1970年、何処かの居酒屋にて。
なんでい。にいちゃん、俺の地元がどこか知りたいって? いやいや、俺らの年代じゃあ空襲で故郷も無くなったなんてまったく無い話じゃねえだろ。おっ、奢ってくれんのかい? にいちゃんさてはいい奴だなお前。そうさなあ、確かに空襲で焼けちまったけどよ。
まあ人間ってのはしぶてえもんだよ。生き残ったやつらが集まって廃墟からまだ使えそうな木材なんやら組み立てて雨風凌いで、んで闇市開いてよぉ。
こう見えて俺は学があって中等学校いってたくらいだ。ちぃとばかり英語が分かるって事で二つ隣の港町に米軍の駐在地があってだな。半日歩いてそこまで行って向こうの兵隊さんの通訳したり賭けポーカーして遊んだもんだ。その繋がりから横流し品を闇市に卸してな、当時としちゃあかなり俺は羽振りがいい若造だったね。おっ、いいねもう一杯。っとと。もったいねえ溢れちまう。それズズっと。
それでなんだっけ? ああそう、満州サンが来たって話か。ある日闇市に満州帰りの軍人達が来たってね。
港町から帰ってきた俺はちょうどその場に居合わせちまったよ。オッサンやババアどもが息子が帰ってきたんじゃないかってこぞって顔を見に集まってたが、誰一人得心した様子もねえ。つまり余所者達だったって訳だ。
余所者は何人だ? まあ10人もいなかったはずだ。名前を訊こうにも「我々はお国の為に命を捧げた身、名は満州の地に置いてきた」とか言ってよ。わけわかんねーよな?
それに、あの当時の満州っていやあこの世の地獄みてえな有様だって聞く話だ。それにしちゃあ奴ら、随分と身綺麗すぎた。中にはえらく懐いた猫を抱きかかえてる奴までいてよ。こりゃあ満州帰りってのも嘘にちげえねえと俺は疑ったね。
なんだ本人達に嘘だと言ったかって? 言える訳ねえだろ、奴らときたら拳銃やら銃剣やら武装してやがる。下手な事言ったらどうなることか。名前が無えのも不便なんで、誰からでもなく俺たちは奴輩達を満州サンって呼ぶようになったんだ。
こうして闇市で幅を利かせだした満州サンだが、それが面白くねえのがタガチ組の連中よ。タガチ組ってのは自警団というか極道か、まあ闇市を仕切ってた連中よ。
三日もたたずタガチ組と満州サンで抗争が始まった。いや、あれはもう制圧だな。パァンパァンと音に驚いて広場に出ると、満州サンがタガチの大将を撃っちまってた。
いやはや参ったね。その日から闇市の一切は満州サンが仕切るようになるし、俺の横流しは米兵の持ってる食糧嗜好品から、情報も追加されるようになった。
生憎と駐屯地でも上の奴等と顔が効くようになってたからよ。満州サンがどうして米兵の情報なんて知りがってたのなんてわからねえが、売れる商品が増えたのは嬉しいことよ。
はあ? どんな情報を流したかだって? そんなんおいそれと言えるかってんだ。やや、またまた一杯ってか。上手いねえ、仕方ねーなあ。口滑らしてやるか。
つっても二十年以上も前の話だからよ。俺だって全部覚えてやしないぞ。やれマッカーサーが昨日鴨料理を食ったらしいやら、米国最新鋭の潜水艦が寄港するだとか、ジャズ演奏できる奴がいなくて兵士の不満が溜まってるだとか、大したことは言ってねえんだわ。
それでも、一年近くそんなこと続けてたら、いつの間にか俺は満州サンの小間使いみてえになっちまってた。街のもんには完全にそう見えたことだろうね。こりゃあやべえと思ったよ。
だってそうだろう。素性もわからねえ武装した一団が、わざわざこの闇市に狙いすましたように居座ってやがんだ。絶対おかしなことを企んでるに決まってら。
満州サンの一人とタガチ組大将の娘が結婚しててな。子供が産まれたってんで俺に名付け親になってくれって言われた時は、背筋が凍ったね。これ以上こいつらに取り込まれたら引き返せなくなると思った俺は、その日の晩に逃げるように闇市から抜け出して今ここで酒飲んでるってことよ。
がっはっはっ。この話を他にもしたことあるかって? あるわけねえだろ。おいおい流石にもう飲めねえって、いや、ああ、もう、ええい、注がれたからには飲まなきゃなぁ。うん? なんだかさっきと味が違うか。さては酔いがまわってきやがったな。
結局、何年経とうと俺はあの満州サン達が薄気味悪くて怖えのよ。喋ったらすぐ追っ付かれるんじゃねえかってな。なのにこう喋っちまったのは、にいちゃんなんだか満州サンの人に雰囲気が似てんだろうな。おっかねえけど、なんだかんだ俺もあいつらに仲間意識ってのを持っちまってたってことか。あん時の子供、生きてんならちょうどにいちゃんくらいの歳格好になってんだろな。あん時、俺はなんて名前付けてやったんだっけかな。ああ飲み過ぎた。眠くなって仕方がねえ。ん、えぇ? 博助? そうそうだ博助だ。なんでにいちゃんが分ったんだ? ははぁ、さてはにいちゃん学がある……な…………