からも見えるように精巧なミニチュアが並んでいる店があるのは知っているが、あれか……?


「イギリス発のミニチュアを使用したボードゲーム、バトルクロニクルの専門店でござる。旧五月雨通りに面している店ですな。真守殿も見たことくらいはあるのでは?」

「ああ、マジで見たことあるだけだ」


 南北に通ったムーンストリート商店街、その北の果てを東西に走るバス通り。それが旧五月雨通りだ。

 これを越えた先に、例の京総八幡宮けいそうはちまんぐうがある。


「そこの三国という店員が、バトルクロニクルの凄腕女性プレイヤーで、北園寺のプリズンガードと呼ばれているそうでござる」

「プリズンガード……看守ってことか」

「さよう」


 たったそれだけの共通点で、という考察と、この北園寺に複数人そんなあだ名が付く人間がいてたまるかという私情がちょうど半々だ。

 他に手がかりもないし、明日行ってみるか。


「それと……旧五月雨通りといえばでござる。例の瞬間移動について、興味深い投稿があったでござるよ」


 及川がそう言って、モニターの1つをこちらに向ける。

 覗き込むと、今までと変わらないSNSの投稿のようだ。


「えっと……『彩博寺さいはくじを散歩してたはずなのに、気がついたら京総八幡宮にいました。何かのアーティファクトかも』か。なるほど」

「1ヶ月前の投稿でござるから、無関係かもしれないでござるが。この類の投稿で唯一、どこからどこへが示されているものでござる」


 及川の言う通り投稿日は古いし、自分でアーティファクトと言い出すやつは大概がウケ狙いのインフルエンサーだ。

 ただ、俺はこの投稿が信用できると踏んだ。投稿者のアイコンを見逃さなかったからだ。


「このアイコン、うちの猫だ。シェルナっていうんだけどな」

「ほう、猫を飼い始めたのでござるか。しかしそれが今、重要なことなのでござるか?」

「ああ。こんなくつろいだシェルナの、しかも室内の写真だ」


 加えて言えば事務所の床じゃない。

 つまり、このアカウントの持ち主は__


「及川、このアカウント、この投稿の少し後から止まってたりするんじゃないか?」

「ほう、さすがの慧眼……」

「やっぱりな」


 このアカウントは、佐藤瑠美さとうるみ、怪盗ステラのアカウントだ。

 そうなれば、このアーティファクト発言も話題性狙いじゃない。あいつは仮にも本当にアーティファクトを扱っていたんだ。突然の瞬間移動に何か思うところがあったのだろう。


「しかし彩博寺から京総八幡宮か……」

「短いでござるな。真守殿が飛ばされた時より」


 そう、距離が短い。

 俺が飛ばされた時は2回とも直線距離で300メートルくらいは飛ばされていた。


 一方、彩博寺と京総八幡宮は両方それなりの敷地面積があって断定できないが、おおよそ100メートルくらいしか飛ばされていない。

 旧五月雨通りを跨いだ真向かい。南に彩博寺、北に京総八幡宮。


「短いなりに大通りを越えられて良かったな、ってくらいか」

「というと?」

「いや、考えたんだが、この瞬間移動を使って大通りに飛ばされたらそのまま車に轢かれるだろ。今のところそういう交通事故の話はないから、怪盗アリスがそこは気を使ってるのかもなって」


 しかし、伊藤やステラはともかく、明確に敵対している俺にまで配慮する意味はないはずだ。

 この瞬間移動の制約の1つに、大通りに飛ばすことができないといった類のものがあるのだと思う。


「そんなやつには見えないでござるな」


 肩をすくめ、鼻で笑う及川。

 お前から見てもそうなのか。動きは腹立たしいが、推理が間違っていなそうで安心したよ。


「さっきネオンライオット板に、怪盗アリスからまた書き込みがあったでござるよ」

「なんか特定に繋がりそうなことか?」


 単なる挑発文なら見るまでもない。

 ありさの異変を辿れば、自ずと正体がわかるだろう。


「『あのナイト気取りが。いつもいつも雑兵と固まっていやがる。しかも今日は愛しの女王様と3人だ』。そう書いてあったでござる。何のことでござろうな」

「雑兵……また、過激な表現だな」


 事務所の中にいる俺を瞬間移動させた時から、怪盗アリスはある程度俺の動向を知っているのは分かっていた。

 しかし、3人……か。


 今日は最大4人が事務所にいたんだがな。

 俺、ありさ、マユミさん、そして七海だ。マユミさんと七海はほとんど入れ替わりだったから、3人というとマユミさんか、七海のどちらかだけをカウントしているんだろう。

 どのタイミングでも視線は感じなかったはずだが。


「また書き込みがあったら、連絡した方がよいでござるか?」

「ん、ああ……念のためそうしてくれ」


 いつもいつも固まって、か。

 素直に考えれば、雑兵呼ばわりされているのは事務所に入り浸っている七海ということになるな。


 今は考えても分からないことだらけだ。明日、キョウカを見つけることに集中しよう。

 そう自分を納得させて、この場を去ることにした。




 翌朝の北園寺は、昨日ほどの熱気もなく、まだ過ごしやすい空気だった。


 事務所の窓を開けると、通りの向こうからパン屋の焼ける匂いが流れ込んでくる。

 朝のこの時間帯だけは、この街も妙に素直だ。


 俺は鹿撃帽を被り、財布とスマホを確認してから、ドアノブに手をかけた。


「さて……行くか」


 今日はムーンストリート商店街の北。

 旧五月雨通り沿いのミニチュアショップ。


 及川の話がどこまで当たっているかは分からないが、行ってみなければ始まらない。


 ドアを開けた、その足元を、すっと、青灰色の影が横切った。


「……シェルナ?」


 ロシアンブルーのシェルナが、何のためらいもなく外へ出ていく。

 いつもの、気まぐれな動きだ。


 たまにある。

 朝の涼しいうちに、近所を一周してくる散歩。

 昼前には、しれっと戻ってきてソファで寝ているやつだ。


「今日はそっちの気分か」


 声をかけても、振り返りはしない。

 だが、別に急ぐ様子もない。


 この街で、シェルナが行く場所なんて限られている。

 危ない目に遭うような性格でもない。


 俺は特に気に留めることもなく、事務所の鍵を閉めた。


 シェルナはシェルナ。

 俺は俺。


 それぞれ、いつもの一日を始めるだけだ。


 そう思って、俺は旧五月雨通りの方角へ歩き出した。

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