ep.35|ミナト家|鬼の英雄3
ようやく到着した洞窟の前には、混沌が広がっていた。
謙吾の足元には砕けた岩が散らばり、煙が立ち込めている。辺りには不気味な呻き声が満ち、まるで希望そのものを呑み込むかのようだった。
──そこには倒れたアバスとカタリーナの姿があり、テオもボロボロの体を引きずっている。そして彼らの周りには、正気を失い、狂気に満ちた鬼の里の人々が蠢いていた。
「ケンゴ……いいところに……ご覧の通りだよ……里の奴らも、こいつの洗脳魔法とやらでおかしくなっちまった……結構、詰んだかも……」
テオからはいつもの余裕の笑みが剥がれ落ちていた。
「テオ様……お逃げ、ください……」
カタリーナは血の滲む唇をかみしめ、言葉を絞り出した。
「──逃がサなーいよーー!」
明るいオー・ズヌの声が不気味に響く。
「さア! 新しく操られテクれた諸君! この人族の連中を殺シテしまいましょう! それガ終わっタラ英雄様を中心に、モリア領に攻め込んでみマしょうー♪」
「なんてことだよ……こいつは……魔族だったか……」
テオの声は驚愕と絶望に染められていた。
「ウヒヒヒヒはは母はー!!!」
凄惨な戦場に、オー・ズヌの高笑いが響き渡る。
──謙吾の視界に、チズに抱えられたマラミの姿が映った。チズは必死の形相でマラミを支え、広場へと辿り着いていた。
「厄日すぎる……」
マラミはかすれた声で苦々しげに呟いた。
彼女の顔には汗と血が混じり合い、チズに支えられたその腕は恐怖に震えている。
──里の者たちは焦点の定まらない瞳で周囲に牙を剥き、狂気じみた動きで互いを攻撃し合っていた。
彼らの動きはぎこちなく、しかし一貫して容赦がなく、その瞳にはかつての温かさや友情の影は微塵も残っていなかった。ドウカンやマレヨシも例外ではなく、まるで操り人形のように周囲へ冷酷な手を振りかざしている。
あたりは叫び声と唸り声で満ち溢れ、絶え間ない悲鳴が反響していた。その悲鳴は洞窟の石壁に跳ね返り、いっそうの恐怖と絶望を煽っていた。血飛沫が飛び散り、地面は深紅に染まり、負傷者たちが倒れ込む。そこに這いながら必死に助けを求める者の姿が重なり、まるで地獄のような混沌が広がっていた。
「──はいはいーやはり丑寅の木気じゃなイトまだ相性が悪いですネえ……しょうがないデスねえ……同士討ちは早く終わらセテくだサイねえ」
オー・ズヌが無情に言い放つ。
──そしてチズは、虚ろな目をしながら周囲に牙を向くオオヒメの姿を見つけてしまう。チズは堰を切ったかのように絶望の叫び声を上げた。
「な……何これ……何これ何これ…やめて、やめてよ……やめてよおおーーー!」
その声は銷魂に染まり、魂の奥底からの叫びを産み出した。希望は、闇に飲み込まれていた。彼女の目には涙が溢れ、震える手で必死にオオヒメに近づこうとしたが、恐怖と悲しみが彼女を捕らえて動かさない。
「おお、アナたは効果範囲にいらっしゃらナカったのですねえ、残念ですねえ。正気でこの光景を見るとはかワイそうに(笑) モう一度広域に展開しますからお待チくださいねエ」
オー・ズヌは冷ややかに笑いながら、中空に複雑な術式を描き始めた。その手は淡い光を放ち、不吉な紋様を浮かび上がらせる。
「──英雄さん……助けてよ……助けてよ…ライコウ兄ちゃぁぁぁん!」
チズの絶望の叫びが一帯に響き渡る。
その咆哮は抑えきれない感情の奔流となり、空気を震わせた。
──そして、彼女の叫びと共に、その懐が紫色に光り始めた。
その光は温かく鮮やかで、周囲の邪悪な空気を包み込むように溢れ、辺り一面に広がっていった。まるで生き物のように波打ちながら、冷たい石壁や地面を照らし出し、狂気の渦巻く広場を優しく、そして力強く照らし返した。
「な、なんダあああ????」
オー・ズヌは予期せぬ現象に驚愕の声を上げる。
──その光が周囲に放たれ、それを浴びた鬼族たちの動きが一斉に鈍くなり、狂気に満ちた攻撃を止め始めた。
