ep.53|琵琶売り〼|朗報、琵琶が売れる3
イエドの街に秋の気配が忍び寄る頃、九尾音楽堂は琵琶の音色と共に嬉しい悲鳴を上げていた。
シバツーヤ子爵とヌタマ伯爵家からの大型発注が呼び水となり、貴族や音楽界の大物たちからの注文が急増。店内は紅葉を思わせる熱気に包まれ、活気が琴線を震わせていた。
──だが、この繁盛劇にも影があった。
職人はミコノ一人。その匠の技も、時間という檻に囚われ、月間の琵琶生産数と売上には天井がある。発注が増え、生来の頑張り屋さんであるミコノの手は休む暇もなく動き続ける。朝まだきから夜更けまで、彼女の指先から紡ぎ出される音色は、イエドの街に新たな文化の波を起こそうとしていた。しかし、彼女の瞳の奥にも当然、疲労の色が見え隠れする。
貧困脱却のため、生活安定のためとはいえ、大事なミコノさんの体をブラック企業のように酷使するわけにはいかない! 工房の設備を整えて彼女の負担を軽減する必要がある。これから新たな仕掛けで職人を増やし、売上のキャパシティを拡張していくことも考えなければならない。そのためにも、当座の資金は多ければ多いほどよい。
そこで竜之助は、異世界の風を肌で感じながら、せっせとアルバイトに精を出すことにした。『真実を見抜く目』という特殊能力を携え、オークションや骨董市という宝の山を探検しては、美術商に転売する。そんな錬金術に没頭すること数週間──
「チャヤジさん、また来たぜ!今日も大当たり間違いなしだ!」
竜之助は落ち葉の絨毯を踏みしめながら、いつもの美術商の店に、まるで異世界から舞い降りた福の神のごとく颯爽と入っていった。
「おお、竜之助か。今日の掘り出し物はなんだい?」
美術商の女主人『チャヤジ』は、大柄な体を揺らし目を細めて笑い、竜之助は得意げに包みを開いた。そこには、精巧な細工が施された龍の人形が姿を現した。
「骨董市で見つけたこの『龍の人形』さ! よくできてるだろう?!」
竜之助は、まるで新しいおもちゃを自慢する子供のように、龍の人形を掲げた。 チャヤジは人形を手に取り、熟練の目で細部まで観察する。
「ほうほう、これは、からくり細工『龍の盃』だね。昔に庶民から貴族の間でも人気になった『からくり人形』よ。龍神様をモチーフにした縁起物だ」
竜之助は目を輝かせながら今回も高価買取を期待している。
「ただ……これだけならそんなに高価なものではないんだけど……竜之助が持ちこんだということはひょっとして……」
そう言うとチャヤジはその太い指で竜の背中をいじり始め、まるでヒミツの扉を開けるかのように、竜の背中をそっと開けた。竜之助は目を丸くしてその様子を見つめる。
「へえ……開くんだ? そこ?」
「からくり人形だと言っただろう(笑) ほんとに何も知らないんだねえ」
チャヤジは軽く笑いながら、さらに内部を調べ始めた。突然、彼女の表情が変わった。
「うーんこれはまたすごい! 中のゼンマイに『竜の髭』が使われてるじゃないか!」
「……なんだかすごそうだけど、なんだっけ??」
「また、何もわからずに仕入れてきたのかい? ほんと、その真実を見抜く目とやらは都合がいいこと。まあ見てみろ。このゼンマイを巻いて龍の上に盃を置くとだな」
チャヤジが器用な手つきでゼンマイを巻き、龍の背に小さな盃を乗せると──
「おおお!動き出した!」
竜之助は子供のように目を輝かせた。龍は滑らかな動きで盃を運び、動き始める。
「この滑らかな動きを見てみなさい! まるで龍が空を舞っているようだろう!」
「ほんとだ! すごいすごい!」
竜之助の興奮は頂点に達していた。
「これは高価買取待ったなし!」
チャヤジは興奮する竜之助をよそに更に説明を続ける。
「そして盃を竜から取り上げると……」
「──人形が止まった!」
「面白いだろう? これは宴の席で客人に盃を運んでくれるからくり人形さ。ありがたい龍を模ったモデルが大人気でね。一時期はかなりの量が生産されたんだ。小洒落た宴の席には必ずこの龍のからくり人形があったくらいさ」
