幇間
手をたたく音がする。
「はい、ただいま」
呼ばれれば、どこへでもいく。
「おお、来たか」
座敷では、旦那が酒を飲んでいる。
「何か面白いことをやれ。芸者だけではつまらん」
「お安い御用で」
持っている芸の中から、いくつか披露してみせる。旦那は酔いながら満足をしている。
「ご苦労だった。お前も飲め」
「ありがとうございます」
差し出された酌を受け、控えめに喉をうるおす。裏ではそっと謝礼の金が渡される。
毎晩、この繰り返しだ。あたたかな懐は、翌朝には冷めている。
「狐にでも化かされたのか」
そう思って財布をまさぐるが、頭の痛さはその後の深酒を教えてくれている。
旦那と飲む酒は楽しい。あの人はいつもよくしてくれる。しかし、それからどうしても一人で飲まずにいられないのは、どうしたことだろう。それさえなければ、私の手元には今も謝礼があるはずなのに。
「おう、幇間よ」
また手が鳴った。呼ばれた先には旦那がいる。
「旦那、本日もよいお天気で」
私は通り一辺倒のあいさつを述べる。
「お前は、どうして幇間なのだね」
いつもにも似ず、旦那はそんな質問を投げかけた。その時私はうまく笑えていたろうか。
「私のことでございますか」
「お前以外に誰がいる」
あいまいな笑顔と適当なお茶濁しはいつものことだ。けれどもその時の私は妙に心が苦しかった。
「なに、つまらない話でございます。やれることがこれだったのです」
「そうかそうか」
旦那はそれ以上聞いては来なかった。
「さあ、今夜も楽しもう」
手拍子の音がする。時おり歓声がわく。その時々で、芸人と呼ばれ、幇間と呼ばれる。
手が叩かれれば、どこまでもいく。
そんな私を、旦那はたまにじっと見つめるのだった。




