■2■ 10月10日(金) 作戦会議
「残る七不思議も残り二つね」
先日と同じく、コの字型に並んだソファに座り、真知子が口を開いた。真知子と幸恵ちゃん、僕と和十、保科先生と寧音がそれぞれ隣り合って座る形になる。
「先生としては、あまり危険なことには関わってほしくないのだけれど……」
保科先生は、少し歯切れ悪く言う。今回僕たちに頼ってしまった手前、幸恵ちゃんみたいに強く関わるなとも言えないのだろう。
「真理先生、もっと強く厳しく注意なさってもいいと思います」
言葉こそ丁寧だったが、幸恵ちゃんの言葉はいつもながら辛辣だった。
「そうなんだけどねー」
保科先生は誤魔化すように軽く笑った。
「それはさて置き、次の七不思議の話だよ」
さて置くなとツッコミを入れられそうだが、真知子はどんどん話を進める。
「花園学園七不思議6……陸上部の部室で奇妙なラップ音がする……どうやって解決しよっか」
「ラップ音ねぇ……つーか、そもそもラップ音って何だ?」
「ラップ音というのは、建物内において通常では起こらない奇妙な音の総称だよ」
真知子がスラスラと説明する。
「単に建物がひずんでるだけって場合も多いんだけどね。追加で調べた情報によると、ラップ音に加えて校内を走り回るマラソンランナーみたいな幽霊が現れるらしいよ」
「ラップ音と走り回るって……それだけ?」
今まで経験してきた七不思議に比べるとインパクトがないのだろう。和十は拍子抜けしたように言った。というか、今までが異常すぎた。
「ええ、それだけ」
「そんなぁー……」
和十は落胆したように言う。
「もっとさぁ、砲丸投げの選手の霊で砲丸を当たり構わず投げ散らかすとかさぁ、短距離の選手の霊であまりのスピードに周辺にかまいたちが起こるとかさぁ、そういう派手な霊じゃねーの?」
「和十、君は一体どんな思考回路をしてるんだ」
一応僕からツッコミを入れてあげた。
「危険なことが起こらないに越したことはないじゃないですか」
寧音は和十の言葉に笑いをこぼしながら言った。
「でも……走るだけの霊ってことなら、何とかなるかもしんねーな」
「ほんと?」
真知子が身を乗り出して和十に聞き返す。
「あぁ。俺の従兄弟に茨城の国立大学に通ってる人がいるんだけどな。その人の寮でもマラソンランナーの霊が出て、それを解決したって話を聞いた事がある」
「うんうん。それで、どうやって?」
「それはだな……聞いてない」
「和十ったら、肝心なところで役に立たないのねぇ」
呆れ顔で大きくため息をつく真知子。
「そう言うなって。ちょっと待ってろ、今聞いてきてやっから」
言いながら和十は保健室のカーテンの裏に行く。どうやら携帯で電話しに行ったようだ。
「先生、ここはどうか見なかったことに……」
真知子が保科先生に向かって言う。
「そうね。一応持ち込みは禁止されているのだけれど、見なかったことにしてあげるわ」
話が分かってくれる先生でよかった。
「……」
「……」
「……」
和十が電話から戻ってくるまでの間、しばしの沈黙が流れる。
「そういえば、寧音ちゃんが唱えてたあの呪文みたいなのって何?」
「呪文、ですか?」
真知子の言葉に寧音が聞き返す。
「そうそう。あの……りん、こ、とう、ろう、ぐ、げん、そつ、とう、ぜ? みたいなの」
寧音が白服の女を倒す時に、そんな呪文を唱えていたのを思い出す。真知子、一度聞いただけなのによく全部覚えてるな。
「あ、あれですか」
真知子の言葉を聞いて、寧音が小さく頷く。
「あれはいわゆる早九字を自分仕様にアレンジしたものです」
「早九字って、あの臨兵闘者ーってやつ?」
真知子はますます興味を持ったみたいで、少し身を乗り出す。
