7.芽生え
ゆっくりと。
「ミザリーさん」
目当ての人物を見つけたモカは、躊躇いなくミザリーに声を掛けた。
ミザリーの見た目は、モカよりも明るい茶色の髪を緩く三つ編みで纏め、短めの前髪からよく見える目は大きく、普通に可愛らしい人物である。
モカに声を掛けられたミザリーは、予想していなかっただろうし、モカの気配にも気付いていなかったようで、「わあっ!」とおどけた声を上げた結果、干していた洗濯物の陰に隠れてしまった。近くに居た同僚のメイドに、肘でつつかれ「何やってんのよ、あんた」と笑われ、顔を真っ赤にして俯いてしまい――そんな反応を可愛いと言うのだろうな、とモカは頭の片隅で思う。
「あの……、ミザリーさん、僕に何か話があると聞きました。王女には許可を頂いてますので、一緒に来て頂けますか」
「えっ、あ、あの、わたしっ、」
「行って来なさいよミザリー。ここはあたしがやっておくから」
「は、はい、すみません先輩……」
躊躇うミザリーに対し、近くに居た同僚の一人がミザリーの背を押したため、それに従ってミザリーは漸くモカの近くまで来たのだった。それを見て、モカは踵を返してミザリーに背を向ける。
「もう少し人の居ない所に行きますか。着いて来て下さい」
「あ、は、はい……」
カツコツとタイル張りの床を叩き、近くに人が居ない所まで行くと、モカは歩みを止めミザリーに振り返った。正面に立って、ミザリーと目を合わせれば、ミザリーは恥ずかしそうにモカから目を逸らし、顔を赤くする。
そんな反応を見れば鈍くはないため、自分が彼女にどう思われているのかなど、モカには容易く分かった。
「……ミザリーさん、話って何でしょうか」
「えっと、 あの、そのっ」
「――ゆっくりでいいですよ。 話せそうだったら、話して下さい」
話を切り出すように言ったモカの言葉に、慌てた様子のミザリーを見て、モカは落ち着かせるよう優しくそう言った。
そんなモカの言葉に、ミザリーはそれまで俯けていた顔を上げて、モカを見上げるようにした後、ぎゅっと拳を握って、意を決したように息を吸い込む。
「――あのっ、モカ様、わたし、貴方のことが好きです!!」
「……はい」
「好きで、あの、そのっ、わたしと、お付き合いして頂けたらなーって……思って、その……」
吸い込んだ分を全て声に変えたくらいに勢いよく出した声は急速に収束し、ミザリーの声は最終的に消え入りそうなくらいに小さなものになった。
想いを口にして、目の前で震えるミザリーの姿を観察するように見て、モカは「ああ、こんなにも真剣な思いだったのか」と他人事のように思う。観察眼が優れてしまっている故に、自分に対して何を思われているのかは、こうして対峙をし、相手の目を見れば大体分かってしまうのだ。
だから、今更モカは申し訳なくなった。身体が震えてしまうほどの真剣な思いに、逃げを選ぼうとしてしまったことを。
(……本当、こうなってくると彼女の方が大人のようだな)
そうしてモカが思ったのは、グレイスのこと。
自分が子供だということを認め、だからこその行動を取ったり、それをちゃんと反省して受け入れて、前に進んで行こうとするその姿は、今の自分よりも遥かに大人だろう。そんなことを考えて、一瞬モカは自嘲的に笑うと、改めてミザリーに向き直った。
「ミザリーさん」
「っ、はいっ!」
モカの呼びかけに姿勢を正したミザリーに対し、モカは深く頭を下げる。
「すみませんが、僕は今、誰とも付き合う気はありません。だから、貴女の気持ちには応えられません」
はっきりとしたモカの断りに、ミザリーは小さく「あ……」と声を漏らした。
「あ、はは、そう、ですよね、わたしなんかが、モカ様と……」
自分を卑下するような言葉と共に、涙が零れ落ちそうになったミザリーの姿にモカははっとし、顔を上げて反射的にミザリーの右手を掴む。
それに驚き、俯きつつあったミザリーがモカの顔を見上げれば、モカは掴んだその手にぎゅっと力を込めて、苦しそうな表情を浮かべた。
「――貴女は、そんな風に自分を貶めなくていいです。貴女が悪いわけではない。悪いのは僕で……、僕が貴女の気持ちには応えられない……それだけなんです。貴女は何も悪くない。……上手く言えなくてすみません、ただ、責めるんなら自分ではなく、僕を責めたらいいです」
言ってモカは手を離し、ミザリーから視線を外す。
