第18話 正義と言い訳のインサイダー
ステラの光が、また走る。
スクリーンいっぱいに星が散り、客席の影が一瞬だけ白く飛んだ。
「……っ!」
俺は半身で受け流しながら、床を転がる。
マリンランタンが上から飛び込み、椅子の背を蹴ってステラの進路を塞ぐ。
連携としては上出来だ。
「あら、さすがは如月探偵ね。この怪盗ステラ・エトワールの双子のトリックを見破っただけはあるわ」
「双子の……トリック?」
トリックと言えるようなものが、あったか?
「そう、あなたと最初に会ったのはこの怪盗ステラ。沼尻公園であなたに会ったのが妹のエトワールで、住宅街であなたに蹴られたのも妹のエトワール__」
「どっちがどっちでも影響のない場面しかねえよ! 双子のトリックってのは、同じ顔した二人が同時に違う場所で目撃されて、はじめて意味があるんだよ!!」
「えぇ!?」
「えぇじゃねえよ、バカ怪盗!」
しかし――。
鼻をつく焦げ臭さ。
さっきから、ずっとだ。
「……おかしいな」
光が強すぎてスクリーンが焼けている。
それ自体は理解できる。
だが、この匂いは――均一じゃない。
焦げ方に、偏りがある。
俺はステラの蹴りをかわし、わざと大きく距離を取った。
視線を走らせる。
スクリーン。天井。投影装置。
そして――星座盤。
「……一点だけだ」
焦げているのは、一か所だけ。
星が最も密集する場所でも、光が最も強い中心でもない。
スクリーンの端。
ちょうど、かに座の位置。
「まさか……な」
頭が追いつくより先に、身体が動いていた。
ステラの視線が一瞬、俺から外れる。
その隙を七海が突き、床を滑るように前へ出る。
「今です、如月探偵!」
「わかってる!」
俺は客席の段差を飛び越え、焦げ跡へと駆け寄った。
焼けたスクリーンの縁。
床に落ちている、黒い影。
――金属。
取っ手。歪んだ縁。
「……おい」
拾い上げた瞬間、確信に変わる。
この重さ。この質感。
この、どうしようもなく生活感のある形。
「七海……」
俺の手の中にあったのは、
七海のフライパンだった。
底面が黒く焼け、縁が熱で少し歪んでいる。
だが、間違えようがない。
あの時、盗まれた――いや、奪われたフライパンだ。
「……そんな」
マリンランタンが、一瞬だけ動きを止めた。
「どうして……それが、ここに……?」
ステラが、はっとしたようにこちらを見る。
ほんの一瞬。
ほんの一瞬だけだが、確かに――動揺した。
「……ああ」
繋がった。
食材に焦げ目だけつけるフライパン、だったな。
「怪盗ステラ」
俺はフライパンを掲げたまま、言った。
「かに座って、おいしそうだよな。カニだもんな」
「……はあ?」
持ち主に似て、バカなアーティファクトなのか。
それとも、持ち主の認識的に食材だったら何でも焦がすのか。
アーティファクトは、使う人間の連想に引きずられる――師匠の言葉がよぎる。
だからこそこの鹿撃帽も、死ぬこと以外は掠り傷……なんだろうな。
「そして、こいつをここに持ってきたのがお前の敗因だ。怪盗ステラ」
七海のフライパン。
日常に根差した、ただの調理器具。
だからこそ、日常を守る切り札に相応しいのかもな。
「受け取れ、マリンランタン!」
俺はそいつを思いっきり、七海の方へぶん投げた。
「うわ! 危なっ!?」
七海は慌てながらも、なんとかそれを掴みとった。
その瞬間だった。
ステラの放つ光が、また一段強まる。
だが――。
「……違う」
俺は歯を食いしばり、視界を走査する。
明るすぎる。
だが、全部じゃない。
星座スクリーン。
あそこだけだ。
壁際。客席。非常口。
緑色の案内ランプは、何事もない顔で光っている。