「それです。九字の意味や解釈は宗派によって細かな違いがあるのですが、わたしの場合は使役できる霊が既にいるので、その子達に呼びかけるような九字に改変してるんです」
「え、霊を使役してるの!?」
真知子が驚いて聞く。
「厳密に言いますと、加護してもらっている神様がいて、その神様からお借りした使者がいますね」
「……えと、どういうこと?」
真知子がきょとんとした表情を浮かべる。
「わたしの家系は、父方がキツネを、母方がオオカミを神として奉ってきた神社なんです。幼い頃にわたしは狐と狼、両方の神の加護を受けていて、その加護の恩恵として、それぞれの使者をお借りしています」
「へーー……なんかすごいね」
真知子は感心して言った。
「そういえば、幸恵ちゃんも霊能者なの?」
寧音の話が一段落したところで、僕はずっと気になってたことを幸恵ちゃんに聞いてみる。
「……詮索するようなら、私帰ります」
急に話題を振られて、ずっと大人しくしていた幸恵ちゃんは即座に席を立とうとする。
「まーまー、もうちょっと一緒に話そうよ。みんなさっちゃんのことも気になってるんだよ。もっと自分のことをいろいろ話してもいいと思うよ?」
幸恵ちゃんが立ち上がるより先に、真知子が幸恵ちゃんの手首を捉えて引き留める。
あの幸恵ちゃんに対して、さっちゃんとあだ名までつけてグイグイいく真知子……恐るべし。
「そんなに気になるのでしたら、私がいない時に、どうぞ好きなようにお話ししてください。それに関しては、私は何を話されても文句は言いませんし、関与もしませんので。真知子先輩、真理先生、それでよろしいでしょうか?」
淡々と語ると、幸恵ちゃんは保科先生に目を向ける。
「えーっ……」
「ええ、構わないわ」
声も表情も不満気な真知子と、軽く微笑んですんなりとOKを出す保科先生……二人の反応は対照的だった。
「それでは……」
言いながら幸恵ちゃんは真知子の手を柔らかに振りほどく。
「明日の七不思議に関しても私は無関係なので、これで失礼します」
そう言ってスカートの前側をパンパンと手で払うと恭しく一礼し、そのまま保健室から出ていってしまった。
「これは、怒らせてしまったかな」
僕が言うと、保科先生はふるふると首を振り、困ったような笑みを浮かべた。
「幸恵さんのこと、悪く思わないであげてね。むしろ、あれで怒ってるならまだ分かりやすいと言うか……」
保科先生は、続く言葉を少しためらう。
「どういうことです?」
「……幸恵さんは、あれが素なのよ。不愛想に突き放した感じで、怒っているように受け取ってしまう人も多いのだけど、幸恵さんとしてはまったく怒ってるわけではないの。だから、クラスにもなかなか馴染めなくてね」
僕たちは黙って保科先生の話を聞く。
幸恵ちゃんが本当に怒ってる時か……あぁ、和十にアンタ呼びされた時だな。あれは本気で怒ってたと思う。その時と比べると、確かに先ほどの様子は淡々と落ち着き払っていたし、別段怒っているわけではないのかも知れない。
「奇妙な縁ではあるけど、せっかくこうして関わることになったのも何かの縁だと思うから、嫌わないであげてね」
「……はい」
クラスでもあの調子なら、確かに浮いてしまうだろうな。
「そうそう、春日君が気になってたことだけど」
場に流れる重い雰囲気を何とかしようと思ったのか、保科先生が声のトーンを上げて明るく言う。
「幸恵さんが霊能者かどうかって話でよかったかしら?」
「あ、はい。でも聞いてしまって大丈夫ですか?」
詮索されるの、かなり嫌がってたけど……。
「大丈夫よ。幸恵さんの言葉を意訳すると、自分の口からは説明しないから、先生からみんなに話しておいてね、よろしく♪ って意味だから」
