*ep.51|琵琶売り〼|朗報、琵琶が売れる1 ★キャラ画公開
店の引き戸がカラカラと開き、風鈴の涼やかな音色が鳴る。店内に漂う木材とニスの香りが、新鮮な外気と混じり合う。帳簿と睨めっこを続ける竜之助は、顔を上げて入り口に視線を向けた。
「──いらっしゃいませ」
カラマルの若々しい声が響く中、一人の美しい長身の男が姿を現した。その立ち姿は凛として、まるで異界から舞い降りた貴人のよう。豪奢な衣装に身を包み、品格溢れる佇まいは、ただの客ではないことを物語っていた。男の周りには上質な香りが漂い、その暖かな眼差しには、楽器への深い愛情が宿っているようにも見える。
(──来た! 逆転を信じて待つこと1ヶ月! これは……九尾音楽堂、勝負の予感だ!)
竜之助の心臓が高鳴り、脳裏にはここに至るまでの策略が走馬灯のように駆け巡る。額に薄っすらと汗が浮かび、背筋がピンと伸びた。
(この瞬間のために、どれほどの時間と労力を費やしてきたことか!)
売れない新参琵琶メーカー「九尾ノ音楽堂」が封建的な音楽マーケットに食い込むには実績が必要だった。だからこそ俺は、イエドの音楽業界で最も影響力のある人物の一人、『キンオウ』に目をつけた。その弟子が『虎の尾亭』で、日々飲んだくれているという噂を聞き、その猫族の女子『おコマ』を利用した。彼女を使って、VIPであるキンオウに近づく計画を練ったのだ。
弟子が無相応に、今代最高の楽器を持って稽古に現れたら、そりゃあ師匠のキンオウはその琵琶について問いただすだろう。そしてこの、九尾音楽堂までたどり着くはず──そんな算段だった。
泥酔した駆け出しの音楽家に、高価なハイエンドモデルを渡すというハイリスクな賭けを経て──無事その女の子はキンオウを釣り上げてくれた。まさに海老で鯛を釣った瞬間だった。キンオウが「この琵琶を作ったのは誰だ!?」と血相を変えて店に入ってきた時の興奮と安堵感は、いまだに忘れられない。
エドモンドからせしめた浮世絵の売却益を突っ込み、ミコノに無理を言って完成させたハイエンドモデル。そこから生まれた音色は、まさに天上の調べのようだった。「試作品でよければ使ってみてくれ、ぜひ意見を聞かせてくれ」と、キンオウに渡した時の、彼の恍惚の表情をみんなにも見せてやりたい。
ここまでの仕掛けですでに、ハイエンドモデル2面も作ってしまった……結構な先行投資だ。もはや後には引けない。そりゃあ焦りと不安で押しつぶされそうになる時もある。ただ、あの音色を聴いた時の感動が、俺の背中を押してくれる。
(戦略さえ間違わなければ……絶対に売れるはずなんだ!!)
──小さな店に似つかわしくない、その美しい客は引き続き店の中を見渡している。
(頼む! そこの身なりのいい方、『買う』って言ってってちょうだい!)
竜之介の内なる叫びが、まるで店内に響き渡るかのようだった。この瞬間こそが、彼の壮大なマーケティング戦略の成否を決める正念場。竜之助は全身の神経を集中させ、男の挙動を見守っていた。
──キンオウにハイエンドモデルを渡してから1ヶ月。頭の中では毎晩のように売上予測と資金繰りのシミュレーションが回り続けていた。「そろそろ上客が釣れるはずだ」という期待と、「このままではヤバい」という焦りが、胸の内で綱引きを続けている。
俺が仕掛けたのは、現代マーケティング理論を異世界に持ち込む現代人チート戦略。その中核を成していたのが、キンオウという影響力のある人物を通じたインフルエンサーマーケティングだ。アメリカの心理学者、ロバート・チャルディーニの『影響力の武器理論』における『権威』と『社会的証明』の原則を巧みに利用したこの作戦。キンオウの『権威性』に裏付けされた『評価』が、他の貴族層の購買意欲を刺激する——そんな狙いだ。
そしてそこに組み合わせたのが、『One to One マーケティング』だ。国中の貴族や富裕層に、寝る間も惜しんでそれぞれの顧客属性に合わせた直筆の手紙を送りつけまくった。 「あのキンオウが絶賛! 御用達! 超愛用!」という、凄まじいリファレンスを付け加えて。
この世界には肖像権も広告規制もない。勝手に名前出しちゃってていいでしょ! ハイエンドモデルを手に取った時のキンオウの満足げな感じはむしろ、この動きを望んでるでしょ! と、いろんな意味で眠れぬ夜の自分に言い聞かせた。
ただ……これほどの努力を重ねたというのに、今日、この瞬間まで、まだ目立った反応がない……直筆手紙第二弾まで送って、顧客との長期的な関係構築により高額商品への購買意欲を醸成するという『CRM(顧客関係管理)』的なアクションまで頑張ってるというのに……いまだどこからも音沙汰がない。
毎日、郵便配達を待っては落胆する日々が続く。「現代のスーパー理論も、とんでも異世界では通用しないのか……」そんな疑念が時折頭をもたげる。
それでも、諦めるわけにはいかない。俺の戦略は、まだ始まったばかりなのだ。これが通用しなければ、異世界での商売など、先行きは暗いと言わざるを得ない。
──だからこそ……
(頼む! そこの美しいお兄さん! 買ってって!!)
