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【短編集】始末に負えない女性たちの碌でもないハッピーエンドについて

家出の後始末 ~兄に逃げられては困る妹の諸事情について~

作者: G3M

1.

 ドアがガチャリと開いて、妹の絵里子がダイニングルームに入ってきた。よそ行きの花柄ワンピースを着て、ツインテールの髪に赤いリボンをつけている。徹の顔を見るなり、「ずいぶん絞られたみたいね」と言った。


 徹はそっぽを向いた。


「そこに座って。お茶を入れるから」と絵里子。


 徹がためらっていると、絵里子が背中を押してテーブルセットの椅子に座らせた。「話があるの。」


 徹がうつむいて座っている間、絵里子は手際よくフィルターに豆を入れて湯を注いだ。「どこにいたの?」と絵里子。


 徹は「キャンプ場だよ」とうつむいたまま答えた。ダイニングルームにコーヒーの香りが充満した。


「ブラックでしょ」と絵里子。


「うん」と徹。絵里子は徹の前にコーヒーカップを置いた。徹は顔をあげて妹の顔をまじまじと見た。


「毒なんて入ってないわよ」と絵里子。


 徹はカップを手に取ってコーヒーを一口すすった。「おいしい」と徹。


 絵里子は笑った。


 徹はその時、絵里子の頬に涙が伝うのを見た。


「ごめんね、お兄ちゃん」と絵里子。


「え、何のこと?」と徹が立ち上がった。


「私がもっと優しくしていたら、お兄ちゃん、家出しなかったでしょ」と絵里子。


「エリちゃんは関係ないよ」と徹。


「私ってお兄ちゃんの妹だよね」と絵里子。


「そうだよ、何で?」と徹。


「もし妹でなかったら、私って何?」と絵里子。



2.

 ピンポーン、と家の呼び鈴がなった。「私が出るわ」と絵里子。「お父さんとお母さんは買い物に行ったから、家には私たちだけよ。」


 絵里子は「佳耶(かや)が来たわ」と言いながらダイニングルームに戻った。


 その後ろから従姉妹の佳耶が入ってきた。ヘアバンドで前髪をあげて背中に長い髪をたらし、水色のセットアップミニスカートを着ている。「徹お兄さん、お久しぶりです」とにっこり笑った。


「佳耶ちゃん、久しぶり」と徹。


「何しに来たの?」と絵里子。


「もちろん徹兄さんに会いに来たのよ。家に帰ってきたって聞いたから」と佳耶は徹の肩に手をかけながら言った。


「お兄さん、どこにいたの?」と佳耶。


「キャンプ場だよ。川辺でのんびりしていたんだ」と徹。


「暑くなかったの?」と佳耶。


「家にいるよりましだよ。ぼくの部屋にはエアコンがないから」と徹。


「うちに来れば、私の部屋に泊めてあげたのに」と佳耶。


「そんなこと許されるわけないでしょ」と絵里子。


「エリーは黙ってて。わたし、お兄さんと話すから」と佳耶。


「私が話してたのよ。割り込まないでくれる」と絵里子。


「三人で話せばいいじゃないか」と徹。


「大事な話があるの。それに時間がないのよ」と絵里子。


「時間がない?急いでいるのかい?」と徹。


「これからおじいさんの家に集まるのよ。お兄さん、知らなかったの?」と佳耶が驚いた顔をした。


「ぼくも行くの?」と徹。


「そうよ。お兄ちゃんが主賓だから」と絵里子。


「先週、おじいさんが突然、徹兄さんに会いたいって言いだして、それなのに家出して見つからないから大騒ぎになったのよ」と佳耶。


「ああ、そうだったのか。変だと思ったよ。父さんが警察に捜索願を出すなんて」と徹。


「事情を聴きたいからって、私のお父さんとお母さんもおじいさんに呼び出されているの」と佳耶。


「そうだったのか。それじゃあ、ぼくが先に行っておじいさんに家出について説明してくるよ。そうすればわざわざ集まらなくても済むだろう?」と徹。


「お兄ちゃん、そんな話じゃないの。これから私が説明するから、ちゃんと聞いて」と絵里子。



3.

