ep.16|モリア家|伯爵領ヨシア城への帰還3
「おやじさん……怖すぎじゃないか……? できれば、もう二度とお会いしたくないかも……」
謙吾は疲労感が滲む顔で、テオにぼそりと声をかけた。ケラケラと笑い続けるテオの背後には、アコシアとアバスが、どこかいたずらっぽい笑みを浮かべている。
大広間での謁見が終わり、あの緊張感から解放された空気が廊下に漂い始めた。壁の陰からは、風の音すら冗談めいて聞こえてきそうだ。
「──よし、ケンゴ。今日はもう十分だろう。こちら側で宿を手配しておいた。疲れているだろうから、しっかり休んでくれ」
ペイディアスの口調は、軍団長としての厳格なそれから、謙吾を労るような穏やかな口調に変わっていた。
「へへっ、宿は最高の場所だぜ。ふかふかの布団に温泉、全部揃ってるから、たっぷり楽しんでくれよ(笑)」
テオが嬉しそうに、目を輝かせながら付け加える。
「ありがとうございます。あの、客将待遇って……具体的には?」
「まあ、国外からの来賓と同じような扱いだ。滞在中の衣食住はもちろん、街での行動も自由にできる。初めての街だから、いろいろ見て回りたいだろう? 活躍したお前にはふさわしい待遇だ、遠慮するな」
「恐縮です……」
謙吾はペイディアスがワミ鉱山での約束を守り、これほどまでに気を遣ってくれた優しさと誠意に胸が熱くなった。
「マザイ先生のところは、明日にしましょうか。今日はゆっくり休んでください。宿までは私が案内しますね」
アコシアが穏やかに声をかける。その声にはペイディアスと同じく優しさが滲んでいる。
「宿まで俺も送るぜ!……っていうか、ヨシアの酒が恋しくなってきたところだ」
喉を鳴らすテオが、悪びれもせず言い放つ。
「酒場でケンゴの歓迎会と洒落込もうじゃねぇか!」
「ダメですよ! 帰ったその日から酒盛りなんて、テオ様も疲れてるんですから今日は休んでください!」
「まあまあ、いいじゃないか」
「……テオ」
「はい……」
最後はペイディアスの冷たい視線に抗えず、テオはしぶしぶ諦めた。
こうして、一行は解散となり、謙吾はアコシアと共に、宿へと向かうことになった。再び城下町を抜け、夕暮れの静けさが少しずつ忍び寄る中、活動拠点となる宿へと足を進める。その道のりは、新たな生活の幕開けを予感させるものであり、どこか心が躍るような不思議な感覚が謙吾を包み込んでいた。
──城周辺の白壁の騎士長屋が並ぶ通りは、整然としていて実に美しい。各長屋の前には、手入れの行き届いた花々が咲き誇っていた。
ヨシア城の城下町はやはり賑やかで、モリア家の特産物が並ぶ市場は特に目を引く。そこでは、緻密な細工が施された工芸品や、新鮮な海産物、香り高いお茶などが売られており、通りを歩くだけでこの地の成熟した文化が感じられた。
通りには、焼き物を作る職人たちの姿もあり、彼らの手によって生み出される陶器は、見事な細工が施されていた。店先には色とりどりの陶器が並び、見る者の目を楽しませる。細かな花模様が描かれた茶碗、力強い筆致で描かれた花瓶、鮮やかな色彩で彩られた皿、それぞれが職人の技と情熱を物語っていた。
市場の賑わいは、一日の終わりを告げる夕陽に照らされ、黄金色に輝いていた。商人たちの声が響き渡り、行き交う人々の顔には笑顔が溢れている。
手配してくれた高台に立つ宿は、テオの言う通り、高級旅館を彷彿とさせる荘厳な佇まいをしていた。
宿の前まで来ると、アコシアが改めて姿勢を直し、ケンゴに向き直った。
「──ケンゴ君、今日は……いや、7日間の行軍、本当にお疲れ様でした。あなたのおかげで私たちも大きな戦果を上げることができました。モリア家は自国西端の『カカン海峡』を挟み、魔族と緊張関係にあります。ワミ鉱山から採掘できる銀は経済的にも、兵器開発のためにも重要なリソースです。可能な限り原状回復した上で、鉱山に巣食った魔獣の討伐が求められていました。今回の作戦で人的な被害はもちろん、鉱山への被害も最小限に抑えることができたのはあなたのおかげなんです──心ばかりですが、我らがモリア領での滞在を、ゆっくりと楽しんでください」
名家の出だという話は本当なのだろう。この行軍で、友人と言っても差し支えない程度に打ち解けたアコシアだったが、こうして改めて凛とした姿で応対されると、謙吾の背筋も否応なく伸びる。
「また、明日! お昼頃には迎えに来るよ! 疲れた体をゆっくり休めて!」
任務を終え、いつもの笑顔に戻ったアコシアは颯爽と去って行った。
──目の前にあるのは現代の高級旅館を彷彿とさせる平家の建物。背丈をこえる大きくモダンな暖簾をくぐると、広々とした玄関には和装に似た服に身を包んだ従業員が並び、心地よい香りと共に出迎えてくれた。
シンプルながらも行き届いた手入れと、洗練された雰囲気に包まれた空間。この異世界で感じる趣に浸れる和みの場所。広大な敷地に客室はわずか七室。そのそれぞれに設置されている専用露天風呂。
圧倒される謙吾を、静かな笑みで女中と思われる従業員が温かく先導する。心地よい静寂が続く廊下を抜け、案内された部屋は主室、寝室、リビングの三間から成る広々とした匠の空間。視線の先には、リビング奥に大きく取られた一枚窓と、その先に映える庭、更にはそこに浮かぶ専用露天風呂。
「俺……普通の高校生なんだけどな……(笑)」
──この世界に降り立って8日。
テオとの出会いから始まり、剣を取り、魔獣を狩り、異世界の騎士たちとの連日の行軍と、そこで聞かされる知らない世界の常識。脳内のキャパはとっくに限界を迎えていた中で突如通された、前の世界の面影で彩られた和みの空間。謙吾は改めて自身の置かれた状況を思い返すと、苦笑いしかできなかった。
この異世界に来て初めて、我が家のように心地いい、ゆっくりと流れる静かな時間の中で、謙吾はこれからの事を改めて冷静に考えることができた。
(テオやアコシアと一緒に、明日からまずは情報収集だ。自分の力のこと、この世界のこと、自分の仲間のこと。やらなければならない事はたくさんあるんだろうけど……まずはそこに集中しよう。神様? は僕たちに、この世界で生きて行くには十分な力をくれたんだろう。まずはそれを頼りに生き抜いて、そしてみんなと集まろう。色んなことは、まずはそれからだ──)
前の世界で、世間の常識として敷かれていたレールらしきもの、漠然と定義され、自分の中で納得していた生き方と世界での役割は、完全に消失してしまった。荒波の大海に突然放り出され、位置も距離も泳ぎ方さえもわからない謙吾は、自分が溺れてしまう前に、短期目標を定めた。一歩一歩、目の前に集中しながら着実に進んで行こうと、そう心を置いた。
庭から滲み出る露天風呂の水の音が、静寂の中で厳かに踊っているように聞こえた。
こんな旅館に泊まりたい……
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