ep.6|モリア家|伯爵家末弟との出会い2
深夜の神祠での未知との遭遇は、アバスを好奇心よりも緊張感で包み込んでいた。月明かりに照らされた境内は、不気味なほどの静寂に包まれている。木々のざわめきさえ、この異様な空気に飲み込まれているかのようだ。
(こんな夜に、少年が一人でいるなんて……)
ここは魔獣の被害が甚大な地域。魔族の活動が活発になる満月の夜に、少年が一人でいること自体が異常な光景だった。
衝撃的な出会いの混乱の後、アバスは徐々に平静さを取り戻していった。しかしその警戒心は決して緩むことはない。むしろ、状況が把握できないことへの焦りが、彼の神経を一層研ぎ澄ませていく。
──そんな緊迫した空気の中、少年は静かに紫色の夜空を見上げた。その瞳には、何か深い悲しみのようなものが宿っているように見える。
そして、かすかな声で少年は呟いた。
「……月が、2つある」
──今宵は『鎮りの月』と『神秘の月』が同時に満ちる、特別な夜。
この現象は皇国全土で魔素濃度が上昇し、魔族の動きが活発化することを意味していた。今回の軍事作戦も、この満月の夜を避ける前提で作戦が立てられている。満月の夜は魔族との戦いは極力避ける、それは国民全員の常識であった。
(──やはり魔族の類か……?)
アバスの警戒心は頂点に達した。彼は少年から目を離さず、テオの護衛方針をすぐさま検討する。万が一の事態に備え、いつでも戦えるよう戦闘体制に入った。
月明かりを背にし、片目に不気味な紫色の光を纏う少年。その姿はまるで、異界からの来訪者のようだ。アバスは剣の柄を握り締め直し、緊張を込めて尋ねた。
「ここで……何をしている?」
「──ここは……どこですか? あなた、方は……?」
少年は混乱を浮かべながら、焦点が定まらない様子だ。
(記憶がない……? それとも……?)
アバスの頭の中で疑念が渦巻く。月明かりに照らされた少年の顔には影が落ち、その表情を読み難くしている。しかし、わずかに震える唇と迷いを含んだ瞳を見て、アバスはその困惑が演技ではないと直感した。
「我々はモリア家の騎士だ。お前は──」
──少年への問いかけは、突如として響き渡った爆音に遮られた。神祠の鳥居が轟音とともに崩れ落ちる。
「ジャクレインだ! でかいぞ!」
後方から聞こえる騎士の叫び声は、祠が崩落する音にかき消される。
この地に生息するという巨大な怪鳥、『ジャクレイン』が突如として姿を現したのだ。
特徴的な長い首と頭部にある赤い模様。翼を広げると空を覆い尽くすほどの大きさで、羽ばたくたびに風が唸りを上げ、それはまるで燃え上がる炎のように見える。坑夫たちが最も恐れていた魔獣の一種である。
(──こんな時に限って……!)
アバスは混乱の中、騎士たちに素早く指示を出す。
「総員警戒! テオ様を守れ!」
「すげえ! あれが噂の怪鳥か!」
興奮気味に叫ぶテオをアバスが焦燥と共に遮る。
「テオ様、下がって!」
アバスを中心に、騎士たちはテオを守るようすぐに防戦の円陣を組む。
広場の先では依然として、不可思議な少年が呆然と立ち尽くしている。淡く紫色に光る彼の異様な風貌は物怪の類いとも見え、紫がかった月光の下でその奇妙な存在感を際立たせていた。
(なんなんだあいつは……逃げる気配もない……どうする? 助けるべきか?)
──アバスの思考と躊躇を、巨大な怪鳥の咆哮が遮る。
怪鳥の奇怪な叫び声は夜空に反響し、樹木の間を駆け抜ける。口ばしには無数の牙が並び、まるで鋼の刃のように光っている──そんな怪鳥の影が、月明かりを背に不気味に伸びていく。
(あの目つき……間違いない! 少年を狙っている!)
