幼馴染の冷淡
『ホワイトブリード』解散の一週間後の日曜日、莉愛は加藤に連れられ契約のために闘技場の事務所を訪れた。
大きな円形闘技場を見下ろすビルの最上階、奥の大きな扉の前に来たところで、中から何やら言い争う声が聞こえてきた。
「どうして女子闘士の試合ばかり組むんですか! 不公平だ!」
「社長、我々の試合ももっと組んで下さい!」
「不公平? 闘技場はビジネスなのよ? 客を呼べる闘士の方が大切に決まっているじゃない」
憤る男達の声と、それに返答する冷淡な女の声だ。
「奴らはアイドルを見に来てるだけじゃないすか! ライブのノリで来られて迷惑なんすよ!」
「新しい顧客を取り込むのは重要なことよ」
男達は食い下がるが、女は全く意に介さない。にべもない女に、男達が詰まる。
「ですが、彼女らはスーツの特性を全く活かせず、ロクな試合ができません。目先の新規客に捕らわれて試合の質を落とせば、今楽しんでいる顧客が離れていきますよ」
良く通る若い男の声が沈黙を破った。莉愛はその声に聞き覚えがあった。だが、彼がここにいるはずはないと首を振る。
「学生がワタシにビジネスを語るんじゃないわよ。アンタはスーツの研究と試合だけしてればいいんだわ。研究成果は今後のために必要だし、殺戮機械M45、変な人気があるものね。利用価値があるうちは使ってやるわよ」
「研究にしろ試合にしろ、まともな相手がいてこそです」
「女子闘士がまともじゃないっていうの? でも、ここでの人気実力ナンバーワンはアンタが目の敵にしているアイドル出身の女子闘士よ」
「彼女……ドリーミィメロディアは違います。大体、女子闘士がってわけじゃありません。いつまでもアイドル気分で闘わないアイドル崩れが、です」
「そういえばその特別な彼女ともうすぐ試合でしょ? こんなところで油売ってて良いのかしら? ひょっとして相手が女子だから楽勝って思ってる? スーツと戦闘システムの力で、体格差は埋まるわよ?」
「僕にスーツのことを語らないで下さい。彼女が強いことは重々承知しています。油断なんてするはずがない」
「ああ、そう。だったら早く出て行きなさいよ。ワタシこれから来客があるのよ」
女の声がぴしゃりと言った。追い立てられるように、ぞろぞろと男達が出てきた。
「昴⁉ 何でこんなところに⁉」
一番後ろにいた、背の高いがっちりした、目つきの悪い黒髪の若い男に莉愛は驚きつつ声を掛ける。やはり、聞こえてきたのは昴の声だった。
「莉愛? 何でお前が……。ああ、そうか。お前も例のアイドル枠か」
彼はギロリと莉愛を一瞥すると、そのまま男達と出て行った。元々そんなに愛想がいい男ではなかったにしても、なんだかんだで莉愛のアイドル活動を応援してくれていたはずだった。だというのに、あまりにも冷たい態度だった。冷たいどころではない。嫌悪が滲んでいた。取り付く島もないその態度に、勝気な莉愛ですら言葉を継げなかった。その間に彼の姿は見えなくなっていた。
「なんだなんだ? おいおい、もしかして――」
「違います違います! 家が近所で家族同士付き合いがあっただけです! 恋人とかそういうのじゃないです!」
困惑顔で覗き込む加藤に、莉愛は慌てて釈明する。アイドルたるもの恋愛禁止、と莉愛は考えていたし、守ってもいた。だから見た目もよく勉強も運動もよくできた幼馴染への憧れも、憧れに留めていたのだった。まあ、莉愛から昴への好意はともかく、向こうもそうだとは限らないのだが。
「なに焦ってるんだよ。俺はそんなつもりで言ったんじゃないぜ。あ、ちなみにうちの事務所に恋愛禁止って規約はねえぞ。営業への影響を考えて自分で判断しろってこった。って、そんな事はどうでもいいんだ。社長は……?」
「悪いわね稔。待たせちゃって。ちょっと立て込んでたのよ」
金色の豊かな巻髪に、大きな明るい茶色の目をした、彫りが深く派手な顔立ちの美女がコツコツとヒールを打ち鳴らして近づいてきた。年は三十半ばを過ぎたくらいだろうか。グラマラスな体をピッタリとした紫のスーツに包んでいる。
「ふぅん、その子がアナタおすすめの闘士候補? ふふ……かわいいわね」
彼女は少し体を折り曲げ、莉愛の顔をじっと覗き込む。
(うわっ、なんか距離近い! いい匂いだしめっちゃ美人だし谷間が凄い! どどどどうすれば⁉ ってか社長、稔とか名前で呼ばれてたけど、一体どういう関係⁉ ってそんなのどうでもよかった。なんでもいいから、助けて!)