「お兄ちゃんの家出を知ったおじいさんとおばあさんが、この家に様子を見に来たのよ」と絵里子。


「ふーん」と徹。


「二人はお兄ちゃんの部屋に入って、エアコンがないことに驚いていたわ」と絵里子。


「それだけかしら?」と佳耶。


「そんなわけないでしょ、知ってるくせに」と絵里子。


「何があったの?」と徹は絵里子の顔を見た。


「兄さんの部屋で家探しして、日記帳を見つけたわ」と絵里子。


「え、ひどいよ。プライバシーの侵害だよ」と徹。


「おじいさんはその場で日記を読み始めたわ」と絵里子。


「エリちゃんもいたの?」と徹。


「もちろんよ。夏休みだから家にいたの」と絵里子。


「何のために読むんだよ、そんなもの」と徹。


「もちろん、家出の原因とか行先とかを知るためよ」と絵里子。


「家出についてなんて何も書いてないよ」と徹。


「だけど、結構細かく人間関係について書いてたでしょ、お兄さん」と佳耶。「しかも赤裸々に。」


「日記なんだから正直に書いてるよ。他人が読むとは思ってないし」と徹。


「だけど、お兄さんの家族関係がすっかりばれちゃったわよ」と佳耶。「父親からはむやみに厳しくされて、母親からは冷たくされて、妹からは口もきいてもらえないってこと。」