「マリンランタン!」
ステラの蹴りを肘で受け、距離をずらしながら叫ぶ。
「異常発光はスクリーンだけだ! 他は普通に見えてる!」
「えっ……!?」
七海が一瞬、目を見開く。
理解は速い。
だが次の指示は、理解以前の問題だ。
俺は星座盤の上部、天井近くを指さす。
煙探知機のすぐ横。
そこに映っている、いかにもそれっぽい星の並び。
「そこの――びわ座に、フライパンを当てろ!!」
「びわ座!?」
さすがに苦しいか……? 万が一にもここで七海の苦手な食べ物を言うわけにはいかなかったから、先日のケーキを思い出して言ってしまった。
あるわけがない星座だ。
完全なハッタリ。
賭け。
だが七海は――信じた。
「わかりました!!」
理由なんて考えない。
七海は、そういうバカだ。
跳ぶ。
椅子を蹴り、壁を踏み、天井へ。
フライパンが振り抜かれる。
――ジュッ。
小さく、確かな音。
「え……?」
七海の声が裏返る。
星座スクリーンの一部が、はっきりと黒ずんだ。
焦げ目だ。
「……やっぱりな」
俺は、息を吐く。
持ち主がおいしそうと思えば、何にでも焦げ目が付く。あれはそういうアーティファクトだ。
次の瞬間。
――ピッ、ピッ、ピッ。
乾いた警告音。
「!? な、何ですの!?」
ステラが振り向く。
天井の煙探知機が赤く点滅し――
――シャアアアアッ!!
スプリンクラーが作動した。
大量の水が、容赦なく降り注ぐ。
「きゃっ!?」
観客席から悲鳴が上がるが、光はもうない。
水に濡れた投影機が、火花を散らして沈黙する。
星は、消えた。
光を“増幅”していただけのアーティファクトだ。
電池から外せば豆電球が沈黙するのを、この目で見ている。
元が死ねば、何も起きない。
そして。
「……っ!?」
ステラが、動きを止めた。
色の濃いサングラス越しの視界。
異常発光を前提にした装備。
今は――暗すぎる。
「な……何も、見えませんわ……!」
その一瞬。
本当に、一瞬だけ。
俺は音を殺し、距離を詰めた。
鹿撃帽を深く被り、拳を振り抜く。
「――終わりだ、怪盗ステラ」
鈍い衝撃。
ステラ・エトワールの身体が崩れ落ち、
床に倒れ込んだ。
光も、星も、もうない。
残ったのは、水音と、静寂だけだ。
「やりましたね! 如月探偵」
七海が駆け寄ってくる。
「ああ、やったな。半分は」
「半分?」
七海が首を傾げる。
「もうすぐ警察も来るだろう。そこに伸びた怪盗ステラと、ぴんぴんした怪盗マリンランタンのいる、このプラネタリウムに」
「あ……ど、どうしましょう!? わたしシェルナちゃんに呼ばれて、この格好でここまで来たから他の服とかないんですけど!」
あー、もう。
そんなことだろうとは思っていたが。
仮にどれだけ観客が庇おうとも、警察としてはこれだけの事件の現場に居合わせた怪盗を見逃してはくれないだろう。
マリンランタンを逃がして、ようやくミッション達成だ。スプリンクラーが冷やしてくれた頭で客席を見回すと、多くの人が冷水で意識を取り戻しつつあった。
「協力してそうな人を、さっき見つけてあるから。その人のとこに行こう」
「……いいんですか? 探偵が、怪盗を助けても」
「チッ、いいんだよ。俺が受けた依頼は、フライパンの捜索と、ステラ・エトワールの確保と、シェルナに家族を見つけることだけだ。マリンランタンについては、なんの依頼も受けていない」
鹿撃帽を引っ張り、目線を隠してそう告げた。
「言い訳が下手ですね、如月探偵は」
「言い訳じゃねえよ。鶴でも恩くらい返すんだから、カドクラ探偵事務所が返さないわけにはいかない。それだけだ」
その後、1分も掛からず警察が到着した。