焦点の定まらない瞳には一瞬の戸惑いが浮かび、次第にその瞳に正気が戻り始めたように見えた。彼らの瞳は、まるで長い夢から覚めたかのように、徐々に理性の色を取り戻していった。
「──ううう、チズ……? みんな……」
ライコウの目にも光が宿り、彼の顔にかすかな表情が戻ってくる。
オー・ズヌは怒りに震えながら叫んだ。
「なんだ? 何ヲシた小娘?! 洗脳が……解ケたあ……??」
広場には一瞬の静寂が訪れ、紫の光に包まれた鬼族たちがゆっくりと正気を取り戻していく。冷たい風が吹き抜け、戦闘の爪痕が色濃く残る中で、その光はまるで希望の象徴のように煌めいていた。
「──なんダナンだなんだ何をしタノ小娘ええええ??? 偉大なお力に何しテクれちゃったノオお??? 無礼は許シマセんよおおヲお!!!」
オー・ズヌの怒りに満ちた叫び声が、まるで雷鳴のように響き渡る。
「ほら英雄、見セ場だ! その死に損なイヲ薙ぎ払エ!!!」
オー・ズヌの冷酷な命令が、鋭利な刃のように場を切り裂いた。
──その言葉が響くと同時に、魔人は狂気に駆られたように暴れ出す。
その動きは暴風のごとく、瞬く間に謙吾たちに襲いかかる。魔人の巨大な腕が謙吾、マラミ、そしてチズに向かって振り下ろされた──空気が裂ける音と共に、その圧倒的と思われる一撃が眼前に迫る。
「くっ……!」
謙吾が反射的にマラミとチズを庇おうと動く──その瞬間、彼らの前に風が巻き起こり、鋭い閃光が走った。
──ライコウが飛び込み、魔人の一撃をその刃で受け止めたのだ。衝撃波が周囲に広がり、地面が震える。
「ち、父上……ううウウうう」
ライコウの声が苦しげに響く。
その瞳にはこれまでの躯のような影はなく、強い意志が宿っている。そして、かつて肉親だった者に向き合い問いかける──その問いかけに魔人は動きを止め、混乱したように目を見開いた。魔人の赤い瞳が揺らぎ、まるで何かを探すかのように周囲を見渡す。
しかし──その希望の瞳はすぐに狂気の闇で閉ざされていった。
「ブもおおおおオオおあ!」
魔人は再び猛然と腕を振り上げた。
その動作は風を切り裂き、大地を震わせる──猛烈な一撃が二人直撃し、ライコウと謙吾は宙を舞った。
「うわぁぁぁ!」
風が彼の耳元で唸り、周囲の景色が回転する。鈍い音が聞こえ、地面に激しく叩きつけられた衝撃が全身を襲い、肺の中の空気が一気に押し出された。痛みが骨の髄まで響き、意識が一瞬遠のく。
ライコウも同様に空中で翻弄され、地面に転がり込み呻き声を上げた。彼の体は土煙にまみれ、砂粒が血と汗で濡れた肌に張り付いている。
「──よおおおおし! もおヒトオしですかあアアああ」
決着を確信するオー・ズヌの声が周囲に響く。
──しかしその瞬間、マラミの叫びがそれを遮った。
「ケンゴ……浄化魔法だ! さっきの紫の光は、昨日お前が笛にかけた浄化魔法だよ! 限界、、フルパワーで浄化魔法を放て!!!! 状況変えろ!」
謙吾はまだ意識が朦朧としている。
ただ、あの紫の光が状況を好転させたのは確かだった。マラミの必死の叫びに揺り動かされるように呼吸を整え、全身に力を込めた。尋常ではないスピードで心臓が鼓動している。
「水式─ニの型『斎戒』……!!」
謙吾は全力で、浄化魔法を放った。
──辺りには一瞬の静寂が訪れる。結ばれた印から放たれた紫の光が瞬く間に広がり、辺りを眩しい光で包み込む。その光は暖かく、そして夜明けのように暗闇を打ち払っていく。
* * *
──その光が消えた後も、地面は淡い光を放っている。
光はその場に立てていた謙吾とオー・ズヌだけを、静かに照らし出すしていた。
魔人を含め、鬼たちは地面に突っ伏し、まるで操り人形の糸が切れたかのように動かない。
──オー・ズヌは混乱した声を上げる。
「は……?? なニなに……???」
「……洗脳が解けた……ケンゴ、そのハゲをやれ!!!」
静かな空気を破るようにマラミの声が鋭く響く。
謙吾はその一言で一気に決意を固める。
「なナんだヨオオおおお!! うまクイってたのニなんだヨオおおおおおお!!」
絶望と怒りが渦巻き、狂気で顔が崩れていくオー・ズヌ。
