ep.36|ミナト家|戦いの後は大粒の涙1
──謙吾は、まどろみの中、嗅ぎ慣れない匂いに包まれて目を覚ました。
漂うアルコールの香りが、消毒液のそれであることに気づくまでに、幾ばくかの時間が必要だった。視界はまだぼんやりと霞み、喉は酷く乾ききっている。
「──ここは……?」
掠れるような声で、謙吾は自分自身に問いかけた。
その声は、自身が予想していた以上にか細く、遠くから聞こえてくるように感じられた。そして、瞼を開けた先に飛び込んできたのは、謙吾の足元に静かに横たわるマラミの姿だった。
「マラミ……?」
謙吾は状況が掴めないでいた。
「──おお、ケンゴ! 目を覚ましたのか!」
そこに、部屋に入ってきたテオの声が響く。
「た……戦いは? みんなは?」
謙吾は必死に起き上がろうとするが、テオに優しく肩を押し止められた。彼の手のひらの温かさが、謙吾の混乱を和らげる。
「大丈夫、終わったよ。お前のおかげで、全部終わったんだ」
テオは微笑みながら続けた。
「我ながら臭いセリフだが、まあ、事実だ(笑) お前は二日も寝てたんだぞ。もう少し休んでろ。医者を呼んでくるよ」
テオが部屋を出ていくと、騒動の中で目を覚ましたマラミがゆっくりと瞼を開けた。彼女の瞳には一瞬だけ安堵の色が見えたが、それはすぐにいつもの冷静な光へと変わった。
「任務完了っと……」
マラミは呟き、猫のように大きく伸びをした。
先ほどは気づかなかったが、彼女の体中には包帯が巻かれている。
「マラミ……ありがとう」
思いが自然と口をついて出た。謙吾は状況を理解できていなかったが、彼女の声が戦いの間中、絶えず彼に勇気と指針を与え続けてくれたことを思い出していた。
「お前、もな? ……私はちょっと寝るわ」
そう言うとマラミは静かに部屋を出ていった。
彼女の足音が遠ざかると部屋には静寂が戻り、謙吾は再び自分の存在を確かめるように息をついた。
しばらくしてテオが医者を連れて戻り、顛末を語り始めた。
「どこから話せばいいかな……自分が白い剣を出したの、覚えてるか?」
テオは思い出すようにゆっくりと話を進める。
「五芒星の力はそんなことにも使えるんだな、すごいもんだよな。その白い剣でお前はオー・ズヌの紅蓮の炎を断ち切ったんだ。そして、その力の反動で、お前はその場でぶっ倒れた。……オー・ズヌも限界だったんだろうな。顔はめちゃくちゃに変形して、『このやロオオおお!』とか叫びながら、暴発寸前、爆発待ったなし! みたいな状態だった。そして、最後に、ヤケクソだったんだろうな、マラミとチズを襲おうとしたんだよ。でもその時、意識が戻ったドウカンが二人をギリギリで庇ってくれた。ドウカンもこの時に右腕を吹っ飛ばされてしまったんだが……そのまま無事に、ドウカンがオー・ズヌの頭をかち割って、それで、終わり。俺たち完全勝利。里のみんなも、死人が出ることなく無事だったよ。全部、お前のおかげだよ」
「英雄が、助けてくれた……」
謙吾は思い出したように呟いた。
「そうなんだよな。お前の洗浄魔法、正しくは五行の力か? それでみんなにかかっていた洗脳魔法を解くことができたじゃん? その時に英雄にかかっていた魔法や魔族化の進行にもいい影響があったんだろう。彼が一瞬、正気に戻ったのを俺も見たよ。ヨシヴが守ってくれなかったら、本当にオー・ズヌに全滅させられてたかもな。やっぱり英雄は英雄だったな……」
「ライコウ……アバスさん、カタリーナさんは?」
「みんな無事さ! 里中の医者と、マラミを含めた治癒魔法持ちが、この二日間フル稼働してたからな。まるでひどい野戦病院みたいだったよ(笑)」
テオはそう苦笑いした後に、顔を曇らせた。
「ただ……カタリーナがな、俺を庇った時の傷が結構深くて……ここでは治療しきれなさそうなんだ……まあ、あれだ! 色々あるけど、今はもう少しゆっくり休ませてもらえ。また来るよ!」
テオはそう言って、軽快な足取りで部屋を後にしていった。
その背中を見送った謙吾は、テオの言葉を一つ一つ噛みしめるように心に刻んでいった。
