第12話 虚像と虚勢のリベンジャー
住宅街の十字路に張りついた空気が、いっきに割れた。
「怪盗マリンランタンだな? 怪盗同士で何を争っていたのか知らないが、まとめて逮捕してやる。カドクラ探偵事務所の所長・如月真守が相手だ」
俺は鹿撃帽を深く被り直し、わざと声を張った。
見られている可能性がある場所では、余計な芝居がかった探偵でいい。素が混ぜるのが一番危ない。
「うわっ!? な……なにするんですか如月探偵!」
七海――いや、怪盗マリンランタンが噛みつくように言う。さっき放り投げたのが効いている。効いていてくれ。
「探偵が怪盗を捕まえることに、理由がいるのか?」
俺はわざと冷たく言い捨て、視線を赤マントへ移す。ステラ・エトワール――と“思わせる”怪盗は、こちらを睨み返している。
腕で受けられた回し蹴りの感触が、まだ脛に残っていた。硬い。ガードが速い。体の使い方は悪くない。
「……探偵が出てきたところで、わたくしの邪魔をするのは無駄ですわよ」
機械音声越しに、妙に芝居がかった口調。相手は俺を正面から見ているのに、距離を詰めようとしない。逃げの構えだ。こっちが踏み込めば、その反動で抜ける。
つまり、ここで捕まえるには俺が前へ出る必要がある。だが、出れば背後の七海が勝手に飛び込む。
最悪の形は簡単に想像できた。
市民の目がある以上、両方同時に隙ができたなら二人まとめて逮捕せざるを得ない。
七海はまだ、大怪盗育成計画の候補だ。市民への被害は出していないし、なるべくなら七海の方は逃がしたい。
俺は呼吸を整える。頭の中で地図を引き直す。
十字路。左右は生垣。斜めに公園へ抜ける細道。窓。物干し竿。目線。今日の北園寺は平和で、平和な目が多すぎる。
「……ステラ・エトワール。お前は昨日の神社の件で市民を巻き込んだ。逃げられると思うな」
俺は“神社”をわざと強く言った。反応を見たい。
「神社……? 何をおっしゃって――」
一瞬、相手の言葉が詰まった。ほんの一拍。芝居がかった機械音声の奥に、素の苛立ちが混じったようにも聞こえた。
やっぱりだ。会話が噛み合っていない。
「そうか。やはりお前じゃないんだな、あれは。そうだとしても__」
俺は踏み込む。右足で距離を削り、左足で床を噛ませる。逃げ道を潰すためじゃない。逆だ。逃げ道を一本だけ残し、そこへ誘導する。
赤マントが反射で揺れ、相手が身を引く。よし。退く。退くなら――
次の瞬間、青い影が視界に割り込んできた。
「どいてください! そいつは、わたしが――!」
七海が飛び込む。無茶だ。執着が強すぎる。止めても止まらない類の熱だ。
「来るな!」
俺は声を荒げると同時に、ステラ・エトワールを突き飛ばした。
七海を止めるのでは遅い。なら、先に相手を動かす。相手が動けば、七海の狙いは外れる。
赤いマントが翻り、俺の肩をすり抜けるようにして横へ逃げる。その瞬間を七海が追う。
「逃がすかッ!」
――追うな。追うなと言っても追う。だから俺は、追う足を止めさせるしかない。
俺は七海の進路へ身体を差し入れ、肘を開いて壁を作る。七海は減速しない。避ける気もない。
「邪魔です! 如月探偵!」
「怪盗の邪魔すんのが仕事なんだよ!」
七海の体当たりを受ける。痛いはずなのに、鹿撃帽のせいで“掠り傷”に落ちる。助かる。
だが助かりすぎて、俺がいつも通りに受け止められてしまうのが、今はなぜか腹立たしい。
俺は七海の手首を掴み、地面へ落とすように力を流した。投げるんじゃない。寝かせる。怪我をさせず、勢いだけを殺す。
「っ……!」
七海が転がり、すぐに起き上がろうとする。目が燃えている。昨日の神社で見た光景が、あいつの中で何かを焼き付けたんだろう。
俺は七海と相手の位置関係を一瞬で測り直す。
ステラ・エトワールは、逃げられる距離にいる。
七海は追える距離にいる。
俺は、その間にいる。
ここで俺がステラ・エトワールを捕まえに行けば、七海は必ず追って暴れる。
ここで俺が七海を押さえれば、ヤツは逃げ切る。
どちらにしても、七海は止まらない。なら。
――逃がす順番を変える。
俺は判断する。七海を逃がしたいなら、先にステラ・エトワールを逃がした方がいい。
追う対象が消えれば、七海は“追えない”。そもそも怪盗相手に説得なんてしてたら不自然だ。
「ステラ・エトワール!」
俺は薄く光る星の意匠へ声を飛ばす。
追う気配を見せるためじゃない。逆だ。わざと視線を向け、背中を見せる。
人間は追われると思った方向へ逃げる。逃げてほしい方向へ。
ステラ・エトワールが一瞬こちらを見る。迷う。迷った瞬間が勝負だ。
「……次は美術館だ。そこで終わりにする」
俺は“次”を告げた。今ここで捕まえる気がない、と暗に伝える言葉だ。
ステラ・エトワールが、わずかに肩を揺らした。笑ったのか、舌打ちしたのかは分からない。
だが次の瞬間、路地へ滑り込み、影の中へ消えた。
「待っ――!」
七海が叫び、踏み出す。
俺は再び進路を塞ぐように身体を割り込ませた。
「まずはお前だ。怪盗マリンランタン」
「どいてください! あいつは! 昨日神社で関係ない人たちを巻き込んで、傷つけた__危険な怪盗なんです!」
