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ただ、それだけの真黒記念館  作者: yukisaki koko
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告白は頭を丸めてからするべきだ


 テストは持ち込み可ですので、必要なものは忘れないように。と講義の初めに、一か月ほど先にあるテストについての説明がなされた。この時期からアナウンスをしてくれるのは珍しい。こちらとしては助かるが、逆に言えば先生はアナウンスすべきだと思っているということだ。いろいろな学生がいたのだろう。最後に念入りに、言いましたからね、と言った。大学でもこの台詞を聞くことになるとは思いもしなかったな。




「もうテストかー」隣から妙に芝居がかった声が聞こえてきた。まきだ、と、言いたいところだったが、今日まきはこの講義を受けてはいなかった。教育社会学の講義で、まきはこの講義を楽しそうに聞いていたので少し不思議だ。何かあったのだろうか、あったらあったでそれはもうネタにしかならないが。僕は、隣の生徒の名前も知らない。そのことを健全なことだと思っている。




 肘を立てながら講義を聞き、最後に簡単な、本当に簡単な課題レポートを提出して席を立つ。教室からぞろぞろと講義を受けていた人たちが出ていく。流れに沿って教室から出る。少し歩くと流れに逆らうように一人がこちらに向かってくるのが見えた。やけに目立つ様相で、視線を独り占めにしている。おでこから横に何周か、包帯を巻いて、黒い髪がパイナップルのふさみたいに重力に逆らっていた。




 なぜか明らかに僕の方へ向かってきている。そいつは僕の前で立ち止まると少し笑った。




「ちょっと右側の髪がはげたわ。新手のアシメ?」




 まきだった。一瞬わからなかったが流石に目の前に立たれたらわかる。


 まきは包帯が巻かれた右耳の上あたりを手のひらで、触れているか触れていないかくらいの力でぽんぽんと叩いた。




「けが?」


「毛ははげたぞ?」わざとらしく言った。まきらしくもない。


「そうじゃなくて」


「やけど」


「そんなところなんでやけどするんだよ」


「こうさ」右の手のひらを握って頭の上に持ち上げた。「油の入った鍋を持ち上げたんだ。うち、IHだから底が濡れてるとパチパチ音が鳴ってさ。だから拭こうとして」


「こぼしたのか」


「そ、ちょうど鍋の底を下から覗いてたもんで」


「よかったじゃない。頭から浴びることにはならなくて」


「半分浴びてるんだけどな」


「全部ってことだよ」


「わかってるわかってる」


「これから食堂行くけど、来る?」親指を立てくいっと揺らす。




 アルバイトを始めてからは、昼食もちゃんととるようになった。腹が空いたときに食べる飯はうまい。それに、タイミングもちょうどよかった。水落に、まきを持っていくから待っててとメッセージを送った。まきがいなくて多少焦ったが、良かった。




「ああ、行くよ」




 僕はまきに背を向けて歩き出した。




「やっぱりこういう時はるかがいいな」まきは食堂に向かう途中で気持ち悪いことを言った。普通に不快だ。




「何が」


「るかは人の変化にいい意味で興味がない」


「いい意味って」


「常に幅を設けてるだろ。るかは。それはいずれ変わるものとして、森羅万象に触れている」


「森羅万象て」


「ぱっと思いつく言葉がなかったんだよ」




 食堂に向かう途中で一度外に出る。大学の中からでも食堂には行くことができるが、こっちの方が近道だ。食堂は有名なラーメン屋並みに混むのでできるだけ早くに着きたい。時間的に混む時間帯ではなかったことには気がつかなかった。昼食を長くとっていなかったのでまだ体内時間がずれている。




