第33話 海の家
俺の目の前には、青く輝く海。海岸に波が打ち付け、波間にキラキラと魚の姿が見える。
久しぶりに海なんか来たけど、いいもんだなあ。まだ早朝だから誰もいなくて、ただ波が打ち付ける音だけが心地よく耳に響く。
ささやかな海風が俺の体に吹き、本格的に暑くなり出していない海岸にほんの少しの涼しさを与えてくれる。
俺が今日海に来たのは、気分転換のため。面接に落ち続ける毎日に嫌気が差して、海でも見たくなったんだ。ネガティブな理由ではあるけど、既に来てよかったと思える。自然の音色は、俺の心を癒してくれるみたいだ。
気持ちいいから、ちょっと寝るか。俺はそのまま海岸に寝そべり、目を閉じた。
少しがやがやして来て、人の声で目を覚ます。なんだ、もう人が来る時間か。俺のリラックスタイムは儚く散ったんだな。
スマホの画面には8時30分の文字。起き上がってみると、まだ海水浴に来た人はいないみたいで、海の家がオープンしたらしい。そういやちょっと腹減ったし、暑くなって来たな。朝飯がてらなんか買いに行くか。
俺は重い体を起こし、海の家へと向かった。
海の家に着くと、元気な女の声が俺を出迎える。
「いらっしゃい! 海の家『マリンアクシデント』へようこそ!」
「おい海難事故じゃねえか! そんな不穏な名前付けんなよ! ……って心音!?」
海の家に立っていたのは、見慣れた茶髪ボブ。黒いTシャツに短パン、サンダルというスタイルで、いつものように満面の笑みを浮かべている。
「やっほやっほ健人先輩! 1人で海なんてどうしたの? 難破?」
「字が違えよ字が! せめてナンパだろ!」
「ああそっちだった! で、ナンパの調子はどう?」
「俺別にナンパしに来たわけじゃねえから! 普通に気分転換に海見に来たんだよ!」
「気分転換にウ・耳に来たんだよ?」
「区切るとこが違えよ! なんでカタカナの『ウ』が耳に来るんだよ! そんなもん来たら受け流すわ!」
何を言ってんだこいつは……。ていうか、なんで海の家にまでこいついんだよ。ほんとどこにでも現れんな。
「それで、なんか食べる? オススメはグラタンだけど」
「そんな熱いもん今食えるか! もっと海っぽい食べものねえの!?」
「あるよ! シーフードドリア!」
「だから熱いって! 内容物だけ海鮮にしても温度が問題なんだわ!」
なんでこの海の家オーブン使う料理ばっかり置いてんだよ。なんとなく海の家って麺類とかカレーのイメージだけどな。変なもん置きやがって。
「それにしても気分転換に海って、なんか落ち込んでるの? 付き合ってたおばあちゃんに振られたとか?」
「俺老婆と付き合ってねえよ! 熟女フェチじゃねえから!」
「もしかして、おばあちゃんに振られた腹いせにナンパを……」
「振られてねえって! そんな理由で海に来るかよ!」
「あ、振られてないんだ。まだおばあちゃんと付き合ってるんだね」
「まず老婆と出会う場面がねえよ! どこでラブストーリー始まんだよ!?」
「そりゃなんか、買いものからの帰り道、横断歩道で紙袋からテキーラ落として、それを拾おうとした健人先輩の手と触れ合って、そこからロマンスが……」
「袋の中身テキーラなの!? ファンキーすぎるだろそのババア!」
「え、だってメキシコでの話だよ。普通じゃない?」
「俺メキシコに渡ったことねえから! 何当たり前みたいに渡航させてんだよ!」
好き勝手言う心音から視線を逸らし、店の中に貼ってあるメニューを見る。うんやっぱりカレーとか麺類がメインじゃねえか。かき氷とかもいいな。暑くなってきたしかき氷でも食うか。
「心音、かき氷1つもらえるか?」
「おっけー! 味はカレーとハヤシどっちにする?」
「その選択肢しかねえの!? 米と合わせろよそんなもん!」
「ビーフシチューもあるよ!」
「似てんだよ見た目が! 何ここ茶色い流動物しか置いてねえの!?」
「ちゃんとできたてで提供するから安心してね!」
「氷溶けんだろ! 薄まってただ不味いルー食うだけになんじゃねえか!」
「そしてそんなかき氷よりも溶けるような恋をおばあちゃんと……」
「その展開にはなんねえよしつけえな! なんで俺を老婆と恋愛させたがんの!?」
なんでかき氷も普通に頼めねえんだよ。もっとイチゴとかメロンとかブルーハワイとかあんだろ。なんだよカレーかハヤシって。氷にかけるもんじゃねえだろ。
「え、ほんとに普通のシロップねえの!? 茶色いやつ以外で!」
「うーんそうだね、裏メニューで練乳ならあるけど」
「そいつ表にしろよ! まあ練乳あるならそれでいいや。練乳かき氷1つ頼むわ」
「はーい! お箸は何膳お付けしますか?」
「1膳も要らねえわ! お前かき氷箸で食うやつ見たことあんの!?」
「健人先輩が初めてだね」
「俺もやらねえってそれ! 勝手に初のレッテル貼んのやめてもらえる!?」
「お待たせしました! 練乳カレーかき氷です!」
「余計なことしてんな! なんでカレーまでかけた!?」
「カレーにライスはお付けしますか?」
「もうカレーライスじゃねえか! いやもういいわこれで。不味いだろけど頑張って食うわ」
諦めて俺が練乳カレーかき氷を持って出ようとすると、茶髪ロン毛のチャラそうな男が慌てて俺に駆け寄って来た。
「す、すいませんお兄さん! そいつ最近勝手に入って来て変な料理出すんですよ! ちょっと今度こそキツく言っときますんで!」
おい雇われてすらなかったのかよ。