ep.8|モリア家|伯爵家末弟との出会い4
謙吾は『根菜とワイルドボア肉の汁物』に手を伸ばし、一口ずつ食材を確かめながら食べている。
「これは……豚汁…に、近い……かな?」
ゴロゴロと入った肉の、ひと味違うその香り。まるで森の中で焚き火を囲んでいるようなワイルドな魅力。ほんのりとした野性味あふれる香りが湯気と一緒に鼻口をくすぐる。肉の脂が作り出すこの独特のアロマは、コクがありながらもどこか懐かしくて温かい。心地よい香りが口いっぱいに広がり、まさに滋味深い。体の芯までほっと温めてくれる、そんな一杯。
(ご飯がおいしいと、救われるなあ……)
「お! お口に合ったようで何よりだ! うまいよな、ワイルドボア。」
温かい食事とテオの笑顔を前に、謙吾の緊張感も次第に薄れていった。
テオ第四王子と呼ばれるその騎士は、一見すると軽薄な若者のように見えた。しかし、その饒舌な話ぶりの奥には鋭い眼光が光っており、それが酷く魅力的でもあった。
──彼は移動中、謙吾に対してこの土地の概況や行軍の目的について話した。ただその話の最後は独り言のように変わり、自分の領地に生きる民たちのことを語りだしたのだ。
民衆は何に困り、何に喜び、自分はどう貢献したいのか。愛する家族と民、国のために自分は何をしようとしているのか。
この青年は初対面の出自もわからないであろう謙吾に、自分の夢を熱く語り始めたのだ。無邪気に、そして楽しそうに。
テオの言葉には、自分が果たすべき使命に対する確信と、自らの夢を実現させるための決意が滲んでいた。すでにやりたいこと、やるべきことを見つけ、それを熱心に語るテオの姿。それは、この世界に来て間もない、まだ混沌の中にいる謙吾にとって、とても眩しく見えた。
謙吾は新しい自分の「役割」について考えていた。いや、考えさせられていた。
(光の存在は『新しい役割を精一杯生きて』といった。新しい役割ってなんだ? この世界で何をすればいいのか、明日何をすればいいのかもわかんない……けど……少なくとも、この人みたいに、胸を張って生きられたらいいな……)
謙吾は馬に揺られながら、誰にもわからないように小さく、クスリと笑った。
* * *
「──自分が誰なのか思い出せない、剣を振るえた理由もわからない」
謙吾はテオたちに静かに説明した。
焚き火の炎が顔に影を落とし、その影が揺れ動いている。
「自分は異世界から来た超常の存在で、不思議な力を授かったばかりだ」と説明しても、きっとこの青年は受け入れてくれるかもしれない。ただ、周囲の理解を得るのは難しいだろう。
謙吾は適当に、当たり障りのない事情を語り出した。
「──なるほど、わからない、記憶がない、か……精霊にでも見出されたのかなあ?」
テオは軽く肩をすくめながら、謙吾を見つめた。
そんなテオの考察を遮るようにアバスが口を開く
「あの、テオ様、申し上げにくいのですが……」
「なんだ?」
「明日の作戦を前に……記憶のない部外者をこのまま軍に置くのは……」
「つまり、危険だと?」
「はい、我々は明日の作戦成功と、テオ様の安全を確保する責務があります……連携の取れない者を部隊に置いておくことで作戦に懸念が生じます。それに……」
「他国の間者か何かの可能性があるってか?」
「現時点では……」
アバスが最もな懸念を口にし、場の空気が重くなる。謙吾は居心地の悪さを感じながら、視線を泳がせた。
(やっぱり、歓迎なんてされないよな……)
そんな場の空気を無視するようにテオが続ける。
「あの祠に行こうと言い出したのは本当に俺の気まぐれだったから、間者の可能性はないと思うよ。それにケンゴを見つけたときの暖かな光は、邪悪さを感じなかったじゃないか。魔獣もケンゴを敵と見なしていたし……何より変な服着てるし(笑)」
テオの柔らかな物言いに、謙吾は少し困惑しながらもその無邪気さに心が和んだ。
「──とにかく!」
テオの声が夜のキャンプに響く。
「ケンゴの力はすごかった! ここで出会ったのも何かの縁だ。ここでケンゴをリリースするなんて考えられない! 明日の戦闘に積極的に参加させるとは言わない。ただ一緒に行動してもらうだけだから! 最後尾にそっと帯同してもらうだけでいいから!」
テオは子供のようにゴネ出し、強引に周囲を納得させようとしていた。
その場にいたアバスと側近の女性は顔を見合わせ、そして覚悟を決めたような表情を浮かべていた。何かあったら自分たちがなんとかする、そんな決意がその瞳に宿っているようだった。
「わかりました。わからないことしかないですが……でも、いいでしょう。もう何を言っても聞いてくれなさそうですし」
側近の女性が静かに言った。
「ジャクレインを一撃で倒すなんて、鬼族の伝説の傭兵みたいな話ですもんね。ケンゴさんが倒してくれなかったら、テオ様たちも危なかったわけですし……」
「そう! 俺たちはすでに一度、ケンゴに助けられているんだ! だから従軍に問題なし! 不安なし!」
テオは満面の笑みで言い切った。まるで大発見をしたかのように、周囲を納得させるための結論を導いてみせた。その言葉の力強さに、最後は全員が押し切られたようだった。
「……わかりました。ただ、テオ様のお近くではなく、アバスとの二人一組で、中央分隊への配備ということで段取りさせてください。ケンゴさんには予備のテントを出しますので、今日はそこでお休みください。そしてテントの前には歩哨を置かせていただきます」
側近の女性、アコシアがテキパキと指示を出し、次々と手配を進めていく。
「ケンゴさんもそれでいいですね?」
「……はい、お願いします」
謙吾はどんどん進んでいく状況に戸惑いながらも、心の中で整理しようと努めた。
それがどこに続いているのか、乗っていいレールなのかはわからない。だが、どうせ、何もわからないのだ。民衆思いの饒舌な為政者が、衣食住を与えてくれ、そして自分に期待してくれている。未知の世界デビューでこんなに恵まれた環境はないだろう。目の前に浮かんだ新しい暖かな予感がするレールに乗ってみるしかないのだ。
──夜空には星々が瞬き、焚き火の炎がゆらゆらと揺れている。森のざわめきと、風の音が心地よいリズムを刻む。
その中で、謙吾は自分の置かれた状況を反芻しながら、少しずつその温もりに身を委ねることにした。テオの言葉と彼の信念、そして周囲の期待が、謙吾の心に新たな決意を芽生えさせる。
「──お言葉に甘えて、今日は心と体を休めさせてもらいます」
謙吾は深い息をついて言った。
その夜、謙吾はアコシアが用意してくれたテントの中で、静かに横たわった。
外の世界のざわめきは遠くに感じられ、彼の心にはひと時の安らぎが訪れていた。未来の不確かさと、己の役割についての不安を抱えている、ただ、今は一時の休息がありがたかった。
新たな環境の中で、明日何が待ち受けているのかは誰にもわからないのだから。
謙吾くん美味しいご飯に出会えてよかったね!
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