「まき。あれ、見える」透明なカラスが飛んでいた。指をさしながら言う。


「ん? カラスじゃん」


 何が言いたいんだ、と首をかしげながらまきは答える。僕はわかりやすく目を見開いたと思う。驚いた。


「何色?」


「カラスなんだから黒だろ」


「あー。あー? なんとなくわかったかな」


「何言ってんだ」


 まきはわざとらしく肩を持ち上げた。










「別れたよ」


「は?」


「ここさ、爛れてんだよね。はげたうえに。見せたら気持ち悪いってさ」


「だからって、治るだろ」


「多少はね。でも割とガッツリなやつだから」




 水落が来るまでの時間、僕とまきは食堂の席で話していた。唐揚げ定食を食べながら、水落の友達にまきのことを紹介するつもりだったこともあって、彼女の話を振った。




 したら、このありさまだ。見事に地雷を踏んだ。まきの声は病人のように細々としている。精神面は相当きているようだ。味噌汁をすする音が自然と小さくなった。




「じゃあ、ちょうどいいや」


「何が?」


「水落の友達が、まきのこと紹介してほしいんだって。それで今水落のこと待ってたんだけど。別れたならちょうどいいなって」


「ああ、そういえば、るかお前水落さんと付き合ってるんだってな。居酒屋で二人でいるとこ見たってゼミのやつが言ってたよ。水落さん、意外と人気なんだからな」


「付き合ってないよ。普通に」




「ああ、そうなのか」とまきは納得したように頷き「あとさ、なんかこうあるじゃん。数日はそっとしておこうみたいなのがさ」両手をぶらぶらと動かしながら抗議をする。




「あるけどないな」


「ないか」


「まあ、会うだけ会ってよ。僕もさ、約束しちゃったから。半ば強引に。受動態」


「わかった。俺も、傷心してるっていうよりはさ、失望に近いんだよ。そんなことを言う人だったのかって、がっかりした、みたいな感じ」


「それを傷心と言うんじゃないの?」


「傷はついてないから」


「そっか」




 しばらくすると水落が来た。隣には茶髪のショートカットのおとなしそうな雰囲気を纏った女の子がいた。女性と言うよりも女の子という言い方が合っているような気がした。




「まきを持ってきたよ」




「持ってきたってなんだ」とまきは脇腹を肘で突いてくる。




「あ、あの、今日はありがとうござます」女の子は水落に背中をぽんと押され一歩前に出た。その後で丁寧に椅子を引き、座る。




「あー、瑠璃さん?」まきは大げさに口を開きそんなことを言った。指をさすな、指を。




 なんだ、知り合いだったのか。紹介する意味あったか、と疑問に思ったが彼女は奥手そうなのでワンアクション必要なのだろう。




「あ、そうです。覚えてくれてたんですね」


「知り合いだったの?」水落が瑠璃さんの前に顔を出す。「言ってよ」


「あ、結衣ごめん。忘れられてると思って」そう言えば水落の下の名前は結衣だったな。




「覚えてるよ。一年の頃同じゼミだったよね」


「そうですそうです。瑠璃智花と言います」




「知ってるよ」とまきが言うと瑠璃さんは「あう」と顔を下げてしまった。気があまり強くないらしい。




「あのっ」と瑠璃さんは大きめの声を出す。「坂巻くん、頭どうしたんですか?」




 まきは「あー」と気まずそうに目を動かしながら包帯に触れた。彼女に、ああ、元彼女に気持ち悪いと言われたことを気にしているらしい。表情には薄っすら怯えが見える。小突いたら涙が垂れてきそうだった。




 僕は特に何も言わずに、肘を立てて顔をのせた。多分、みっともない顔をしている。




「やけどしたんだ。少しはげちゃって。多分、もう生えてこない」




 ここで気が付いたのだけれど、まきは僕に対してだけやけに好戦的だ。今日は少し窺うような気配があったし、弱弱しい雰囲気が漂っていて、それが緩んでいたけれど。それにしたって聞かれたからと自分のことを話すような奴じゃないと思っていた。話したいことは積極的に話す奴ではあるが、つまりは話したいことしか話さない。でも、お互い様だったのか。まきが僕以外の誰かと話しているところなど遠目でしか見たことがなかったからな。それにしたって今更すぎる。




 こういう関係を腐れ縁と言うのだろうか。多分、違う。




 もしかしたら彼女に振られた反動で、異性を求めているのかもしれない。包帯についての質問をしたのが男だったら不快感を表していたかもと思ったが、そもそも僕が男だった。




 瑠璃さんは口を少し開いてまた閉じてを繰り返していた。言葉を選んで的確な言葉を発しようとするたびに、理性が邪魔をしているようだ。




「よかったですね。大半の髪の毛は残ってて。横だけなら伸ばせば多分。ツーブロックみたいな」




 その時、「紹介してよかった」という思考がよぎった。が、これは流石に自分勝手すぎる。胸の奥に気持ち悪さが溜まった。




「うん。そーだね」まきはその言葉を好意的に受け取ったようだ。




「あの、それでこの後は講義あるんですか?」瑠璃さんはもうまきの包帯に触れるつもりはないらしい。




「いや、今日は終わりだよ」


「じゃあっ、どこか行きませんか。そのやけどの気晴らしにでも」




 あ、触れた。




「あー、そうだねっ。そうしようかな。彼女にも振られたし」




 まきはわざとらしく大声で言う。食堂の少ない視線がまきに集まる。まったく、今日のまきは気色悪くて仕方がない。蕁麻疹が出てきそうだったし、タイミングもちょうどいい。「じゃ、僕はこれで」と言って席を立った。




「あ、ありがとうございました」と瑠璃さんがわざわざ席を立って言う。




「私も」と言って水落は席を立った。「二人とも仲良くね」



この作品を読んで頂きありがとうございます。毎日21時に投稿します。完結までお付き合いください。

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