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インサイダー幕引き 〜ダメ怪盗の少女と、名探偵の街〜  作者: 日高 純
第一章 ダメ怪盗ステラ・エトワールの杜撰な計画
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第12話 虚像と虚勢のリベンジャー

 住宅街の十字路に張りついた空気が、いっきに割れた。


「怪盗マリンランタンだな? 怪盗同士で何を争っていたのか知らないが、まとめて逮捕してやる。カドクラ探偵事務所の所長・如月真守が相手だ」


 俺は鹿撃帽しかうちぼうを深く被り直し、わざと声を張った。

 見られている可能性がある場所では、余計な芝居がかった探偵でいい。素が混ぜるのが一番危ない。


「うわっ!? な……なにするんですか如月探偵!」


 七海――いや、怪盗マリンランタンが噛みつくように言う。さっき放り投げたのが効いている。効いていてくれ。


「探偵が怪盗を捕まえることに、理由がいるのか?」


 俺はわざと冷たく言い捨て、視線を赤マントへ移す。ステラ・エトワール――と“思わせる”怪盗は、こちらを睨み返している。


 腕で受けられた回し蹴りの感触が、まだ脛に残っていた。硬い。ガードが速い。体の使い方は悪くない。


「……探偵が出てきたところで、わたくしの邪魔をするのは無駄ですわよ」


 機械音声越しに、妙に芝居がかった口調。相手は俺を正面から見ているのに、距離を詰めようとしない。逃げの構えだ。こっちが踏み込めば、その反動で抜ける。


 つまり、ここで捕まえるには俺が前へ出る必要がある。だが、出れば背後の七海が勝手に飛び込む。


 最悪の形は簡単に想像できた。

 市民の目がある以上、両方同時に隙ができたなら二人まとめて逮捕せざるを得ない。

 七海はまだ、大怪盗育成計画の候補だ。市民への被害は出していないし、なるべくなら七海の方は逃がしたい。


 俺は呼吸を整える。頭の中で地図を引き直す。

 十字路。左右は生垣。斜めに公園へ抜ける細道。窓。物干し竿。目線。今日の北園寺は平和で、平和な目が多すぎる。


「……ステラ・エトワール。お前は昨日の神社の件で市民を巻き込んだ。逃げられると思うな」


 俺は“神社”をわざと強く言った。反応を見たい。


「神社……? 何をおっしゃって――」


 一瞬、相手の言葉が詰まった。ほんの一拍。芝居がかった機械音声の奥に、素の苛立ちが混じったようにも聞こえた。


 やっぱりだ。会話が噛み合っていない。


「そうか。やはりお前じゃないんだな、あれは。そうだとしても__」


 俺は踏み込む。右足で距離を削り、左足で床を噛ませる。逃げ道を潰すためじゃない。逆だ。逃げ道を一本だけ残し、そこへ誘導する。


 赤マントが反射で揺れ、相手が身を引く。よし。退く。退くなら――


 次の瞬間、青い影が視界に割り込んできた。


「どいてください! そいつは、わたしが――!」


 七海が飛び込む。無茶だ。執着が強すぎる。止めても止まらない類の熱だ。


「来るな!」


 俺は声を荒げると同時に、ステラ・エトワールを突き飛ばした。

 七海を止めるのでは遅い。なら、先に相手を動かす。相手が動けば、七海の狙いは外れる。


 赤いマントが翻り、俺の肩をすり抜けるようにして横へ逃げる。その瞬間を七海が追う。


「逃がすかッ!」


 ――追うな。追うなと言っても追う。だから俺は、追う足を止めさせるしかない。


 俺は七海の進路へ身体を差し入れ、肘を開いて壁を作る。七海は減速しない。避ける気もない。


「邪魔です! 如月探偵!」

