■4■ 10月11日(土) 夕方
僕はしばらくその場に留まっていた。午後の青空が、少しずつ夕暮れに変わっていく。
(そろそろ、行こうか)
そう思って立ち上がろうとした時、不意に屋上のドアが開く音がした。
「賢君、発見です」
「……寧音?」
出入口のある建物の陰から姿を現したのは、寧音だった。
「賢君が屋上にいるなんて、珍しいですね」
言いながら寧音は軽い足取りでこちらに近寄ってくる。
「寧音はどうしてここに?」
「賢君を探していたら、屋上にいるかも知れないって教えてもらえましたので」
幸恵ちゃんかと思ったが、おそらく真知子の方だろう。
「……」
屋上の外縁のフェンスに近づく。
「七不思議も、残り一つになってしまいましたね」
「そのことで聞きたいんだけど……」
「はい、保科先生から話は聞いてます。その前に……」
寧音は静かに目を閉じ、小さな声で何か呪文のようなものを唱え始めた。しばらくして唱え終わると、寧音は僕の頭上、何もない虚空を見上げる。
「優耶さん、姿を現すことはできますか?」
寧音が言うと、僕の頭上にぼんやりとした白い影が現れた。それが、少しずつ人の形になっていく。
「……優耶!?」
それは紛れもなく優耶だった。姿を見せた優耶は、ゆっくりと僕の隣まで降りてくる。
「ようやく通じるようになった。桂木君、ありがとう」
そう言うと、優耶は僕の方に向き直る。
「賢、久しぶり」
「久しぶりって……ずっと僕の脳内で話してたじゃん」
「違いないね」
楽しそうに笑う優耶。
この懐かしい感覚……こうして対面して和やかに話すのは、いつぶりだろうか。
「それより優耶、姿を現すこと出来たんだ?」
「今だけは、桂木君のお陰でね。これもそう長くは持たないけど」
「そっか……でも、寧音がどうして優耶を?」
僕は寧音に向き直って尋ねる。
「それは兄ちゃんの方から話すよ。桂木君、いいかな?」
「ええ、お願いします」
寧音は優耶に向かって軽く一礼する。僕は再び優耶に顔を向けた。
「僕が、死ぬ前に青森に行ったのは知ってるよね?」
「うん」
「桂木君の父方の実家は、代々悪霊を封じてきた家系なんだ。呪いの解除に関しては特に秀でていてね。兄ちゃんが死神から死の宣告を受けた後に頼ったのが桂木君の祖父で、そこで紹介されたのが霊能者としての才覚を発揮していた桂木寧音君だった」
「死の宣告?」
「そう。死神の能力の一つ。この呪いを受けると、手の甲に数字が刻み込まれて、日没ごとに三、二、一……と数が減っていき、四日後の日没と共に命を落とす。兄ちゃんは不覚にもこの呪いを受けちゃってね」
「そんな……」
「もしかしたらその呪いが解けるかもと思ったけど、呪いの解除は難しくてね。桂木君の祖父でも無理だった」
「でも優耶、死神を倒せば、呪いだって……」
僕が言うと、優耶は小さく首を振った。
「仮に死神を倒しても、既に兄ちゃんの身に刻まれた呪いは解けないと言われたよ。呪いが刻み込まれた時点で、使用者である死神とは切り離されて独立した呪いとして、受けた者に確実な死をもたらす。初見殺しの能力だったね」
「……」
言葉も出なかった。優耶は説明を続ける。
「でも、桂木君の祖母は降霊術を得意としててね。死ぬ日時が分かるのであれば、死ぬのと同時に降霊させて、しばらく現世に留めることは可能だと言われたんだ」
「しばらく、現世に?」
「そう。それが今までこうして賢と話すことができた理由」
「でも、どうして僕だけ声が聞こえてたの?」
「たまたま波長が合いやすかったのが賢だったんだよ」
「保科先生が言ってた、僕に死神を倒させるというのはどういうこと?」
少し考えた後、優耶は答える。
「兄ちゃんの話を聞いた桂木君の祖父母は、すぐに死神の討伐を検討してくれて、孫である桂木君を向かわせてくれることになったんだ。でも、兄ちゃんは桂木君一人では危ないと思った。だから賢の力も借りて、死神を確実に討伐することを考えた」
「それじゃあ優耶は、紫雷炎のことを前から知ってたの?」
