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インサイダー幕引き 〜ダメ怪盗の少女と、名探偵の街〜  作者: 日高 純
第二章 ダメ怪盗アリスの歪んだ恋慕
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第27話 邂逅とソウルメイトの調律

 昼下がりの事務所は、コーヒーの匂いと静けさだけが支配していた。

 シェルナは例によって、窓際の定位置から動かず、ありさの方を見ようともしない。

 それが余計に、室内の空気をぎこちなくしている気がした。


「いやー、でも本当に来られてよかったです」


 そんな空気を壊すように、マユミさんが楽しそうに声を上げた。


「探偵事務所って、ずっと気になってたんですよ。北園寺に住んでて、しかも身近に探偵がいるのに、来たことなかったなって」

「……身近、ね」


 俺は曖昧に返しながら、コーヒーを一口飲む。

 探偵事務所なんて、普通は近づかない方が健全だと思うんだが。


「実は私、曲を作るときに“場所”からインスピレーションをもらうタイプで」


 マユミさんはソファに腰掛け、きょろきょろと室内を見回す。


「ライブハウスとか、夜の駅前とか、河川敷とか。そういう空気感を、そのまま音に落とす感じなんです」

「へえ……」


 ありさが、少しだけ意外そうに声を漏らした。


「作曲って、部屋で黙々とやるもんだと思ってた」

「それもやるよ。でも、行き詰まったときは特にね」


 マユミさんは笑って続ける。


「探偵事務所なんて、物語が詰まってそうじゃない? 秘密とか、過去とか、選ばなかった人生とか」


 ……随分とロマンチックな解釈だな。


「そんな大層なもんじゃないですよ」


 俺は肩をすくめる。


「ここにあるのは、だいたい面倒事と、後悔と、どうしようもなかった結果です」

「それがいいんじゃないですか」


 マユミさんは即答した。

「そういうの、音楽にすると一番強いですから」


 ありさが、ふっと視線を落とす。

 その仕草が、ほんの一瞬だけ遅れたように見えた。


「……ここ、変わってないね」


 ありさが、ぽつりと言った。


「机も、ソファも。前に来たときと」

「一年そこらで変わるほど、金回りよくないんでな」


 軽く冗談めかして返すと、ありさは小さく鼻で笑った。


「そっか」


 それだけ言って、また黙る。

 マユミさんはそんなありさを横目で見て、少しだけ声のトーンを落とした。


「でも、不思議ですね」

「何がです?」

「探偵事務所って、もっとピリピリしてる場所だと思ってました。 事件の匂いがするとか、緊張感があるとか」


 シェルナをちらっと見てから、続ける。


「でもここ、落ち着く。……ありさの居場所って感じがする」


 一瞬、空気が止まった。


「……まあ、昔はけっこう来てたかな」


 ありさが、少し早口で言う。

 師匠がいた頃は、とは言わないでくれた。


「今は別に。たまに来るくらいで」

「うん、分かってる」


 マユミさんは、否定も追及もしなかった。


「ただね、曲を書く人間の勘ってやつ?」


 軽く笑って、


「ありさ、最近ちょっと“音”が変わったでしょ」


 ありさの肩が、わずかに強張る。


「……そうかな」

「うん。悪い意味じゃないよ」


 マユミさんは慌てて付け足す。


「むしろ表現は増えてる。ただ……」


 言葉を選ぶように、間を置く。


「自分の声っていうより、“求められてる声”に近づいてる気がして」


 ありさは答えなかった。

 代わりに、無意識のように自分の指先を見る。

 白銀のストーンが、事務所の明かりを反射していた。


 俺は、その沈黙をどう扱えばいいか分からず、黙っていた。

 探偵の仕事としてなら、質問はいくらでもできる。

 だがこれは、事件でも依頼でもない。

 ただの、違和感だ。


「……まあ、音楽の話はこのくらいにして」


 マユミさんが、ぱっと明るい声に戻す。


「探偵事務所、来られてよかったです。ちゃんと“物語の匂い”がしました」

「そうですか」

「はい。今日、いい曲書けそう」


 その言葉に、ありさはほんの少しだけ、安心したように息を吐いた。

 だが俺の胸の奥に残った違和感は、消えなかった。


 体感ではシロだ。

 マユミさんからは、怪盗アリスらしい挑発的なところも、こちらを探るような質感も感じられなかった。

 まだ安心はできないし、マユミさんがアリスでないなら、それはそれでアリス手がかりゼロ。振り出しに戻ることになる。


 こちらから探りを入れてみるか……?

