■1■ 10月1日(水) 桂木寧音
青山真知子は、踊り場から屋上へ続く階段をゆっくりと上り始めた。
「花園学園七不思議1……誰もいないはずのプールで水をかきわける音がする」
「花園学園七不思議2……生物室の人体模型が人知れず動き出す」
「花園学園七不思議3……音楽室のピアノが勝手に鳴り、最後まで曲を聞いたものは、死ぬ」
「花園学園七不思議4……三階へ通じる踊り場の鏡の中の世界を垣間見ると、鏡の中に閉じ込められる」
「花園学園七不思議5……誰も寝ていないはずの保健室のベッドに寝ている人物がいる」
「花園学園七不思議6……陸上部の部室で奇妙なラップ音がする」
「そして、花園学園七不思議7……」
階段を上り終えると、真知子の動きが止まった。そして、ふんわりと柔らかな動きで振り返ると、静かに冷たく、僕らのいる階下を見下ろした……。
その日は、転校生が来ていた。一見すると可憐な美少女。黒く艶のある長い髪、綺麗に整った目鼻立ち、そして利発そうな雰囲気を纏う少女。穏やかで優しそうな目元とは裏腹に、瞳の奥にはどこか冷たく物事を見据える鋭さを感じる。廊下側から数えて二列目、一番前の席にいる僕には、その転校生の雰囲気がよく伝わってきた。
「桂木寧音です。青森県、京神高校から来ました」
静かに、しかし隅々までまっすぐ届く張りのある声が教室に響く。転校生が来るということで少し前まで騒がしかった教室だが、みんな入ってきた転校生に目を奪われ、言葉を失ってしまっているようだった。
「みなさん、どうぞよろしくお願い致します」
丁寧にお辞儀をしたその子は、クラスを一通り見回す。僕と目が合うと、一瞬探し物を見つけたような顔になったが、すぐに元の表情に戻る。
「ねえねえ優耶、今あの子、こっちを見てなかった?」
僕は小さな声で優耶に聞いた。
「賢は自意識過剰だよ」
頭の中に声が響く。僕だけに聞こえる声だ。この声の主、優耶は僕の頭の中に住んでいる幽霊だ。僕と優耶は双子だけど、二卵性双生児なので、外見はまったく似ていない。その優耶の姿は見えないのに、声だけが聞こえる、本当に奇妙な幽霊生活を一ヶ月近く続けていた。
……
…
転校生の話題が持ち込まれたのは、朝のHRが始まる少し前のことだった。
「おはよう、みんな聞いて! 今日、あの青森の名門、京神高校から転校生が来るんだって!」
肩までかかる明るい栗色の髪を弾ませ、教室に入ってくるなり開口一番そう言い放ったのは青山真知子。幼稚園からの幼馴染だ。その一言が引き金になって、クラス中が大騒ぎになった。
『どんな子?』『可愛い女子だといいなー』といった会話があちこちから聞こえてくる。
「転校生、どんな人なんだろうね?」
優耶に話しかけたつもりだったが、耳ざとく聞きつけた真知子が反応する。
「えーっとね、喜べ、賢その他の男子諸君! とっても可愛い女の子だ!」
「おおぉーっ!」
「よしきたっ!」
真知子の言葉を聞いて、クラスの男子の声が俄然熱を帯びる。
「賢、どんな子なのか楽しみだな!」
窓際の席からわざわざ僕の席までやってきて言ったのは竜崎和十だった。スポーツ刈りにした見た目の通りサッパリした性格であり、真知子と同じく幼稚園からの幼馴染である。僕と真知子と数十の三人は、今に至るまでずっと続いている腐れ縁だ。
「うん、楽しみではあるね」
和十の言葉に軽く同意する。真知子を見ると、クラスの熱気を後目に、いつの間にか静かに自分の席に戻っていた。
「?」
真知子は少し神妙な顔つきで頬杖をついている。いつもの真知子なら、転校生の少し突っ込んだプロフィールまで調べた上で、みんなに披露するところだ。しかし、今回はそれがなく、可愛い子以上の情報はなかった。
