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ただ、それだけの真黒記念館  作者: yukisaki koko
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翼は大学生の特権で

「ウーロン茶で」




 中年のサラリーマンが出した怒声にも似た笑い声が頭の上を通り過ぎる。それでも僕の声は店員さんに届いたようでかしこまりましたという返事がきた。




「お酒、飲まないの?」




 韓国焼酎を飲み、少しだけ目じりがとろんと下がった水落さんが言った。




 僕らはカウンター席に二人並んで座り僕は半人前くらいの小さなビビンバ、水落さんはキムチやプルコギをつまんでいた。




「飲んだ方がいいなら飲むよ」




「じゃあ一杯だけ飲んで」ねっとりとした口調で言う。まだ少ししかお酒は飲んでいないように思えたが、水落さんはあまりお酒が強い方ではないらしい。




「水落さんあんまりお酒強くないんだね」


「うん、もうこれでやめる」




 さっき頼んだウーロン茶は水落さんが受け取り、僕はビールを頼んだ。水落さんはストローでちゅるちゅるとウーロン茶を飲み、ほう、と息を吐いた。




「ねえるかくん」


「何?」


「水落さんてなんか素っ気ないからやめて」


「じゃあ何て呼べばいいの」


「水落。苗字を呼び捨てで呼ばれるのは気持ちがいい」眉を一の形にしてジーッと遠くを眺めるような表情で言った。若干気圧されながらも「じゃ、水落」と言うと水落さんはウーロン茶からストローを外して満足そうに勢いよく飲んだ。相変わらず爆発のような笑い声が響く店内で氷がカコンと鳴る音がはっきりと聞こえた。




 ビールを喉に流す。やはりまだ、酒を喉に流すということに違和感を感じる。子どものままでいたいとか、そんな思いがあったならまだ可愛げがあったような気がするが、生憎そんな思いはない。ただ、実感が沸かない。実感が欲しい、実感さえ得ることができたなら幾分かの納得が手に入る気がする。酒を飲めるようになった実感を酒を飲む以外で得ようなど、なんとわがままなのだろうか。




「水落さんは結構お酒飲むの?」




 声をかけるが反応はない。ストローをつつきながらわざとらしく顔を背けられる。一瞬頭の上にクエスチョンマークが浮かんだが、さっきの会話を思い出した。




「水落は良く酒飲むの?」呼び捨てに引っ張られ、酒、と少し雑な言葉遣いになってしまった。




「それなりに。週に二、三回くらい」


 水落は、二十歳を過ぎて、もしくは何度かの飲酒を経て、毎日のように飲みに行こうと水を得た魚のように言う人たちより、よっぽど順応している気がする。


 器用だな。すごく。


 自分が情けなくて、嫌になる。










「でね、聞いてよほんとにさ、みんな愚痴ばっかで何がしたいんだっての」




 居酒屋を出たその帰り道、僕は水落の愚痴を聞かされていた。あなたも愚痴を言っているじゃないかとツッコめないくらいには勢いがある。




 酒はあれから飲んでいなかったが、酒を飲む僕を見て水落はテンションをあげた。雰囲気に酔ったと言えばいいのだろうか、その雰囲気自体自分自身で作り出したものなのだけれど。




 水落曰く、友達の中に酒を飲む人がいないので嬉しかったようだ。それだけでこうも雰囲気に酔えるのかとも思ったが、「筈華くんとお酒飲んであげてねえ」とふにゃふにゃとした口調で言ったのでそれだけでもないのだろう。筈華くんと言えば、以前話していた病気の人だろう。酒など飲めないと思うが。




「そういえばるかくんは全然酔ってないね」


「そりゃあ、飲んだの一杯だけだし」




 もっと飲ませればよかった、とまずい飴を舐めているかのような表情で言った。段々と素というか取り繕った部分が剥がれてきているような。まあ、それでもこの程度ならましな方なのだろう。




 水落は口調とは裏腹に居酒屋が立ち並ぶ車幅一台分ほどの道をしっかりとした足取りで進んでいる。




「まきくんともお酒飲んだりするの?」


「もう飲まないね。どっちもお酒強いから。飲む意味がない」




 僕とまきはどちらも酒が強い。だから酒が入ったとて僕らが仲睦まじいやり取りをすることはない。それが、僕とまきの距離なのだ。




「そっかー、あ、あとまきくん紹介してね」


「紹介って何すればいいのさ。あいつ彼女いるからめんどくさいじゃんか」


「それは普通に」至極真面目な顔でそう言った。なんでそんなことを聞くんだと言いたげだ。




「首掴んでこれがまきですって持っていけばいいの?」


「まあつまりはそういうことだね」


「なら簡単だ」


「でしょ」




 居酒屋や程よく配置されている街灯の明かりを抜けると、途端に狭まった視界を補うようにすーすーと虫の鳴き声がしてきた。暗い道をしばらく歩くと今度は車の騒音がしてきて大通りに出る。辺りはもう夜を思わせない。上からというよりも下から照らされているような明かりの中を歩き数人が並ぶバス停に着いた。




「じゃ、私バスだから。送ってくれてありがとう」


「うん。じゃ、気を付けて」


「明日はシフト入ってる?」僕が背中を向けようとすると、声に体を抑えられた。


「入ってないよ」


「じゃ、大学かな。またね」


「あー、うん」




 水落と別れて自転車をとめている駐輪場へ向かう。




 そうか。バイトって言えばよかったのか。どうして、わざわざあんなことを言ってしまうのだろう。




 周りを見渡す。人通りは多い。空は黒いが、明るい。スクランブル式の交差点は静かだった。今は歩行者用の信号が青く灯っている。




 駐輪場まで走った。人目など気にせず、必死に。




 誰もいない父の日へ走った。





     *

この作品を読んで頂きありがとうございます。毎日21時に投稿します。完結までお付き合いください。

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