「殺すKroすコロス殺すウウウうUUううう!!」
オー・ズヌが再び中空に印を結ぶと、周囲に凄まじい魔力が集まり始める。
──その力は赤い竜巻のように巨大な渦を巻き、周囲の空気を歪ませる。
「こ、こいつ、ヤケクソかよ。これはやべえぞ、ケンゴ! 早く!」
マラミの叫び声を遮るように狂気が響く。
「おそOOOおおオイイい! 全員焼シツ確定いいいIIいぃイィぃ!」
オー・ズヌの凄まじい魔力が頂点に達し、巨大な紅蓮の炎の柱が天高く舞い上がった。その炎は全てを焼き払おうとするかのように燃え盛り、周囲の塵すらも瞬時に消し去っていく。
「──焼き尽クセエえええ絵え!」
オー・ズヌの叫びが狂気のように響き渡った。紅蓮の炎がその帷を下ろし、まるで生き物のように広がり始める。炎の壁は猛々しくうねり、周囲を飲み込もうとする。空気が熱気で歪み、息をすることさえ困難になった。
「あー、、、、終わった(笑)」
マラミが呆けたように声をあげた。その顔に諦めと皮肉な笑みを浮かべて。
──次の瞬間、突如として魔人がその巨体を持ち上げ、炎の前に立ちはだかった。
すでに焦げ始めた自身の肉体を省みることなく、燃え盛る炎に抗っている英雄の姿がそこにはあった。魔人だったものの瞳には揺るぎない決意が宿っている。
「ぐぬうううウアあああああ!」
ヨシヴの絶叫が混沌の戦場に響き渡る。
彼の皮膚は赤黒く変色し、焦げた肉の不快な臭いが漂っていたが、ヨシヴはそれを意に介さない。その声には、計り知れない痛みと共に、強い意志が込められているように聞こえた。
その背中は、自身の存在意義を証明するかのように力強く、その全てが何かを守るためだけにあるかのような、そんな慈愛に満ちていた──燃え盛る炎の海を遮るヨシヴ。その姿はまるで、地獄の業火から蘇る神の使徒のように見えた。
「ち、、、父上……」
ライコウがその姿を砂を噛みながら見上げている。その頬には涙が伝っていた。
──やがて、その英雄は力尽き、重力に引かれるようにその巨体をゆっくりと地面に倒し、そのまま動かなくなった。
体からは蒸気が立ち上り、周囲には焼け焦げた臭いが漂っている。
「──ふざっ、、ふざっ、、ふっざっケンなこのポンコツがあアあ!」
オー・ズヌは怒り狂い、震える手で再び印を結ぶ。周囲に絶望が蘇る──手に集まる黒い炎が、周囲の空気を焼き尽くさんばかりの熱気を帯びて渦巻き始める。その炎は、まるでオー・ズヌの怒りそのものが具現化したかのように。
「焼き尽くストいったら焼き尽くすのヲおおオオ男ぉ!!!」
「や、やめろおお!!!」
謙吾の叫びがオー・ズヌの穢らわしい声をかき消した。
──そして謙吾の咆哮と共に右手に五芒星の紋様が鮮やかに浮かび上がる。その中心には十字の紋様が眩い光と共に煌めく。まるで天からの啓示が降り立ったかのような光景に、周囲の空気が震えていた。
十字の紋様と呼応するように、謙吾の右手に握られた剣が白い光をまとった。その光は次第に菖蒲の葉のような優美な形へと変化していく──光り輝く刃は、粉塵舞う戦場の中で一筋の希望の光のように、あたり一面を照らし出した。その輝きは冷たく澄みながらも、戦場に倒れる者たちの心の奥底にまで温もりを届けるような、そんな神聖な力に満ちていた。
──そして謙吾は、導かれるようにその白い光刃を振るう。
一閃が振ると、白い光刃はまるで天と地を貫くように広がり、紅蓮の炎を瞬く間に飲み込んでいく。闇夜に差し込む一条の光明のように。
──白い光がオー・ズヌと炎を包み込むように切り裂き、周囲の空気が一変する。
「え、、、えエエ絵ええぇぇ……………」
オー・ズヌは、光に消し去られた影のように力なく、地面に崩れ落ちた。
砂埃が舞い上がる中、謙吾の立つ場所だけが静寂に包まれ、時間が止まったかのような一瞬が訪れた。
そして謙吾も、力尽きたかのようにその場に倒れ込んだ。
大混乱&大乱戦です!
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