床山重太郎①
「なんなんだろうね。この街は」
××県タガチ市。人口約五万人の、田舎と言うには栄えているが都会と言うには鼻で笑われそうな、日本のどこにでもあるような地方中小都市。
そこの満州王道楽土公園という公園にしてはいささかイカツい名前をした場所で、床山重太郎は一人ごちた。満州王道楽土公園、満州歯科、満州建設、今日一日で至る所の看板で満州の文字列を見た。これで三十六個目だ。
その公園に自販機と、ベンチ横に灰皿があるのを発見して、流石に歩き疲れたぞと重太郎は誘われるように煙草を取り出した。
煙を燻らせながらなんとなしに買った微糖の缶コーヒーを飲むと、なかなかに美味い。改めてパッケージを見直せば、満州コーヒーと銘打たれていた。三十七個目。
重太郎は考える。満州とセットで王道楽土という言葉も少なからず目に止まるのは、満州国における建国理念だからか。武ではなく徳によって楽土を築こうといった意味だったはずだ。満州国建国理念は二つあって、もうひとつは五族共和。これもチラホラ目についた。
なぜそんな第二次大戦時代の言葉が、今この日本に溢れているのか。インターネットで調べれば早いのだろうけど、いかんせん電波が悪すぎる。今朝この街に入った直後に圏外になったっきりだ。報酬に浮かれて下調べを怠った自分を、責めずにはいられない。
元々は探偵である重太郎にペットの捜索依頼が来たのが始まりだった。
「飼い猫の捜索依頼がしたいのですが」
依頼人は不惑くらいの堅物そうな男性で、とても猫を可愛がるようには見えないのだが、ペットというのは魔性だから、こればかりはわからない。それよりも重太郎は(おっ、なかなかいいスーツを着ているな)と依頼人の服装から裕福そうだとアタリを付けた。これは期待できるなと話を進めるに、成功報酬もさることながら、期限特になし、前金、交通費、滞在生活費、現地居住としてのアパート提供などなど、かなりの好条件だ。超破格と言ってもいい。
いい加減、浮気調査の依頼ばかりでうんざりしていた重太郎は、二つ返事で快諾したのが一昨日のこと、長期滞在もあり得るだろうと溜まった事務処理を大急ぎで片付けて夜行バスに飛び乗ったのが昨日のこと、電車とタクシー乗り継いでこの街に着いたのが今朝のことである。
迷い猫一匹早く見つければそれだけ報酬が弾むというのだ。街並みや道路を覚える傍ら郊外で捜索を続けていたが、提供された写真に映る猫、肩に桜の花弁模様の三毛猫、サクラちゃんは見つからなかった。
「何が桜の模様だからサクラちゃんだ。どっちかってぇと豚のヒヅメのほうがまだそう見える」
見つからないまま夕暮れを迎えた苛立ちか毒づいていた重太郎だが、そろそろ依頼人と現地で落ち合う約束の時間を気にかけた。まだ余裕はあるが見知らぬ土地で、何より電波がなくてスマホが使い物にならない。早めに予定場所に行っておくべきだろう。そう考えてタクシーを止め行き先を告げた。
「タガチ食堂までお願いします」
「ああ、了解しました。お客さんここらの人じゃないね。観光ですか」
探偵という職業柄か、自分が地元民でないと断定された理由について重太郎は一瞬頭を巡らせた。特徴的な方言がある地域ではないし、猫探しするために動きやすい無難な格好をしている。口調や服装からではないとしたら、問題は場所名か。
「もしかして地元の方はタガチ食堂って呼ばないんですね」
「えっ、ああ、そうそう。ここじゃみんな満州食堂って呼んでますよ」
「三十八個目」
「はい?」
「いえ、なんだか満州という言葉をよく見かける気がしましてね」
「そりゃね。ここタガチ市は戦後焼け野原だった所に、満州帰りの兵隊さんがやってきて闇市を切り盛りして栄えたって歴史だよ。その闇市があった場所が今の満州食堂だ。ああ、で、タガチ食堂か。だからここの人間はみんな兵隊さんに感謝して満州って名前をあやかって付けてんだろうねえ」
「なるほどそうだったんですね」
重太郎は納得してみせたが、その顔は微塵も納得していなかった。
その歴史が本当だったとして、それならその軍人の名前を冠せばいいだろうに、わざわざ満州の名で広めるのは作為的なものを感じたのだ。
今日一日このタガチ市郊外を歩き回っていたが、大概、どの街にもキナ臭い場所というのがある。ああ、あの喫茶店の二階はやくざ者の事務所だな。とか、あそこの高架下はブツの取引に使われてそうだな。とか、一般の人なら気にも止めないそういった場所でも、重太郎が一目みれば、においで大体分かるし当たった。顔芸ができないと同業に笑われがちの重太郎だが、この嗅覚こそが彼の最大の武器であった。お陰で探偵よりも警察の方が向いているともよく言われる。
その嗅覚がここに来てから発揮していない。不自然なほど暴力の匂いがない平和な街。裏を返せばそれが自然になるまで管理された箱庭のような街ではないか? 誰かが、何かが、この街を影で支配している。
いや、妄想が行き過ぎたか。真実はどうあれ、今の俺は猫を探せばいいだけだと、重太郎が思い直した所でタクシーが停まった。
「着きましたよお客さん」
窓の外を見た。
「……キナ臭え場所だな」
重太郎は呟いた。