「真知子、転校生の情報ってそれだけ?」
僕から見て右の斜め後ろに座っているる真知子に話しかける。
「えっ、あー……うん。今回はちょっと色々あってね」
ズレかけた眼鏡を両手の指で丁寧に支えながら、真知子はばつが悪そうに苦笑する。どうやらあまり触れられたくない話題らしい。
(これ以上聞くのは野暮、か)
僕はそれ以上聞くのをやめて、正面へと向き直る。可愛い転校生がやってくる……その浮ついたクラスの喧騒は、彼女が教室に入ってくるその時まで続いたのだった。
……
…
「桂木の席は……」
野太い声がクラスに響く。自己紹介も終わり、担任の先生がが後ろの方を見てそう言った時、桂木寧音が言葉を遮った。
「わたし、あまり目がよくないので前の方……この辺りにしていただけませんか?」
転校生の綺麗な指が僕の机の前を指さす。
「そうか。それじゃ、ここの列一つずつ下がって」
先生の言葉に促されて、僕の列が一斉に机を後ろに動かしていく。元々一番前の席だった僕は前から二番目に下がることになった。一つ下がったことによって、僕の席は真知子の隣になる。
「一番前の特等席を奪ってしまってごめんなさい、春日賢君」
机と椅子を整えた後、そう言って転校生は僕の前の机に座った。
「え……どうして僕の名前を?」
僕がそう言うと、桂木寧音という少女は僕の机の上にあるノートの表紙ををトントンと叩いた。
「あ、そういうこと」
そこには、春日賢、と僕の名前がしっかりと書かれていた。
……
…
「改めて自己紹介するね。私は青山真知子。こっちが春日賢で、こっちが竜崎和十。私達三人は幼馴染なんだ。よろしくね、桂木さん」
昼休み、転校生に学園内の案内をすることになった僕達三人は、廊下を歩きながら話していた。昼休みの食事が終わった後、すかさず世話焼きの真知子が案内を買って出て、今に至る。
「こちらこそよろしくお願いします。あ、桂木ではなくて、寧音でいいですよ。前の学校でもみんなそう呼んでくれていましたから」
「そかそか。んじゃ、寧音ちゃん。ここが職員室で、ここをずっと行った突き当りが家庭科室だよ」
「はい、真知子ちゃん」
昼休みは学園が最も活気付く時間。学園中に賑やかな雰囲気が充満していた。秋の気配漂う十月上旬、窓からは暖かい日差しが差し込んでいた。
僕達は軽い雑談を挟みつつ、転校生に新校舎を一階から順番に案内していった。軽く三階までの案内が終わると、残りは屋上を残すのみとなった。
「でも、この時期に転校してくるなんて珍しいね。元の学校が学校だから、勉強の方はまったく心配ないだろうけど」
屋上の踊り場へと向かう階段を上がりながら、真知子は楽観的に笑った。寧音さんが元いた京神高校と言えば、全国区で名の知れた、超がつく東北の名門校だ。
「親の都合なんです」
そう言って寧音は決まりが悪そうに微笑んだ。
いわゆる転勤族だろうか。
僕が思うや否や、踊り場に差し掛かった真知子がくるっと振り返る。
「そうだ! この四人で、花園学園放課後七不思議調査隊を結成しよう!」
どういう話の流れなのかは分からないが、急に提案してくる真知子。
「まーた真知子は突拍子も無く変なことを言い出しやがったな……やだね」
そう言ってその案をあっけなく却下したのは竜崎和十だった。真知子の唐突な提案はいつものことなので、もう慣れっこだ。
「わたしは、いいと思いますよ」
寧音さんが言った。僕も和十もびっくりして目を見開く。
「寧音さん? 本当にいいの?」
僕は思わず聞き返す。
「寧音、と呼び捨てで構いませんよ」
「えっ、あぁ、うん」
虚を突かれて僕の言葉が少し濁る。
「……寧音、本当にいいの?」
