■3■ 10月11日(土) 昼下がり
保健室を出た後、僕は真知子と寧音の姿を探していた。保科先生に言われたこともあり、二人のどちらかから話を聞ければいいと思ったのだが、寧音は委員会活動中であり、真知子は行き先知れずだった。
「ねぇ、優耶」
優耶に話しかけても返事はない。保健室を出てから、優耶の声は完全に聞こえなくなってしまっていた。しかし、僕の近くにいる気配はある。たまたま今日だけ、調子が悪いってことならいいんだけど……。
「真知子、どこにいるんだろうな」
寧音から話を聞けるのは委員会が終わってからになりそうだったので、先に真知子の姿を探す。荷物は置いたままだったから、まだ学園内にはいるはずだ。新校舎を一通り回り、三階まで来たが、真知子の姿はなかった。
「図書室の女の子の霊、出なかったね」
「やっぱりただの噂だよー」
そんな会話をしながら通り過ぎていく生徒達とすれ違う。
「ここ、屋上へ通じる階段の十三段目を踏んだものは、死神に魅入られる……」
不意に、真知子が語った七不思議の場面がフラッシュバックした。学園に広まっている七つ目の怪談は図書室の霊。でも、真知子が語った七不思議の七つ目は、この屋上階段の死神だった。
(この階段か。あれっ、でも死神のいる屋上への階段は、封鎖してあるって言ってなかったっけ……?)
三階にはいくつか階段があるが、屋上へ通じてるのは旧校舎と新校舎、それぞれ一つずつあるだけだ。真知子があの時七不思議を語ってくれた場所……新校舎の階段は、封鎖されているということもなく、あの時と変わらぬ静けさで目の前にあった。
「……」
僕は無言で階段を上り始める。
(一、二、三……)
踊り場に着くまでの段数は十二段だった。ここからさらに屋上まで、また十二段あるはずだ。
(一、二、三……)
ゆっくりと階段を上がっていく。
(七、八、九……)
心臓の鼓動が高くなる。
(……十一、十二)
階段は十二段だった。大きな安堵と共にため息が出る。
「気晴らしに、屋上にでも行ってみるか」
外開きの扉をゆっくりと開けて屋上に出ると、午後の穏やかな日差しが全身を包んだ。僕は静かに丁寧にドアを閉める。
「……ですから、脇が甘すぎます。サイコメトリーは人前で使わないようにといつも言ってるのに、真知子先輩はみんなの前で……」
ドアを閉め終わると、建物の陰になってる場所から人の声がした。
(真知子先輩……?)
思わず、さっと身を潜めてしまう。
「さっちゃんは相変わらず手厳しいねー。あの霊が持ってたお人形さんを通して、ちょっとだけ過去の出来事を見ただけだよ。保健室では誰も気づいてなかったし、大丈夫大丈夫」
真知子の声だ。こんなところにいたのか。
「ですから、私のことは幸恵と呼んでくださいと……いえ、今はそれより真知子先輩のことですね」
呆れたようにため息をつくのが、こちらまで聞こえてきた。
どうやら、真知子と幸恵ちゃんがいるらしい。珍しい組み合わせだな。
「えっとねー、さっちゃんが昔みたいにマーちゃんって呼んでくれたら、私も幸恵ちゃんって呼んであげるよ」
「……いえ、結構です。真知子先輩と呼ばせていただきます」
なんだか盗み聞きする形になってしまったが、なんだか今更出るにも出にくくなってきたな……。
それにしても、随分と親しげだな。前回、保健室の七不思議の時に一緒になった時は、真知子が幸恵ちゃんを怒らせてしまったが……あ、いや、あれは怒ってなかったんだったか。それはともかく、今の二人も少し揉めてるみたいだ。
「ケチ。学年は違っても誕生日は一ヶ月しか違わないんだから、気にすることなんてないのに」
「いえ、これは学校という場における、一つのけじめですから」
誕生日が一ヶ月しか違わないのか。真知子の誕生日は遅生まれの三月だから、幸恵ちゃんは四月生まれで学年が一つ下になってしまったってことかな。
「さっちゃんはお堅いねぇ」
「そんなことより真知子先輩のことです」
「おやおや、賢い鷹が飛んでるみたいだねー」
「……っ!」
真知子が言うと、幸恵ちゃんは言葉を詰まらせる。
何かあったのだろうか?
