第8話
いつもと変わらない日が始まる、と目を覚ましたちょうどその時、外で轟音が鳴り響いた。急いで身支度を済ませ閣下の元へと向かったら、部屋の前に敵対派閥のトップであるレイナルドが、魔法に自信のある部下を引き連れ部屋に押し入ろうとしていた。大まかに騒動の全容を察して逃げようとしたが、もう遅かった。
「エステラ・ガルシアだ! 捕らえよ!」
「っ!」
同胞に魔法を放つのは規則で禁じられているが、そんなことを言っている場合ではない。できるだけ傷付けないように足元を狙う。しかし、相手の人数が多いこともあり、あえなく捕まってしまった。腕を縛られ彼らと一緒に閣下の部屋へと入ると、もうそこには閣下はいなかった。まだこの時間は起床前のはず。大きな音で起きて、逃げたのだろうか。……それとも、これが起きることを知っていたのだろうか。知っていて、私を置いていった?
「クソッ! どこから情報が漏れた!」
「隊長、こいつ、どうしますか」
レイナルドの目が私へと向く。嫌な汗が背筋を伝う。
「……エステラ、あいつの居場所は知っているかね?」
「……いいえ。知りません」
「隠していても、何もいいことはないよ。……もう一度聞く。居場所は」
本当に知らない。何故閣下が今ここにいないのかすら知らない。だが、レイナルドにとって知っていて隠していようが知らなかろうが、関係ないのだ。
彼の部下が呪文を唱えるのと同時に、私も呪文を小声で唱える。辺り一面が強く光る。
急いで拘束を解き、彼らの目が眩んでいるうちに逃げ――。
「逃げられるぞ!」
「っ!」
逃げ出そうと部屋の入口へと踏み出した瞬間、私の魔法を察知して目を瞑っていた人がいたのか、彼が私のとる行動を叫んだ。それを聞いた部下たちが私の方へと一斉に魔法を放つ。まだ視界が良好でない人が多く掠める程度で済んだため、急いで部屋から出て廊下を駆けていく。
「標的が逃げた! 追え! 生死は問わない!」
唯一目が見えている軍人が廊下に向けて叫ぶ。
廊下や建物の外にいたレイナルド派閥の軍人たちがこちらを認識する。まずい。
「魔法を放てー!」
現場の指揮官と思われる人が命令したと同時に、私に魔法が放たれる。致命傷になりそうなのはなんとか避けていたつもりだった。
「う゛っ!」
遠くから放たれたものもあったせいか、時間差でここに届き腹部へと命中する。
今までに感じたことのない痛みが全身に走る。それでも、足を止めるわけにはいかない。全速力で逃げ追手を振り切り、人目の少ない路地裏へと逃げ込んだ。
「いっ! はっ、はぁ」
魔法で腹部に出来た傷を止血する。こんな使い方したことがないけど、血はどうやら止まったみたいだ。腹部だけでなく身体のそこかしこが鈍く痛み、顔を顰める。いつまでもこの路地にいては危険だ。でも、このままでは外を歩くことはできない。
「魔力、足りるかな……っ」
誰にも気付かれないで移動するには私を、エステラ・ガルシアを捨てなければならない。
以前に一度だけ使ったことのある変装魔法を自分に施す。何かあるといけないから、と、閣下が私の偽造の身分証を作ってくれた時に初めて使ったが、今回も上手くできたようだ。
「閣下、どうして……」
軍に入ってから閣下にずっと縛られていた。自由がないのは辛かったが、あの時の私が自由になったところでただ路頭に迷うだけだったから、感謝はしていたし尊敬もしていた。利用されているだけだとしても、彼にとって私は必要不可欠だと思っていた。
でも、それは私がただそう思っていただけだった。閣下の中では私は所詮道具にすぎなかった。替えが利く駒だったのだ。
「……っ」
こんなことに、こんな痛くて辛い思いをすることになるくらいなら、路頭に迷ってもよかったかもしれない。もう今さらそんなことを考えても遅いけど。
「――昨日、まじで嫌なことあってさぁ」
「あーわかるわかる。限界来たら、転生してやるっていつも思ってるわ」
「……転生……」
路地の入り口付近で立ち止まっている二人の女性の会話が聞こえてきた。
この世界では、今の人生を終え次の人生を始められる、所謂転生の方法が確立されていた。今住んでいるこの国では、身分証さえあれば簡単に転生することができる。
もうこの国では暮らしていけないだろう。それどころか、出国すらできない可能性もある。
転生。今はそれだけが頼みの綱かもしれない。幸いなことに手元に偽造の身分証はある。どうせこのまま死んでしまうのなら、いっそ転生して新しい人生を歩んだ方がいいのではないだろうか。
「……よし」
身なりを確認する。変装魔法はまだ解けていない。見えるところの傷は隠した。腹部の傷も物凄く痛むが、血は止めた。歩くのもやっとだが、転生ゲートがある施設まで急ごう。追手に見つかる前に。