そして、謙吾の胸に、じわじわと安堵の波が広がっていく。するとまるで、緊張の糸がぷつりと切れたかのように、身体中の力が抜けていった。
忘れかけていた疲労が、今になって一気に蘇ってくる。そばに置かれた水を飲み干した後、謙吾は再び深い眠気に包まれた。
* * *
朝の柔らかな光が部屋に差し込み、謙吾はゆっくりと目を開けた。外の鳥のさえずりがかすかに聞こえてくる。
昨夜の倦怠感や発熱は不思議なほどに消え去り、身体は再び活力を取り戻していた。
謙吾は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。魔人にやられた右腕には、まだ鈍い痛みが残っていたが、指を握る感覚が戻っているのを感じた。謙吾はそっと腕を動かし、指先が確かに反応するのを確かめる。戦闘の情景が徐々に蘇り、驚きと安堵が交錯する。
「右腕……折れてたよな……治癒魔法、すごいな……」
「私がすごいんだよ(笑)」
部屋の隅に立っていたマラミが軽やかな声で口を挟んだ。
彼女は壁にもたれかかり、微笑みを浮かべながら謙吾を見つめている。
「特製の符も使ってやったんだから感謝してくれよな! まあ、元気になったみたいでよかったよ。このままカタリーナの部屋に行こうか。テオ様もアバスもそこにいるからさ」
「行けるよ、ありがとう」
謙吾は病床からゆっくりと起き上がり、マラミの後を追った。廊下には朝の光が差し込み、静けさが漂っていた。
「──まあ、お前も大概バケモンだけどな……」
マラミが小さくつぶやいた。
病室ではカタリーナがすすり泣いていた。その大きな瞳から大粒の涙が溢れ、頬を伝い、まるで迷子の子供のように泣きじゃくっている。
「テオ様ああああ……足を引っ張ってごめんなさいいいい……(涙)」
マラミは呆れたように肩をすくめた。
「ったく……いつもは偉そうにしてるのに、弱った途端に乙女かよ」
そのやり取りを聞きながら、テオが困ったように笑顔を見せた。
「お……ケンゴ、来たか(笑)」
里の医者によると、カタリーナがテオを庇ったときの傷は予想以上に深刻で、一ヶ月は安静にしなければならないということだった。アバスやマラミにも傷はあったが、数日もすれば再び旅に出られる程度だった。
「まあ……というわけで、カタリーナはここでお留守番だな(笑)」
テオが言うと、カタリーナはさらに声を上げた。
「テオ様ああああ……置いてかないでええええ……(涙)」
そして、泣きじゃくるカタリーナを見ながら、気まずそうにラタンが部屋に入ってきた。
「──お取り込み中失礼するよ。皆様ご健勝そうで何よりだ(笑) 今回の件、騒動を解決してくれたこと、改めて私からもお礼を言わせておくれ。本当にありがとう。君たちのおかげで、里が救われたよ」
ラタンが深々と頭を下げる。
「水臭いなあ! 何言ってるのさ! そもそも爺さんが里の中に入れてくれなかったら、俺たちは何もできなかったよ(笑)」
仰々しくお礼を言われるのが好きじゃないのだろう。テオが冗談で場の空気を軽くしていく。
「ふふふ(笑) 英雄たちはいつだって清々しいのう──して、改めて本題ですが、先ほど無事にドウカン様も意識が戻られた。皆さんも動けるようなら、ぜひお話ししたいとのことですが、いかがですかな?」
ラタンに促され、カタリーナ以外の者たちはドウカンの部屋に向かうことになった。
──背後からカタリーナの泣き声が響き続けている。
「テオ様ああああああ……(涙)」
廊下を歩きながら、謙吾はテオに尋ねた。
「カタリーナさん、どうしちゃったの(笑)?」
「負けたり失敗すると、いつもああなんだよ。狂人少女と呼ばれる所以さ(笑)」
テオは苦笑する。
「……でも、あいつがいなかったら俺は間違いなく死んでたよ(笑)」
「──うえええええええええん(涙)」
大柄な少女の、大きな泣き声に、一同は目を合わせて微笑んだ。
マラミかっこいい><
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