第19話 初夏とネオンの歌声
まだ梅雨明け間もない七月だというのに、今年の夏はやけに本気だった。
もちろんこの北園寺も例外ではなく、屋根のない場所を歩けば、たちどころに汗だくになるような陽気が続いている。
「事務所から出たくないな……」
窓を覗けば、見るだけで暑さにうんざりさせられるような、煌々と光る太陽を、否応なしに頬に感じる。
「なあ、副所長よ。もう秋まで依頼がなくても、いいんじゃないかと思ってしまうよな」
カドクラ探偵事務所の新任副所長こと、猫のシェルナに呼びかける。
返ってくるのは当然にゃあの一言だけ。
怪盗ステラ・エトワール逮捕へ貢献した俺は、久しぶりに警察からの依頼料を手にし、ほんの僅かばかりだが事務所の経営に余裕ができたせいか、気が抜けていた。
「お外は暑すぎて危ないもんねー、シェルナちゃん。にゃごにゃごにゃーご」
Tシャツにショートパンツという夏の装いとなった七海も床に膝をついて、猫じゃらしでシェルナの気を引こうとしている。
「いや、なんで七海が事務所にいるんだよ。うちは猫カフェじゃないぞ」
「だって外暑いじゃないですか!」
「自分の家があるだろ。しかも隣に」
七海はこの何日か、事務所に入り浸りがちだ。
先日バイトを始めたらしいが、バイトのシフトが逆算で分かってしまうくらいには、うちに来ている。
「如月さん、冷房って電気代が高いんですよ」
「だからって、うちで涼むな」
ここが探偵事務所で、自分は怪盗で、しかも正体がバレているという自覚はないんだろうか。
……ないんだろうなあ。
ステラ・エトワールの事件でさくらママが一時的に着た怪盗衣装をさりげなく返却すべく、盗みやすいよう事務所の軒先に干しといてやった。
それを先日、目論見通りに盗んでいったようだが、その日ですら事務所に堂々と来ていたくらいだ。
「まあ、北園寺が平和なら何でもいいか。暑さには勝てん」
「そうですよ。事務所なんだからどうせ冷房はつけるんでしょ? 依頼人なんてどうせ来ないけど」
「失礼なやつだな、本当に」
だが平和ならなんでもいいのは事実で、それ以上怒る気にもならなかった。
ステラ・エトワール事件の中では、大怪盗モルスの痕跡も見つかっているのだ。モルスの暗躍が続く危険性も十分に考えられる状況の中、何事も起きていない現状がどれほど得難い幸福か。
「事務所のメールアドレスの方にも、怪盗の情報や仕事の依頼は……うわ、及川から何か来ている」
及川克夫、25歳。北園寺レンガ通りのネットカフェにほぼ住んでいると言っていいほど入り浸っているニートの男だ。
先日の事件では、ステラ・エトワールが双子の怪盗であることを看破する重要な手がかりとなった情報を、彼から仕入れている。
及川は、七海の部屋に入った引っ越し業者の名前を調べ、その1人が佐藤玲美、すなわち怪盗エトワールの本名だったわけだ。
「えっと……先日の情報料について、か」
「情報料? なんか、探偵みたいでかっこいいですね」
「探偵なんだよ。みたいじゃなくて」
及川の情報料というのは、けっこう支払いが面倒なのだ。金額的には、彼の仕事振りを考えれば格安だと思うのだが、何しろ現物支払いなのだ。
所謂オタクでありつつも、ネットカフェから一歩も出ない生活をしている及川は、アニメやゲームのイベント限定グッズなんかを対価として要求してくる。
去年の例でいえば、12月に年末調整と称し、買い物メモを俺に押し付け、お台場を丸一日歩き回らせた実績もある。
「で、今回はどこに行けばいいんだ?」
スマホを操作し、覚悟を決めて及川のメールを開いた。
『同士・真守殿。
先日の情報料として、真守殿にはとある乙女のサインを入手していただきたい。
その乙女とは、今をときめくNEON RIOTのベーシスト・マユミ様でござる。今夏は北園寺公演が多く予定されているようであり、何卒お願いしたい。
敬礼』
敬具みたいに敬礼って書くな。
しかし、今回は労力だけ考えれば楽な方だろう。
「よりによってネオンライオットか……」
「何なんです? そのネオンライオットって」
七海が横から顔を出し、外ハネのショートカットの先端が首筋に触れる。
「勝手に見るな。これでも仕事のメールだぞ」
「この文章で……?」
それは俺も思うけれども。
「ネオンライオットってのは、北園寺発のガールズバンドだ。インディーズだが最近じわじわ人気が出てるらしいな」
「へえ、北園寺のバンドならサイン貰うくらいすぐできるんじゃないですか?」
物理的にはな。
だけど、ちょっとネオンライオットは近づきづらいんだよな……。
「まあ、貰えるとは思うんだけどさ。メンバーに1人、知り合いがいるんだよ」
