*ep.50|琵琶売り〼|駆け出しおコマの苦難と幸運2 ★キャラ画公開
「お嬢さん、琵琶やるんですか?」
その声に、アタシは涙目で顔を上げた。
男のシルエットがぼんやりと見える。三人に見えたり一人に見えたり。ぐーるぐる。でもなぜか親しみやすい雰囲気。優しい感じ。まるで昔話に出てくる福の神か。
「そうなのよぉ。でもお……」
言葉は勝手に濁り、酔いで舌がもつれる。
「誰も……聴いてくれないのよ。アタシの琵琶なんて。売れる日……来るのかなぁ……」
心の奥底にある不安が滲み出る。メジャーデビューの夢。でも現実は酒場で酔いどれ。当然のように目に涙が溢れる。
「へへっ(笑)」
男はそんなことは気にするなと、不思議と納得させられてしまいそうな顔で優しく笑う。その笑い声がアタシの酔った脳みそをくすぐる。
「でもきっと……大丈夫じゃないですかね! お姉さんの手、琵琶の撥を毎日持ってるのがわかる、頑張ってる手に見えますもん!」
「……う、ううるへえええ! 見知らぬお主に何がわかるうう……されえええ……」
知らないおじさんに優しくされて泣いちゃうなんて、そんなダサいことはできないので自分から泣く。というかもう最初から泣いてた。お猪口からお酒も溢れ、もうカオス。この汁はどっちの汁だ?
──男はその後も何か話してたけれど、正直あんまり覚えていない。新しい楽器屋がなんだとか、新しい琵琶を作ったからどうだとか。
アタシは朦朧とした頭でその話を聞いていた。言葉の意味は半分も理解できなかったけれど、なぜかワクワクする気持ちが心に残る。まるでラーメン屋の前で匂いだけ嗅いでるみたいな、そんな感じ。いや、むしろ二日酔いの朝にしじみの味噌汁の香りを嗅いだ時の、あの感じか?
──男は多くを語らずに、名刺と楽器ケースを置いて店を出て行った。その後ろ姿は飲み屋街の灯りの奥へと消えていく。まるで夢だっったかのようにユラユラと。そしておアマが水を持って戻ってきた。
「はい、お水……ってあんた! こぼしたの?! びしょびしょじゃない!」
「お嬢、今日はいつもよりやばいな(笑)」
店主が見かねて二人に声をかける。
「あ、すみません。この子お酒が少し入ってて......いえ、かなり入ってて......っていうか、ほぼお酒になってて」
おアイはいつだって優しい。さすがアイドル志望。酒は飲んでも飲まれない。ファンの夢は壊さない。
「ん? おコマ、どうしたのそのケース? こっちは何? 名刺? 九尾音楽堂??」
一部始終を見ていたらしい店主が説明する。
「ああ、さっき竜之助のやつと何か話してたな。裏通りの楽器屋だよ。最近ウチの店によく来てくれる奴だよ」
「楽器? え? なにこれ……すごい高そうなんだけど。もらったの?? ……え? 今回の『ラッキー・キャット』は大当たりってこと……?」
おアマの目が丸くなる。まるで満月みたい。
「えーんえーん(涙) 訪れたラッキーも琵琶関連かよお……進んでも琵琶、退いても琵琶、琵琶弾きだけにいぃぃ……」
こうして、夢と魔法が交錯する夜は更けていった。
店の外では2つの月が高く昇り、イエドの街を静かに見守っている。まるで、この夜の珍事件を面白がって見ている観客のように。アタシたちの運命は、この新しい琵琶とともに、どこへ向かうのかしら? どこにも向かわないのかしら?
ただアタシの心の中で、小さな希望の火が灯った気がした。その火は、琵琶の音色のように小さく、でも確かに響いてる。明日はきっと、いい日になる。たとえ二日酔いで、頭の中で琵琶の大合奏が始まったとしても、その騒がしい音の中できっと、希望の音色が聞こえるはず。アタシの新しい物語が始まろうとしているんだ!それはきっと、笑いあり、涙あり、お酒ありの、とびきり楽しいものになるに違いない。
ある日のイエドの飲み屋街。虎の尾亭の夜は今日もしっぽりと更けていく。
***
翌朝。太陽の光が容赦なくアタシの目を刺す。頭の中では、まるで酔っ払った鬼たちが太鼓の競演をしているかのようだ。
「うぅ……神は私を見放したのか……」
アタシは強烈な二日酔いに呻く。部屋が揺れている。いや、揺れているのは部屋じゃなくてアタシの脳みそか。
ここはイエドの片隅、古びた長屋の二階奥。畳の上には琵琶が転がり、安酒の匂いが舞う、小さいながらも楽しい我が家──そこに、ふと目に入る見知らぬ楽器ケース。何やら丁寧な作りで、場違いな高級感が漂っている。
「で、なんだっけ……この琵琶? うっすらとしか覚えてないんだが……」
記憶が霞んでいる。ただ、悠長に思い出している時間はない。朝はいつだって時間が足りていない。
「うーむ……ちょうどいつもの琵琶はメンテに出そうと思ってたし、というか今日はお稽古もないし……しょうがねえ、これ担いで行くか……」
今日はプロダクションも交えて次のツアーの打ち合わせ。遅刻したら殺される…...ということで、今日もアタシは必死に出社。街に吐瀉物をぶちまけながら。道行く人々は、まるでゾンビでも見るかのようにアタシを避けていく。
「昨日の私を……恨みますよ……」
──這々の体でプロダクションに到着。「吉水座音楽事務所」の看板が、今日はまるで墓標のように見える。イエドの町でも珍しく、贅沢に使われたピカピカのガラス扉に映るアタシの顔は、まるで能面のように無表情だ。
今日は撮影もあるらしいけど本当に大丈夫なのか?徐々に現実に戻されていく中で、キンオウ様の超怖い顔が頭に浮かぶ。怒られるのやだなあ……