 そう考え、口を開こうと息を吸ったタイミングだった。


 ――ガチャ。


 唐突に、ノックもなくドアが開いた。


「ただいま戻りましたー」


 間延びした声と一緒に、七海が事務所に入ってくる。


 どうやらバイトは終わったらしい。

 だが――


「……」


 俺は、一瞬言葉を失った。


 七海の頭には、堂々とネコミミのカチューシャが乗っていた。

 黒地にふわっとした質感。昨日、ありさがつけていたものより、若干あざとい。


「……なんだ、その格好は。あとここはお前の家じゃないから、戻ってこなくてよろしい」

「え? 見て分かりません?」


 七海は得意げにくるっと一回転する。


「猫です」

「見りゃ分かるわ。頭に……いや、なんでもない」


 頭にマタタビでも湧いてるのかと言いかけて、ありさもこの前やっていたことを思い出し踏みとどまる。 


 しかし目的が分からん。


「シェルナちゃんと、もっと仲良くなろう作戦です」

「作戦?」


 七海はネコミミを軽く揺らしながら、ソファの背もたれにいるシェルナを見た。


「猫は猫に心を開くんですよ。たぶん東大の先生もそう言ってます」

「そんな雑な理論あるか」


 シェルナはというと、七海を一瞥して__興味なさそうに目を閉じた。


「……あれ?」

「完全に無視されてるな。シェルナの方がお前より賢いんだろうな」

「おかしいですね。昨日はもうちょっと反応ありましたよ?」

「昨日はシェルナに何したんだ。お前、毎日こんなイカれたことしてたのか」


 首をかしげる七海の後ろで、マユミさんがくすっと笑った。


「あ、もしかしてこの子も探偵事務所の名物ですか?」

「いいえ、近所の騒音公害です」

「ちょっと!?」


 七海が抗議するより早く、マユミさんが立ち上がる。


「じゃあ、そろそろお邪魔しました」

「もういいんですか?」

「うん。十分インスピレーションもらいましたし」


 にこやかに会釈してから、七海のネコミミを見る。


「……かわいいですね」

「ですよね!?」

「ええ。でも――」


 一瞬だけ、視線を俺に向けて。


「如月さんの趣味、ってわけじゃないですよね?」

「違います」


 毀損される名誉が、俺みたいな人間にもまだあったんだな。


「こいつが勝手にやってるだけです。たぶん頭のネジを怪盗に盗まれたんでしょう」

「ひどい!」


 七海が声を上げる。


「わたし、如月さんの趣味に寄せたわけじゃないですからね!?」

「だから今俺がそう言ったんだよ。重ねたら逆にあやしくなるだろ、やめろ」


 だが、ありさが小さく鼻で笑った。


「……真守、そういうの好きだったんだ」

「違うって言ってるだろ」


 マユミさんは楽しそうにそのやり取りを眺めてから、最後にありさの方を見る。


「またね、ありさ」

「……はい。ありがとうございました」


 ドアが閉まり、足音が遠ざかる。


 事務所には、俺とありさと七海と、シェルナが残った。


「……で」


 ありさが、七海を見る。


「結局どちら様なんですか?」

「仲良しです」

「誰と」

「シェルナちゃんと」


 七海は胸を張った。

 まあ、俺とは別に仲がいいわけではないな。


「……その耳つけると、シェルナと仲良くなれますか?」

「は? おいありさ待て、毒されるな。そいつは根っからのバカなんだ」


 シェルナが、その瞬間だけ、片目を開けた。


 ――ほんの一瞬、七海の方を見て。


 そして、また目を閉じる。


「……今、見た?」

「見たな。いや、見たけど……」

「ですよね!? 進展ありましたよね!?」


 七海は嬉しそうに拳を握る。


 ありさは、じっとその様子を見てから、ぽつりと言った。


「……んー、いやでもさすがにネコミミはない」


 その声は、いつもの棘のある調子じゃなかった。


 事務所の空気が、少しだけ、揺れた気がした。


「あれ? ネオンライオットのアリサちゃんでしょ。わたし前にネコミミしてるの見て、この作戦思いついたんだけど、見間違いだったかな」


 ……あの日か。

 なんだったんだろうな、あの日のありさは。


「いや、違っ__あれは、なんかその日おかしくなってただけで……」

「ふぅん……?」


 七海は納得したのかしてないのか微妙な顔で首をかしげ、その後俺の方をじっと見てきた。

 ……なんだよ。


「わたしバカだからよく分かんないんですけど」

「お前みたいに本当にバカなやつが言うセリフじゃないぞ、それ」

「バカじゃないならよく分かんないんですけど」


 なんだそのバカ丸出しの文は。

 話が進まないなら黙っておくが。


「アリサちゃんって、そういう子なんですか? 如月さんの妹なんでしょ」

「さあな。そういう気分の日もあるってだけなんじゃないか」


 俺の知ってる範囲でいえば、ありさは自分のこだわりが強くて、そんな日によってやることの変わるやつじゃないが。

 人は変わるから、そこのとこは断言できないんだよな。


「わたしの地元でも、似たようなことがあったなあって、思っただけです」

「はあ……」


 七海の地元、たしか静岡だったな。

 "似たようなこと"じゃ何が言いたいかさっぱりだが。


 __いや。

 まさかとは思うが、あの話なのか?


 七海はまた、俺の目をじっと見据えていた。



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