独白
あなたは、生きづらいと感じることはありますか。
これは、生きづらさを感じる私のただの独り言です。
普通に生きるとはなんと難しいことかと最近よく考える。
というのも私は最近、適応障害になり休職しており、普通になれなかった自分に嫌気がきているからだ。
では、普通の定義はなんだろうか。
私は、場の空気が読め、程よく手を抜いて生きて、要領よく仕事を続けている人物のことを思い浮かべる。
私の中で、普通=憧れなのだ。
今、世の中には『ADHD』いわゆる発達障害という認識が浸透している。この浸透のおかげで、「あぁ私だけじゃないんだ」と思い救われた人も少ないだろう。
その反面、この障害に当てはまる行動をしてしまう度に生きづらさに絶望する自分もいる。
ちなみに私は、自称ADHDだ。
上記のことを言っときながらなぜ正式に診断を受けないのかというと、怖いからだ。
先ほどADHDは、生きづらさがあると言ったが、かの織田信長や有名若手お笑い芸人がそうであるように、その人の才能、性格(処世術含む)によっては、1つの個性になるしなんの問題もないのだろう。(もちろん人知れない苦悩もあるだろうが)
ただ、私はポンコツなのだ。
びっくりするほどポンコツなのだ。
特に才能が良ければ、コミュニケーション能力が低く人との距離感がわからない、どんなに気をつけていても人をイラッとさせるケアレスミスが多い。
そのせいか小・中といじめられてきたし、高校でも上手く馴染めないことがあった。
だから怖いのだ。
もし、ADHDでは無かったら私は救いようがないバカということになってしまう。
その事実に直面するのが、怖いのだ。
適応障害になった経緯は割愛するが、中小企業あるあるであら業務過多とパワハラだといっておこう。
コミニュケーション能力が低い人間が、仲が悪い人物の間に入り業務を進めるととてつもない精神的な不可がかかるのだと痛感した出来事だった。
ただ、私の対人関係構築の未熟さも一つの要因だろう。
とりあえずそのような経緯から転職活動を始めたのだが、どこに行っても対人関係で苦労する気しかない。
改善すればいいだろうと思う人もいるだろうが、そう簡単に行くものでもないのだ。
そのように器用に立ち振る舞える人物なら私の人生このようなことになっていない。
転職しても苦労することが目に見えているのに、なぜ苦労して転職活動をしているのかと思う。生きるため働こうとしているのだが、この先対人関係で苦労し続けるのは目に見えてるし、正直それなら別に生きたいとも思わない。
ただ親に後悔を背負って生きて欲しくないという思いや周りの人に変な詮索をされたくないのでので、仕方がないの思われる方法で終わりたいと不謹慎に思う。
死んだ後の周りのことを考えているのだから、構ってほしい承認要求からくる考えではないかとも思う。
結局何が言いたいのかという文章になったが、タイトルにも書いたようにただの独白なのでまぁいいとしよう。
ただどんなご縁かこれを読んだ方がいれば、心からお礼申し上げる。聞いてくれてありがとう。