ep.24|ミナト家|三国周遊のはじまり2
夕飯の支度を手伝っている謙吾に「──静かに剣を取って」そう囁いたのはカタリーナだった。
カタリーナはテオの兄でペイディアスの弟、ニアルコスという頭脳明晰で有名な王子様の側近らしい。その巨躯から繰り広げられる剣戟はモリア領最強の呼び声も高い女傑、とテオが紹介してくれた。
「兄貴からお目付役が派遣されてきたってわけだ(笑) 本当に俺のことを心配してくれてるの半分と、もう半分は、ケンゴ、お前の情報収集ってとこだろうぜ」
道中で悪そうに笑ったテオの顔が思い出される。
──そんなカタリーナが緊張した面持ちで「剣を取って」と鋭く言った。その声には緊迫感が滲み出ている。同時にアバスには「テオ様を守って」と冷静かつ迅速に指示を出した。
湖は静かに風で揺れ、不気味な静寂に包まれていた。水面に広がるさざ波が、まるで何かを予感させるかのように不気味に揺らめき、木々のざわめきさえも凍りついたかのように静まり返っている。
「あれは……漂ウモノか……こんな時に……」
アバスが難しそうな顔で湖の浮島を見ている。
「漂ウモノって……?」
謙吾の問いに、アバスが浮島から目を逸らさずに答える。
「皇国が魔族と戦争中という話は前に城で聞いたな? 我々と明確に敵対しているのは、高い知性を有する『魔人』と、それに準ずる『魔物』という存在だ。魔族は魔素が濃い地域でしかその力を発揮することができない。我々はそんな土地を『穢レノ地』と呼んでいる。そして、魔人と魔物は皇国の中の穢レノ地を転々と移動する習性があるんだ。その移動途中の、魔素が薄いここみたいな土地では本来の力を発揮できない。だからああやって、自然に擬態して我々の目を欺くんだ」
謙吾がよく見ると、その岩はまるで生きているかのように禍々しいオーラを放っていた。
岩の表面には奇妙な窪みがあり、それがまるで恐ろしい顔を形作っているように見える。目のような窪みは深く陰り、口を開けたような裂け目は不気味な笑みを浮かべているようだ。
周囲の空気が重く淀み、岩の存在がただならぬ力を秘めていることを謙吾も感じ取った。その場から目を離すことができず、心臓は早鐘を打つように激しく鼓動した。
「──はい……あれは漂ウモノです。多分、まだサナギ。進化途中の魔物……」
先程から湖畔を眺め続けていたマラミがこちらを振り返らずに答えた。
「で……穢レノ地に辿り着いて本領を発揮する前の、移動中の中途半端な魔族を漂ウモノと呼んでいて、発見次第の即時討伐が推奨されている、と」
そう言いながらカタリーナが剣を抜いた。
「やるよ! アバス! 『マッドチェイン』で足止めをしろ! マラミ! あの浮島まで足場を作れ!」
カタリーナから明確な指示が飛ぶ。
同時に彼女は剣を抱えて疾風のように走り出した。鋭い目が敵の動きを捉え、その全身から発せられる闘志が周囲の空気を震わせる。
「はーい……」
マラミは気の抜けた返事とは裏腹に、目にも止まらぬ速さで印を結び、小さく呟いた。
「水式─八の型『氷山泊』」
その声が風に乗って広がる。空気が震え、瞬く間に湖面が変化し始める。冷たい霧が立ち込むと同時に氷の結晶が形を成し始め、まるで生きているかのように連なり湖面に氷の道を創り出していく。
「マッドチェイン!」
アバスも反応し、大地に手をつけ低く呪文を唱える。
その声が響くと浮島の地面が震え、泥が渦を巻き、その土壌が沈み込むように揺れ動く──と同時に、浮島手前に到達したカタリーナが大きく跳躍し、叫び声と共に標的に斬撃を振るう。
「うおおおおお!」
カタリーナの剣が漂ウモノの岩のように硬い肌に触れると、標的は鈍い音を立てて二つに割れた。
その瞬間、それはこの世のものとは思えない叫び声を上げ、体を大きく傾けた。そして、ずしんという重々しい音と共に、巨体を地面にめり込ませた。
「──ふんっ」
着地したカタリーナがそのまま大刀を標的に突き刺す。
傷口からは噴水のように黒い液体が吹き出し、漂ウモノと呼ばれる存在が絶命したのが分かった。
「──ふう……退治完了、っと」
カタリーナが飄々とした顔でこちらに戻ってくる。
先ほどまでの緊張感がまるで幻だったかのように、水面は静かに揺れていた。彼女の足音が、静寂を破ることなく湖の岸辺に響く。
「化け物はどっちかなあ……」