自分を泣かせたくなくてだろう、明らかにそうしないためにどうすればいいのかと、言葉に困っている様子のモカに、ミザリーは思わず笑ってしまった。
「――モカ様は、わたしの好きな人なので責めたりできませんよ」
「え、あ、そう……ですか……」
笑いながら言われた言葉にモカは困り、内心どうしようと思いながら、気になっていたことを口にする。
「あの、ミザリーさん……昨日、僕の顔見ましたよね……」
「え? ――ああ、はい、とても素敵なお顔でしたね!」
「それで……あの、僕に告白をしようと思ったのは、だからですか? 何というか、その、ミザリーさんはいつから――」
歯切れ悪くモカが聞き辛そうにしている内容は、ミザリーがいつから自分のことを好きだったのかということ。
振った手前、そんなことを聞くのはあまりにも失礼であると、分かっていたモカは歯切れが悪かった。ただ、ミザリーはそれを聞いて、特に嫌そうな態度を取ることもなく、「ああ、」と穏やかに笑う。
「告白をしようと決断をしたきっかけは確かにそうですけど……、わたしは、もっと前からモカ様のことが気になってました」
「え……」
「以前、わたしが転びそうになった時助けてくれましたよね。わたしはあの時から……、ずっとモカ様のことが気になってました」
それは、大凡一ヶ月前の話。
モカも覚えていた。洗濯物を抱え、転びそうになったミザリーを咄嗟に助けたことを。
「――……わたし、ずっとあの時のお礼をモカ様に言いたかったんです。あの時、助けてくれてありがとうございました」
そう言うと、ミザリーは笑って一度頭を下げ、そうして上げられたミザリーの両目からは、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。
「わ、ぁ、すみません、泣くつもりなかったんですけど、やっぱり、その……っ」
「……いえ、 僕の方こそ、気の利いた言葉一つ言えなくてすみません」
「あは、いいですよ、優しくされたら、もっと好きになってしまいますから」
何処か吹っ切れたのか、そう言って泣きながら笑うミザリーが、モカの目にはとても強く見えて息を止めていると、ミザリーは涙を手で払いモカに笑いかける。
「あの、聞いてくれてありがとうございました。わたし、もう、仕事に戻りますのでモカ様も行って下さい」
「……はい。あの、ミザリーさん、嬉しかったです、本当に。応えられなくてごめんなさい」
「――はい」
笑いながら答えられたミザリーの短い言葉を聞くと、モカはもう、ミザリーとは目を合わせることをしないよう、踵を返して歩き出した。自分の後ろでミザリーが泣いているだろうことは分かって、分かったからこそ、モカは振り返らずそのまま早足でグレイスの元へと向かう。
――「あんたが思っている様な話じゃないかもしれないのに、勝手にそんな風に決めつけて話をするのも許さないなんてあんまりだって言ってるのよ!!」――
グレイスに言われた言葉を思い返して、モカは目を細めた。
――確かにそうだ、彼女の言う通りだ
――僕も、彼女と同じ後悔をするところだった
そんなことを思ってモカは、グレイスにお礼を言おうと決めたのだった。
*
「ただいま戻りました」
「おーモカさん! 早かったっすねえ」
食事部屋にて、グレイスが昼食を取っている中にモカが戻れば、それに答えたのはライアスだった。
モカがグレイスに目を向ければ、グレイスは一度だけじろりとモカのことを見て、すぐに視線を食事に戻し、ぎゅっと眉を寄せる。気に入らないのは自分の存在であるのだろうけれど、そんな表情で食事をしていては、まるで料理が不味いようだなとモカは思った。
「ええ、まあ……そんなに時間のかかる話ではなかったので」
「ふうん、なら俺は元の持ち場に戻りますわ。じゃあグレイス様、また~」
へらりと笑い、ライアスがグレイスに手を振れば、グレイスもそれに普通に手を振り返しているのを見て、モカは今更ながらライアスとグレイスの仲がいいことに気付く。するとライアスは、モカにそっと近付き、グレイスには聞こえないようモカにあることを耳打ちした。
「グレイス様に、ミザリーとどうなったかちゃんと教えてあげて下さいねっ」
「えっ?」
「グレイス様が不機嫌なの、どーもやきもちみたいですから」
「え……? それは一体どのベクトルで」