「知っている。お前が危険じゃないかどうかは、知らないがな」
仮面越しでも七海が俺を睨みつけていることを、はっきりと感じる。
その呼吸が荒く、怒りと焦りで胸が上下する。
完全に冷静さを失っている。こうなればむしろ誘導しやすい。
「そもそもなぜお前が、京総八幡宮けいそうはちまんぐうの騒ぎを起こしたのがステラ・エトワールだと知っているんだ? マリンランタン、お前があいつの仲間だからじゃないのか」
「違います! わたしは__」
絶叫に近い声が響いた。
かと思うと、七海は急にその声を飲み込み、唇を噛む。悔しそうに、怒ったまま。
表情は仮面で見えないはずだけれど、俺には見えたような気がした。
「わたしは、ある怪盗を……両親の仇を確実に牢屋に入れるために、他の怪盗だけをターゲットに怪盗をしています。……信じてもらえませんか?」
まただ。
初めて会った日、怪盗への嫌悪感を語った時と同じ、深く冷たい言葉の楔。
七海としてなら、信じてもいい。
俺は人を見る目はある方じゃないから、ただの勘だけれど。
「信用できないな。仮に捕まえたい怪盗が本当にいるなら、探偵になれば良かっただろう。そこで怪盗を選ぶやつは信用されない」
俺は仮面の奥、七海の目をまっすぐ見た。
視線を逸らさない。
逃げ道を残さず、言葉を刺す。
「誰でも怪盗には堕ちれます! でも、誰でもは探偵になれないんですよ! 如月探偵のように、強くて賢い人にはわかりませんか? わたしは弱くてバカだから、他にできることがないんですよ!!」
「そんな人達の為に、俺達探偵がいるんだ。ステラ・エトワールも、お前の追う怪盗も、捕まえるのは俺達の仕事だ。大人しくしてろ」
俺はわざと冷たくそう言って、路地の奥に残る気配を一度だけ確認した。ステラ・エトワールはもういない。今この場にいる怪盗は1人。
ステラ・エトワールが逃げるための時間稼ぎという当初の目的は、とうに果たしていた。
だから今やってるのは、ただの口論だ。
「俺達? 本当に今、そんな探偵が何人も残っていますか? どんな恐ろしいアーティファクトにも怯まず怪盗に挑んで、市民を守る、そんな探偵が。10年前にはもう全然いませんでしたよ! ”東海の黒い霧”に、町や村が襲われても……探偵は1人も来なかった!」
激昂する七海を前に、俺は少し気圧されはじめていた。
"東海の黒い霧"。
30年ほど前、つまり怪盗と探偵による争いが最も激しかった時代に、愛知や静岡を拠点に暗躍した大怪盗フィクティオの異名だ。俺もニュースで聞いたに過ぎないが、10年前に一度復活し、アーティファクトによる大規模災害を連続で起こした末、再び現在まで行方を眩ませている。
「……少なくとも、この北園寺には俺がいる。お前も見ていたんじゃないか? 京総八幡宮での異常発光騒ぎ、俺は怯まず立ち向かって証明したはずだ」
「それは……」
七海の言葉が、そこで詰まった。
肯定も否定もできない沈黙。
怒りの勢いだけで吐き出していた言葉が、ようやく自分の中に落ち始めた証拠だ。
俺は一歩だけ前に出る。
詰めるためじゃない。距離を測るためだ。
「お前の言ってることが、全部嘘だとは思わない」
その一言に、七海の肩がわずかに揺れた。
「でもな」
俺は続ける。
「今ここで、お前が語った“過去”や“理由”は、探偵・如月真守が怪盗マリンランタンをここで見逃す理由にはならない」
「……っ」
「それが探偵の仕事だ。多数の死者を出した大怪盗フィクティオであっても、ステラ・エトワールであっても、全員捕まえるさ」
俺はわざと大げさに構えを取る。
さあ、逃げてくれ。お前のパルクールなら、ここから逃げられたとしても周囲に茶番だとは思われない。そこがお前の取柄なんだから。
「そうですか……うらやましいです、如月探偵。街と師匠に恵まれたんですね」
「そうだな」
否定はしないさ。
師匠に拾われるまで俺が何をしていたかを考えれば、今の俺が七海に追われる怪盗になっていても、何もおかしくはないのだから。
「今日のところは、ここまでです。如月探偵」
言うが早いか、七海は後ろ跳びで器用に民家の屋根へ跳び乗った。
「待て! 怪盗マリンランタン!」
これを正面から捕まえられるわけもないが、ポーズとして追う構えだけは取る。
「……次は美術館、と言っていましたね」
「あっ……」
しまった。
現場が今日のようにややこしいことになっても敵わないので、七海には言わないつもりだったのに。
「ハーハッハッハ、さらばだ如月探偵!」
七海の中での怪盗像がこれなのか、明らかに不慣れな高笑いをあげ、マリンランタンは屋根伝いに跳び去っていった。
俺はよろめくように一、二歩だけ追い、その場に立ち尽くす。
――明日、美術館に来るんだろうな……。
つい口を滑らせた代償か。
「俺も、七海をバカだと笑えないのかもな」
虚空を見上げてつぶやき、明日の決戦へと覚悟を決め直す。
絶対に明日、“カードを置いていかない方の”ステラ・エトワールを捕まえる。
まずはそこからだ。
今日、確信した。
この事件、ステラ・エトワールを名乗る怪盗は二人いる。




