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インサイダー幕引き 〜ダメ怪盗の少女と、名探偵の街〜  作者: 日高 純
第一章 ダメ怪盗ステラ・エトワールの杜撰な計画
13/25

第13話 揺らめきと宵闇のアンサンブル

 六月十五日、午後二時過ぎ。


 北園寺美術館は、いつもと変わらず開館していた。


 正面のガラス扉は陽光を柔らかく反射し、エントランスには平日の昼らしい、ほどよく間の抜けた静けさが漂っている。

 なんのことはない近隣の住民と、たまに観光客。

 この街にとって、美術館は特別な場所であると同時に、日常の一部でもある。


 ……今日が、怪盗の予告日だということを知らなければ。


 俺はチケットカウンターの前で足を止め、軽く館内を見渡した。

 警備員の数は、いつもより明らかに多い。

 だが、緊張感は表に出していない。あくまで平常運転を装っている。


 それでいい。

 怪盗という生き物は、異物に敏感だ。

 過剰な警戒は、かえって“来てください”と言っているようなものになる。

 ……今日は閉めるのが一番だとは思うが、こういう時、北園寺には独特の美学がある。


「我々は怪盗に屈しない街だ……ね」


 展示案内の立て看板を横目に、俺はゆっくりと中へ入る。


 空調の効いた空気。

 足音を吸い込む床材。

 美術館特有の、音が遠くなる感覚。


 今日の目玉展示――若き天才アーティスト・神代楽しんだいがく展。

 ターゲットとなった「星の揺らめき」を含む各展示は、二階の企画展示室だ。

 地元のよしみで出しているのだろう。世に評価された作品__世俗的な言い方をすれば金になる作品は今日ここにはない。


 だが、俺はすぐに階段へは向かわなかった。

 まずは一階。人の流れ。視線の癖。

 怪盗より先に、もっとややこしい事情のある人物を探す。


 ……そして。


 入口付近、ミュージアムショップの前。


 俺は、一瞬で理解した。

 いる。


 青いワンピース。

 白い帽子。

 少し背伸びした、来館者らしい服装。


 間違えようがない。

 七海だ。


 怪盗マリンランタンではなく、

 北園寺美術館を訪れた、ただの一人の来館者として。


 心臓が、わずかに跳ねた。


 ――来たか。


 時間は、まだ昼だ。

 予告は夕刻。

 それでも、あいつはもう“現場”にいる。

 日時まではバレていなかったはずだから、おそらく朝からずっといるのだろう。


 無意識に、俺は視線をそらし、柱の影へ身を寄せた。

 展示パンフレットのラックの裏。

 通路から半歩外れた、視界の死角。


 七海は、気づいていない。

 展示解説のパネルに視線を落とし、ゆっくりと歩いている。


 その横顔は、静かで。

 落ち着いていて。

 ――そして、どこか覚悟を秘めている。


「……やっぱり、来るよな」


 誰に聞かせるでもなく、俺は小さく息を吐いた。


 夕刻まで、まだ時間はある。

 だがもう、この美術館は舞台だ。


 怪盗も、探偵も、

 そして“怪盗になった理由を捨てきれない少女”も。

 全員が、同じ場所に集まっている。


 __ついでと言っては悪いが、警察も。


「よう、来たか隠し子」

「隠し子じゃないって」


 私服姿の源さんが俺を見かけ、声を潜めて近づいてきた。

 一段とダメなおっさん感が出ている。


「結局、あの嬢ちゃん来てるじゃねえか。やっぱ弟子かなんかなんだろ? お前みたいな半人前が弟子なんかって言われるのが嫌で、隠してるんだろ」

「違いますよ。……俺も源さんの立場なら似たようなこと言うだろうけど。あれは一般人です」


 少なくとも、今日は。


警察こっちも何人か私服で張ってる。どれがそうかは言わんでもお前ならわかるだろ」

「ええ、まあ。多少は頼りにしてますよ」

「けっ、生意気言いやがって。だが実際、人数も経験も足りてねえ。一昨日あれだけの騒ぎがあったのにAPPも出せねえんだと」

「APPねえ……解散してなかったんですね」


 APP。

 Anti-Phantom thief Policeの略で、要は対怪盗に特化した警察の特殊部隊だ。

 特殊部隊が動いた段階で、多くの怪盗が犯行を諦めるため、怪盗の逮捕には繋がりづらく、規模を縮小させていったと聞いている。


「とにかく、俺は逆に目立つように堂々と「星の揺らめき」の周囲をうろつきますよ。俺はステラ・エトワールに顔を知られて…………」

「ん? どうした?」


 七海と目があった。

 あわよくば飽きて帰ってくれないかと期待していたが、仕方ない。


 溌剌とした普通の少女のように、小走りに駆け寄って来る。


「如月た……ん」

「人を萌えキャラみたいに呼ぶな」


 昨日の流れで如月探偵と言いかけたな、こいつ。


 俺が源さんと話しているのを見て、言葉を選び直したのだろう。

 ほんの一瞬だけ、視線が泳ぐ。


 七海は、俺と源さんを交互に見て、小さく会釈をした。


「こんにちは。あの……如月さん、今日はお仕事ですか?」


 “お仕事”。

 その言い方が、妙に刺さる。


「まあな。展示の警備……みたいなもんだ」


 嘘は言っていない。

 だが、七海の目は一瞬だけ細くなった。


 ――気づいたか?


