アイドル追放
狭いライブハウス内は二十代から三十代を中心とした男たちの熱気で溢れていた。
彼らが注目する小さなステージの上では、三人の「クラスで二番目か三番目くらいに可愛い」と言える容姿の、少女と呼ぶのは苦しい年齢の女性たちがスポットライトを浴びて歌い、踊っている。
「今日は、あたしたち『ホワイトブリード』のステージに来てくれてありがとー! みんなの前で、『ホワイトブリード』として歌えるのもこれが最後になっちゃいました! だから今日は思う存分、楽しんでいってねー‼」
一曲終わったところで、ステージの中央に立つ、白いベアトップにピンクの二段フリルのスカートというステージ衣装を着たアイドルが、元気いっぱいにそう言って客席に手を振った。すると、
「うぉおおお!」
「アキリアたーん!」
等と男達から野太い声が上がる。
(昴、やっぱり来てないか)
客席の声に応えながらも、アキリアこと秋山 莉愛が探しているのはたった一人、気になる幼馴染の高須 昴の姿だけだった。彼女が首を振り、客席を見回すたびに、明るい茶色のポニーテールがせわしなく揺れる。 彼は長身で体格が良く爽やかな風貌と、この中では目立つはずだ。だが見つからない。どこもかしこももう見慣れた顔ぶればかりだ。彼らは一様にサイリウムを手にし、ステージ上で歌い踊る莉愛たちアイドルの声を聞き逃すまいと耳を傾け、一挙手一投足を目に焼き付けようとステージを凝視している。
(おっと、そんな事考えてる場合じゃない! これが最後のステージなんだ。ファンのみんなに楽しんで貰う事だけ、考えよう)
ため息をつきかけた莉愛だったが、ファンたちの熱いまなざしと、両横にいる同僚二人の冷めた視線で我に返る。
そんな姿を見せてはいけない。彼女は慌てて笑顔を作りステージに集中する。
どこかで聞いたようなイントロが流れ、女子の恋をテーマにした、ありふれた歌詞が続いた。一生懸命に歌い、踊る莉愛の額には、汗の玉が輝いていた。
「――いよいよ最後の曲だよ! 最後は『ホワイトブリード』のファーストアルバムから、『好きって言いたい☆』」
莉愛はまた、ライブハウスを隅々まで見回しながら最後の曲名を告げた。
(あっ、いた! 昴! 来てくれてたんだ!)
見知った顔の隙間から、出入口付近の壁際で居心地悪そうにしている幼馴染の姿が見えた。莉愛はパッと顔を輝かせる。彼に見えるようにそちらに向けて大きく手を振る。手を振られた側の観客たちから歓喜の声が上がるが、肝心の昴は戸惑った顔をしただけだった。
「私たちのデビュー曲で、いちばん思い入れの強い曲です!」
莉愛だけが歓声を浴びるのを快く思わなかったのか、ステージの左側に立つ水色の衣装に黒髪セミロングの同僚が彼女を押し退け前に出る。
「それじゃ、みんな応援よろしく‼ ホントにこれでおしまいだから、盛り上がって行こう‼」
右側に立つ黄色の衣装に金髪のツインテールが大きな身振りでさらに客席を盛り上げる。三人は、先程までの曲とさして変わらぬありきたりなアイドル曲をまた歌い始めた。
観客たちの一糸乱れぬサイリウムの振りが最後のステージを美しく彩り、歌に合わせて叫ばれる彼らのコールが、ありふれた歌を特別なものにしていく。彼女たちのラストライブは大盛況のうちに終了した。
「よう、三人とも、ラストライブご苦労さん。良いステージだったぜ! この調子で、新ユニットに既存ファンを引っ張ってってくれよな!」
