第14話 対決と片割れのエトワール
開幕の時は、あっさりと訪れた。
展示室の空気が切り裂かれ、絵画の前を、赤いマントが翻る。
それだけで、場の“温度”が変わるのを感じる。
来た。怪盗ステラ・エトワールだ。
「――下がれ!」
源さんの怒声が響くが、一拍遅い。
私服警官の一人が踏み込んだ瞬間、赤い影が床を滑った。
足払い。いや、正確には“引っかけただけ”。
「うわっ――」
体重を預けた脚が空を切り、警官は前のめりに倒れる。
床に叩きつけられる前に、マントが踊り、次の標的へ。
「なっ……!」
もう一人が拳を振るう。
だが、その拳は途中で空を打った。
この数日見慣れた赤は、既に警官の視界から消えている。
肘。
腹。
喉元の寸前。
「がっ……!」
呼吸が潰れる音。
警官は崩れ落ちた。
「……だから言ったろ」
源さんが低く吐き捨てる。
「素人を前に出すなってな!」
源さんが前へ出る。
腰を落とし、両足で床を噛む。
拳が飛ぶ。
一直線で、重い。
赤い影は、半歩だけ横へ。
かわしたのではない。“ずらした”。
そのまま、源さんの懐へ。
「――っ!」
肘が入る。
源さんが歯を食いしばり、踏みとどまる。
「チッ……!」
だが倒れない。
むしろ、そのまま腕を絡め、投げにいく。
「捕まえ――」
「甘いですわ!」
ステラ・エトワールは、源さんの肩を蹴った。
跳躍。
あり得ない角度。
源さんの身体を踏み台にし、空中で身体をひねる。
着地と同時に、展示台を蹴る。
――無策。
勢いだけ。
考えなし。
「……それだ」
俺は、すでに動いていた。
床を蹴る。
ロープを跨ぐ。
距離を殺す。
赤いマントが揺れた瞬間、脛に回し蹴りを叩き込む。
「くっ……!」
初めて、はっきりとした苦鳴。
重心が浮く。
着地が乱れる。
源さんが、すかさず突っ込む。
「今だ!」
タックル。
体重を乗せ、真正面から。
二人が絡み合って倒れ込む。
床が軋む。
だが――
「まだですわよ!」
エトワールは、倒れながら身体を捻った。
源さんの腕をすり抜け、転がるように距離を取る。
動きは速い。
だが、雑だ。
無策でこの人数相手に突撃した怪盗は、既に息が上がっていた。
俺は、逃げ道を潰す位置に立つ。
「……っ、邪魔です!」
エトワールが叫び、突っ込んでくる。
正面。
真正面。
技も策もない。
力任せ。
俺は、拳を握らない。
半身になり、衝突を受け流し、襟元を掴む。
「――もう一人はどうした?」
「っ!? 放しなさいっ!」
暴れる。
肘が飛ぶ。
膝が来る。
だが、どれも浅い。
鹿撃帽のおかげで、衝撃はどれも“掠り傷”に落ちる。
……いや、この程度ならこれに頼る必要もなかったな。
俺は一歩、踏み込む。
体重を預け、相手の軸を折る。
源さんが立ち上がる気配が背後にある。
「……チッ、しぶといな!」
「まだ動けますわよ……!」
虚勢だ。
呼吸の乱れは隠しきれていない。
足も、わずかに震えている。
――これ以上は、時間の問題。
俺はステラ・エトワールの右腕を取り、関節の可動域ぎりぎりまで引いた。
「……これ以上暴れると、怪我するぞ」
「甘く見ないでいただけます?」
意味ありげな笑みを浮かべるステラ・エトワールに直感が働く。
これは、ハッタリじゃない。
「チッ……!」
掴んだ怪盗の右腕を巻き込むように回り、とっさの判断でステラ・エトワールを床へ投げ飛ばす。
その左手に、冷たく光るサバイバルナイフが握られているのが見えた。
危ないところだった。鹿撃帽で掠り傷にできるのは、「死ぬこと以外」だ。あれがモロに刺されば無事では済まない。
だが、それくらいは想定のうちだ。
「とうとうそんなモノまで持ち出したか。"左利きの方の"怪盗ステラ・エトワール」
そう、怪盗ステラ・エトワールは2人いる。
怪盗というのは皆、妙なこだわりをもつ変人達だ。一説では、その変人ぶりがアーティストを引き寄せると冗談とも本気ともつかない話もあるほどだ。
そのこだわりの強い怪盗が、現場にカードを残したり残さなかったり一貫しないことに違和感を覚えてはいた。
そして極めつけは昨日やりあった時だ。俺の不意打ちに対する、とっさのガードが左腕だった。真正面からの不意打ちに対して、利き手と逆が反射的に出る人間は少ない。
そういう構えの格闘技が染み付いていれば話は別だが、こいつの戦い方は身体能力の高さに任せた我流だ。
京総八幡宮に残された手形は右手だったにも関わらず、な。
「あなた方警察と探偵が……」
「あ?」
サバイバルナイフを握りしめ、立ち上がりながらステラ・エトワールが怨嗟のこもった声をあげる。
「あなた方が! 予告より早い時間から待ち構えるから! あなた方が来る前にささっと盗んで帰るつもりだったのに!」
「普通そうするだろうが! ぴったりに来てほしかったらせめて何時か書けや!」
何言ってるんだこいつは。バカなのか?