俺は警察に向け、伸びたステラを手に、怪盗は捕まえたこと、火災が発生している可能性を短く告げ、観客の避難を優先させた。
その中には、黒いサテンに青いバラのコサージュがあしらわれたドレスを着た七海も混ざっていた。
そして、代わりに__
「何よお! わたしだって、若い娘の恰好したい時もあるのよ。 何がいけないの?」
「いえ、あの悪いとかではなくてですね。怪盗マリンランタンの情報と一致する服なもので……」
「わたし、心以外は何も盗んでないわ! ぴちぴちイケイケなギャルだもの、心だけは盗んでしまうけれど仕方ないでしょお!」
「あの、だから……怪盗の目撃情報と一致した服を」
「源ちゃんからも何とか言ってよお!」
「……解放してやれ。その人はさすがに怪盗じゃない」
七海と服を交換したさくらママが取り調べを受けていた。
あの歳で、七海の服がよく入ったな。
今度何か奢ってやろう。
事件が終わって、数日が経った。
カドクラ探偵事務所の古いソファに腰を下ろし、俺は一人、天井を見上げていた。
依頼は片付いた。帳簿上も、警察上も、世間的にも。
警察の調べによれば――。
怪盗ステラ・エトワール、佐藤瑠美、玲美姉妹は、金遣いが荒かったらしい。
浪費癖が原因で実家と折り合いがつかず、追い出される形で家を出た。
怪盗としての犯行動機は、単純明快。金目当てだ。
ロマンも、美学もない。
ただ、追い詰められた末の選択だった。
気がかりは、ステラが京総八幡宮から持ち去ったアーティファクト――
本人は「鏡のアーティファクト」と呼んでいたが、それは事件前に、何者かに盗まれたらしい。
ステラのついた嘘なのか、
あるいは、もっと厄介な誰かが最初から目をつけていたのか。
結局、詳細は分からないままだ。
そして――
大怪盗モルスに関する確かな情報も、今回の件では掴めなかった。
影は見えた。
だが、輪郭は依然として霧の中だ。
「……まあ、そう簡単にはいかねえか」
独り言が、事務所の空気に溶ける。
全部がきれいに片付く事件なんて、そうそうない。
師匠も、きっとそう言っただろう。
そんなことを考えていると――
コンコン、と軽いノック。
「……どうぞ」
扉が開き、見慣れたあいつが顔を覗かせた。
「あの!」
七海だ。
腕には、ロシアンブルーの猫――シェルナを抱えている。
シェルナは相変わらず気品に満ちた顔で、事務所の中を見回していた。
「依頼の件なんですけど!」
「依頼?」
「はい! シェルナちゃんの、新しい家族を見つける件なんですけど……」
七海が、気まずそうに視線を逸らす。
「うち、ペット不可でした!」
「……は?」
思考が、一拍遅れて止まった。
「いや、待て。お前、それ最初に確認するところだろ」
「だって! こんなに可愛いのに!」
「可愛いかどうかと契約は別だ」
腕の中のシェルナが、にゃあと小さく鳴いた。
まるで話の内容を理解しているかのような、落ち着いた声だ。
俺は溜息をつき、帽子を目深に被り直す。
「……仕方ねえな」
「えっ?」
「カドクラ探偵事務所は、ペット不可じゃねえ」
「え、いいんですか!?」
「副所長だ。猫だがな」
シェルナが、誇らしげに尻尾を揺らした……気がした。
「今日からここがお前の職場だ。ちゃんと仕事しろよ、副所長」
シェルナは返事の代わりに、俺の膝に飛び乗って丸くなる。
その重みは、思ったよりずっと落ち着くものだった。
事件は終わった。
だが、探偵の仕事は終わらない。
少なくともこの事務所は、もう少しだけ、賑やかになりそうだ。
――カドクラ探偵事務所、副所長・シェルナ。
本日付で、正式採用とする。