ライブを終え、息を弾ませたまま狭い控室に戻ってきた興奮冷めやらぬ様子の三人を、軽薄そうな男がへらへらとした笑みで出迎えた。ペイズリー柄の半袖開襟シャツの胸元に18金の喜平チェーンを覗かせ、白いハーフパンツに、これ見よがしにハイブランドのロゴが入ったスニーカーを履いている。一見若そうだが、よく見れば明るい茶色の髪に染まり切らない浮いた色が多く混ざっている。元は白髪だったのだろう。どこかくすみ、弛んだ肌からは日頃の不摂生が窺える。若作りなだけで、実際の年は四十代半ばだろう。
「あっ、加藤社長! お疲れ様です!」
気付いた三人がそう言って大きく頭を下げるのを、彼女らの所属するアイドル事務所の社長である加藤 稔はニヤニヤと満足げに眺めた。
「まあまあ、そう他人行儀に固くならなくていいっていつも言ってるだろ? オレらは家族みたいなもんだって。そのまま、一息つきながら聞いてくれ。今後のことだ」
今後のこと、という言葉に、三人は一息つくどころでは無くなった。流れる汗を拭うのも、水分を補給するのも忘れて加藤の方をじっと見る。
三人の間に今日のライブの健闘をたたえ合う、などということは一切起きない。彼女らにとっては、もう先の無いこのアイドルユニット『ホワイトブリード』などよりも、自分の今後の活動の方がずっと大事だった。もし家族であるとするならば、それは社長の加藤との間だけなのだ。
「そっちの二人は『スクイーズ』に合流してもらうぜ」
加藤が青い衣装と黄色い衣装を順に見た後、勿体つけて言った。その言葉に二人はぱっと顔を輝かせる。
「え、本当ですか⁉ 私たちより人気のユニットに……了解ですっ! あ……でも『スクイーズ』って今でも五人ですよね? 私たちを入れて七人編成なんですか? それだとちょっと、多くないですか?」
彼女の顔に喜びの表情が浮かんだのも束の間、青い衣装はすぐに自分が埋もれる可能性に眉根を寄せた。
「いや、あのユニットも二人抜けた。おまえらにはその穴埋めに入って貰おうと思ってな」
「ああ……『スクイーズ』の、あのあんまかわいくない二人、クビってことっすか」
状況を理解したらしい黄色い衣装が意地の悪い笑みを浮かべて加藤に確認した。加藤は首を横に振り慌てて否定する。
「おいおい、人聞きの悪い事言うなよ。クビじゃねえ。オレはちゃんと行き先だって用意したんだぜ、断られたけどな。まあ、一人はファンの一般男性と結婚するとか言いやがって、オレが通告する前に自分から辞めたんだがな」
苦々しげな加藤の答えに、
「えっ、あり得ない!」
「ある意味勝ち組じゃね?」
「でも今時専業主婦なんて無理でしょ」
「そもそもうちらのファンにそんな金持ちいなくね?」
などと青と黄色の二人が井戸端会議を始めた。
「あの、そんなことよりあたしはどこに移るんですか? 『スクイーズ』に移るのは二人だけなんですよね?」
このまま話が脱線するのを防ごうと、ピンクの衣装の莉愛は慌てて割り込む。
(あたし、センターでしょ? 一番人気あったでしょ? 二人が別のユニットに移れて、あたしがクビなんて、そんなワケないよね⁉)
彼女は必死に頭の中で否定する。だが、それは上手くは行かなかった。否定するに足る根拠がないのだ。センターだったのはここ数回のライブだけだったし、一番人気、というのも統計的根拠は無い。
(はっ、もしかしてこの前社長から飲みに誘われたの、断っちゃったから根に持ってるとか? うわあ……それもあるかも。でもなあ、さすがに社長と二人で飲むとかムリだし……)
莉愛はちらりと加藤を見た。ニヤニヤと締まりのない、どこか見下すような嫌な笑みを浮かべている。
(そんなことで、あたしの夢が……。ううん、夢のためなら、そんなことくらい耐えなきゃいけなかったのかな……)
答えのない問いがぐるぐると莉愛の頭の中を巡る。冷たい汗が、ライブの熱気で上気していた莉愛の頬を伝って落ちた。
