4.ベルローズ
使用人達が手際良く王子の部屋に食事を準備してくれたので、バージリウス王子とすぐに昼食を始められた。
「殿下はご家族の間ではミドルネームで呼ばれているのですね」
アンリーゼの言葉に、バージリウス王子は一瞬ナイフの動きを止めたが、すぐにまた動かし始める。
「ああ、そうだ」
「では、私もベルローズ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
バージリウス王子は今度はしっかりとナイフの動きを止め、ナイフとフォークを皿の上に置くと、刺すような視線をアンリーゼに向ける。
「なぜ?」
「なぜと言われましたら……とても美しい名前だったので……」
バージリウス王子の視線は怖かったが、最初に築く関係はのちの夫婦関係に響くと思えば、アンリーゼは少しの勇気を出して建前は言わず、率直な気持ちを伝えてみた。
そして、それはどうやら正解だったようで、バージリウス王子は美しいと呼ばれた事がよほど意外だったのか、恐ろしかった視線は消え去り、今度は沸騰するように顔を赤くさせた。
「うっ……美しい?」
「あ、申し訳ございません。紳士を前に美しいと表現するのも違うのかもしれませんが、ただ……」
「ただ、何だ?」
「バージリウスの名も高貴で素敵ですが、ベルローズの名は誰にでも似合うものではなく、殿下は正に美しい薔薇の様に、見た目だけではなく、内から輝く気高い魅力をお持ちです。なので殿下への敬意を込めてベルローズ様と呼ばせて頂けたら嬉しく思います」
「外からも内からも輝くものなど私には何も無いよ。だけど……実は私はバージリウスよりベルローズと呼ばれる方が慣れている。だからどちらで呼んでくれても構わないよ」
「ではベルローズ様、私の事も是非アンとお呼びください」
「君を……アン、と?」
「はい。少し、距離が縮まった気がしますでしょ?」
バージリウス改めベルローズ王子は、アンリーゼに笑顔を向けられると恥ずかしそうに下を向き、皿の上に置いていたナイフとフォークを手に取ってまた動かし始める。読み取りづらいが、その表情は嬉しそうだった。
そしてナイフとフォークを今度は皿の横に置くと、自分の皿とアンリーゼの皿を交換する。
「この城の鹿肉料理は歯応えがあり、噛むのに少し力が入る。アンが噛みやすいサイズはこれくらいだと思うから、公式行事などでコレが出た際はこれくらいにしたらいい」
アンリーゼは反射的に顔を上げて、ベルローズ王子を見てしまった。
昨晩のダンスの際に感じた彼の気遣いはやはり本物だったのだ。そして、早速アンと呼んでくれた。
……この結婚は……そこまで悪いものではないかもしれない。
アンリーゼも、薄っすらとはにかんでしまった。
「今日は国王との昼食予定があったが、明日からは君の好きに過ごしくれて構わない」
「ベルローズ様と過ごす予定を私が立ててよろしいんですか?」
「いや、私はやる事があるから一緒には過ごせない」
「蜜の月は公務は禁止ではなかったでしょうか?」
「公務ではなく、勉強や、剣や馬の稽古があるんだ。それに、私達に世継ぎは求められていないから、その慣わしに従う必要はないと王妃から言われている」
「さようですか……」
確かに蜜の月の本来の目的は、世継ぎを授かるために新婚夫婦を初夜からひと月の間家から出さなかったのが始まりだが、貴族の結婚、ましてや王族の結婚となると、婚姻後に初めてまともに会話する事もあるので、関係を縮める期間でもある。世継ぎ問題がないといっても、だからといってこの期間が不用というわけではないはずだ。
しかも、ベルローズ王子は寄宿学校時代、何度も成績優秀者のバッジを貰っていた。医師の娘であるマリー王妃の影響もあり、医学にも精通されていた秀才だった。
乗馬の授業でも、皆が尻込みするような障害物を見事にジャンプされ、女子生徒達が割れんばかりの黄色い歓声をあげていたことも記憶にあるし、剣に関しても、その運動能力があれば並み以上の腕前はあるはずだ。
蜜の月を疎かにしてまで勉強や稽古が滞っているとは思えないが、マリー前妃を思うベルローズ王子の気持ちを汲めば一緒に過ごしたくないお気持ちもわからなくもないので、アンリーゼはひとまず引き下がった。
「では、ベルローズ様、また夜に」
「また、夜?」
「ええ、蜜の月の間は夫婦は同じ寝室で過ごす決まりですよね」
「私達の結婚は子供を求められていないから、寝室が別でも陛下に咎められない」
「いえ、いけません。それが周囲も暗黙の了解だったとしても、新婚の王子夫妻がいきなり寝所が別という事実が出来てしまえば、社交界の噂の種になります。俗悪な噂は王室の権威に関わります。せめて世間的に定められた蜜の月はベルローズ様の部屋で過ごさせてください」
「社交界の噂か……すまない、私はそういうことにはまだ疎くて。私の部屋で過ごして貰って構わない。ベッドも私は使わないから使ってくれ。ただし、執務室は大事な物が沢山あるから、絶対入らないように」
「様々な許可をくださり感謝いたします」
「それでは、アン、また夜に」
「ええ、お待ちしております、ベルローズ様」