「そんなにひどくなかったわよ!」と絵里子。


「そうかしら。日記の最後の日には、エリちゃんから一週間も無視されて悲しいって書いてあったわよ」と佳耶は冷ややかな目で絵里子を見た。


「え、佳耶ちゃんも読んだの?」と徹。


「ちらっと見ただけ。お父さんとお母さんが家で読んでたから」と佳耶。


「私、無視してたんじゃないわ!怒ってたのよ!」と絵里子が叫んだ。


「ぼく、何かしたっけ」と徹。


「したわよ!夏休みに入ったらプールに連れてってくれるって約束、忘れてたじゃない!」と絵里子。


「ごめん、だけどちゃんと覚えてたよ。それだけで一週間も無視しなくても……」と徹。


「それだけじゃないわ!」と絵里子。「モールでお兄ちゃんがデートしているところを見たのよ。学校では全然もてないって言ってたくせに!」


「デートなんてした覚えないよ。ひょっとして山下さんのこと?部活の用事で買い出しに行っただけだよ」と徹。


「すごくにやけてたよ、お兄ちゃん」と絵里子。


「日記にも楽しかったって書いてたわ。山下冴子さんの胸のサイズについても」と佳耶。


「山下さんとは何もないよ」と徹。


「お兄ちゃん、本当!」と絵里子。「山下って人のこと、好きじゃないの?」


「普通に友達として好きだけど……」と徹。


「私とどっちが好き?」と絵里子。


「比べる対象じゃないと思うよ」と徹。


「私とどっちが好き?答えて!」と絵里子。


「もちろんエリちゃんのほうが好きだよ」と徹。


「そんなんじゃイヤ!」と絵里子。


「何が?」と徹。


「世界で一番好きって言って!」と絵里子。「わかったよ。エリちゃんのことが世界で一番好きだよ」と徹。


「ならいいわ」と絵里子。


「お兄さん、ちょっと聞き捨てならないわ、今の言葉」と佳耶は怖い顔をした。


「どうしたの、佳耶ちゃん」と徹。


「お兄さんには私の婚約者という自覚が足らないようだわ」と佳耶。


「え、婚約?」と徹。


「忘れたの?ひどいわよ」と佳耶は両目から涙をあふれさせた。


「ひょっとして、去年の別荘でのことかい。もちろん覚えているよ」と徹は佳耶の手を取った。


「あんなの、結婚式ごっこでしょ。くじで新郎新婦を決めた遊びよ」と絵里子。


「あの後、お兄さんはわたしに本物のウエディングドレスを着せてくれるって約束してくれたわ」と佳耶。


「子供のままごとよ、そんなの」と絵里子。


「まだ続きがあるの」と佳耶。「聞きたいかしら。」


「お兄ちゃん、何をしたのよ!」と絵里子が徹をにらんだ。


「男に二言はないはずですよね、お兄さん」と佳耶はにっこり笑った。


「そうだな、佳耶ちゃんはぼくの婚約者だよ」と徹はあきらめ顔で言った。


「結婚の約束なら私だって何度もしてもらったわ。そうでしょ、お兄ちゃん!」と絵里子。


「まあそうだけど」と徹。


「それこそ、子供の時の話でしょ」と佳耶。「最近はツンツンして口もきいてなかったくせに」


「うるさいわね。だからちゃんと話をしようとしたら、あんたが割り込んできたんじゃない。邪魔しないで!」と絵里子。


「わかったわよ」と佳耶。



4.

「それで、何があったの?」と徹。


「お兄ちゃんがかわいそうだから、自分たちの家に引き取るっておじいちゃんが言い出したの」と絵里子。


「ああ、そうなんだ」と徹。


「お兄ちゃん、嫌じゃないの!」と絵里子。


「ああ、エアコンのある部屋がもらえたらうれしいよ」と徹。


「私たち、離ればなれになるのよ!」と絵里子。


「でも父さんと母さんは喜んでるだろ。それに離ればなれと言ったって、電車で二駅しか離れてないし」と徹。


「それだけじゃないの。おじいさんが遺産をお兄ちゃんだけに相続させるって」と絵里子。「それで、お父さんと叔父さんが怒ってしまったの。」


「おじいさんは言ってるだけでしょ。以前にも喧嘩になったとき、そんな話をしていたよ」と徹。


「だけど今回は本気なの。話が進んでて、お母さんが離婚するって言いだしてるの」と絵里子。


「やっぱり遺産目当てだったんだ」と徹。


 絵里子は徹の頬を思い切りビンタした。「お母さんのことを悪く言わないで!何も知らないくせに!」と絵里子。


「エリー、お兄さんがかわいそうよ」と佳耶。


「佳耶は黙ってて!」と絵里子。


「エリーが悪いのよ。ちゃんと説明しないから」と佳耶。「お兄さんは何も知らないのよ。」


「え、ぼくは何も知らない?」と徹。


「ええ、何も。でもわたしが教えてあげるわ」と佳耶。


「私が説明するって言ってるでしょ!横から口を出さないで!」と絵里子。


「お父さんが最初の妻、つまりお兄ちゃんの母親と離婚して、その翌年に二人目の妻、私の母親と結婚した。ここまではお兄ちゃんも知ってるでしょ」と絵里子。


「うん」と徹。


「その後、私が生まれたけれど、月足らずだったの」と絵里子。


「未熟児だったんだ」と徹。


「違うわよ。結婚したとき、すでに身ごもってたの」と絵里子。


「そうなんだ、そんなこと、いつ知ったの?」と徹。


「何年も前に気がついたわ。結婚式の日付と私の誕生日が近すぎるのよ。結婚式の半年後に私が生まれてるのよ。変でしょ?」と絵里子。


「そうなのか、知らなかったよ」と徹。


「それで、お母さんに理由を聞いたの」と絵里子。


「新婦が妊娠してたなんて、騒ぎにならなかったの?」と徹。


「お父さんは、妊娠しててもかまわないからって、結婚を迫ったそうよ」と絵里子。


「ふうん。強引だな。お父さんらしいよ」と徹。


「そのとき、お父さんはお腹の中の子供、つまり私を自分の娘として育てることを約束した」と絵里子。「それから、結婚したときに父の家族は妊娠について知っていたそうよ。」


「本当の父親はどうなったの?後から問題になりそうだけど」と徹。


「一応、うまく収まったわ」と絵里子。


「そうなんだ」と徹。



5.