保科先生は『よろしく』の部分を可愛らしく誇張して言った。
(ちょっと好意的に解釈しすぎな気もするけど……)
それにしても、保科先生は幸恵ちゃんの事をよく理解してるんだな。
「それで、幸恵さんの霊能力の話ね」
話を仕切り直して、保科先生は続ける。
「彼女は、いわゆる符術士の家系なの」
「ふじゅつし?」
聞き慣れない言葉だな。
「そう。霊符……つまり護符のことね、それを使って悪霊の類を退ける人のことよ」
「なるほど」
そういえば、幸恵ちゃんが護符を飛ばしてるところは何度も見ているが、護符以外で戦ってるところは見たことないな。
「幸恵さん自身はそこまで強い霊感や霊能力を持っているわけではないのだけど、符術士としてはとっても優秀よ」
「符術士……護符って、誰でも使えるものじゃないんですか?」
今回、僕は護符を壁に張り付ける予定だったけど……。
「そうね……使える護符もあれば、使えない護符もあるわね。符術に関しては、わたしもそこまで詳しくないのだけど……」
保科先生は少し語尾を濁らせ、寧音に視線を向ける。
「はい。作る段階で霊力を込められ、霊力がない人でも使えるように設計された霊符でしたら誰でも扱えます。でも悪霊と戦う時に使うような代物となると、使用者が霊力を込める必要があるので、幸恵さん以外の人が使うのは難しいでしょうね」
保科先生の説明を寧音が引き継ぐ。
「そうなの?」
僕が聞くと、寧音は小さく頷いた。
「符術というのは、とても繊細な霊力の練り方が必要なんです」
「と言うと……?」
「器用さと言うとイメージしやすいでしょうか。符術に必要なのは、単純な霊力の大きさではなく、霊力を扱う器用さの方なんです」
「それじゃあ、寧音も使えないの?」
「おそらく無理ですね。霊符というのは、例えるなら電気製品のようなものなんです。内蔵された電池で動く製品なら事前に電池を入れておけば誰でも使えますが、強い出力が必要な製品は、外部から適切な電力を供給しないと使えません。この電力にあたるのが、いわゆる霊力です」
「うん」
寧音は僕の理解度を確認し、説明を続ける。
「霊符の種類によって必要とされる霊力の質や量も異なってくるので、幸恵さんが霊と戦う時に使っているような強力な霊符は、霊力の質と量を微調整しながら霊符に注ぐ必要があります。質が合ってなかったり供給量が多すぎたりすると、その霊符は使えなくなってしまいます」
「そういうものなんだねぇ」
寧音の説明で、なんとなくは理解できた。
「それにしても、寧音は符術に詳しいんだね」
「実はわたし、子供の頃に符術士を目指してたことがありまして」
僕の言葉に、寧音は少し恥ずかしそうに俯いて笑った。
「そうなの?」
今度は真知子が興味を示し、身を乗り出して聞く。
「ええ。結局、わたしには才能がなくて諦めましたが……その時に祖母から教えてもらった符術の基本が、先ほどお話しした内容です」
「そっかぁ。さっちゃんは簡単そうにバンバン投げてるけど、実は結構難しいことしてたんだね」
真知子が感心した面持ちで言ったその時、ちょうど電話を終えた和十がカーテンの後ろから姿を現した。
「お待たせーっと。おやっ、幸恵ちゃんは帰っちまったのか?」
足取り軽く上機嫌で戻ってきた和十は、そのまま僕の隣にストンと座った。
「うん、幸恵ちゃんは一足先に帰ったよ。それで、どうだった?」
僕が尋ねると、和十は自信ありげに胸を張った。
「従兄弟から詳しく話を聞くことができたぜ」
「それじゃあ明日に向けての作戦会議、始めましょう!」
真知子が意気揚々と宣言する。その後、僕達は十分程度の作戦会議をしてから解散したのだった。