「……それでは最後に真知子先輩、もう一度だけ言います。死神と戦うのはやめましょう。危険すぎます」
「いつも心配ありがとうね」
鋭く厳しく言う幸恵ちゃんに対して、真知子は優しく穏やかな口調で返す。
「でも、これは優耶さんの敵討ちでもあるから……それに、今の賢ならきっと大丈夫だと思う」
真知子の口から優耶の名前が出て驚く。
(優耶の敵討ち……?)
「春日先輩ですか……正直、頼りになりませんね。いつも能天気な顔してヘラヘラしてますし」
「そんなことないよー、確かに普段の賢はダメダメだし頼りないところもあるけど、やる時はやるんだよ、多分」
僕がいないと思って、幸恵ちゃんも真知子も好き勝手言ってくれてるな……。
「……どうしても、戦うと?」
「戦うよ。とは言え、最終的には賢と寧音ちゃんの意向次第にはなっちゃうけどね」
「最後まで忠告しましたからね。私……もう、知りませんから」
「うん。幸恵ちゃんの忠告、きいてあげられなくてゴメンね」
「真知子先輩……」
しばらく沈黙が流れる。
「さぁて、鷹の目も気になるから、退散しーようっと」
突然そう言うと、こちらに近づいてくる足音が聞こえる。
(や、やば……!)
慌てて建物の陰に隠れる。
「それじゃあ、さっちゃん、またね!」
そう言うと、真知子は出入口の扉を開けて、タッタッと中に入っていった。
どうやら、真知子には気付かれずに済んだみたいだ。
「……気付かれてますよ、春日先輩」
「ぅわっ!」
安心したところに声をかけられ、思わず飛びのいてしまう。いつの間にか、幸恵ちゃんがすぐ側に立っていた。
「盗み聞きとは感心しませんね」
「今たまたま通りかかって……なんて言い訳は……」
「通じません」
表情一つ変えずにきっぱりと言い切る幸恵ちゃん。
「相変わらず手厳しいことで……」
僕の言葉を聞くと、幸恵ちゃんは小さくため息をつき、左右にゆらりと体を揺らした。
「春日先輩。今、お時間よろしいですか?」
「う、うん……」
幸恵ちゃんは先ほどまで真知子と話していたであろう場所に僕を誘導する。電車の座席のようになっている段差があり、そこまで行くと、丁寧な仕草で腰を下ろした。
「先輩も、こちらにどうぞ」
自分の隣に軽く手を添えて幸恵ちゃんは言う。促されるままに僕は隣に座った。
「真知子先輩との会話を聞いていたのでしたら、私が春日先輩に言いたいこと、分かりますよね?」
「うん。でも、僕もここでやめるわけにはいかないよ」
「真知子先輩も春日先輩も、本当に……」
僕の答えは予想していたのか、それ以上食い下がることもなく、幸恵ちゃんはどこか寂しそうに青空を見上げた。
「幸恵ちゃんは死神のこと、何か知ってるの?」
「死神……」
幸恵ちゃんは見上げていた顔を下ろすとやや俯き、うっすらと半分目を閉じる。
「今この学校にいる死神……通称十三段目の死神は、各地の学校を転々とする悪霊の一つです」
無表情のまま、幸恵ちゃんは語り始める。
「西洋から持ち込まれた一枚の絵画に悪霊が宿り、具象化した存在とされていますが、真偽の程は定かではありません。屋上へ通じる階段の十三段目を住処として、そこへ踏み入った生徒を殺めて魂を奪う、極めて凶悪な存在です」
「そんな危険な悪霊が、この学校に?」
「ええ。あの死神がこの学園に来たのは今年の七月。幸い、この学園の生徒にはまだ犠牲者が出ていませんが……」
そこで言葉を止めると、幸恵ちゃんは僕の方に顔を向け、少し目を見開く。
「春日優耶という方は、もしかして先輩の関係者ですか?」
「うん。僕の双子の兄だよ」
「兄……そうでしたか」
