8.自覚
「フレイドル……わたし最近変なんだけど、どうしたらいい?」
朝の仕度途中、まだ眠そうなぼんやりとした表情のままグレイスがそう言ったため、フレイドルはグレイスの髪を梳かす手を止め、後ろから鏡越しにグレイスの顔を覗き込んだ。
「変……とは、何がですか?」
「なんか……、あいつの顔まともに見れないのよ……」
「あいつ、とはモカさんのことです?」
寝起きのせいか、まだ開き切っていない目でグレイスは自分の髪に触れる、鏡の中のフレイドルの手をぼんやりと見つめ、「そう」と頷く。
「何かあいつ最近変なのよ……妙に光って見えるっていうか」
「……モカさんがですか?」
「あいつの話してるんだからあいつ以外誰の話してるのよ」
「まあ、そうですけれど……」
「――それで、笑いかけられると苦しくなるから笑わないで欲しいって思うし、でもあいつには笑ってて欲しいっていうか……近寄りがたいのに、傍に居たいし、もう何なのか自分で自分がよく分かんないのよ」
つらつらとグレイスの口から出た言葉に、フレイドルは一度大きく目を見開いた後、思わずくすくすと笑ってしまった。そこまで分かっているのに、どうして気付かないのだろうと。
「グレイス様、それはきっと恋患いですよ」
笑うフレイドルに「何笑ってるの!」と怒ろうとしたグレイスだったが、それよりも先に疑わしい言葉が耳に飛び込んで来たため、グレイスはフレイドルにばっと振り返った。驚愕、という言葉がぴったりな表情でこちらを見て来るグレイスに、フレイドルはまた「あはっ」と笑ってみせる。
「こい……わずらい……?」
「ええ、はい」
「何……え? どういうこと……?」
「ですから、グレイス様は恋しているんです」
「誰に……?」
「それは勿論、モカさんに。モカさんのこと好きになってしまわれたんですねえ。だから以前兄妹のようと言ったら嫌そうなお顔されたんですね~」
そう言って、一人納得したように「うんうん」と頷くフレイドルに、グレイスは遅れて漸く反応を見せた。さっきまでのぼんやりとした寝起きの表情はどこかへ吹き飛び、顔を真っ赤にしたグレイスは胸一杯に息を吸い込む。
「~~~~好きじゃないわよ!!」
部屋中に響き渡るほどの力一杯のグレイスの否定に、フレイドルは「あらあら」とただ笑った。
「恋をしたんじゃないとしたら、これまでのグレイス様の行動に説明が付き辛いのですけれど……」
「違うわよ! だってわたし、あいつが、それは、」
「でも、モカさんに笑ってて欲しいって思うんですよね? グレイス様」
聞かれて、グレイスが頭の中で思い浮かべたのはモカの笑顔。顔の大半が覆われている鉄兜をしていても分かるほど、優しく笑うモカの笑顔は酷く目に焼き付いている。
「それで傍に居たいって、居て欲しいって思うんですよね?」
確かめるようなフレイドルの言葉に、グレイスはきゅっと口を一文字に結んだ。
「それが恋ではないとおっしゃるのなら、何だって言うのですか?」
フレイドルの言葉はただ優しく響き、グレイスの心をぎゅうっと緩やかに締め付ける。
――好きか嫌いかと聞かれれば、嫌いではないと思う
――じゃあ好きなのかと聞かれれば、多分そうだとも思う
――それから、その「好き」が父や母に思う「好き」と確実に違うのだって分かる
――じゃあ何かと問われれば、それは……
想いが自分の中でも行きついてしまい、グレイスは小さく「何よそれ……っ」と呟いた。
「わたし、だって、いつからそんなのっ」
「何時からって、そんなに重要ですか? グレイス様がモカ様のことをただ好きだと思う以外に大切なことはないと思いますよ」
何時からが重要じゃないなんていうこと、自分でもグレイスは分かっていた。ただ、戸惑いはする。
「恋って……こんなに、たった人の行動で一喜一憂したり、苦しくなったり、苦しいのに傍に居たいとか、訳が分からなくなるものなの……?」
「――はい。そうなんですよ」
心底嬉しそうに笑いながら答えて来るフレイドルの言葉に、グレイスは暫く考え込んだ後、小さく「そっか……」と呟くように息を吐いた。
「わたし、恋、したのね――……あいつに……」