「そうなんですね。……わたし、神代さんの絵、好きなんです」


 そう言って、七海は二階へ続く階段の方を見上げた。


 無垢な来館者の仕草。

 だが、その視線は迷いがない。


 何が理由かわからないが、バレている。

 神代楽じんだいがく自体の知名度が、静岡の17歳が普通に知っているレベルのものではないし、何より本当に知っているなら「絵が好き」というのも変だ。

 彼は現代アートの作家であり、絵画と呼べる形状の作品は「星の揺らめき」ただ一点のみだ。

 

「星の揺らめき、か……」


 俺の口が、勝手に動いた。


「……はい」


 七海は一拍置いて、うなずく。

 その“間”が、昨日までの彼女と同じだった。


「閉館まで、いるつもりですか?」


 探るような質問。

 俺は肩をすくめる。


「仕事次第だな。……混む前に、見たいものは見といた方がいい」

「ありがとうございます」


 七海は微笑んで、再び一礼すると、人の流れに紛れていった。

 青いワンピースが、階段の向こうへ消える。


「……やっぱ来てるじゃねえか」


 源さんが、ぼそっと言う。


「ええ。呼んでないですよ、もちろん」

「朝からずっといるぞ。偶然居合わせた来館者じゃないぜ、あの嬢ちゃん」


 その通りだ。


 怪盗が予告した日。

 探偵が張り付く美術館。

 そして、怪盗を憎む怪盗が、客の顔でそこにいる。


 まだ何も起きていない。

 だがもう、舞台は整っている。


「源さん」

「あ?」

「一応言っておきますけど、あいつはステラ・エトワールじゃありません。夕方まで……これは探偵の勘です」


 源さんは苦い顔で笑った。


「……言うじゃねえか。見習いの癖に」


「だから見習いじゃないって」


 俺は二階を見上げる。

 そこにあるのは、絵画と、予告。

 静かな館内で、時間だけが確実に進んでいた。


 企画展示室は、二階の一番奥にあった。

 白を基調とした空間に、控えめな照明。

 壁際に一定の間隔で作品が配置され、中央には緩やかな動線を描くようにロープが張られている。


 人の入りは、昼過ぎとしては多い。

 だが、騒がしくはない。所詮は街の美術館だ。

 足音も、囁き声も、すべてが布で包まれたように吸い込まれていく。


 美術館という場所は、こういう時に妙に残酷だ。

 静かであればあるほど、異物は際立つ。


 俺は、どこから何が来ても対応できるように、問題の展示室から少し離れた位置に立っていた。


 警備についている私服警官は四人。

 入口に二人、室内に二人。

 来館者じゃないのは、目線と立ち方で分かる。

 七海がもし彼らの目線から、ターゲットがあの絵画だと見破っていたのなら、なかなか見どころがある。


 源さんは、展示室の外。

 あの人は、こういう時は出過ぎない。


 そして――

 七海は、室内にいた。

 別の展示パネルの前に立ち、解説文を読むふりをしている。

 距離は保っているが、視線は常に作品のある方向だ。

 いや、正確には――

 作品“だけ”を見ているわけじゃない。空間全体を、だ。


 源さんに言ったことは、余計だったかもしれないな。

 逃げ道と死角と、人の癖を見る目は怪盗のそれなのかもしれないが、ある程度経験を積めば、微妙な違いは体感的に分かる。


 今の七海の目は――

 今から犯行に及ぶヤツの目じゃない。




 時間が、ゆっくりと流れる。

 時計を見ると、十五時半。

 予告状に示されたのは「夕刻」とだけだが、六月の日暮れにはまだ時間がある。


 だが、空気が変わり始めていた。


 最初は、些細な違和感だった。

 展示室の照明が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。

 目の錯覚と言われれば、それまでの程度。


 次に、空調の音が途切れた。

 完全に止まったわけじゃない。

 一拍、呼吸を忘れたような“間”。


 そして――

 誰かが、息を呑んだ音。それが、連鎖する。

 ざわ、と。

 波紋のように、人の気配が動く。


 俺は、視線を上げた。

 展示室の中央。

 問題の作品――「星の揺らめき」。

 絵は、そこにある。間違いなく、ある。


 だが。

 色が、違って見えた。

 キャンバスの中で描かれた星々が、わずかに、ほんのわずかに――揺れている。

 錯覚だ。


 そう言い聞かせる前に、確信が走る。

 これは、来ている。

 姿は見えない。

 赤いマントも、星の意匠も、カードも視界に映らないないが、間違いない。


 この空間に、怪盗ステラ・エトワールが侵入した。


 警官の一人が、ポケットへ手を伸ばす。

 七海は、息を詰めたまま動かない。

 全員が同時に理解していた。


 ――始まった。

 予告の夕刻には、まだ早い。

 だが、怪盗なんて所詮は手の込んだ窃盗犯だ。

 予告の内容を律儀に守る義理もないし、実際ほとんどの怪盗は守らない。


 俺は、ゆっくりと一歩踏み出す。

 鹿撃帽の縁に指をかけ、深く被り直す。


「ふっ……」


 久しぶりの、怪盗らしい怪盗だ。

 腕の見せどころだと思うと、不謹慎にも笑いが漏れた。


 さあ来い、怪盗ステラ・エトワール。

 予告状ってのは、誤魔化しようもなく“明らかにする”ものだ。

 きっちり予告を果たす妄執的サイコパス――本物の大怪盗と、てめえのような、こそ泥崩れの違いをな。


 静かな展示室で、

 星の揺らめきだけが、不自然に息づいていた。

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