そう言っていつもの無表情に戻る幸恵ちゃんだったが、その瞳にはやや悲しみの色が滲んでいた。
「この死神の除霊にあたった霊能者が一人、命を落としています」
「それって……」
「はい。それが春日優耶……霊能者の界隈では世界的に有名だった、優秀な霊能力者の一人です。彼の拠点は海外でしたし、私は噂を聞いたことがあるだけで、直接会ったことはありませんでしたが……その様子だと、お兄さんが死神に挑んだことはご存知なかったみたいですね」
「うん……」
優耶が、まさか死神に殺されていただなんて。
「春日先輩と真知子先輩は幼馴染なんですよね。真知子先輩と優耶さんは親しかったんですか?」
「幼い頃はよく一緒に遊んでたよ。優耶はその後、海外に行っちゃったけど」
「ありがとうございます。真知子先輩が敵討ちと言っていた意味が、ようやく分かりました」
幸恵ちゃんは腑に落ちたように小さく頷く。そして真面目な表情になると、僕の方に向き直った。
「春日先輩。改めて聞きますが、本当に死神と戦うんですか? 春日先輩のお兄さんでも命を落とすくらいの危険な相手ですよ?」
「それは……」
実のころ、優耶の霊能者としての側面を、僕はまったくと言っていいほど知らない。霊感があり、いくつか心霊現象を解決したことがある……せいぜいその程度のことしか知らなかった。
でも、優耶の霊能者としての実力や知名度は、僕が思っていたよりもずっとずっと高いようだった。
(そんな優耶でも勝てなかった相手。でも……)
「それでも、僕はやるよ」
「答えは変わりませんか」
すーっと息を吐き出し、幸恵ちゃんの雰囲気が少し和らぐ。説得は諦めたみたいだった。
「何度も忠告してくれてるのに、ゴメンね」
「いえ、お構いなく。ただ、私は桂木先輩みたいに強い霊感も霊能力もありませんし、死神に立ち向かう勇気も持てないので、お手伝いはできませんが」
「うん、構わないよ。無事を祈って待ってて」
「……はい」
数秒の沈黙。その後、幸恵ちゃんはまっすぐ遠くの町並みに視線を飛ばした。
「十三段目の死神は、今まで先輩たちが解決してきた七不思議のどの霊よりも桁違いに強くて凶悪です。ゆめゆめ油断しないでください」
幸恵ちゃんは僕の方を見ずに淡々と言う。その横顔からは、うまく感情が読み取れなかった。
「それでは、私はそろそろ失礼します」
そう言って、幸恵ちゃんは静かに立ち上がり、歩き出した。
「あっ!」
「何か?」
僕の言葉に、幸恵ちゃんは歩みを止めて振り向く。
「最後に聞きたいんだけど……僕が盗み聞きしてたの、真知子も気付いてたって本当?」
僕が聞くと、幸恵ちゃんは少し視線を上向けて軽く頷き、僕に向き直る。
「はい。真知子先輩が言ってた『鷹』や『鷹の目』というのは、私と真知子先輩の間で昔使ってたお遊び隠語で、盗み聞きしてる人のことを指すんです。賢い鷹と言っていたので、春日先輩ってことも分かってたみたいですよ」
賢い鷹……僕の賢という名前からとったわけか。
そういえば昔、僕と真知子の間でも、二人だけにしか通じない暗号でやりとりして遊んでたことがあったな。
「他に、何か聞いておきたいことはありますか?」
「いや、ありがとう」
「それでは、失礼します」
パンパンッとスカートの前側をはたいて一礼すると、幸恵ちゃんは屋上から去っていった。
「優耶、聞こえてる?」
朝からずっと会話ができずにいる優耶に語りかける。今も、側にいる優耶の気配は感じる。でも、優耶からの返事は返ってこなかった。
(幸恵ちゃんの話……)
さっき話してもらった内容を頭の中で思い返す。
(十三段目の死神は、今まで以上に気を引き締めていかないといけないな……)