「怪盗の邪魔すんのが仕事なんだよ!」


 七海の体当たりを受ける。痛いはずなのに、鹿撃帽のせいで“掠り傷”に落ちる。助かる。

 だが助かりすぎて、俺がいつも通りに受け止められてしまうのが、今はなぜか腹立たしい。


 俺は七海の手首を掴み、地面へ落とすように力を流した。投げるんじゃない。寝かせる。怪我をさせず、勢いだけを殺す。


「っ……!」


 七海が転がり、すぐに起き上がろうとする。目が燃えている。昨日の神社で見た光景が、あいつの中で何かを焼き付けたんだろう。


 俺は七海と相手の位置関係を一瞬で測り直す。


 ステラ・エトワールは、逃げられる距離にいる。

 七海は追える距離にいる。

 俺は、その間にいる。


 ここで俺がステラ・エトワールを捕まえに行けば、七海は必ず追って暴れる。

 ここで俺が七海を押さえれば、ヤツは逃げ切る。

 どちらにしても、七海は止まらない。なら。


 ――逃がす順番を変える。


 俺は判断する。七海を逃がしたいなら、先にステラ・エトワールを逃がした方がいい。

 追う対象が消えれば、七海は“追えない”。そもそも怪盗相手に説得なんてしてたら不自然だ。


「ステラ・エトワール!」


 俺は薄く光る星の意匠へ声を飛ばす。

 追う気配を見せるためじゃない。逆だ。わざと視線を向け、背中を見せる。

 人間は追われると思った方向へ逃げる。逃げてほしい方向へ。


 ステラ・エトワールが一瞬こちらを見る。迷う。迷った瞬間が勝負だ。


「……次は美術館だ。そこで終わりにする」


 俺は“次”を告げた。今ここで捕まえる気がない、と暗に伝える言葉だ。


 ステラ・エトワールが、わずかに肩を揺らした。笑ったのか、舌打ちしたのかは分からない。

 だが次の瞬間、路地へ滑り込み、影の中へ消えた。


「待っ――!」


 七海が叫び、踏み出す。

 俺は再び進路を塞ぐように身体を割り込ませた。


「まずはお前だ。怪盗マリンランタン」

「どいてください! あいつは! 昨日神社で関係ない人たちを巻き込んで、傷つけた__危険な怪盗なんです!」

「知っている。お前が危険じゃないかどうかは、知らないがな」


 仮面越しでも七海が俺を睨みつけていることを、はっきりと感じる。

 その呼吸が荒く、怒りと焦りで胸が上下する。

 完全に冷静さを失っている。こうなればむしろ誘導しやすい。


「そもそもなぜお前が、京総八幡宮けいそうはちまんぐうの騒ぎを起こしたのがステラ・エトワールだと知っているんだ? マリンランタン、お前があいつの仲間だからじゃないのか」

「違います! わたしは__」


 絶叫に近い声が響いた。

 かと思うと、七海は急にその声を飲み込み、唇を噛む。悔しそうに、怒ったまま。

 表情は仮面で見えないはずだけれど、俺には見えたような気がした。


「わたしは、ある怪盗を……両親の仇を確実に牢屋に入れるために、他の怪盗だけをターゲットに怪盗をしています。……信じてもらえませんか?」


 まただ。

 初めて会った日、怪盗への嫌悪感を語った時と同じ、深く冷たい言葉の楔。


 七海としてなら、信じてもいい。

 俺は人を見る目はある方じゃないから、ただの勘だけれど。


「信用できないな。仮に捕まえたい怪盗が本当にいるなら、探偵になれば良かっただろう。そこで怪盗を選ぶやつは信用されない」


 俺は仮面の奥、七海の目をまっすぐ見た。

 視線を逸らさない。

 逃げ道を残さず、言葉を刺す。


「誰でも怪盗には堕ちれます! でも、誰でもは探偵になれないんですよ! 如月探偵のように、強くて賢い人にはわかりませんか? わたしは弱くてバカだから、他にできることがないんですよ!!」

