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インサイダー幕引き 〜ダメ怪盗の少女と、名探偵の街〜  作者: 日高 純
第二章 ダメ怪盗アリスの歪んだ恋慕
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第28話 霧とマリオネットの過去

 七海とありさは、波長が合うのか、しばらく取り留めもない話を続けていた。

 宝永ほうえい通りのスイーツがどうだとか、ありさのネイルはどこのサロンでやったのかとか、そういう話だ。


 女性同士で話が盛り上がっているときは、男は黙って聞くべきなのだ。

 師匠は昔そう言っていたが、本当は師匠も今の俺の同じで、話題についていけなかっただけなんじゃないかと、ふと思った。


 一応、俺がこの事務所の所長なはずなんだが、3人分コーヒーでも入れてやるかと、そっと席を立った。

 シェルナがポテポテと足音をさせながら足元にすり寄って来る。


「だいぶ懐いたな。俺の一番の味方はお前なのかもな」


 シェルナもメスなはずだが、こういう時に一人にしないでくれるのはさすが副所長だ。

 俺の言葉が通じているのか、いないのか、どっちとも言い難い表情でシェルナは一つ大きなあくびをした。それでも、俺の足元からは離れなかった。


 七海とありさの会話は、思ったよりも穏やかに続いていた。


 俺はシンクの前で背を向けたまま、ポットに水を注ぎ、スイッチを入れる。

 いつもの動作だが、今日はやけに時間がゆっくり流れている気がした。


「でさ、宝永通りの新しいとこ、行った?」


 七海の声。

 軽くて、よく通る。


「……ああ、あそこ?」


 ありさが少し考える間があった。


「白い看板の? クレープ屋?」

「そうそれ! あそこの限定メニュー、めちゃくちゃ映えますよ」

「……映え、ね」


 ありさの声は、肯定とも否定ともつかない。


 俺はドリッパーにフィルターをセットし、豆を量る。

 背中越しに聞こえる声は、意識しなくても耳に入ってくる。


「でも、ありさちゃんって甘いのあんまり食べないイメージです」

「前はね」


 少しだけ、間。


 甘いものというより、ありさは流行りもの全般に興味を示さない……と思う。

 今は違うのかもしれないが。


「最近は……まあ、悪くないかなって」

「へえ」


 七海が、ほんのり楽しそうに声を上げる。


「変わりました?」

「……変わった、ってほどでもないけど」


 ありさは、そこで言葉を切った。


 俺は豆を挽く手を止めない。

 ガリガリとした音が、会話の隙間を埋める。


「なんていうかさ」


 ありさが、少しだけ声を落とす。


「前ならやらなかったことを、やってみてもいいかなって思う日が増えた」

「それ、いいことじゃないですか?」


 七海の返事は即答だった。


「世界が広がるやつですよ、それ」

「……そう言われると、そうなのかも」


 ありさが小さく笑う気配がする。


「七海さんは、そういうのないの?」

「ありますよ。しょっちゅう」


 七海はあっさり言った。


「昨日の自分なら絶対言わなかったこととか、今日の自分ならやっちゃうとか」

「へえ」

「まあ、だいたい失敗しますけど」


 その言い方があまりに自然で、ありさが吹き出した。


「それ、胸張って言うこと?」

「経験値は溜まりますから」


 俺はお湯を注ぎ始める。

 立ち上る香りが、事務所にゆっくり広がっていく。


「でも」


 七海が、少しだけ真面目な声になる。


「“誰かに言われたから”じゃなくて、自分で選んでるなら、いい変化だと思います」


「……」


 ありさは、すぐには返事をしなかった。


 代わりに、椅子がわずかに軋む音。

 たぶん、指先を見ている。


「自分で、選んでる……か」