いや、バカだったなそういえば。
「なんで早く来ますのよ! 計画が台無しになりましたわ!」
「来られたくなかったら、もっと遅い時間指定するなり! 日付ごと嘘つくなり! 違う場所狙うなり! あと……なんだ、そもそも予告状出さないとかあるだろうが!!」
「予告状は出したいでしょう!」
「知・ら・ね・え・よ!!」
いかん。叫び過ぎで今度は俺の方が息上がってきた。
一度、呼吸を整えて。探偵は、常に、冷静に。
「えっ……」
ふと、ここまで状況を静かに見守っていた七海が声をあげた。
「怪盗って、予告状出さなくてもいいんですか?」
「参戦してくんなよ! 今バカは1人でいいんだ。わかるか? 休み休み接種しないと急性バカ中毒で死人が出る。わかるよな? わかったら静かにしていてくれ」
目線はステラ・エトワールの仮面の奥から逸らさず、構えは崩さずだが、なんだか締まらないな。
「――ふざけないでください!!」
次の瞬間、逆上したステラ・エトワールが、叫び声と一緒に突っ込んできた。
右足で踏み込み、ナイフの握られた左腕を振り抜く。
完全に感情任せの突進だ。
俺は一歩も退かず、飛んできた左腕を、真正面から――掴む。
「っ!?」
手首じゃない。肘の少し下、力の逃げない位置。
掴んだ瞬間、相手の体重と勢いをそのまま前へ流す。エトワールの身体が、俺の横をすり抜けた。
「な……っ!」
驚きで声が裏返る。
俺は掴んだ左腕を離さず、円を描くように引く。
肩が上がり、体勢が崩れる。
「――最初にふざけはじめたのは、そっちだ」
軽く足を払う。
それだけで十分だった。
ステラ・エトワールは、自分の勢いに裏切られるように前へ倒れ、床に叩きつけられた。
鈍い音が微かに響く。
俺は、まだ掴んだままの左腕を見下ろした。
腕に力はない。気を失ったようだ。
「源さん、手錠」
「あいよ」
……あっけない幕切れだ。
もともとこっちのステラ・エトワールは、アーティファクトを使ってくる様子も今までなかったので、心配もしていなかったが。
源さんが後ろ手に手錠をかけるのを、感情を落ち着けながら眺めつつ、周囲の警戒を続ける。
2人のステラ・エトワールが同時に活動していたことはないが、ここまで追い詰められればもう片割れが急襲してこないとも限らないからな。
源さんが気絶したままの怪盗を無理に引っ張り立ち上がらせる。
それと同時に、ステラ・エトワールの素顔を隠す深紅の仮面が床にカタンと落ちた。
「__っ!」
現れた素顔に、息を呑む。
源さんも、七海も目を見開く。
知っている顔だ。
「佐藤さん……だな」
猫探しの依頼人、ロシアンブルーの飼い主佐藤さんだ。
「いや、待て。つまり、どういう……」
2人の怪盗ステラ・エトワール。その片割れの正体が佐藤さんで……いや、何かおかしい。何か見落としていないとあり得ないことだ。
4日前の北園寺駅東側の歓楽街、佐藤さんから依頼を受け、俺は一緒に猫を探していた。
そこで怪盗ステラ・エトワールが現れ、引ったくりを決行。俺と七海__マリンランタンが追っている。
つまり、少なくともこの時現れたステラ・エトワールは佐藤さんではない。
だが、この時現れたステラ・エトワールは、カードを残さない方だ。
京総八幡宮の一件と昨日のやり合いから考えれば、その怪盗は左利きのはずだった。
そうなると、目の前で伸びてるステラ・エトワールと、歓楽街のひったくりは同一人物のはずだ。
だが、この顔は佐藤さんで間違いない。やけに上品な話し方も気にかかっていたが、佐藤さんの話し方とも一致する。
「何か見落としているのか……? まさか、3人以上いるのか?」
まずい。
それは、まず過ぎる……そうなったらもう何人いるのか分かったものじゃない。
冷や汗が首筋を伝う感覚がする。
現代のダメ怪盗と侮っていた。実際大した相手ではなかったが、大人数で同じ衣装、同じ名前を共有されたら一人ひとりの捜査は混迷を極める。
「あの、如月さん? この人って……」
終わりのない思考を巡らす俺を、七海の声が現実に引き戻した。
「ん? ああ、沼尻公園で会った、猫のシェルナを探してた人だな」
七海と佐藤さんの接点は、それだけだったはずだ。
「それもそうなんですけど。というかその時も思って、勘違いかなー、あんまり関係ないかなーって思って、言わなかったんですけどー……」
七海が柄にもなく、もじもじと言い淀む。
「なんだよ。らしくない、はっきり言え。ちょっと休んだから、バカ言っても少ししか怒らん」
「少しは怒るんじゃん! いや、この人なんですけど、ね」
一拍おいて、七海が続ける。
「引っ越し作業してくれたキンバリー物流の人だと思います。この顔でした」
「は?」
七海のフライパンを盗んだ疑いを最初に向けた人物。調べてもらった名前は確か……佐藤玲美。それがこの顔で、猫探しの依頼をくれた佐藤さんは、佐藤瑠美。
ってことは、だ。
「ステラ・エトワールは双子の姉妹、か」
いや間違いない。
佐藤さんが、沼尻公園でシェルナに伸ばしていた手は左手で、違和感はあった。
歓楽街でのやりとりの時は、明らかに右利きだったのだ。職業病なのか、左利きの人間はそれだけで記憶に残る。
「っていうか、七海。……それ早く言えよお!!」
「少ししか怒らないんじゃなかったんですか!?」