「――ちょっと何話してんのよライアス! 早く自分の持ち場に戻りなさい!!」
グレイスの言葉にライアスはすぐさまモカから離れ、グレイスに対し「何も話してませんよ」と示すように両手を上げて「あはっ」と笑う。
「グレイス様が怖いんで俺は行きますわ! じゃ、グレイス様もそーんな怒ってばっかり居るとモカさんに嫌われちゃいますよ~」
「よけーなお世話よ! 早く行きなさい!!」
「は~いっ」
「あっ、ライアスさん……」
かなり気になる言葉を残したライアスを、思わず呼び止めようとしたモカだったが、ライアスの逃げ足は速く、もうその場から姿を消していた。
ライアスが消えて行った方向に目を向けるモカに、グレイスは「ちょっと、」と呼びかける。
「わたし、まだ食べるの時間かかるからそこ座ったら?」
「あ……いえ、護衛ですので、立ってます……」
「あっそう」
呼びかけられたことでグレイスに一歩近づき、モカは食事を進めるグレイスを見下ろした。
変わらず不機嫌そうな表情で食事をしているグレイスを見ながら、モカの頭に残るのは先ほどのライアスの言葉。考えて、モカの口からはほぼ無意識に言葉が出ていた。
「あの……王女、僕がミザリーさんに何て答えたか気になりますか?」
そんな、モカの試すような言葉にグレイスは動揺を見せ、ガチャンっと食器を鳴らす。
わなわなと震えながら、じろりと睨み上げてくるグレイスを見て、我ながら意地の悪い質問だったかなと、モカは頭の片隅で思った。
「――何でわたしがそんなこと気にしないといけないのよ……!」
「いえ……、何となく」
「別に気にならないわよ!!」
叫ぶようにそう言われ、更にむすっとした表情で食事をするグレイスに、全身全霊で「気になる」と言われているような気になり、可笑しくなったモカは堪えられず、「あははっ」と声を上げて笑う。
それに当然、グレイスは良い顔をしなかった。
「何笑ってんのよ!!」
怒るグレイスにモカは更に可笑しくなり、ついには腹を抱えてしまう。怒りで顔を真っ赤にして、グレイスがモカを睨んでいると、モカはひとしきり笑った後、はーっと息を吐いて顔を上げた。
「――すみません、可笑しくて」
「あ、んたねえ……!」
「……何もなかったですよ」
「え?」
「彼女とは――何も無かったです。ただ告白されて、僕はそれを断りました。それだけです」
「………………」
「けど、王女の言うように、僕が考えていたものとは違いました――だから、ありがとうございました」
言われたそんなお礼に、グレイスが顔を上げてモカを見れば、モカはグレイスと目を合わせて優しくふっと笑う。
「お陰で嫌な後悔をせずに済みました――本当に、ありがとうございました。王女」
らしくないとでも言えばいいのか、素直なモカのお礼の言葉に少し驚いたものの、グレイスは茶化すことはせず、「そ、そう」と言ってモカから目を逸らした。
「わ、分かればいのよ……わたしのお陰ねっ」
「ええ、はい」
そうして、グレイスは高慢にふんっと鼻を鳴らし、一度ちらりとモカのことを見た後―――微笑ったのだった。
「ああ良かった」とでも言うように、心の底からそう言うように、優しく穏やかに笑った一瞬のグレイスの笑顔に、モカは思わず大きく目を見開く。
「……何に驚いてんのよ、あんた」
「いえ……、王女がちゃんと笑った顔、初めて見たなあと思いまして」
「え?」
「――……可愛いと思って、」
またも無意識にも、ぽつりと口から漏れ出ていた言葉に、そう言ったモカ自身も驚き、はっとして反射的に自分で自分の口を手で塞いでからグレイスに目を向ければ、グレイスは何故かじとりとした目でこちらを見て来ていた。「可愛い」と言われたことに照れるでもなく、訝しんだ目でこちらを見て来るグレイスから読み取れた感情は、最終的にやっぱり怒りだった。
「あんたねえ……そういうこと言うからタラシだって言うのよ!」
「え、いや、あの、」
「ごちそうさまでした!!」
モカが何かを弁解するのを嫌がり、グレイスはさっさと食事を終えて、椅子から飛び降りる。駆けるように部屋から飛び出したグレイスに、すぐさま着いて歩き、モカは我ながら自分に疑問を持った。
――お世辞じゃなく、他人に「可愛い」って言ったの、初めてだな
そんなことを考えて、モカは自分で自分に「ふうん」と思うのだった。