 その言葉を、確かめるみたいに。


 俺はカップを三つ並べ、コーヒーを注ぎ分ける。

 ありさは砂糖なしでミルクだけ。七海は……知らんが、勝手にしてくれ。


 背中越しに聞いているだけなのに、胸の奥に小さな違和感が残った。


「ほら、できたぞ」


 俺は振り返り、カップを持って二人の方へ向かう。


 七海はいつも通りの顔で、

 ありさは、ほんの少しだけ考え事をしている顔で。


 コーヒーを配ると、空気は自然と緩んだ。


「うわ、いい匂い」


 七海が真っ先にカップを覗き込む。


「ブラックですか?」

「飲めるならな。無理なら砂糖は棚だ」

「了解です。では遠慮なく」


 早速角砂糖を二つ落とす音。

 やっぱりな。


 ありさはカップを両手で包み、少しだけ香りを吸い込んだ。


「……ここ、やっぱ落ち着く」

「そうか?」

「うん。変わってないのがいい」


 七海が頷きながら口を挟む。


「分かります。生活感がちゃんとある場所って、安心しますよね」

「生活感って言うな。事務所だぞ」

「事務所にも生活はあります」


 まあ、実際俺はここで寝泊まりしているわけだが。

 それでも探偵事務所らしい空気感にはとことんこだわっているつもりだ。


「そういえばさ」


 七海がありさを見る。


「宝永通りの話、今度一緒に行きません?」

「……え」

「クレープでもいいし、別に甘いのじゃなくてもいいですよ」


 ありさは一瞬考えてから、肩をすくめた。


「……時間合えば」

「やった」


 即答に近い七海に、ありさが少しだけ笑う。


「七海さんって、距離の詰め方が早いよね」

「よく言われます」

「自覚あるんだ」

「あります。でも直しません」


 即断即決。

 ある意味、ありさとは真逆だ。


 そんな取り留めもない会話がしばらく続いて、

 壁の時計を見たありさが、ふと立ち上がった。


「……そろそろ帰る」

「もう?」

「明日もリハあるし」


 カップを流しに置き、軽く手を振る。


「お邪魔しました」

「また来ればいい」

「……気が向いたら」


 その言い方は、昔と変わらない。


 玄関まで見送ると、ありさは靴を履きながら振り返った。


「真守」

「なんだ」

「……ありがと」


 何に対してかは言わない。

 それで十分だった。


「気をつけて帰れ」

「うん」


 ドアが閉まり、足音が遠ざかる。


 事務所に残ったのは、俺と七海と、窓際のシェルナだけだった。


「……」


 七海が、意味ありげに俺を見る。


「なに見てる」

「いえ。なんでもありません」


 そう言って、にやっと笑う。


 俺はその笑顔から目を逸らし、冷めかけたコーヒーを一口飲んだ。


「というかお前も帰れよ、そろそろ」

「いえ、まだ外暑いです。今、扉が開いた瞬間、外からもわっと来ました」


 うちに居座って冷房代を節約しようと、七海は毎日のように昼間入りびたっている。


「じゃあ、バイトの時間増やせ。涼しいだろ、バイト先は」

「イヤですよ! 大変じゃないですか!」

「……大変なのは否定しないけどさ」


 それでどうして事務所に居座ることになるんだか。

 こうなると本当にしばらく七海は帰らないので、先程気になっていたことを訊いて、時間を潰すことにした。


「じゃあ、さっきの話を詳しく教えてくれ」

「さっきの話? クレープの話ですか?」

「それなわけないだろ。お前の、地元で似たようなことがあったって話だ」


 七海はふっと笑うと、両腕を後ろ手で組みながら、跳ねるようにソファへと向かっていった。


「ああ、それですか。わたしの地元、静岡の漁村が昔、"東海の黒い霧"に襲われた話って、前に一度しましたよね?」

「ああ、漁村なのは初めて聞いたが」


 __東海の黒い霧。

 30年くらい前。