「その人と、仲悪いとか?」
七海が真っ直ぐの目線を向けてくるので気まずさに目を逸らすと、代わりに副所長と目があった。
シェルナのやつ、ちょっと七海に似てきたな。
「別に仲悪いとかじゃねえよ。ただ、なんというか、妹みたいなヤツがいるんだよ」
「ほほーう、妹みたいなやつですかあ」
ニマニマとねっとりした目を向けてくる七海。
これに関しては俺の言い方も悪かった。
「お前の期待するような話じゃねえよ。昔、同じ孤児院で育ったって話だ」
「え? あっ……ごめんなさい」
「いやいいんだ。たまには顔くらい見ておくか」
NEON RIOTのギターボーカル・アリサこと、御影ありさ。血の繋がりはないが、今となっては__俺にとって唯一肉親と呼べる存在かもしれない。
後日、俺は1人、北園寺の中心ムーンストリート商店街から一本道を逸れたところにある地下ライブハウスへとやってきた。
NEON RIOTがリハーサルをやっていると聞いたのだ。
扉を開けた瞬間、音がぶつかってきた。
アンプの低音が腹の奥を揺らし、ドラムのリズムが床を叩く。
調整中のはずのリハーサルなのに、音はもう完成形に近い。
__しかし相変わらず、ロックバンドというのは俺には合わないな。嫌いなわけではないが、音が大きすぎると思ってしまう。
防音材に囲まれた狭いフロア。
汗と埃と、金属の匂いが混じった空気。
ベースの人……マユミさんだったな。マユミさんが、アンプの前で音を確かめるように弦を弾く。 俺と同い年くらいのドラムの子は、無言でスティックを回している。
全員、真剣な顔だ。
そして__。
「……あ」
ギターを抱えた少女が、視界に入った。
御影ありさ。
赤いTシャツに、黒のスキニーパンツ。 肩まで流れるロングの髪を、邪魔そうに片側だけ耳にかけている。
中学生とは思えない、落ち着いた立ち姿だ。それでも、最年少だと一目で分かる――鋭さと、どこか危うい棘がある。
照明に照らされたその姿は、きっとカリスマというものを体現しているのだろう。ファンの期待を全てを背負う覚悟が見える。
きっと、というのは俺から見るとどうしても、NEON RIOTのアリサではなく、ただの御影ありさだからだ。
「……何しに来たの」
ありさが、ギターを構えたままこちらを見る。その目は、昔から変わらない。
触れれば切れそうなほどに研ぎ澄まされていて、つつけば崩れそうでもある。
俺も、はたから見れば似たようなものなのかもしれないが。
「及川の情報料だ」
「……は?」
一拍置いて、ありさは眉をひそめた。
「まだそんな怪しい仕事してるの」
「探偵だ。怪しくない仕事なんて、俺にできるものじゃねえよ」
鼻で笑われるかと思ったが、ありさはそれ以上突っ込まなかった。
代わりに、ギターのストラップを調整し、マイクの前に立つ。
「続きやるよ」
「了解」
誰かがそう言うと、すぐに音が始まった。
荒削りだけど、勢いのあるロック。
感情のままに荒ぶるようでいて、中心に一本、芯がある。
ありさの張りのある、高すぎない声は、感情を切り取って放り投げるように流れていく。
全身から溢れるエネルギーがライブハウス全体に伝播していく。
感情過多じゃないのに、ちゃんと刺さる。
__ああ。
こいつは、ちゃんと前に進んでるな。
孤児院にいた頃の、強がりだけの子供じゃない。 俺と違って、誰かの真似事でもなく、自分という存在一つでステージの真ん中に立つ覚悟を、もう持っているんだな。
曲が終わる。
しばらく、誰も喋らない。
その沈黙が、出来の良さを物語っていた。
「……悪くない」
ありさがぽつりと言う。
自分に、じゃない。
バンド全体にだ。
昔からそうだ。
こいつは、自分より先に“全体”を見る。
やがて俺と目が合った。
「何見てんの」
「いや。大きくなったなって」
「は? 兄貴面しないでくれる?」
即座に返ってくる。
これが反抗期というやつなのかね。どうもこの一年くらい、俺が何をしてもこうだ。
しかし__兄貴面、か。
確かに血は繋がっていない。
それでも、間違いなくこの街で、俺が一番長く知っている人間の一人で、その意味では互いに家族のように思ってきたはずなんだがな。
俺がボーカルでないありさを知っているように、ありさも探偵でない俺、ただの荒くれ者だった俺、その前の俺すら知っている。そんな関係性だ。
「ところで……」
「何? まだなんかあんの?」
「いや、なんでもない」
目的はあくまでマユミさんのサインだ。
これ以上ありさに怒られるような言動は慎もう。
俺が気になったのは、いつからありさはピックをティアドロップ形に変えたのか。そんな些細なことに過ぎないのだから。