「エリーの本当の父親がだれか、知りたくないかしら?」と佳耶はまじめな顔で言った。


「そうだね」と徹は困った顔をして答えた。


「わたしが教えてあげるわ」と佳耶。「いいでしょ、エリー。」


 絵里子は腕組をして、そっぽを向いた。


「エリーの本当の父親は、私のお父さんなの」と佳耶。


「え、叔父さんが?」と徹。


「そうよ。わたしのお父さんは伯母さん、つまりエリーの母親と付き合って妊娠させた。だけど別れてすぐに他の女の人と結婚した。それがわたしのお母さんよ。だから、エリーと私は異母姉妹なの」と佳耶。


 徹は話を理解すると「ええ!」と少しのけぞった。「ということは、エリちゃんはぼくの従妹っていうこと?」


「私はお兄ちゃんの妹よ!だけどお嫁さんになれるんだからね!」と言って絵里子は顔を赤らめた。


「お兄さんの婚約者は私よ」と佳耶。


「そんなの認めないわ」と絵里子。


「そうか、事情はだいたいわかったよ。それじゃあ、ぼくは一足先におじいさんのところに行くよ。また後でね」と徹は立ち上がった。


 ほぼ同時に、絵里子が素早く徹の腕を両手でつかみ、佳耶が背中から抱きついた。


「どこに行くつもり?」と絵里子が徹に顔を近づけながら言った。


「だから、おじいさんの家に」と徹。


「うそつき。このまま家出するつもりでしょ。逃がさないわ」と佳耶が耳元でささやいた。


「そんな、ぼくが逃げるわけないだろ」と徹。


「これはやばい、逃げなきゃって顔をしてたわ。私をごまかせると思っているの?」と絵里子。


「ぼくがおじいさんに会って何を話すんだよ?」と徹。


「お父さんと叔父さんを許してほしいって頼んでほしいの。縁を切るのはかわいそうだって」と絵里子。


「いやだよ、絶対に。ぼくはあの二人が大嫌いなんだ。縁切りだって、正直、ざまあみろって思ってるよ」と徹。


「でも、絶縁なんてしたら、わたしたち、お兄さんに会えなくなるのよ」と佳耶は目を潤ませた。


「叔父さんはぼくの家出に関係ないだろ?」と徹。


「お兄さんを追い出して、わたしたちのどちらかに跡取りの婿を取らせようって企んだのはお父さんなの。」と言って佳耶は顔を伏せた。「それに伯父さんと伯母さんが同意して、お兄さんの家での居心地を悪くしたの。」


「いかにも叔父さんの言いだしそうなことだね」と徹。「でも、おじいさんに知られなければ問題ないよ。」


「それがなぜか最近おじいさんの耳に入って、カンカンに怒ってしまったの」と佳耶。


「だれがばらしたんだい、佳耶ちゃん」と徹は佳耶を見た。


 佳耶は顔を伏せたまま、「その後、おじいさんがお兄さんのことを心配して探し始めたの」と言った。


 こっちが本題だと、徹はようやく気がついた。「想像以上にゲスだね、叔父さんは」と徹は少し大げさに言った。


「ごめんなさい」と佳耶。


「佳耶ちゃんが謝ることじゃないよ」と徹。「それにしても、よくそんなことまで知ってるね。」


「お父さん、私には優しいから」と佳耶。


「それに引き換え、ぼくは何でそこまで叔父さんに嫌われているの?」と徹。


「お兄さんは優秀過ぎるのよ。それに、すぐに家出するくらい行動力があるから怖いの。放っておいたら、将来自分たちが追い出されるんじゃないかって」と佳耶。


「ああ、間違いなく追い出すよ。こんな話を聞かされたら」と徹。


「やっぱりそうなのね」と佳耶。


「ああ、ちょっと許せない気持ちになってきた」と徹。


「お兄ちゃん、私たちがお願いしているのよ。聞いてくれたら、私がいつも側にいてあげるから」と絵里子はまっすぐに徹の目を見た。


「これから何があってもお兄さんの味方になると約束します。だから、どうかお願いします」と佳耶が頭を下げた。


「わかったよ」と徹。「仕方ない。」



6.

 三人は連れ立って祖父の家を訪れた。徹が事情を話し終えると祖父は言った。「徹の好きなようにしなさい。ただ、一つだけ忠告しておいてやる。早くどちらかを選んでおいたほうがいいぞ。お前の父親たちのようになりたくなかったらな。」


 絵里子と佳耶は一度目を合わせると、そろってペロッと舌を出した。




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