ep.48|琵琶売り〼|なんちゃって経営戦略会議2
「適正価格の考察にあたって、まずはマーケットの商品価格を整理しよう……」
竜之助は空中で指を動かしながら、まるで目の前に見えない資料があるかのように話し始めた。
「今のイエドの市場では、汎用的な最安値モデルが金貨2枚、庶民の1ヶ月分ってとこだな。それよりも高価なセミオーダーモデルが金貨6枚、フルオーダーになると大金貨3枚超え……」
「そうです。そしてうちはセミオーダー相当の商品を金貨5枚で売っています! 市場価格よりちょっと安いから、たくさん売れるはずなんだ!」
「そうなんだよな、そして九尾音楽堂の商品は……脅威の原価率50%!」
竜之助は思わず大きな声を上げ、カラマルは首を傾げる。
「原価率って……何ですか?」
「簡単に言えば、作るのにかかる費用の割合だ。つまり、ミコノさんはめちゃくちゃいいもの惜しみなく使って、めちゃめちゃ安く売ってるってことだよ」
「いいものを安く……何か悪いところありますか?」
カラマルが無邪気に尋ね、竜之助は頭を掻きながら続けた。
「これじゃ楽器屋さんじゃなくって慈善事業だよ。涙ぐましすぎるぜ(笑) ミコノさんはやっぱり天女か聖人か何かだな……なんてったって次の『販売経路』の件と合わせて、企業の利益率ってのは相当真剣に向き合う必要がある問題なんだ」
「ゴクリ……」
真剣という言葉につられカラマルも表情を締め直す。
「エドモンドみたいな集客力のある店子に商品を置いて売ってもらう百貨店形式が、九尾音楽堂のこれまでのメイン販路だった。そしてその販売委託先に支払う販売手数料が50%……まあ、自前の販路を持っていない小さな工房なんだから仕方のないことなんだけどね。ただ本来確保できたであろう利益がこの委託販売のおかげで相当減ってしまっている。働けど働けど、我が暮らし楽にならざりじっと売れ残った琵琶を見る、ってね」
竜之助の熱弁は続く。
「販売経路に関してはやっぱり、できる限りD2C環境を整備して、委託先経由の販売を最小化して直接取引の最大化しないとだな。直接販売で利益率上げるしかない。どの世界でもプラットフォーマーが儲かるようにできてしまっているんですよ。それを当然と思っていたら商人とは言わんのですよ!」
「はあ……」
カラマルは理解が追いつかないが、竜之助は構わず続け、今度は空中で指を動かし始めた。まるで目に見えない計算機を操作しているかのようだ。
「直接取引を前提に利益率を担保できたとして、では具体的にいくらの利益を残さなければならないのか? 次はその最低目標を定義してみよう。我々の必要経費は家賃に道具のメンテ、今の所ゼロの広告宣伝費……あと俺を含むミコノさんとカラマル少年の生活費。うーん、直接売り上げで金貨150枚くらいの利益が毎月必要そうってところか」
「すごい! 竜之助さん、頭の中で計算してるんですね!」
カラマルは竜之助の話を目を輝かせて聞いている。
「フルオーダーのハイエンドモデルを1面売ると金貨150枚の利益が得られて、セミオーダー1面売ると金貨30枚の利益だから……」
暗算を続けていく竜之助を尊敬の眼差しで見守るカラマル。
「営業目標としては余裕をとって……2ヶ月でフルオーダー1面とセミオーダー8面くらいを売れるよにする感じかな。そうすると毎月の暮らしは何とかなるし、まあフィジビリティティもありそうかなあ」
カラマルは驚いた表情で返答する。
「2ヶ月でフルオーダー1面とセミオーダー8面売るのか……しかも誰かに売ってもらうんじゃなくって自分たちで売るってこと?? そんなことできるかなあ……」
数字が具体的になったところでカラマルが不安そうな表情になり、竜之助も再び眉間に皺を寄せた。窓の外では、イエドの喧騒が遠く聞こえる。その音が、彼の思考をさらに加速させる。
「そう、次に考えるのは、この価格設定と売り上げ目標をさっき決めたターゲットに対して『どう売っていくか』だ。貴族中心の富裕層ってめちゃくちゃターゲットは狭いからな。ここからが難しいところだな……」
ここまで話、竜之助の眉間の皺はさらに深くなる。
「そして、この計画はミコノさんが頼みだから、彼女が倒れたらお終いなんだ。リスクヘッジが全くできてないんだ。中期的にはブランド力養って販売価格を上げるか、人を雇って月の生産量を増やしていく……いわゆる事業拡大をしないといけない。まあ、ここらへんは俺、本領発揮ってわけだ。イエドの商圏超えて支店を出して販売網を広げられると楽しそうだよなあ……そんな日が来るのかって? ま、夢を見ないとビジネスは楽しくないからな(笑)」
竜之助は、軽口を叩きながらも真剣な表情で頷いた。その姿は、まるで異世界に迷い込んだサラリーマン、というよりすでにこの世界の商人として生きる決意を固めた男のようだった。イエドの町並みを見つめる彼の目には、未来への期待と挑戦への覚悟が輝いていた。
「ちょっとややこしくなってきたな(笑)一度整理するか」
「はい!」
本業に触れて本領を発揮する竜之助に尊敬の眼差しを見せるカラマル。そこにはかつてない師弟関係が築かれようとしていた。
ーーー
「九尾音楽堂新規販売戦略の整理(仮)」
・月間生産可能量:フルオーダー1.5面、セミオーダー5面
・商品毎の利益:フルオーダー1面=金貨150枚、セミオーダー1面=金貨30枚