 東海地方を主な活動拠点とし、物的・人的被害を微塵も気に掛けることなくアーティファクトを強奪して回った輩――大怪盗フィクティオの異名だ。


 ちなみに正確には、俺がフィクティオの話を聞いたのは、七海灯ななみとまりからではない。

 怪盗マリンランタンからだ。

 なので本来は初めて聞いたフリをすべきなのだろうが、煩わしくて七海から聞いたことにしてしまった。


「だいたい10年前ですかね。わたしの地元で黒い霧のフィクティオが、何か企んでいたみたいで。最後には村ごと、霧で消し去ってしまいました」

「ああ、これでも俺は探偵だ。一般的に知られていることは把握している」


 その事件のことは、師匠からも聞かされている。

 2つの村がフィクティオの操る霧に包まれ、その霧が温度を上昇させ続けた。結果として村のすべてが、どろどろに溶けて消えた。

 村人たちも、約半数が犠牲となった。21世紀最大の怪盗事件だ。


「じゃあ、その事件で、数人の村人がフィクティオの協力者として逮捕され、投獄されたことも知っていますか?」

「当時俺は8歳くらいだったから、後から師匠に聞かされた。逮捕者は皆フィクティオへの協力を認めていたはずだが、それでも師匠は村人たちは無実だと言っていた」


 七海がふっと笑い、脱力するようにソファへと腰を落とした。


「さすが名探偵・門倉さんですね。その通りです」

「……なぜ断言できる?」


 七海は俺をまっすぐ見ているようで、それでいて、何も見ていないような黒い瞳をこちらに向けている。

 踏み込み過ぎなのかもしれない。

 だが、ありさのことについて、地元の話と似ているとこいつは言ったのだ。

 なりふり構ってはいられなかった。


「まあ、如月さんには話しておいた方がいいのかもしれませんね。ステラ・エトワールも見事捕まえたそうですし」

「……」


 俺は黙って続きを待った。

 口調は穏やかで明るい、いつもの七海なのに、妙な圧迫感がこの場を取り巻いていた。


「フィクティオの協力者と言われる人たちの中に、わたしの両親がいるんです。……もちろん、二人とも怪盗なんかに協力する人間じゃありません」


 冷や汗が首筋を伝うのを感じる。

 七海から、目が離せない。


「みんな、フィクティオに操られているんです。わたしは、フィクティオを見つけ出して、パパとママを取り戻したい」

「まさか、七海が北園寺に来たのは……」

「ええ、そうですよ__」


 七海はスッと息を吸い、瞼を閉じた。

 その姿に俺は、いつの間にか忘れていた呼吸を、再開する許可を得たように感じて、空気が口の端から漏れていった。


「__大怪盗達が最後まで活動していた街。名探偵が最後まで守り抜いた街。この北園寺には、それだけの価値があるアーティファクトが眠っているんでしょう? 何の手掛かりもなく潜伏したフィクティオが、次に姿を現すとしたらここだと思ったんです」


 他の街より確率が高いことは間違いないが、そもそもフィクティオがまだ生きているのかすら分からないのだ。

 それでも北園寺ここに一縷の望みを賭けて、引っ越してきたということか。

 ……とんでもない執念、だな。


「如月さん、知りませんか? 大怪盗達が、門倉秀樹かどくらひできさんに挑んでまで欲しがったアーティファクトがどこにあるのか。それが分かれば、フィクティオを待ち伏せできるんですけど」

「……知らないな。それに、フィクティオを待ち伏せ」


 七海の境遇には同情する。可能な限り手を貸してやりたいとは思う。

 だけど、すまない。それだけは教えられないんだよ。


 怪盗アリスに、事務所が安全地帯じゃないことを思い知らされたばかりだ。モルスもどこで、どんな方法で盗み聞いてるか分からない。

 これだけは、俺と師匠だけの秘密と決めてるんだ。


 __ 御影みかげありさが、戦慄のアーティファクトだってことは。

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