マラミが小さく呟いたのが聞こえた。
「さすが……巨刃少女のカタリーナだな…」
テオも目を丸くして驚いていた。
謙吾の右手で紫色に光っていた五芒星は、行き場をなくしたように静かに消えていった。
* * *
「待って……まだ何かいる……」
マラミの声に一同は再び緊張を走らせた。
暗闇の奥に目を凝らすと、二つの影がぼんやりと浮かび上がっている。
「なんだ……? 人、か……?」
アバスが低くつぶやく。
わずかな月明かりに照らされた影は、ゆらゆらと水面の光に反射し、幽霊のように漂っているように見えた。
「──誰だ? さっきのは魔族との戦闘だった。こちらに戦闘意思はないぞ!」
アバスの問いかけは、静寂の中に響き渡る。しかし、その声に答える者はいない。
二つの影はじりじりと間合いを詰めてくるように見える。思わず息をひそめる謙吾は、自分の心拍が、暗闇と静寂の中で一層大きく感じられた。
「──マラミ、光」
警戒を解かず、簡潔に指示を出すカタリーナ。その声は先ほどの勝利の余韻を微塵も感じさせない。マラミは即座に反応する。
「火式─五の型『照子』」
カタリーナへの返事の代わりに、マラミの手が優雅な動きで空中に静かに紋様を描いた。
中空に光源が生まれ、辺りを照らし闇を切り裂くと、二体の男女の鬼の姿を浮かび上がらせた。彼らの虚ろな目は、魂のない穴のようにこちらを見つめていた。
──その瞬間、その二体は一斉に剣を抜き、こちらに襲いかかってきた。
「くそっ!」
前列にいたアバスとカタリーナが瞬時に構えを取る。
アバスの手が素早く剣の柄に滑り、カタリーナは鋭い目で鬼の動きを追う。時間が凍りついたかのような一瞬、周囲の空気が一層冷たくなり、彼らの息遣いさえも白く浮かび上がった。
──女鬼の剣戟は、まるで稲妻のように凄まじい速さで繰り出され、アバスはその嵐のような攻撃に必死に対応する。謙吾は不思議と目で追えるその動きを呆然と見つめている。
アバスの剣は次々と弾かれ、守勢に立たされるばかりだ。女鬼の動きは舞う蝶のようにしなやかで、その一撃一撃が鋭く、正確にアバスの急所を狙い続けている。
男鬼の剣筋は滑らかに繰り出されながらも、まるで山のような重厚さを感じさせる。その一撃一撃が大地を揺るがすかのように、その剣を受けるカタリーナの身体に激しい衝撃を与え、その振動は謙吾の足元をも小さく震わせていた。
凄まじい剣戟の応酬の中で、カタリーナの筋肉が緊張し、汗が額を流れているのが見えた。それでもカタリーナの動きも力強く、剣の一振り一振りが確実に男鬼の攻撃を受け止めている。
「こんな奴がいるのか……!」
カタリーナはその異様な強さに圧倒されつつも笑っている。
一方、防戦を強いられているアバスは悲鳴に近い声を上げる。
「なんだこいつらは!? まるで悪夢だ……」
依然、女鬼の動きは一瞬も止まることなく、次々と攻撃を繰り出し続ける。女鬼の目が一瞬光る。次の瞬間、女鬼は閃光のような速さで踏み込み、連撃で体制を崩したアバスの剣を弾く。アバスの剣が宙を舞い、その剣が地面に落ちるよりも早く、女鬼の剣先が冷酷にアバスの喉元に迫る。
「──危ない!」
謙吾は迂闊に加勢できない混沌を抜け出し、自分でも予測できない速さで瞬く間に間合いを詰め、疾風のような剣戟で、女鬼の右手から剣を叩き落とした。
さらに事態が混沌としようとしたその時──
「やめなさい! その人たちは敵ではない!」
突如として老人の声が響き、二体の鬼はその動きをピタリと止めた。2人の鬼はこれまでの火が出るような攻勢が幻だったかのように静止し、深淵を宿したかのような瞳でこちらを見ている。
──あっけに取られる謙吾たちをよそに、動揺した様子の老人が森の中から姿を現した。
「す、すみません、邪悪な魔素を感じたので魔族だと思ってしまいました……こちらにも無駄な戦闘の意思はないのです」
マラミの光源が逆光となり、老人と二体の鬼の姿をシルエットに変えた。その影は長く伸び、不気味に謙吾たちの足元に這い寄っていた。
素直なアバスもかわいいですよね。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。ブックマークと☆のワンクリックが本当に励みになります! 楽しんで読んでいただけるように頑張りますのでどうぞよろしくお願いいたしますmm