ep.34|ミナト家|鬼の英雄2
謙吾は洞窟の闇を抜け、荒い息を整えながら進んでいった。
洞窟の奥深くに響く滴り落ちる水の音が、不気味な静寂を破っている。彼の心臓の鼓動が耳にまで響き、緊張と焦燥が交錯する。そして、目の前に現れた光景に謙吾は目を見開いた。
──牢の前には、ボロボロになったマラミが、チズを守るように倒れていた。
その全身には無数の傷が走り、血が滴り落ちている。その後ろには震えながら隠れるチズの姿があった。
「おせえんだよ……」
息も絶え絶えのマラミが、かすれた声で謙吾を迎えた。
背後にいるチズの大粒の涙が地面に落ちる。彼女たちの姿が謙吾の心をひどく動揺させる。
「ケンゴお兄ちゃん……」
チズが涙を流しながら震え声で続けた。
「マラミお姉ちゃんが私を庇って……私を……ごめんなさい……」
その言葉が謙吾の心をさらに締め付けた。彼女の小さな体は震え続けている。
──そして、牢の奥から冷たい声が響いた。
「はいはいもう遅いヨー! 英雄さんも僕の奴隷に洗脳しちゃっタヨおー!」
声の主はオー・ズヌ。そして粉砕された牢の扉をくぐるようにその姿を表したのは、3メートルはあろうかという巨躯の魔人だった。
その圧倒的な存在感に謙吾は息を呑んだ。魔人の赤い目が鋭く光り、その体は筋肉の塊のように見え、それが一歩踏み出すたびに地面が震えた。
(──守らなきゃ……)
謙吾は心の中で呟き、恐怖に立ち向かう。
全身に緊張が走り、筋肉が硬直する。しかし、その目には決意が宿っていた。マラミとチズを守るため、ここで退くわけにはいかなかった。
「──ここからは俺が、守る……」
謙吾は震える足で、一歩前へと踏み出し、剣を構えた。
オー・ズヌの狂気じみた笑みが彼を挑発するかのように浮かんでいる。
「ライコウとトモエも、いい洗脳魔法の実験台だったヨオ。おかげで英雄も無事に従えることができタハハはは。案内ありがとうなあアアあ」
オー・ズヌは狂ったように笑い声を上げ、その狂気じみた笑いが謙吾の怒りを煽る。
マラミは苦しげに息を整えながら、低く唸るように言った。
「こいつは英雄さんの洗脳を狙って、鬼の里に近づいたんだな……私らが来たのは最悪のタイミングだったってわけか……」
「はハハッは。まあ……鬼族は全員洗脳する予定だったから、どうでもよかったけどなアア。お前らのおかげで里の警戒も緩ンデたのはありがたかったなあアハハはは」
オーズヌはさらに笑い声を響かせ、マラミは観念したかのような顔で苦笑いを浮かべ呟いた。
「最悪だ……これは死んだかな……(笑)」
「──と、いうことでさらばだ若き方士よよ夜。せっかくの眼鏡を壊していタだいた借りだけ、ちゃんとお返ししようねえ。火式─四の型『炬火之巳』……」
オー・ズヌがマラミに向かって印を結ぼうとしたその時──
「やめろおおおお!!」
謙吾は、胸の奥から湧き上がる怒りに身を任せた。
手には五芒星が浮き上がり、紫色の光を放る。心臓の鼓動が激しくなるのを感じながら、謙吾は剣を抜き、オー・ズヌに向かって踏み出す。五芒星の輝きがさらに強くなり、全身に異形の力が漲るのがわかる。
「──ブフううううううううう!」
謙吾を遮るように、先ほどまで英雄と呼ばれていた存在が襲いかかる。3メートルを越えようという巨体が影を落とし、その一撃一撃が大地を揺るがす。
──謙吾は力に身を任せ、その魔人の一撃を止めて見せた。
金属がぶつかり合う音が響き、火花が闇に散る。
魔人の力は凄まじいが、謙吾も決して引かない。魔人の拳が振り下ろされる度に、時には受け止め、時には身をかわし、鈍重な巨漢に反撃を加える。謙吾が斬りつける度に鮮血が飛び散るが、魔人に躊躇はなく、その動きを止めることはない。
「お前はどけえええ!!」
謙吾は叫びながら、魔人の胸元に剣を突き立てる──しかし、その巨体は剣を弾き返し、再び襲いかかる。お互い決定打に欠ける。謙吾は魔人の動きを見極め、隙を狙う。剣先が魔人の腕を切り裂き、深い傷を負わせるが、それでも対象は凶暴さを増すばかりだ。
力は拮抗している。互いに一歩も譲らないまま、戦いは激しさを増していく。
魔人が大きく振りかぶった瞬間、謙吾はその動きを見切り、再び踏み込む。剣が閃き、首に切先が届こうとするが、魔人も一瞬で反応し、攻撃を弾き返す。
「……なんだその力は……? あのカタリーナとかいう女が、お前らの最高戦力ではないのか???」
オー・ズヌの顔には驚愕の色が浮かび、声が震えた。
「へっ……バケモノは、あのデカ女だけじゃないんだよ……」