「賢が兄ちゃん以上の素質を持ってることは、ずっと前から分かってた。でもあそこまで強い能力だったのは、正直兄ちゃんも驚いてる。七不思議を順番に解決していくうちに、桂木君の助けになるくらいに成長してくれればいいか、くらいに思ってたけど、たった三回であれだけの力を引き出せるようになったんだから。七不思議の後半は、賢が紫雷炎を出すまでもなく解決することが多くなってしまって、それはちょっと誤算だったけどね」
言いながら優耶は苦笑する。
「何度か死にかけたし、笑いごとじゃないんだけど……」
「そうだね、その点については兄ちゃんが悪かったと思ってる。本当にごめん……真知子君は兄ちゃんに頼まれて賢を誘っただけだから、彼女のことは責めないであげてほしい」
顔を俯け、気落ちした様子で反省する優耶。
「いや、別に責めてはいないよ。最終的にやると決めたのは僕自身だし」
いつもならちょっとした軽口で返してくるところ、しょんぼりとした態度で全面的に謝られてしまい、戸惑ってしまった。そんな僕を見て、優耶は少し真面目な表情になる。
「想定外のことも多かったけど、賢はうまくやってきたよ。最後に出した紫雷炎……あの威力の紫雷炎を当てられれば、それだけで死神を滅することができると思ってる」
「それは買いかぶりすぎじゃないかな……優耶でも勝てなかった相手なんでしょ?」
「いえ」
静かに話を聞いていた寧音が僕の言葉に反応する。
「賢君の紫雷炎は、わたしから見ても規格外だと思います。あの威力の紫雷炎であれば、相手がどんなに強い霊であろうと、滅することはできると思います」
寧音の言葉を聞いて、優耶は大きく頷く。
「最初は賢が桂木君をサポートする形を想定していたけど、今はむしろ賢の紫雷炎を確実に死神に当てるため、桂木君にサポートしてもらう戦い方の方がいいと思ってる」
「わたしもその方がいいと思います」
「ま、兄ちゃんが考えてたのはだいたいこんなところ。この話を聞いてから改めて聞くけど……」
少し間をおいて優耶は続ける。
「賢、死神と戦う気はある?」
「もちろん」
これに関しては、迷う必要はなかった。むしろ話を聞いて、死神と戦う決意がより強固になった。僕の答えを聞いて、優耶は安堵の表情を浮かべる。
「その決意が聞けてよかった。兄ちゃんはもう思い残すことはないよ」
「え?」
まるで、これから消えてしまうような台詞を言う優耶。
「もう少し色々と話したいところだけど、もう時間がないみたいだ。あとの事は、ここにいる桂木君に聞くといいよ」
言いながら、優耶の姿がすっと浮かび上がっていく。
「ちょ、ちょっと待って。まさか優耶、今ここで消えちゃうの!?」
「ごめんな。できれば賢が死神を倒すところまで見届けたかったけど、もう時間切れみたいだ……」
「そ、そんな……」
優耶が死んでしまった後も、当たり前のように会話できていた日々。
その終わりの日が、こんなにあっさり来るなんて。
「優耶、ズルいよ、それならもっと早く言ってくれれば……」
もっと、たくさん話したいことはあった気がする。なんとなく、ずっといつまでも優耶は僕の側で語り掛けてくれる……そんな気がしてた。
「賢……最後に大変な仕事を押し付けてごめん」
「そんな……謝らなくていいから、最後まで側にいてよ!」
「ははっ、賢は甘えん坊だな」
優耶の姿が、刻一刻と薄くなっていく。
「死神退治、必ず成し遂げてな」
「優耶……優耶兄ちゃん! 分かったよ、死神は必ず、倒してみせるから!」
「頼もしいな……ありがとう」
最後にお礼の言葉を残すと、穏やかに微笑んで、優耶の姿は夕方の空に消えていった。
「優耶……兄ちゃん……」
生前は言えなかった。死んでからも、今の今まで、言えなかった。
最後、本当にお別れだと思ったら、自然と兄ちゃんという言葉が口から出てきていた。
こんなことなら、もっと早くに、きちんと呼んであげればよかった。
優耶の最期の微笑みが、頭から離れなかった。
……
…
「優耶さん、最後の日だけは、賢君ときちんと話したいって、生前から言ってて……」
フェンスに指をかけながら、寧音は沈んでいく夕日を見つめる。