「秋山にはソロで活動してもらう。お前にもっと相応しい舞台が見つかったからな」
「えっ、ソロデビュー⁉」
意外な加藤の言葉にライブアイドル三人の声が重なった。だが表情と声の調子は莉愛と他の二人で全く違っている。莉愛は頬を緩め弾んだ声で、他の二人は眉を顰め暗い声だった。
「ああ。体力と運動神経だけはイケてるお前にぴったりの場所だ。実は――」
「あ、それもしかして、観光客に大人気っていう湾岸地区のカジノの闘技場ですか⁉ 最近ライト層を増やすために女子闘士を増員したくて仕方ないから、色んな事務所に闘士候補を紹介させてるらしいですよねえ!」
「うっわー、莉愛、よかったじゃん! 人気闘士なら収入も良いし、ファンもいっぱい見に来てくれるらしいし。たしかに最近そっちに移らされるコがいるって話、うちらの仲間内でもけっこー聞いたし!」
加藤が説明するより先に、青と黄色が顔を見合わせた後、ニヤニヤと笑いながらそう言って莉愛の肩を叩いた。羨ましがるような言葉を並べつつも、視線は不幸を嘲笑うかのようだ。莉愛はぎゅっと唇を噛む。
「おお、よく知ってんじゃねーか! そうそう、湾岸地区に出来たIRのMR闘技場な。特別製のパワードスーツに身を包み、画像処理技術を駆使した派手な攻撃エフェクトを使って戦うって巷で大人気のエンタメだ。……運営会社の丸楠エンターテインメントはあの丸楠グループの一角だから、ニーズにあった人材を紹介して覚えを良くしておかねえとな! そうすりゃ施設内のステージやイベントの運営スタッフとして、別の仕事に繋がるかもしれねえだろ? 秋山も片付くし、向こうのニーズも満たせてウィンウィンってわけだ!」
加藤が得意気に答えた。予想を的中させた二人はまた顔を見合わせてニンマリした。莉愛は加藤の言葉と同僚二人の様子から、体よく追い出されたのかと怒りに燃えながらも、
「そうですか、分かりました! 確かにあたし、運動得意ですし、頑張って人気闘士目指します!」
と笑顔を作り、怒りも疑問もおくびにも出さぬよう元気よく答えた。他の二人は一瞬だけきょとんとしていたが、すぐにまた元のせせら笑いに戻った。
「スクイーズとの合流も、闘技場との契約の話も、細けえことは来週話すからもう少し待っててくれよな。日時が決まり次第連絡すっから。じゃ、それまでゆっくりオフを楽しめよ」
それだけ言うと、加藤はくるりと踵を返し、控室から出て行った。
残された三人はふう、と息をつくと、そそくさと着替えを始めた。莉愛以外の二人は今のスクイーズのメンバーや、新ユニットでのポジション、ファンへの告知方法など、今後の展望をあれこれ語っていた。だがふと、思い出したように二人は莉愛を振り返る。
「じゃ、莉愛、闘技場でも頑張ってね!」
「ウチらも『スクイーズ』で引き続きアイドル活動頑張るからさ!」
薄っぺらな笑顔を張り付けて、二人が莉愛の手をぎゅっと握る。これで解散だというのに、それだけだった。最後のライブ後の打ち上げなどが開催されることはおろか、それが話に上がることすらない。ライブアイドルユニット『ホワイトブリード』の現状はこんなものだった。二人は莉愛に手を振ると、さっさと踵を返し化粧を直しに向かう。莉愛もじゃあね、とだけ言って控室を後にした。
「闘技場なんてアイドルの墓場だよね」
「収入のあるトップ闘士なんて一握りっしょ。なれるわけねーし」
などと二人が嘲笑う声は、幸い急いで控室から離れた莉愛の耳には届かなかった。
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