***
そしてその美しい男が口を開いた。
「こちらが噂の九尾音楽堂さんですね……キンオウがその腕前を絶賛していましたよ」
その洗練された声は、まごうことなき貴族の雰囲気を纏っていた。竜之助は思わず背筋を伸ばし、カラマルは興奮気味に応じる。
「はい! キンオウ様にもご愛顧いただいております! 九尾音楽堂でございます!」
来客は微笑みながら続けた。
「実を言うと、最初にお手紙を拝見した時は、いささか怪しげな勧誘かと思ったものです。しかし先日、キンオウ殿と歓談した折に、あなた方の評判を耳にしまして…...」
竜之助は内心で苦笑する。
(頑張ったダイレクトメール……胡散臭いと思われてたのか……そりゃそうか。俺だって自分で書いといて「うさんくせえ」とは思ったもんなあ……)
来客は続ける。
「そして、アフターサービスも充実していると伺いました。最近は『チセヤ』の琵琶を使っていたのですが、メンテナンスの頻度も多く、その度に多額の請求を受けて困っていたところなのです」
竜之助の目が輝いた。ここぞとばかりに説明を始める。
「はい! 弊社の『NINEシリーズ』の琵琶をお買い上げいただければ『NINEケア』という保証サービスをご用意しております。月額定額で広範囲の故障に対応し、お客様のメンテナンスリスク、手間とコストを大幅に削減できます!」
このサービスは、顧客の「予期せぬ高額修理費用」という不安を解消し、「面倒な修理手続き」という煩わしさを軽減する。まさに顧客のニーズを的確に捉えた自慢の商品設計。某世界的スマホ通信会社のサービスをそのままパクったかいがあったというものだ(笑)!
竜之助の頭の中では、目の前の来客の顧客満足度グラフが右肩上がりにグングンと上昇している。
「ほう、それはありがたいですな。素晴らしい発想だ」
来客も目を細めて竜之助の話を聞く。
「今日は実物を見に来たのです。実際にキンオウが使っているモデルも、見せていただけますか?」
「もちろんでございます! ミコノさん! 例の品をお願いします!」
ミコノが奥の工房から、優雅にハイエンドモデルの琵琶を持ってくる。その姿はまるで、天女が舞い降りたかのよう。神々しい楽器を携えた美しい狐族の女性。竜之助は思わずため息をつく。
(ああ、ミコノさんマジ天使……)
そして来客は琵琶を丁寧に手に取り、感嘆の声を上げる。
「これは……まるで龍の鱗のような輝き……」
「お褒めに与り光栄です。拙い技ではございますが...…」
ミコノは少し照れくさそうに頷き、来客は満足げに微笑む。彼は琵琶を手に取った後もしばし無言で見入っていた。その目には、楽器への深い愛情と、美しいものを見出した時の喜びが宿っている。
竜之助たちは息を潜め、その様子を見守る。
そして男の指が、ゆっくりと弦を掻き鳴らす。澄んだ音色が店内に響き渡る。その瞬間、時が止まったかのような静寂が訪れた。
「これは……」
男の声が、かすかに震える。
竜之助の心臓が高鳴る。
(キタ...…?!)
男は目を閉じ、深く息を吸った。そして、ゆっくりと目を開けると、決意に満ちた表情で言った。
「失礼、自己紹介が遅れました。私はシバツーヤと申します……そして、決めました。この琵琶、購入させてください。これほどのモノだ。お代は言い値で構いませんよ」
その言葉に、店内の空気が一変する。ミコノの尻尾が嬉しそうに揺れ、カラマルは小さくガッツポーズをする。竜之助は、全身に喜びが広がるのを感じながら、冷静を装って応じる。
「ありがとうございます。ご満足いただけて光栄です」
竜之助の頭の中では、歓喜の花火が打ち上がっている。
(やったぜベイビー! キンオウ経由の紹介営業大成功! NINEケアも刺さった! これぞ戦略的マーケティングの勝利だ!お代は言い値!?とんでもない太客だっ!!)
「ありがとうございます! それでは細部の調整やカスタマイズについて、お時間をいただけますでしょうか? 正確なお代はその後に……」
「ああ、構いませんよ。良い楽器は奏者の身体の一部であるべきだ。そのことをよく分かってらっしゃる」
シバツーヤは満足げに微笑む。
「チューニングについては改めて使いの者を来させましょう。今日は噂の楽器店と職人を、一目見たくて立ち寄っただけですから。それではまた後日──」
竜之助は心の中で歓喜する。
(なんて素晴らしい顧客だ! こちらの努力や気遣いを存分に受け止めてくれるなんて! ありがとうございます高貴なるお客様!)
シバツーヤが店を後にした後、店内は再び喜びに満たされた。カラマルは小躍りし、ミコノは安堵の表情を浮かべる。
竜之助は得意げに笑いながら声を上げた。
「よーしよしよしやったぜやったあー!! ハイエンドモデル1面ご発注ですー!」
待ち侘びた初受注は竜之助に安堵と歓喜、そしてこれからの展開への自信をもたらした。
「まだまだ行くよー! ミコノさん! カラマル! 待っててね! もっともっと売って楽にしてあげるからねわっはっは!」
九尾音楽堂、一撃で四半期売り上げ達成見込み。
Character File. 35
冒頭ではミコノさんも、そわそわして店の奥から出てきちゃってます。
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