・原価率:50%
・販売チャネル:原則、九尾音楽堂の直接販売
・販売ターゲット:個人消費/貴族需要
・月間の事業継続コストを鑑みた利益目標:金貨150枚
・利益目標を達成するための月間の販売目標:フルオーダー0.5台とセミオーダー4台
ーーー
「──まあこんな感じだ……で、いよいよ、これをどうやって達成するか、その実現計画を立てていかなきゃいけない。劇狭の貴族ターゲットにどうやって買ってもらうか、だ」
そう呟きながら、竜之助の脳裏にはとある有名ブランドの姿が蘇った。まるで、トウキョウの喧騒の記憶が、異世界まで追いかけてきたかのようだった。
「いいモノを消費者にしっかり届けるとなると、やっぱり『スティーブ・ジョブズ』だな!」
大声になる竜之助に、カラマルは身体をビクンと反応させる。
「『いいものを貴方に!』じゃダメなんだ。そんなんじゃ広告慣れした人たちには届きません。そんな商品は売れません。大切なのは『どんな体験を貴方に?』なんだ。その顧客が体験できる唯一無二の価値とストーリーが大事なんだよ!! これがマーケティングの腕の見せ所なのさ!」
竜之助の目が輝き、さらにその情熱は熱を帯びていく。
「消費者の購買意欲を掻き立てる『ゴールデンサークル理論』に則ってにユーザーコミュニケーションを整理すると、えーっと……」
竜之助は実際に大判紙に「消費者に何を伝えるのか」をその順番と共に書き留めていく。
ーーー
「九尾音楽堂ユーザーコミュニケーションの整理(仮)」
1.私たちは「特別な貴方」に、「特別な音楽体験」をお届けする準備ができました
2.新しい挑戦をする貴方に相応しい、伝統美だけはなく「シンプルながらもモダンなデザイン」に仕上げました
3.「幻の竜由来の特殊なニス」が彩る、見る者を癒す特徴的な「ドラゴンブルー」をブランドカラーに採用しています
4.もちろん「他の素材も最高品質」。腹板には桑、欅、桜、そして桐をふんだんに用い、弦には生糸に虎の髭を織り込んでいます
5.それらを狐の里の稀代の名匠、伝説の琵琶の名を冠する職人「8代目『玄象』」が作っているのです
6.それが九尾音楽堂が作った最高の琵琶「NINEシリーズ」
7.おひとついかがですか?
ーーー
「おー、いいじゃないか! ユーザーの共感は『何を』ではなく『なぜ』を話さないと得られないってわけだよ」
竜之助は思わず手を叩いき、その音が静かな店内に響き渡る。
「この流れるような一つも嘘と誇張がない美しいストーリーライン! ミコノさんの確かな腕と経歴、そして脅威の原材料費の高さがなしえる唯一無二のストーリーだ。取り扱い商品が優れていると、あとはそれをどう消費者に届ければいいかを考えるだけなんだ。やってて楽しいなあ」
竜之助は笑いながら思考を進めていく。その目には、かつてない野心の炎が燃えている。
「あ……だから九尾音楽堂の企業理念は思い切って「最高の音楽体験を創り届ける」に決定だな(笑)うん、企業理念とは状況に応じて修正していくものだ……うん、これは適切なコンサルティング業務だ。エドモンドのことを詐欺師と罵ったことを俺は少しも後悔していない」
ーーー
「九尾音楽堂ユーザーコミュニケーションの整理(仮)」追記
・企業理念:最高の音楽体験を創り届ける
・販売物:フルオーダー、セミオーダーの琵琶(九尾音楽堂NINEシリーズ)
・訴求点:8代目『玄象』が製作者、最高品質の素材、特殊な竜由来のニス、ドラゴンブルーでモダンなデザイン
・ストーリー:前述参照
ーーー
「──そして……最後にPR戦略けど、実はこれはもう決めてるんだ(笑)」
もうカラマルは竜之助の話についてこれていない。
「ここはやっぱりインフルエンサーマーケでしょ!」
これまでで一番大きな竜之助の声に驚くカラマル。
「ふふふ……『虎の尾亭』に入り浸っていたのは飯と酒がうまいからだけじゃありません……美しいインフルエンサーマーケの連鎖を産むために通い詰めていただよ!」
竜之助は満足げ熱弁を終えた。その表情には、かつてトウキョウで大型コンペに勝った時のような自信が満ちている。
「よっしゃ、ここからが本番だぜ! 竜之助、異世界マーケティングの神になる!(笑)」
その言葉は静かな店内に響き渡る。まるで、イセカイの音楽業界に革命を起こす宣言のように。
───
竜之助のなんちゃってマーケーターファイル02
「D2C」
D2Cとは「Direct to Consumer」の略で、小売店や代理店を通さず、メーカーから消費者に直接販売するビジネスモデルのことです。このモデルは2010年頃にアメリカで流行し、日本でも取り入れる企業が増加。アパレルや食品、化粧品などの業界を中心に幅広く取り入れられています。
───
竜之助のなんちゃってマーケーターファイル03
「ゴールデンサークル」
ゴールデンサークル理論とは2010年にTEDでマーケティングコンサルタントのサイモン・シネックが提唱した、「WHY→HOW→WHAT(何が)」の順番で伝えることでユーザーの真の共感を得られるという理論。ユーザーコミュニケーションを「WHY」から始めることで、感情や信念のというコアな部分に触れることができ、消費者の行動を促しやすくなります。実際にこの手順は人間の脳の働きにも沿っていると言われており、マーケティング界隈では注目されている考え方です。