アバスの思考がさらに加速する。
その目標は明確であり、紫色の光に包まれた少年に固定されていた。翼を激しく打ちながら、その魔獣は地上の獲物に向かって猛突撃を開始する。
「──危ない!」
アバスは咄嗟に叫ぶが、その警告と同時に怪鳥の鋭い鍵爪が少年の右腕に食い込んだ──かに見えたその瞬間、空気が震え、時間が凝固する。
「なん……だと……?」
その信じられない光景にアバスは息をのむ。
──少年はその右腕一つで巨大な怪鳥の突進を止めていた。
(人間業じゃない…!)
立て続けに、更に信じられない光景をアバスは目の当たりにする──少年は軽く腕を振るうだけで、そのまま巨鳥を吹き飛ばして見せたのだ。
怪鳥は空中で何度も回転しながら岩壁に激突し、巨大な羽を紙吹雪のように舞い散らせた。
少年自身も状況を理解できていないのか、自身の右腕を見ながら困惑の表情を浮かべているようにも見える。
(──なんなんだ……こいつは?)
「うおおっ! 信じられねえ!」
テオが興奮して叫ぶ。
「見たか、アバス! あの少年、すげえぞ!」
「テオ様、まだ安全ではありません! 下がって!」
アバスは冷静さを保とうと努める。
(なんなんだこいつは!? 敵なのか!? 味方なのか!?)
アバスは困惑し、全員が立ち尽くす。
騎士たちの思考が停止した一瞬の静寂を破るように、岩壁に激突した怪鳥はよろめきながらも執拗に、再び少年に向かって飛来した。その猛々しい姿勢には、何かに取り憑かれたかのような執念が感じられる。
「──剣を抜け! 鳥を討て!」
突然、テオが自らの剣を鞘ごと少年に投げ渡し、叫んだ。
その声は命令というよりも懇願や願望に近い。
「テオ様! 何を⁈」
アバスの制止を無視し、テオの剣は少年に向かって飛んでいく。
(まさか、あの少年に剣を……!)
──夜の神秘が森全体を覆う中、テオが投げた剣が少年の手元に届く。少年の指先がその剣柄を捕らえ、まるで流れる水のように剣は鞘から滑り出る。その挙動は、混沌の闇夜には場違いな美しさを放った。
剣はその流麗のまま空を切り裂き、怪鳥の体を斜めに横切る一撃が放たれる。
(なんと流麗な……)
その光景にアバスは息を呑む。
──その美しい剣の流れにより怪鳥の体は二分される。その断片からは血飛沫が舞い上がり、広場に再び静寂を生み出した。
戦いが終わり、いつの間にか少年を包んでいた紫色の光も消え去り、周囲は再び平穏を取り戻していた。
「……す、すげええ! 何者だお前⁈」
驚きと畏怖の混じったテオの声が戦場の静寂を破る。
しかし少年は答えず、いや、答えられないように見えた。ただアバスたちを、淡い暗闇の中で見つめ続けていた。その瞳には、この世界の深淵を見据える何か別の力が宿っている、そんなようにも思えた。
(──そうだ……あの時テオ様は、城壁から落ちてしまいそうな雛鳥を助けようとしたんだった)
この信じられない光景を他所に、アバスは遠い昔、テオがわがままを言い出した理由をふと思い出した。
そんなテオは、この不思議な出会いに目を輝かせている。その瞳に好奇心と期待が満たして。一方アバスには、この出会いが不吉なもののように感じられた。
二つの月が織りなす紫がかった光の中、少年の存在は現実と幻想の境界を曖昧にしていく。風が樹々を揺らし、その葉擦れの音が神秘的な調べとなって夜空に響く。未知なる冒険の予感と、漠然とした不安が、この夜の静寂に溶け込んでいった。
気苦労が絶えないアバスはちょっとかわいそうです><
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