第22話 花屋とテレポートの街角
伊藤優悟の尾行は順調そのものだった。
事前情報の通り、学校を出た後は、北園寺駅方面に向かって歩いていく。これをただ尾行するだけだ。
以前、怪盗絡みの協力者を尾行したことがあるが、今回の方が遥かに簡単だ。
なんと言っても相手が警戒していなければ、数分程度の尾行は気づかれようがない。
伊藤の後方約60メートルを一定のペースで歩くだけ。
「意外と簡単なのね」
傍らを歩くありさですらそんなことを言うレベルだ。
「普通の人は尾行されてるか警戒しながら生きてないし、ここが俺達のホームタウンだからってのもある」
「どういうこと?」
「人通りの少なくないこの通りで、しかももうすぐ駅前だろ? 普通はこんな距離をあけられないんだよ」
仮に一瞬視界から消えようとも、北園寺で尾行してる以上、伊藤のような高校生が入り得る建物の候補や、候補内の確認優先度はきっちり頭に入っている。
もちろんバレてない前提の話だ。だからこそ尾行に気づかれないこと最優先で距離を大きくとっている。
「ふーん。ちゃんと仕事してるみたいだね」
「ネオンライオットみたいに愛されてる事務所ってわけじゃないけどな」
「いいじゃない。怪盗もいなくて平和ってことでしょ」
おかげで、ありさと久しぶりにまともな会話をしたのが尾行中なんていうおかしな事態を引き起こす。
沼尻公園の広大な敷地の脇を通りながら、街はにわかに賑わい始めていた。
「__真守、一瞬待って」
途中、ありさは油断しきったのかそんなことまで言い出した。
「は? いくらなんでも待たん。尾行中だぞ」
「一瞬だから」
そう言うとありさは、道路脇、公園のごみ箱にかけより鞄をあける。
視界の端には伊藤を捉えながら、その様子を伺っていると__ありさは、ネコミミのカチューシャを思いっきり、ごみ箱に叩きつけた。
ええ……伊藤とは相当距離を取っているとはいえ、一応目立つことはやめてほしいんだが。
ありさは何事もなかったかのような澄ました顔で小走りに、俺の隣へと戻ってきた。
「いいのかよ、ファンからもらったんじゃなかったか?」
「いい」
他にも言いたいことはあったが、ありさの機嫌を損ねても面倒なのは幼少期から身に染みて知っている。だから言葉は最小限に留めるべきだ。
「かわいいって、さっきは言ってたのに」
「言ったけど。冷静に考えたら、フツーにキモいなって思った」
なんだその変わり様は。
俺は思わず空を見上げた。
昼下がりの空は、初夏の暖かさを存分に発揮した綺麗な青空だった。
「秋には早いのに、荒れ模様だな」
「は? なにが?」
「ああ、いや……何でもない」
いかん。言葉は最小限と、誓ったはずだったな。
北園寺駅の南口が見えてくる頃には、街の空気が少し変わっていた。
学生、会社帰りの社会人、買い物袋を下げた人達。
人の流れが一気に増え、尾行の難易度はむしろ下がる。
伊藤は、人混みに紛れるように歩きながら、特に急ぐ様子もなく駅前をぶらついていた。
本屋に入る。
数分で出てくる。
自販機で飲み物を買い、ベンチに腰を下ろす。
「……普通だな」
思わず口に出してしまう。
「そうね、学校終わりなんてだいたいそんなもの」
ありさが、退屈そうに肩をすくめた。
「そういえばありさ、お前学校は?」
「サボった」
「サボったって……」
あんた他人のこと言えるの? とありさの鋭い視線が語っている。確かに俺も中学の時はよくサボってたけども。
ありさは俺と違って昔から頭が良かったから、せっかく北園寺の名門中高一貫に通ってるのに。
「女子校って面倒なの。バンドメンバーもまゆみさんしかいないし」
「そんなもんかね。まあ、程々にしとけよ」
ありさには、せっかく真っ当に生きる選択肢があるんだ。それを逃すのは、もったいない。
「しかし、浮気調査って普通何日も尾行するんだ。毎日学校休むのはさすがにまずいだろ?」
実際にどの程度まずいのかは、身をもっては知らないが。
「さすがに毎日はしないってば」
「それならいいが……。しかし伊藤のやつ、本当に見てて面白くないな」
「ネオンライオットの開演まで、ただ時間潰してるだけじゃない? 駅前だし」
確かに、そう見える。
浮気の匂いも、怪しい挙動もない。
スマホを見て、時計を確認して、また歩き出す。
至って健全な高校生の行動だ。
──なのに。
「……」
胸の奥に、引っかかるものが残る。
視線だ。
さっきから、何度か感じている。
気のせいだと切り捨てるには、回数が多い。
俺達を、見ている。