チャヤジは更に詳しく解説を始めた。
「普通は、中のゼンマイには『猫の髭』が使われてる。丈夫で粘りもあるから重宝されてるんだ。ただ、いつの世にもマニアというのは度が過ぎていてね。せっかくの龍のあしらいなのであれば、中のゼンマイも龍の髭が使ってみようということで、そんな超一級品が作られたんだ。龍の髭なんて普通は手に入らないからね。この人形は龍の髭が使われた素晴らしいものだよ」
チャヤジは一呼吸置いて、竜之助の目をまっすぐ見た。
「金貨300枚でどうだ」
竜之助の顔に喜色が満ちる。
「そんなに!? やったー! これでまた、工房に追加設備投資ができるぜ!」
竜之助の心の中で、最近の成功が走馬灯のように駆け巡る。
この「真実を見抜く目」を使って、街のオークションや骨董市で良品を買い漁り、こうして信頼できる美術商に買い取ってもらう。ハズレなしの負け知らず。まるで錬金術師のように、軍資金もお小遣いもどんどん増えていって、笑いが止まらない。
──チャヤジは、龍の人形を脇に置くと、急に真剣な顔つきになった。まるで予言者のように、竜之助をじっと見つめる。店には嵐の前の静けさのような緊張感が漂う。
「お前はこうやって、素晴らしい商品を流してくれる最高の客なんだが……気をつけろなよ?」
「なんです? まさかこれ、龍の呪いでも掛かっちゃいます?(笑)」
チャヤジは苦笑いを浮かべながら、声を低くして続けた。
「最近の美術商界隈でお前さんは有名になってきてるんだよ。『あいつの目利きは100発100中だ。あいつが目をつけた商品をかっさらえ!』ってね……」
「へえ、そりゃどうも。俺も有名人か(笑)」
竜之助は軽く受け流したが、内心では「ちょっと目立ちすぎたかな」と冷や汗をかいていた。
「……知ってますよ。最近はエドモンドのやつが俺の仕入れについてくるんだ。こないだなんて俺が便所に行ってる隙に、目をつけた掛け軸を買われちまった。全くセコイったらありゃしない」
「知ってるならいいんだ。ただ、金は人を盲目にさせる。何があるかわからねえから、気をつけることだよ」
「わかったよチャヤジさん。ありがとな。俺だって命あっての物種だからね」
竜之助は軽く頭を下げた。
店を出ると、秋の風が頬を撫でる。竜之助は周りを見回しながら歩き出した。
(確かに最近、いろんなところで刺さるような視線を感じる。尾行とかついてんのかな……)
そう考えながらも、竜之助の顔には自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
(でもまあ、琵琶も売れるし、アルバイトも盛況でいうことなし。俺は無敵のマーケータ! この調子で行けば、そのうち異世界の長者番付にだって載れちゃうかもしれないぜっ!)
竜之助は、まるで怖いものはないという様子で、胸を張って歩いていった。その背後には見えない影が忍び寄っていることにも気づかずに……
***
風鈴の涼やかな音色が、秋の夕暮れに溶け込んでいく。竜之助、ミコノ、カラマルの三人は、もはや馴染みの牛鍋屋『縄のれん亭』の暖簾をくぐった。店内に漂う醤油と焼ける肉の香りが、彼らの鼻腔をくすぐる。
「いらっしゃい!」
中年の女将が笑顔で迎えてくれた。
「あら、竜之助さんたち。また来たの? もうすっかり常連さんね(笑)」
「ええ、まあ」
竜之助は照れくさそうに頭を掻く。
「商売が上手くいってるもんで。今日は祝杯です」
「そう! それは良かった。じゃあ、いつもの奥の座敷でいいかい?」
「はい、お願いします!」
三人が座敷に腰を下ろすと、女将が熱々の鍋を運んできた。ジュージューと音を立てる牛鍋から立ち上る湯気が、秋の肌寒さを忘れさせる。
「改めまして」
竜之助は盃を掲げながら切り出した。
「俺が九尾音楽堂の従業員になって3ヶ月が経ちました。琵琶の発注量も無事に目標に到達し、中期的な売り上げ拡張の見通しも見えております!」
「いえーいー!」
カラマルが小さな手を叩いて歓声を上げる。