事務所内の撮影スタジオに入ると、そこはもう別世界。ピカピカの機材、キラキラしたメイク道具。ビシッとキメた楽団員の面々。おアイはすでに、完璧に仕上げた澄まし顔で立っている。さすがは一座のアイドル枠。アタシだけが、まるで墓場から這い出してきたみたいだ。ヤツの隣に立つのだけは止めておこう。部屋の隅で存在感を消していよう。
そんなことを考えていると、稀代のカリスマ、吉水座・座長のキンオウ様が入ってきた。
「お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
「──おさす」
お疲れ様ですの大合唱の中、あんまり声を出すと、別のモノも口から出てきそうになるので省エネ挨拶。案外気づかれないものだなあ、とかぼんやり思っていると、カメラマンが声を上げる。
「最初に宣材撮りたいんですが、大丈夫ですか?」
「おう。メイク、早くしろ」
キンオウ様の声が静かに響く。 まるで地獄の閻魔大王の命令のよう。彼はいつだってプロフェッショナル。ビジュアルへのこだわりも尋常ではない。そのこだわりは当然、自分だけではなく団員にも及ぶ。どこまでも見透かすような目を、一人一人に送る。
当然その目は、このボロボロのアタイにも突き刺さる。や、やばいかも……
「つーかおコマ、なんだお前また二日酔いか!?」
「は、はいぃぃ」
「…… 俺の画角を汚したら、お前、破門だからな」
「は、は、はいいいいぃぃ」
心の中で叫ぶ。マジこええ……
「──では皆さん並んでくださいね。琵琶はそう、楽に構えてもらって」
カメラマンの指示が飛ぶ中──突然、空気が凍りつく。
「待て……おコマ、なんだお前、その琵琶は」
いつもより2トーンは低いキンオウ様の声。こんなにも静かに雷は落ちるのか。
「え、えっと……」
「見せてみろ」
その命令は、拒否の余地がない。アタシは、まるで死刑囚。処刑人に首を差し出すように琵琶を渡す。
「な、なんだこりゃ、どうした!? どこからかっぱらってきた!」
「え、え、え??」
キンオウ様の声がスタジオ中に響き渡り、どもりまくるアタシの言葉は、まるで壊れたレコード。「えええええおおおおぉぉ?」──そこにおアイが割って入る。
「待ってくださいキンオウ様! これは昨日、こいつ、『ラッキー・キャット』使って、飲み屋でもらったんですよ。知らない男に。そしたらそれが、どうやら大当たりだったみたいで‥‥」
「飲み屋でもらった? 知らない男? ふざけんな──竜松脂のニスが塗ってあるじゃねえか……」
キンオウ様の目が静かに琵琶を見つめる。その目は、琵琶の中身まで見通してるように。
「竜のニス? 確かに変な色してますね??」
おアイが首を傾げる。
「変な色とかじゃねえ。こりゃあ……出るとこに出たら大金貨10枚じゃ足りねえぞ……」
「えええええぇぇーーー??!!!」
アタシだけではなく、スタジオ中がまるでコーラスのように声を揃える。
「……今すぐそいつに会わせろ。今すぐだ」
キンオウ様の声に、誰も逆らえない。撮影は中止、全員解散。アタシ、大丈夫か??
──まるで夢の中を歩いているかのように、キンオウ様を連れてアタシとおアイは昨日の名刺の店に向かう。
街の喧騒がアタシの頭痛をさらに悪化させる。人通りのないイエドの裏通りを進むにつれ、町並みが変わっていく。古びた建物が立ち並ぶ中「九尾ノ音楽堂」というこじんまりとした看板が姿を現した。
店に入ると、そこには昨日会った男と狐族の姉弟とがいた。まるで、この展開を予期していたかのように。狐族の姉は、長い尻尾を優雅に揺らしながらアタシたちを優しく見つめ、弟は好奇心に満ちた目でキンオウ様を見ている。
ヨロヨロと使い物にならない私を他所に、キンオウ様とおアイ、そして男が話し込んでいる。その会話はまるで異次元の言語のよう。「竜松脂のニス」「ドラゴンブルー」「NINEシリーズ」。アタシには全く理解できない言葉が飛び交う。二日酔いのせいなのか、それとも現実離れした状況のせいなのか。ああ頭痛が痛い。目の前は虹色のレインボー。
「──すみません、お水をいっぱい、いただけませんかね……?」
空気を読んで静かにしてるのも限界を迎え、思い切ってお願いしてみる。キンオウ様からは必殺の視線を向けられたが、狐族の姉がにっこりと微笑んで、水を差し出してくれた。その仕草は実に神々しかった。
──水を飲み干しても一行に回復しない体調に、無念ここまでと思ってたら、どうやら話がひと段落ついたらしい。おアイがこちらに寄ってきた。
「あんた……おコマ……昨日の『ラッキー・キャット』で、すげえもん引いたかも」
「……琵琶弾きだけに???」
アタシは、最後の力を振り絞って答える。そう、琵琶弾きだけに、引いたのは運命の琵琶なのかもしれない。
そうして、意識が闇に沈んでいく。
この意識不明の藻屑の中で、アタシは考える。これが運命の分岐点なのか、それとも単なる二日酔いの悪夢なのか.……答えはきっと、目覚めた時にわかるはず。それまでは、この心地よい闇の中で、しばし休息を取らせてもらおう……そして、目覚めた時には、きっと新しい物語が始まっているはず。琵琶の音色とともに。
Character File. 34
おコマには頑張ってほしいです(笑)!
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