マラミは不敵な笑みを浮かべて答えた。
「ふハハは、なラバこうだ! そこノ女をやれ!」
オー・ズヌが指示を出すと、魔人は急に向きを変え、マラミとチズに向かって突進した。
「──や、やめろおおおお!」
謙吾は必死に叫び、全身の力を振り絞って二人の前に立ちはだかった。
ゆっくりと流れる時間の中で、魔人の巨体が迫り来る。謙吾の心臓は鼓動を早め、全身に冷たい汗が滲んだ──その巨大な拳が空を切り裂き、土砂崩れのように謙吾に振り下ろされる。
──魔人の一撃はまるで山が崩れ落ちるような衝撃だった。
その衝撃波で、周囲の砂や岩が巻き上がる。謙吾はその拳を受け止めようと構えたが、魔人の力に圧倒され──左腕に直撃を受けた。
骨が砕ける音が耳に響き、激痛が全身を貫いた。腕の骨が粉々になり、肉が裂け、血が吹き出す。視界が白くなり、謙吾は魔人の腕を止めながら、その場に膝をついた──
「うハハはっは、致命傷ゲットおオオヲお。ヨシヴ、そのまま全員押し潰してシマってえエエ!」
オー・ズヌの狂気に満ちた笑い声が、謙吾の耳に微かに届いた。
砂煙が舞い上がる中、謙吾は倒れ込みながら、意識が遠のいていくのを感じた。走馬灯のように過去の記憶が駆け巡る。
──謙吾を抱き上げる父親の笑顔、夕飯の醤油と砂糖の香り、笑い声が響くリビング、水泳のクラスが終わった後の教室の匂い、紗英が振りまく笑顔、仲間と歩いた富士山、小鳥の囀りと木々のざわめき、その中に、富士山北麓で見た、淡い光が、遠くに、見えた。
光は自らの意思を持つかのように柔らかく揺れながら、謙吾に近づいてくる。
そしてその光は謙吾に語りかける。耳を澄ますと、遠い昔の記憶が風に乗って囁かれるように声が聞こえてくる──
(私トノえにシによリ授けられル力を授けよう──竜ノチかラを授ケヨう──これカラも、共ニ、歩もう)
──謙吾は目を閉じ、光と一体となる感覚に身を委ねた。
光はこの世界の秩序と調和を象徴しているかのようだった。光の中には、大地の息吹、風の囁き、川の流れ、木々のさえずりが詰まっている。それら全てが一つとなって、力を与えてくれているようだった。光は祝福そのものであり、謙吾は全身でその恩恵を受け取る。
再び目を開けると、右手の甲に浮かぶ五芒星が煌めき、辺りを淡い紫色の光で包んでいた。
あんなに恐ろしく見えた魔人の姿が、今ではただの影のように見える。
謙吾は深呼吸をし、冷静に右腕を振り上げた。
──魔人の巨体は宙を舞い、巨大な岩が弧を描くように遠くへ弾き飛ばされ、大地に轟音とともに衝突した。
「……はあ、はあ、はあ……」
辺りを埋め尽くした紫の光が弱まる。謙吾に身体の感覚が戻り、左腕に激痛が走る。
「──おおヲオオオお??? なんダナんだお前面白いなああ。それはミナカヌシの力じゃないかかか?? 面白い面白いなあアアアあ。もっとその力を見せてみロオ!!」
オー・ズヌの顔には好奇心と狂気が入り混じった笑みが浮かんでいた。
謙吾がその声に反応する間もなく、オー・ズヌは魔人に目配せをすると、再び叫んだ。
「プラン変更だダダダだあああ。ヨシヴ行くぞ。はははっはあhお前らついてこいいいい」
その言葉と共に、オー・ズヌは魔人に抱えられた。魔人の凄まじい跳躍で二人は奇岩の壁を越え、洞窟の入り口の方へと飛び去っていった。
「ま……待て……!」
謙吾は躊躇することなく、洞窟を駆け戻り、オー・ズヌと魔人を追いかけた。
──足はふらつき、全身の筋肉が悲鳴をあげている。それでも、前に進むことをやめなかった。立ち止まることなど許されなかった。
(光が、、力を導いてくれたのか……?)
まるで自分の無力さを見守り、励ましてくれるかのような光の力に、改めて深い尊敬の念が湧き上がる。
同時に、あの驚異的な英雄の力と、底知れぬ謀略を隠し持つオー・ズヌに対して、戦慄が蘇る。
(本当にやれるのか……?)
左腕の感覚が、激痛と不安と共に戻ってくる。
(テオたちと一緒なら……)
この異世界で得た心強い仲間たちとの共闘が希望となり、謙吾は前に進むことができている。
彼の胸には、新たな仲間と共に戦い抜く強い決意が宿っていた。光が消えた今でも、その一瞬の力が彼に残したものは大きく、その道を共に進む勇気となっていた。
「不可能なことはない……光が『やれる』、そう言っている!」
謙吾は全速力でオー・ズヌと魔人を追っている。
謙吾君痛そうです…がんばれ!
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