漸く、グレイスがそれを認める言葉を呟いた時、タイミングを計っていたように、こんこんと室内にノックの音が響く。
「――フレイドルさん、仕度は終わりましたか。朝食の用意ができましたが」
ドアの外から声を掛けて来たのは勿論モカだ。
モカの呼びかけにフレイドルは、「はいはい、ただいま~」と声を返すと手早くグレイスの髪を編み、いつもの髪型を作り上げる。髪を整えて、フレイドルはグレイスの肩にぽんと軽く叩くように手を置くと、屈んで正面にあったドレッサーの鏡の中のグレイスと目を合わて、にこりと笑った。
「フレイドルは、グレイス様のことを応援致します! 私はグレイス様の味方ですよっ」
それだけ言うと、フレイドルは鼻歌混じりにグレイスから離れ、モカの待つ部屋の外へと向かう。
その途中で、グレイスに「フレイドルっ」と呼び止められフレイドルが振り返れば、グレイスは顔を赤くして、気恥ずかしそうにフレイドルから目を逸らしつつ、一言小さく「ありがとう」と言ったのだった。
そんなグレイスに、フレイドルは「あらあら」とやはり笑う。
「そんなお顔していらっしゃいますと、すぐにモカ様に気付かれてしまいますよ?」
「えっ」
「ほら、気を引き締めて!」
フレイドルの言葉に反射的に、きゅっと口を一文字に結んだグレイスを見て、フレイドルは「あはっ」と笑った。
「うん、グレイス様は世界一可愛いですっ」
「――な、フレイドル! 騙したわね!?」
「騙してないですよ~? じゃあ、モカ様と代わりまして私は持ち場に行きますね~。モカ様~っ」
言いながらドアを開けて、室内よりグレイスから逃げるように飛び出したフレイドルとモカはぶつかりかけ、慌ててモカは身を引きフレイドルを避ける。
「――あ、すみません、モカ様」
「ああ、いえ……どうかしましたか? 何か急ぎでも……」
「いいえ? ちょっとグレイス様と遊んでて――……」
「フレイドルっ! ちょっと!」
「はあい、では、また湯あみの時に~! グレイス様、頑張って~!」
フレイドルを追いかけて来ていたグレイスが追い付くと、フレイドルはそんな捨て台詞を吐いて、さっさと行ってしまったのだった。そんなフレイドルを目で追いながら、モカは首を傾げる。
「頑張って……? 王女、何か頑張るようなこと今日ありましたか?」
「えっ、ちが、あの、その、剣の稽古とか! あんたが厳しいからそれを愚痴言ってたりしたから!!」
「はあ……王女とフレイドルさんって仲いいですよね」
「え、そう……? まあ、でもフレイドルは……お姉ちゃんが居たら、あんな感じなのかしらとは思うわ」
ふと息を吐いてから、「行きましょ」と食事部屋に向かって歩き出したグレイスの後ろを大人しく着いて歩きながら、モカは何かを考えるように顎に手を当てた。
「……王女」
「えっ? 何よ」
「僕、厳しかったですかね?」
「はあ? あー……」
急に何を言い出したのかと、怪訴な顔でモカに振り返ったグレイスだったが、自分が蒔いた種であることに気付き、すぐに言葉を詰まらせる。そして、仕方なくグレイスはそれについて嘘偽りなく答えた。
「別に……厳しいか厳しくないかって聞かれたら厳しいとは思うけど、それでいいわよ。わたしは、自分が目指すものに対してまだまだ足りないものだらけだから。それくらいが丁度いいわ」
そんなグレイスの答えに、モカは少し間を置いてから、ふと笑う。
「――――そうですか」
静かにそう言葉を吐いて、自分を甘やかすような優しい笑みを浮かべられたことに、グレイスは両手で自分の目を覆った。
モカからしたら、唐突に両手で目を覆って自分を見ないようにして来たというグレイスの謎の行動。それに当然であるが、モカは不思議そうに首を傾げる。
「……王女、何してるんですか?」
「あんたの顔、見てると目が潰れそうだから」
「ええ……顔って、僕の顔自体は半分も見えてないはずですが……」
「そうね。……何でもない、冗談よ」
言うとグレイスはくるりと前を向き、目を覆っていた手を頼に当てた。熱を持つ頬に、グレイスは「ああ、もう」と思う。
――本当、相手の行動に一喜一憂するなんてバカみたい
――だけど
最終的にグレイスは、モカに背を向けたままふっと笑ったのだった。
それはそれはとても可愛らしい顔で。