再度、改めて確認する。
「花園学園七不思議、面白そうじゃありませんか」
にっこりと楽しそうに笑うと、寧音はピョンと軽い足取りで真知子のいる踊り場に飛び乗った。
「あー、寧音ちゃんがそう言うならいいけどよ。でも、この学園に七不思議なんてあったか?」
寧音に遅れて踊り場に到着した和十は、訝し気に眉をひそめる。
「それが、あったのよ」
待ってましたと言わんばかりに真知子は嬉しそうに口を開く。
「私、見つけてきたんだから」
最後に僕が踊り場に到達したのを確認すると、真知子は不敵な笑みを浮かべる。
「七不思議……聞きたい?」
「どうせ聞きたくないと言っても話してくるんだろ?」
そう言って和十が小さくため息をつくと、真知子は澄まし顔で「そうね」と軽やかに返し、すーっと表情を消した。同時に、場の雰囲気が凛と張り詰める。
「花園学園七不思議1……誰もいないはずのプールで水をかきわける音がする」
言い始めるのと同時に、真知子は踊り場から屋上へ続く階段をゆっくりと上り始めた。
「花園学園七不思議2……生物室の人体模型が人知れず動き出す」
人差し指を立てて唇の前に添えると、真知子は声のトーンを一段下げる。
「花園学園七不思議3……音楽室のピアノが勝手に鳴り、最後まで曲を聞いたものは、死ぬ」
一段、もう一段……丁寧に上りながら真知子は暗唱を続ける。
「花園学園七不思議4……三階へ通じる踊り場の鏡の中の世界を垣間見ると、鏡の中に閉じ込められる」
一段、もう一段……。
「花園学園七不思議5……誰も寝ていないはずの保健室のベッドに寝ている人物がいる」
一段、もう一段……。
「花園学園七不思議6……陸上部の部室で奇妙なラップ音がする」
残り二段、一段……。
「そして、花園学園七不思議7……」
階段を上り終えると、真知子の動きが止まった。そして、ふんわりと柔らかな動きで振り返ると、静かに冷たく、僕らのいる階下を見下ろした。
「ここ、屋上へ通じる階段の十三段目を踏んだものは、死神に魅入られる……」
「……」
「……」
「……」
真知子が言い終わった時、その場の全員が真知子の異様な雰囲気に呑まれていた。
十三段目……今、目の前にある階段の段数を数える。
(一、二、三……七、八、九……よかった、十二段だ)
何故かホッとしている自分に気づく。七不思議なんて、ただの噂話……最初はそう思った。しかしいつの間にか、真知子の世界に引きずり込まれている自分がいた。
「……なーんてね!」
そう言って真知子がパンッと胸の前で両手を叩くのと同時に、授業開始のチャイムが鳴り始めた。
「あっ、午後の授業が始まっちゃう!」
そう言いながら真知子は階段を駆け下りてくる。
「寧音ちゃん、旧校舎と部室棟の案内はまた放課後ね!」
「は、はい」
真知子は踊り場から三階へと早足で駆け下りていく。僕と同じく真知子の話に引き込まれていた寧音も真知子の後を追った。
「賢も早く来ないと遅れるぞ!」
そう言うと、和十は僕の返答も待たずに駆け出す。その場をすぐに動けなかった僕は、踊り場に一人取り残されてしまった。
「優耶、ここ、何か感じる?」
「いや何も」
「そっか……」
先ほどまで真知子がいた、屋上へ通じる階段を見上げる。何の変哲もない、どこにでもある階段だった。
(死神か……)
言ってからぶんぶんと頭を振る。
「それより優耶、あの桂木寧音って子、何か気にならない?」
気を紛らわせるために、話題を変えることにした。
「寧音って、興味本位で七不思議に首を突っ込むようなタイプには見えないんだけど」
「賢、それは一目惚れか? 春だねぇ」
「……馬鹿」
僕はきびすを返して教室に向かった。