第21話 浮気調査とロマンの香り
及川から言い渡されたタイムリープのアーティファクト(仮)の調査を数日放置し、俺はいつも通り依頼のない事務所で優雅にコーヒーを嗜んでいた。
とは言え、意図して放置していたわけではない。手がかりがなくて単純に調べようがないのだ。
人間が瞬間移動するという話には興味があるし、もしアーティファクトによるものであれば結構危険な代物だ。
調査をしようという気はある。
灼熱の太陽が降り注ぐ外を窓から眺めつつ、そんな風に自分に言い訳をしていると、カドクラ探偵事務所に、珍しくノックの音がした。
七海ならノックもせずに入ってくるので、真っ当な客人ということになる。
「……はい」
ドアを開けると、そこに立っていたのは見覚えのある顔だった。
小柄で、ショートカット。
無地のパーカーにジーンズという、ライブハウスではまず見かけない格好。
だが、背筋の通った立ち方と、視線の鋭さで分かる。
――NEON RIOTのドラマーだ。たしか、リオと言っていたか。
「……こんにちは。如月さんですよね」
「ええ、カドクラ探偵事務所へようこそ。今日はどうしました? 私のサインであれば何枚でも書きますよ」
冗談のつもりだったが、リオは笑わなかった。
代わりに、事務所の中を一瞥し、猫を見て、少しだけ眉をひそめる。
「……ここ、本当に探偵事務所なんですか」
「はい、もしかして猫アレルギーですか? それならお話は別の場所で……」
「いえ、大丈夫です」
「それは良かった。シェルナといいます。うちの副所長です」
シェルナに目配せすると「にゃ」と短く鳴いた。
リオは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに咳払いをして、真剣な顔に戻る。
「……依頼があって来ました」
「ほう、依頼ですか。どうぞ、そちらに」
ジェスチャーでソファへと誘導し、テーブルを挟んだ向かいに自分も腰掛ける。
古いソファに腰を下ろしたリオは、少しだけ言い淀んだあと、意を決したように口を開いた。
「……浮気調査、お願いしたいんです」
「浮気?」
実に探偵事務所らしい依頼だが、実は俺にとって初めてのタイプの依頼だ。
師匠がいた頃はもちろん、俺が事務所を継いでからも、怪盗専門の事務所と思われがちだったからだ。
「お相手は?」
「……私の彼氏です。名前は伊藤優悟」
リオはそう言って、スマホを取り出した。
2人で写っている写真では、リオや俺と同年代の、高校生くらいの好青年に見える。
「最近、様子がおかしくて。連絡が取れない時間が増えて、行き先もはぐらかすようになって……」
よくある話だ。
よくある、はずだ。
もっと様子のおかしい怪盗ステラや及川のような連中を相手にしすぎて、感覚が狂っていないという自信が一瞬持てなくなった。
「それで、調査をしてほしいと?」
「はい。……でも」
リオは、一瞬だけ言葉を切った。
「普通の浮気、じゃない気がするんです」
「ほう?」
俺は、無意識に鹿撃帽のつばを押さえた。
「どういう意味です?」
「……うまく説明できないんですけど、わたし、一度自分で尾行をしてみたことがあって」
リオは、困ったように笑った。
「突然、消えちゃったんです。そのとき」
「消えた? うまく撒かれたということですか?」
「いえ、真っすぐな道だったのに、急に消えたんです。まるで、瞬間移動でもしたみたいに」
まさか、及川の言っていたアーティファクト……?
どのみち浮気調査はしなくちゃいけないんだ。多少気に留めておいてもいいかもしれないな。
「あの、如月さん……」
「はい。どうしました?」
リオは探るような、怯えるような目でこちらを見ていた。
「ここって、こういう依頼をしても、いいんでしょうか?」
「構いませんよ。探偵事務所ですし……」
俺が言葉の意味を測りかねていると、リオが続けた。
「いろんなところで怪盗専門だと聞いていたんですけど、この前アリサから何を依頼しても大丈夫な事務所だと聞きまして」
「ああ、そういうことでしたか。怪盗専門というのは、よくある誤解なんです。浮気調査、お引き受け致します」
……ありさもたまには良い事するじゃないか。
その調子でどんどん皆の誤解を解いていってくれると助かるな。
それから俺は、浮気調査に必要な最低限の情報を聞き出した。
伊藤優悟の通学先、帰宅時間の目安、よく立ち寄る場所。
スマホの位置情報は共有していないこと。
ここ最近、急に増えた「一人で出かける用事」。
リオは、感情を抑えるのが上手いタイプだ。
言葉は淡々としているが、要点を外さない。
だからこそ、違和感もはっきり伝わってくる。
「……以上です」
話し終えると、リオは小さく息を吐いた。
「ありがとうございます。如月さん。正直、浮気だったらそれでいいと思ってて」
「それでいい、とは?」
「理由が分かるからです」
即答だった。
