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インサイダー幕引き 〜ダメ怪盗の少女と、名探偵の街〜  作者: 日高 純
第一章 ダメ怪盗ステラ・エトワールの杜撰な計画
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第10話 余光と選択のプロローグ

京総八幡宮の境内を出た頃には、空はすっかり夜の色に染まっていた。

 騒ぎは一段落したとはいえ、警察車両の赤色灯がまだ点々と残り、規制線の向こうでは事情聴取が続いている。

 救急車のサイレンが遠ざかっていく音を聞きながら、俺はようやく深く息を吐いた。


「……とんでもない夜になったな」


 独り言のつもりだったが、すぐ隣で七海が小さくうなずいた。


「ですね。神社で、あんな光……」


 言葉を選んでいるのが分かる。

 怪盗としてではなく、一人の人間として、あの光景をどう受け止めるべきか、整理がついていない顔だ。

 俺も同じだ。

 豆電球ひとつで、あれだけの異常を引き起こす。

 アーティファクトの力は、知識としては分かっていても、実際に目の当たりにするのは久しぶりだ。


「七海。今日はもう解散だ」

「え……でも」

「疲れてるだろ。俺もだ」


 強い言い方にならないよう気をつけたつもりだったが、七海は一瞬だけ不満そうな顔をしたあと、素直に頷いた。


「……わかりました。今日は帰ります」


 その声は、少しだけ軽かった。

 駅前で別れる直前、七海がふと足を止める。


「如月さん」

「ん?」

「……怪盗って、今でもあんなことするんですね」


 責める口調ではない。

 むしろ、確かめるような声だ。


「“するやつもいる”ってだけだ」


 俺はそう答えた。

 七海はそれ以上何も言わず、手を振って改札へ消えていった。

 __今でも、か。


 その夜は事務所に戻っても眠れなかった。

 デスクに肘をつき、鹿撃帽しかうちぼうを外して机に置く。

 電気を消しても、目を閉じるたびに白い光が瞼の裏に残った。

 京総八幡宮。

 鏡のアーティファクト。

 派手すぎるやり方。

 目的が見えない犯行。

 ――いや、目的は見せることそのものだったのかもしれない。


「……静かにしとけよ」


 誰に言うでもなく呟き、椅子の背にもたれる。




 だが街は、俺の願いなんて聞き入れなかった。

 翌朝。

 カドクラ探偵事務所の電話は、開業時間を待たずに鳴った。


「……はい、如月探偵事務所」


 受話器の向こうから聞こえてきたのは、交番の源さんの声だった。


『悪いな、朝っぱらから』

「嫌な予感しかしないですね」

『正解だ。昨夜の件でな、街がざわついてる』


 源さんの声は、昨夜より低い。


『で、その流れで、今度は美術館だ』

「……美術館?」

『ああ。今度は予告状が来た。怪盗のすることなんかもともと理屈じゃねえのかもしれないが、昨日のは来なかったのにな』


 俺は受話器を握り直した。

 京総八幡宮の光が、まだ頭から消えていない。


「……写真をメールで送ってもらうとか、できたり?」

『ああ? 俺がそんなアイテーの最先端みたいなことできると思うのか?』

「無理ですね。あとで交番寄ります」

『話が早くて助かる』


 電話を切り、窓の外を見る。

 北園寺の街は、いつも通りの朝を装っている。


「そういえば、及川あいつの方はどうなったんだ」


 ITを「アイテー」というおっさんのおかげで思い出した。俺はスマホを取ったついでにとメールを開く。


「……さっそく来てるな。相変わらず仕事が早い」


 及川克夫おいかわかつお、25歳。北園寺レンガ通りのネットカフェにほぼ住んでいると言っていいほど入り浸っているニートの男だ。


 こいつに頼むと大概の情報は数日のうちに手に入る。ほぼ確実にハッキングをしているに違いないが、現場は見てないのでそれ以上は追及しない。助かってるしな。


 及川に頼んでいたのは、七海の家に入った引っ越し業者、男女2名の情報。


「男の方は鈴木太一、21歳の大学生。女の方は⋯⋯佐藤玲美さとうれみ24歳、か」


 一瞬、猫探しの依頼人が頭を過ったが、あっちは佐藤瑠美さとうるみだったな。

 佐藤なんてよくある苗字だ。


「いや、それにしても名前が似すぎだな」


 まあ、いい。

 とりあえず交番に向かおう。




交番のガラス戸を押すと、昼前の空気と一緒にインクと紙の匂いが鼻を突いた。