「そんな人達の為に、俺達探偵がいるんだ。ステラ・エトワールも、お前の追う怪盗も、捕まえるのは俺達の仕事だ。大人しくしてろ」


 俺はわざと冷たくそう言って、路地の奥に残る気配を一度だけ確認した。ステラ・エトワールはもういない。今この場にいる怪盗は1人。


 ステラ・エトワールが逃げるための時間稼ぎという当初の目的は、とうに果たしていた。

 だから今やってるのは、ただの口論だ。


「俺達? 本当に今、そんな探偵が何人も残っていますか? どんな恐ろしいアーティファクトにも怯まず怪盗に挑んで、市民を守る、そんな探偵が。10年前にはもう全然いませんでしたよ! ”東海の黒い霧”に、町や村が襲われても……探偵は1人も来なかった!」


 激昂する七海を前に、俺は少し気圧されはじめていた。


 "東海の黒い霧"。

 30年ほど前、つまり怪盗と探偵による争いが最も激しかった時代に、愛知や静岡を拠点に暗躍した大怪盗フィクティオの異名だ。俺もニュースで聞いたに過ぎないが、10年前に一度復活し、アーティファクトによる大規模災害を連続で起こした末、再び現在まで行方を眩ませている。


「……少なくとも、この北園寺には俺がいる。お前も見ていたんじゃないか? 京総八幡宮での異常発光騒ぎ、俺は怯まず立ち向かって証明したはずだ」


「それは……」


 七海の言葉が、そこで詰まった。


 肯定も否定もできない沈黙。

 怒りの勢いだけで吐き出していた言葉が、ようやく自分の中に落ち始めた証拠だ。


 俺は一歩だけ前に出る。

 詰めるためじゃない。距離を測るためだ。


「お前の言ってることが、全部嘘だとは思わない」


 その一言に、七海の肩がわずかに揺れた。


「でもな」


 俺は続ける。


「今ここで、お前が語った“過去”や“理由”は、探偵・如月真守が怪盗マリンランタンをここで見逃す理由にはならない」

「……っ」

「それが探偵の仕事だ。多数の死者を出した大怪盗フィクティオであっても、ステラ・エトワールであっても、全員捕まえるさ」


 俺はわざと大げさに構えを取る。

 さあ、逃げてくれ。お前のパルクールなら、ここから逃げられたとしても周囲に茶番だとは思われない。そこがお前の取柄なんだから。


「そうですか……うらやましいです、如月探偵。街と師匠に恵まれたんですね」

「そうだな」


 否定はしないさ。

 師匠に拾われるまで俺が何をしていたかを考えれば、今の俺が七海に追われる怪盗になっていても、何もおかしくはないのだから。


「今日のところは、ここまでです。如月探偵」


 言うが早いか、七海は後ろ跳びで器用に民家の屋根へ跳び乗った。


「待て! 怪盗マリンランタン!」


 これを正面から捕まえられるわけもないが、ポーズとして追う構えだけは取る。


「……次は美術館、と言っていましたね」

「あっ……」


 しまった。

 現場が今日のようにややこしいことになっても敵わないので、七海には言わないつもりだったのに。


「ハーハッハッハ、さらばだ如月探偵!」


 七海の中での怪盗像がこれなのか、明らかに不慣れな高笑いをあげ、マリンランタンは屋根伝いに跳び去っていった。


 俺はよろめくように一、二歩だけ追い、その場に立ち尽くす。


 ――明日、美術館に来るんだろうな……。

 つい口を滑らせた代償か。


「俺も、七海をバカだと笑えないのかもな」


 虚空を見上げてつぶやき、明日の決戦へと覚悟を決め直す。


 絶対に明日、“カードを置いていかない方の”ステラ・エトワールを捕まえる。

 まずはそこからだ。


 今日、確信した。

 この事件、ステラ・エトワールを名乗る怪盗は二人いる。

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