「そして私のアルバイトも順調に進んでおり……ついに我々は『貧乏に困らない安定した暮らし』を手に入れたと言っていいでしょう! 我々の短期目標達成と日頃のみんなの頑張りを讃えて、かんぱーい!」
「かんぱーい!!」
三人の盃が触れ合い、清らかな音が響く。その瞬間、店内の喧騒さえも遠のいて聞こえた。
「ぷはー!」
竜之助は満足げに声を上げる。ミコノは優雅に小さな一口を啜り、カラマルは少し慌てて盃を傾けた。
牛鍋からは香ばしい香りが立ち昇る。ミコノは艶やかに煮えた肉を掬い上げ、宝石のように輝く出汁の滴りを取り分ける。
「さあ、召し上がれ」
「うまい!」
「……この味が、俺たちの成功の証だ!」
三人の顔には幸福感が溢れ、苦労を乗り越えてようやく掴んだ小さな幸せを噛みしめているようだった。牛鍋の湯気が、まるで彼らの喜びを包み込むように立ち昇っている。
「──しっかしさ」
竜之助は肉を箸でつまみながら言った。
「シバツーヤさんが店に入ってきた時の香り、覚えてる? まるで天界から舞い降りた貴人みたいだったよな」
ミコノは優雅に頷いた。
「ええ、あの方の立ち姿は凛としていて……でも、その後のヌタマ家の使いの方は……」
「あの老人は怖かったな。まるで幽霊。『臭い店だな』とか言われた時は、心臓が止まるかと思ったよ(笑)」
カラマルは肉を頬張りながら口を挟んだ。
「でもあの2人の注文からだもんね、僕らの快進撃が始まったのは! 兄ちゃんの作戦大成功!」
「そうだな!」
「おコマさんとおアイさんも今では家族みたい! 今日はあの2人も来ればよかったのに……」
「なんだか今度のライブの練習で忙しいらしいぜ?」
「2人とも才能がありますからね。売れるといいですね。ただ、おコマさんの酒癖は……」
「直してほしいですよね(笑)」
──3人は、あっという間に過ぎ去ったこの怒涛の3ヶ月を、暖かな思いで振り返っていた。牛鍋から立ち昇る湯気は、竜之助の目頭に込み上げる熱いものを巧みに隠してくれる。
わずか3ヶ月前、彼はこの街の片隅で、明日の糧にも事欠く身だった。そんな竜之助に、ミコノとカラマルは何の躊躇もなく手を差し伸べてくれた。今、目の前にある温かな鍋も、アルバイトで暖かくなった懐も、唐突に飛ばされた異世界での幸せなひと時は、全てがその優しさから始まったのだ。
「う、うっ(涙) ミコノさん、カラマル、本当にありがとう。乞食だった俺に救いの手を差し伸べてくれて、そしてこんな俺を信じてくれて……そのおかげで今の俺が、いや、俺たちがあるよ!」
涙ぐむ竜之助に、ミコノが天女のような微笑みを向け、カラマルが悪戯っぽく声をかける。
「こちらこそだよお兄ちゃん!そして僕たち、これからもっと大きくなるんでしょ? 僕も頑張るよ!」
「ああ、もちろんさ」
竜之助は涙を拭い、自信に満ちた表情で言った。
「九尾音楽堂、いや、俺たち三人の物語はまだ序章に過ぎないんだ。これからが本番さ。貴族相手の商売、シバツーヤ子爵やヌタマ伯爵家を超えて、もっともっと面白くなるぜ!」
ミコノは少し物憂げな表情を浮かべながら、まるで琵琶の低音のように静かに言った。
「……竜之助さん、私たちこのままでも幸せですよ。本当にありがとうございます」
「何言ってるんだミコノさん! これからもっともっと大きくしていきましょう! 俺たちの手でいつかイエドの街に、いや皇国の音楽文化に革新をもたらすんだ!」
ミコノが少し寂しそうに笑った。
「よーし!」
竜之助が声を張り上げた。
「これからも頑張るぞ! 九尾音楽堂、もっともっと大きくなるぞ! えい、えい、おー!」
「おー!!」
竜之助が盃を高々と掲げ、カラマルが元気に呼応し、店に清らかな音が響く。その音色は、まるで彼らの未来を祝福する琵琶の調べのようだった。九尾音楽堂の新たな楽章が、今まさに幕を開けようとしていた。
牛鍋のシーンになるたびに、食べたくなりますスキヤキ。
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