莉愛はどぎまぎして、やや体をのけぞらせながら、加藤に助けを求めるようにちらちらと視線を送る。
「ええ、ええ、左様でございます。この間お話したうちのイチオシ、秋山になります。運動神経もよく、度胸と根性もありますから、闘士としてはまさにピッタリ! かと思いますよ、はい」
加藤はそんな莉愛には構わず、ただその女に向けてニコニコと営業スマイルを浮かべ、もみ手をしながら答えた。
「ほら秋山、丸楠社長にご挨拶しろ!」
「あっ、はい。秋山 莉愛です。ニックネームはアキリアで、『ホワイトブリード』というグループで活動していました。特技は小学一年から続けているダンスです。昔から運動は得意ですし、体力には自身があります!」
加藤に強引に押し出され、莉愛は慌ててやや上ずった声で自己紹介をした。そんな莉愛の様子に、美人社長が目を細める。
「うふふ。そう固くならなくてもいいわ。ワタシはこの闘技場の運営をしている丸楠エンターテインメントの社長、丸楠 アンよ。よろしく。じゃ、早速契約の話をしましょう。そっちに座って」
莉愛たちがソファにつくと、アンも向かいに座り、すらりと長い脚を組んだ。紫のタイトスカートが脚の動きにつられて僅かに捲れる。スカートから覗く脚線美にどきりとして、莉愛は視線を彷徨わせる。
「どうぞ」
秘書らしき地味めの女性がお茶と契約書類を机に並べた。それでようやく莉愛の泳ぐ視線もそちらに落ち着いた。女性は慣れた口調で説明を始める。
試合日程は運営側が組み、基本的に闘士はそれに応じること。ただし闘士側の希望も提出可能であること。
試合を行うたびに闘士のSからCまでのクラスに応じたファイトマネーが入ること。クラスは勝利数や人気によって見直されること。
闘士向けの訓練設備を自由に使えること。等々。
滔々と流れる事務的な説明の間、莉愛は必死に神妙な顔を作り、眠気に耐えていた。
「何かご質問はありますか? といって、そちらの加藤社長とは既に打ち合わせ済みの内容ですから、もうお聞き及びだったかもしれませんが」
「え? あ、はい、大丈夫です」
秘書に突然問いかけられて、莉愛は一気に現実に呼び戻された。加藤からは全く何も聞かされていないが、それも特に問題はない。彼女にとってはただ受け入れるより他にないのだから。
「では、こちらに署名をお願い致します」
求められるまま、莉愛は必要な箇所に署名していく。
「これで正式に契約成立ね! よろしくね、アキリアちゃん。リングネーム、それでいいわよね? じゃ早速、闘技場の映像用のデータスキャンと、スーツの調整、それから簡単なチュートリアル、兼試験をしましょう。さ、行くわよ」
秘書の説明の間ずっと退屈そうにしていたアンが、急に活き活きと立ち上がり、莉愛の手を取った。莉愛はアンのなすがままに、戸口の方へ引かれていく。
「ああ、また社長の悪いクセが! 決裁書類、詰み上がっているのになぁ……」
二人が出て行った後の社長室に、取り残された秘書の盛大なため息が響いた。
よろしければ評価・感想・ブックマーク等頂けますと励みになります