だが、問題はそこからだ。
見られているのが、俺なのか。
それとも、隣を歩くありさなのか。
ネオンライオットのギターボーカル。
街中で視線を集めても、何一つ不思議じゃない。
俺を見ている場合はもっと問題ない。仕事柄、恨みを買うのは慣れている。
一番可能性の薄い、だが最も最悪な想定。
__ありさの秘密を知っている何者かが、ありさの身を狙っている。
それこそ、痕跡をわざわざ残してアピールしてきたあいつ、大怪盗モルスの可能性だってある。
俺は一瞬、歩調を落とし、反射的に周囲を観察しかけ__やめた。
モルスがこんな簡単に気配を悟られるわけがない。俺に勘付かれている時点でそんな大層なやつじゃないはずだ。
それに今は伊藤を見失うわけにはいかない。
尾行中に不用意な動きをするのは、最悪の選択だ。
「……どうしたの」
ありさが、小声で訊いてくる。
「いや。気のせいだ」
本当は、半分も気のせいだと思っていない。
それでも、今は切り捨てる。
視線の正体を探るのは、今じゃない。
伊藤はそのまま南口ロータリーを抜け、幹線道路沿いへと歩いていった。
「……ん?」
足を止めたのは、駅前の一角。
色とりどりの花が並ぶ、小さな花屋の前だ。
伊藤は店内に入り、カウンター越しに店員と話し始めた。
身振り手振りを交え、何かを相談している様子。
「花屋……?」
ありさが、わずかに眉を寄せる。
俺達は、幹線道路を一本挟んだ向かい側で足を止めた。
信号待ちの人波に紛れながら、店内を観察する。
ガラス越しに見える伊藤の横顔は、落ち着いている。
焦りも、隠し事をしている雰囲気もない。
だが、浮気調査という観点で見るなら──。
「……花は、理由が分かれると思うけど」
ありさが、ぼそりと言った。
「ああ」
誰に渡す花なのか。
それ次第で、このアクションの意味は大きく変わる。
信号が赤に変わる。
車の流れが止まり、花屋のショーウィンドウがよく見えた。
俺は、視線を花屋に固定したまま、静かに息を整える。
__さて。
集中しよう。今はとにかく浮気調査だ。
視線の主も直接こちらに何かしてくる気配はない。
その時だった。
「消え……た?」
伊藤の姿が忽然と、消えた。
ほんの一瞬も目を離してはいない。
目の前で、瞬間的に。
身を隠す場所も、隙もない。ただ、霞のように消えた。
「ねえ真守。今……」
ありさが目を見開き、絞り出すように呟いた。
視線の先では、花屋の店員もキョロキョロと店内を見回している。
__つまり
「俺の見間違えじゃないな」
単なる見間違いの線はとうにない。
アーティファクトによる、幻覚の類じゃなさそうだって話だ。
今、目の前で、人が消えるアーティファクトが使用されたってことだ。
「伊藤優悟が消えた! ねえ真守、これって!?」
「落ち着け。いや、落ち着いてる場合じゃねえ。走れ!」
ありさの手を取り、駅を目がけて走り出す。
「わっ! なに? なんなの真守!?」
「俺らに気づいて伊藤が自分で消えたように見えたか? 消えんなら俺ら以外に見てない場所で。店員の目の前をわざわざ選ぶ理由がねえ!」
そう、伊藤は自らの意思で消えたんじゃない。
何者かによって消された可能性が高い。
おそらくは、視線の主によって。
走りながら思考を巡らす。
どういう類のアーティファクトだ?
視線をずっと感じてたのは、対象者を視界に入れている必要があるからか?
なぜすぐには使ってこなかった?
それになぜ、俺やありさじゃなく、伊藤を消した?
考えても答えは出ない。
だが、分からなくても今やるべきことはある。
「ありさ。このまま北口の交番に走れ」
「は? 真守は!?」
「仕事の時間だ。ガチの方のな」
ありさの被ったキャップを雑に跳ね飛ばし、懐からいつもの鹿撃帽を取り出し、ありさの小さな頭に被せてやる。
「まっすぐ交番まで。で、源さんわかるだろ? あの人を頼れ」
「でもっ」
「でもじゃない! 早く行け!」
躊躇うありさの肩を軽く押す。
ありさは、まだ一瞬だけ何か言いかけたが、頷いて、また走り出した。
「大丈夫。死ぬこと以外は掠り傷だ」
俺は、ありさに背を向け、その場で身構える。
急に走ったせいで周囲の注目を集めちまった。
先ほどまでの視線の主を探るのが難しくなってしまっている。
しくじったか……?
いや、ありさの安全が最優先で間違っていなかったはず。
「さて、かかってきな。愛帽なしでもてめえみたいな素人に負けやしねえよ」
そう、小さく啖呵を切った。
__だが、それを最後に俺の視界は真っ白に染まった。