 この匂いは嫌いじゃない。事件の始まりか、終わりのどちらかだからだ。タバコの臭いは邪魔だが。


「よう、隠し子」


 デスクに肘をついていた源さんが、顔も上げずに声を投げてくる。


「隠し子じゃないって何度言えば――で、美術館ってのはどういう話ですか」


 俺はカウンター越しに立ち、用件だけを促した。

 源さんはようやくこちらを見て、鼻で笑う。


「朝イチで届いた。郵送だ。消印は北園寺。差出人は……まあ、見りゃ分かる」


 そう言って、源さんはデスクの引き出しから一枚の封筒を取り出した。

 赤地に、金色のインク。見慣れた悪趣味だ。


「はいよ。例の怪盗様からのラブレターだ」

「ありがたくも何ともないですね」


 受け取った封筒は、無駄に上質な紙を使っている。

 中身を取り出す。

 こちらも変わらず下品な金文字で綴られた、癖のない、だがどこか芝居がかった言い回し。


『来たる六月十五日の夕刻、わたくし怪盗ステラ・エトワールは、北園寺美術館にて、展示の「星の揺らめき」をありがたく頂戴しに参ります。

 ご準備のほど、よろしくおねがい申します。

 怪盗ステラ・エトワール』


 思わず、息が漏れた。

「……長い文書けたんですね。相変わらずバカっぽいですけど」

「だろ? 昨日の神社での大暴れと同一人物とは思えねえ。いつものダメ怪盗みたいだ」


 源さんが肩をすくめる。


「展示品は絵画だ。マニアの間ではそこそこ有名らしい。“星の揺らめき”、聞いたことあるか?」

「ええ。北園寺出身の若き天才・神代楽しんだいがくが描いた唯一の絵画です。有名なのは現代アートの方で、大した価値はないはずですけど」


 芸術には疎い俺だが、北園寺のことなら自信がある。

 神代はこの街で5本の指に入る有名人だ。


「現代アートぉ? っていうとアレか? 壁に食パン貼り付けて芸術だとか言い張るやつか?」

「関係者に怒られると思うけど、俺もそういう認識です」


 師匠ならこういうのも格好良く語れるんだがな。もともと学のない俺じゃこんなものだ。


「まあいいかそれは。予告状が来た以上、警察としては張る。だがな……」


 源さんは声を落とした。


「正直、昨日の件で警官連中もビビってる。

 あんな光、普通の装備じゃどうにもならねえし、怪盗とやりあった経験のある奴は現場にゃほとんど残ってねえんだわ」

「……源さんくらいっすよね」

「悪かったな。出世が遅くて」


 源さんが真っ直ぐ俺を睨む。

 いや、警邏と称してパチンコに行くのが悪いだろ。そんなのが出世したら警察は終わりだ。


「ともかく、そういうわけで正式に依頼する。

 探偵見習い。

 六月十五日、北園寺美術館。

 怪盗ステラ・エトワールを確保しろ」


 予告状を折り畳み、ポケットにしまう。

 紙の感触が、妙に重い。


「了解です」


 答えは、それしかなかった。

 事務所存続のため、一度はステラ・エトワールを育成することも考えたが、俺は結局この街が好きなのだ。街の一般人に被害が出た以上、見過ごすことはできない。


「じゃあ予告のあった明後日、しっかり頼むぞ。

 それと、昨日の嬢ちゃんなんだが、あれは探偵仲間か何かか? やけに肝の据わった娘だったが……」


 七海のことか。

 怪盗マリンランタンですと言うわけにもいかないし、適当にはぐらかそう。


「ああ、いや……あれは、別件の依頼人です。たまたま昨日は一緒にいただけで、一般人ですよ」

「そうか、残念だな。ああいう眼のやつはいい仕事するんじゃないかと期待したんだが」

「ああいう眼?」


 光に集中してたから七海のことなんて見てなかったな。


「ああ、深い悲しみと、燃えたぎる怒りの眼だ。気がつかなかったか? ありゃあ怪盗となんかあったに違いないね」


 なんかあったどころか本人が怪盗なんだがな。

 いや、それはともかくだ。


『……如月さんは、怪盗って、かっこいいと思いますか?』

『怪盗なんて……人の大事なものを、勝手に奪って、めちゃくちゃにして。自分の都合で壊して。そんなの、わたし……大っ嫌いです。本当に、嫌いなんです』


 不意に七海の言葉が頭の中に響く。

 そう、確かにあいつはそう言っていた。何かある。


「訊いてみます。……機会があれば」


 こうは言ったものの、もう気になって仕方がなかった。

 怪盗嫌いの怪盗、七海灯ななみとまり

 その正体は怪盗マリンランタンで、静岡出身で……


「何者なんでしょうね、本当に」


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