ep.5|モリア家|伯爵家末弟との出会い1 ★キャラ画公開
夜の帳が深く林道を覆う中、『アバス』は馬を走らせていた。冷たい夜風が頬を撫で、鎧がかすかに軋む音が耳に届く。周囲の木々が不気味な影を作り出し、まるで何かが潜んでいるかのような錯覚を与えていた。
アバスは顔をしかめながら、心の中で呟いた。
(不気味な林道だ……何事もなければいいのだが……)
彼の手には無意識のうちに力が入り、手綱を強く握りしめていた。馬は主の緊張を感じ取ったのか、いつになく神経質な様子で歩を進めている。
「テオ様、森が濃くなってまいりました。ここからは慎重に馬を進めましょう」
アバスの背中には冷や汗が流れている。
彼は幼い頃から、この手の状況に慣れ親しんでいるはずだった。テオの突拍子もない行動に付き合わされ、命からがら逃げ帰ったことは一度や二度ではない。それでも今回は、どこか胸騒ぎがした。
「テオ様、どうか慎重に──」
「アバスはビビりすぎだって(笑)」
テオの声が夜の静寂を軽々と遮った。
その言葉には、危険な状況を楽しむかのような少年じみた興奮さえ滲んでいる。風に乗って響く彼の笑い声は、不気味な林道の雰囲気とは不釣り合いな明るさを帯びていた。
アバスはワミ鉱山での魔獣討伐作戦に従軍している。そして今は、モリア伯爵家の四男『テオ』の護衛という形で、わずかな騎士たちと共に古びた神祠を目指していた。夜の闇の中、彼らの一団は小さな光の点となって、静かに進んでいく。
──テオが突然「地元坑夫が信仰する守り神を拝みたい」と言い出したのは、夕食の支度も終わろうとしていた矢先だった。キャンプの喧騒が落ち着き始め、兵士たちが疲れを癒そうとしていた頃のことだ。
アバスの脳裏に、その時のやり取りが蘇る。
「アバス! 噂の神祠に行ってみようぜ! 地元の神様に挨拶を済ませずに、明日の戦いは乗り越えられんだろうよ!」
(またかよ王子様……)
テオの思い付きに、アバスはため息混じりに返答した。
「なんだよ。わかりやすい呆れ顔だな。俺たちの間に言葉はいらないな(笑)」
(テオ様、私は間違いなく呆れてるんです……)
──言い出したら聞かないテオの性格は、小さい頃から知っている。幼少期から変わらぬその頑固さに、アバスは懐かしむような微笑みを浮かべつつも、内心では小さな緊張を走らせていた。
アバスの記憶は、さらに遠い過去へと遡る。幼いテオが城の中庭で遊んでいた時のこと。突然、テオが城壁に登ると言い出し誰も止められなかった。結局、アバスが必死で追いかけ、危うくバランスを崩しかけたテオを支えて事なきを得た。
(──あの時、なぜテオ様は城壁に登ると言い出したんだっけ……?)
ぼんやりと昔の記憶を思い出す。幼い頃に感じた朧げな恐怖が、なぜかこの行軍と重なる。今回もテオの突飛な行動が何か危険を招くのではないか? そんな不安がアバスの胸を締め付ける。
不気味さを増していく周囲の雰囲気に、アバスはテオのわがままを受け入れてしまったことを後悔していた。
(──こっそり出てきたけれど、そろそろ『アコシア』に気付かれる頃だろうな……)
キャンプに置いてきたアコシアの顔が脳裏に浮かぶ。彼女がこの無謀な行動を知ったら、どんな表情をするだろうか。なぜ勝手な真似をしたのかとあの可愛らしい顔で激怒するだろうか。それともいつものことだと呆れながらも笑い飛ばすだろうか。
「全く……これで何度目ですか、テオ様の気まぐれに付き合わされて、俺の寿命は縮みっぱなしですよ」
思わずテオへの苦言が口に出たが、アバスの口元には微かな笑みが浮かんでいた。これがテオとの付き合いなのだ。危険で、面倒で、それでいて不思議と心地よい。
(とにかく、無事にキャンプに戻るまで油断は禁物だ……)
アバスは改めて気を引き締め直す。
夜間の気まぐれな行軍の末に辿り着いた神祠は、長い石段が印象的な荘厳な造りをしていた。月光に照らされた石段は、まるで異世界への入り口のように見える。しかし近年の魔獣活性化の影響なのだろう、その荘厳さは朽ちかけた哀愁を帯びている。
「──へぇー、立派なものだな。なあ、アバス!」
テオの緊張感のない問いかけに、アバスは再び呆れ顔で返した。
(そうですね。ご満足いただけたようで何よりですよ……)
「お!その顔も、何言っているかわかるぞ! やっぱり俺たちに言葉はいらないな(笑)」
衝動的に生まれる行動がテオの日常であり、思いのままに動くその姿は周囲を不思議と惹きつける。テオが漫然と発した言葉は過程を飛び越えていつも正しい結末に辿り着き、彼の魅力を際立たせる。モリア家の四男である彼には、人々を集める不思議な力が備わっていることをアバスは知っていた。
テオは好奇心に後押しされ、軽快に石段を登っていく。アバスと騎士たちは息を切らしながら追いかける。神祠へと続く石段を登る騎士たちの足音は、静寂を切り裂きながら響いていった。
(しかし古びた神祠だな……せめて明日の掃討戦に、大層なご利益があることを祈るか……)
夕食前に突然連れ出された予定外の行軍だ。明日の魔獣との戦いを前に、少しだけ実利を求めてもバチは当たるまい。
「テオ様! そんなに急がなくても......」
アバスは思わず声を上げた。だが、テオの姿はすでに石段の上の方に消えていた。アバスは大きく息を吐き出す。
「まったく、相変わらずだ……」
──祠まであと数段というところで異変が起きた。
突如神殿は暖かな紫色の光で満ち、その光が夜の闇を柔らかく照らした。
「な、なんだ⁈」
アバスはその光に引き寄せられるように神殿まで駆け上がる。心臓の鼓動が高鳴り、かつて経験したことのない緊張感が全身を包む。
──そして石段の先に広がる広場に、一人の黒髪の少年がこの世界の秘密そのものかのように、静かに佇んでいるのを見た。少年はこの場所が何であるかも、自分がどうしてここにいるのかも分からない様子で、ただ独り、立っていた。その姿は、まるで古の絵画から抜け出してきたかのような、非現実的な美しさを放っていた。
アバスは息を呑んだ。
目の前で起こっている出来事が、この世界の秩序を大きく変えてしまうのではないかという予感が、彼の全身を震わせた。テオの好奇心が引き起こした今回の冒険が、彼らの人生を、いや、この世界の歴史すら変えてしまうかもしれない。そんな重大な瞬間に立ち会っているのではないかという不思議な予感が、アバスの全身を包み込んだ。
アバスの静止を無視し、テオが慎重に、しかし確かな好奇心を持って少年に近づく。その足取りには、いつもの軽佻浮薄さは見られない。まるで運命の糸に導かれるかのような、確かな意志が感じられた。
「──君は、誰だ? どうして、ここにいるんだ?」
少年がゆっくり顔を上げると、その片目は紫色の光を纏っていた。その光は、まるで彼自身が夜空から降り注いだ星の一片であるかのように、周囲を静かに照らしている。
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謙吾編スタートです!
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