「ただ、怪盗とかアーティファクト関係に巻き込まれているなら怖くて。先月くらいに神社で事件がありましたよね?」
俺は、軽くうなずいた。
「分かりました。調査はこちらで引き受けます。結果が出次第、連絡します」
「……お願いします」
リオは立ち上がり、深く一礼した。
ステージで見る堂々とした姿とは違う、年相応の仕草だ。
「それじゃあ、失礼します」
「お気をつけて」
ドアが閉まる音が、事務所に残る。
静かだ。
冷房の音と、シェルナが椅子の上で丸くなる気配だけ。
「……さて」
鹿撃帽のつばを指で押さえ、思考を切り替えようとした、その時だった。
――ガチャ。
今度はノックもなく、ドアが開く。
「ただいま戻りましたー」
間延びした声。
聞き慣れすぎた声。
「……お前の帰ってくる場所じゃないけどな」
七海だった。
いつものように軽装で、いつものように遠慮がない。
「今、誰か来てました?」
「来てた。お前には関係ないがな」
「女の人?」
「女の人だ」
七海の動きが、ぴたりと止まった。
「……ほう?」
なんでそこで目を細める。
「依頼人だ。浮気調査」
「ふーん。浮気調査ですかあ」
じっとこちらを見る。
探るように。
楽しそうに。
「で? ちなみに可愛い人でした?」
「仕事の話をしに来ただけだ」
「答えになってないですよ、それ」
やれやれだ。
俺は椅子に深く腰掛け直し、ため息をついた。
「ネオンライオットの子でしたよね?」
「……すれ違ったのか」
「ええ」
そういえばこいつ、ライブにも並んでいたな。
「浮気調査、わたしもついていっていいですか?」
「ダメだ。遊びじゃないんだ」
ついてきてどうする気なんだこいつは。
怪盗絡みなら戦力として数えることもギリギリできないことはないが、今回は足手まといにしかならないだろう。
「えー、おもしろそうなのに」
「やりたきゃ探偵になるんだな」
ステラ・エトワールのときは、最後プラネタリウムに先行していたファインプレーがあったとはいえ、散々引っ掻き回されたからな。
俺はクールに淡々と依頼をこなす探偵を目指しているんだ。ノイズは少ない方がいいに決まっている。
後日、俺はリオの彼氏・伊藤優悟の通う阿加保学院の校門が見える位置、駐車場にさりげなく立って、伊藤優悟が出てくるのを待っていた。
阿加保学院は、北園寺から徒歩10分ほどの距離にある進学校だ。
依頼がなければ俺や七海には一生縁のなさそうな学校だな。
俺は鹿撃帽を被り直し__被り直そうとして今日は、Tシャツとジーンズだけなのを思い出した。
さすがにアレを被って、インバネスコートまで持っていたら、周囲に「俺は探偵です」と伝えているようなものだ。目立ちすぎて、尾行には不向きが過ぎる。
今回は何も口を滑らせていないので、七海が来ることは防げたわけだが、その代わり__
「何? なんでこっち見てんの。ちゃんと校門見張りなよ」
ありさが傍らにいた。
完全にノーマークだったが、そもそもリオにうちの事務所を紹介したのもこいつだ。
やろうと思えば、この場に来ることも可能だろう。
「いや、"なんで"はこっちのセリフなんだが……」
「さっき説明したじゃん。リオのカレシが浮気とかフツーに許せないから。もし浮気ならその場でぶっ飛ばすから」
まあ、ここに来た理由も疑問だったわけだが、ありさの言葉通り、それはさっき聞いた。
「いや、そうじゃなくて。……それ」
俺は真紅のメッシュが入ったありさの黒髪……の頭頂部を指さす。
「なんなの、そのカチューシャ。お前、そんな趣味だったっけ」
「何って見たまんまネコミミだけど。ファンに貰ったの」
貰ったからって付けるヤツじゃなかった気がするが、これもファンサービスなのか……?
大変なんだな。
「なんか文句あんの? かわいいっしょ」
「あ、まあ……かわいいんじゃないか?」
「は? キモ」
「そんな理不尽なことあるか!? お前が言わせたんだろ!」
年頃の女の子というのは分からないもんだな。
七海みたいに単純なやつはレアケースなのかもしれない。
「とにかく、ありさはただでさえ多少顔が知られてるんだから、追加で目立つようなソレは外してくれ。尾行なんだからなるべく地味に頼む」
「……ん、了解」
ありさは素直にネコミミを外して鞄にしまい、入れ替わりでキャップを取り出し被った。
「これでいい?」
「ああ、問題ない」
本当は尾行に同行しようとしていること自体が問題なのだが、強情なありさは言っても帰らないだろうし、ただ追加で怒られるだけなのでそれは飲み込むことにした。
「あ、出てきた。あいつ。あいつが伊藤優悟」
ありさが顎で指す先、確かに写真で見た伊藤優悟だ。
「とりあえず、静かに俺の後ろ付いてくるだけ。いいな?」
「わかってるって」
俺は視界の端に伊藤優悟をとらえながらも、内心は唐突なネコミミカチューシャの方が気になっていた。
なんだったんだ、あれは。