「姿は見えませんでしたが、賢君の側にいる優耶さんの存在は、何となく感じてました。いわゆる守護霊のような形で、賢君を護ってくれてるんだなって。でも、今日は優耶さんの気配がとても弱くなっているのを感じて……今日がおそらく最後の日なんだろうなって思いました」
寧音は僕の方に向き直る。
「お兄さんのこと、ずっと黙ってて……わたしの力不足のせいで、死神退治に賢君を巻き込む形になってしまって、本当にごめんなさい」
そう言って寧音は僕に向かって頭を下げた。
「いや、寧音が謝ることはないよ。優耶にも言ったけど、最終的に選択したのは僕自身だし」
「……ありがとうございます」
寧音は顔を上げると、肩の荷が下りたような安堵の表情を浮かべた。
「それにしても、この学園の七不思議って結局何だったんだろうね」
ずっと引っ掛かっていることだった。どうしてこの学園にこんなに怪異が多いのか。
「それはわたしも気になって保科先生に聞いてみたのですが、十三段目の死神とは別に、今年になってからこの学園には心霊現象が多発してたらしいんです。それこそ七不思議では足りないくらい」
「今年になってから? どうして……」
「七不思議の六つ目、マラソンランナーの霊の影響らしいです。この霊自体は無害なのですが、この霊が駆け回ることにより、学園中のあちこちに霊的な歪みが出ていたみたいで……その大半は保科先生と幸恵さんが対処していたみたいですが」
「そうだったんだ。でも、どうして今年だけ? 去年は?」
「理由は分かりませんが、このマラソンランナーの霊自体が三十六年に一度しか出てこないみたいなんです。だから、七不思議は昭和六年、昭和四十二年、そして今年平成十五年、と三十六年周期で発生してるみたいです」
そういえば、新聞部の資料を見てた時、寧音は年代を気にしていたな。
「三十六年周期か。目指してたマラソン大会が第三十六回だったとか、そんなのだったりして」
「……そうですね、その可能性はあるかも知れません」
適当に当てずっぽうで言った内容だったが、寧音は真面目に頷きながら答える。
「霊のこだわりというのは、よく分からないことも多いですから……日付や時刻、一見関係なさそうな数字に連動して何かしらの行動を起こしているということも、珍しくはありません」
「そういうものなんだね」
心霊現象に関しては、未だによく分からないことの方が多いな。
「そういえば、寧音は転校してくる前から僕や真知子のことを知ってたの?」
僕が聞くと、寧音は小さく首を振る。
「いえ、優耶さんから聞いていたのは賢君のことだけで、学園七不思議とか真知子ちゃんについては何も聞いていなくて」
「そうだったんだ」
おそらく優耶は、寧音と話をまとめ、青森から戻った後で真知子と七不思議の計画を立てたんだろう。僕と寧音が七不思議を解決する過程で、最終的には死神を倒せるくらいに成長できるよう、うまくお膳立てしてくれていたわけだ。
「賢君の霊能力を開花させるにはどうしたらいいかなって思っていたら、初日に真知子ちゃんから七不思議調査に誘われたので、その流れに便乗させてもらいました。ちょっとだけ、楽しそうでもありましたしね」
そう言って笑った寧音の笑顔は、悪霊に立ち向かう果敢な霊能者ではなく、一人の普通の女の子の笑顔だった。
「賢君は七不思議の調査、楽しくありませんでした?」
寧音は目を輝かせながら、興味深そうに僕の顔を覗き込む。
「んー……毎回必死で、楽しむ余裕なんてなかったかな」
「ふふっ、でしょうね」
寧音は予想通りといった面持ちで、楽しそうに言った。
「寧音は楽しかったの?」
「わたしは、そうですね……ピンチだったり危ない時も確かにあったけど……」
頬に指を添えて考える仕草をする。
「みんなで集まって待機してる時とか、保健室で作戦会議をした時とか、あとマラソンランナーの霊の願いを叶えてあげた時とか……」
一つ一つ、思い出すようにしながら言う。
「割と、楽しいことも多かったと思います」
寧音は満面の笑顔で言い切った。
「寧音は前向きだなぁ、僕も見習わないと」
僕も思わず笑ってしまった。
「賢君……死神、必ず倒しましょうね」
僕のことを正面から見つめ、寧音は言った。
「うん、必ず」
既に日は沈み、町にはぽつりぽつりと明かりが灯り始めていた。