3.興味
どうして。
モカが城に来て早一週間――ヴァイスが連合国を作ると発表をして五日。
今では、グレイスはモカの教える座学の勉強も大人しく受けていた。ただ、互いの距離が縮まるようなことは無い。
当然である、モカの方から歩み寄ることはなければ、グレイスの方からもモカに歩み寄ることは、なかったのだから。
常に自分の立ち位置を変えたくないモカとしては、それは願っても無いことで、「このまま何事もなく三ヶ月が終わってくれたらなあ」と呑気に思っていた。
ちなみに、件の「連合国を作る」という発表があってから、この五日間にモカは二回交戦した。どっちの襲撃も夜間であったため、グレイスが気付かぬ内に、問題は解決されている。連合国の話し合いが落ち着けば、この襲撃は無くなるだろうと予想され、そして落ち着くと予想されるのが、モカがこの城を去る頃だ。
(……何と言うか、上手く雇われたなあ、僕は)
その采配をしたのは、おそらく王であるヴァイスで、そういった動きを敏感に予測し、人を配置する手腕は王たるものなのだろう。
現在モカは個人的に朝食を取り、フレイドルに起こされ身仕度を終えたであろう、グレイスの元に向かっている途中だった。
かつこつと規則的に床を叩きながら歩く中、正面から一人のメイドが洗濯物を抱えて歩いて来るのが、モカの目に映る。下働きの人なのだろう彼女とは、この時間、モカはままよくすれ違っていた。いつも単にすれ違って挨拶を交わすだけであったが、今日は違ったことが起きたのである。
彼女が、モカの横を通り過ぎるその手前でつんのめり、転びかけたのだ。正面でそれを見ていたモカは、反射的に彼女が転ばないよう咄嗟に腕を差し出し、優しく支える。
「――大丈夫ですか?」
「っ、モ、モカ様っ! す、すみませんっ、わたしったら……っ」
言いながら、慌ててモカから離れる彼女に対し、モカは反動で落ちた洗濯物を拾い上げ、彼女が持っていた籠に入れた。
「怪我はないですか?」
「えっ、あ、は、はい……」
「なら良かった。では、気を付けて」
それだけ言うと、モカはそのまま彼女の横を通り過ぎる。その彼女の顔が赤く染まっていたことに、モカはまるで気付いていなかった。
*
「――あんたって、モテるのね」
「モテ……はい?」
仕度を終えていたグレイスと合流し、グレイスが朝食を取る中で、徐にそんなことを言ってきたため、モカは思わず首を傾げた。
「何の話ですか?」
「さっきフレイドルが言ってたのよ、メイドの中にあんたに恋してる人が居るだとかどーとか」
それを張本人である自分に言ってきていいのか問いたくなったモカだったか、おそらくグレイスは心底どうでもいいのだろう。この場合、そのメイドがではなく、色恋の相手として考えるモカの存在が。
「……はあ」
「わたしには全く分かんないんだけど。あんたみたいな鉄兜のどこ好きになるんだか……確かにちょっといい声ではあるとは思うけど」
特殊な部分ではあったものの、ある種初めてグレイスに褒められたモカだった。
「……僕、良い声なんですか?」
「えっ? ……多分? 声だけ聞いたら美形を想像するかもね。少なくともわたしはあんたの声嫌いじゃないわ。だからみんな想像力逞しく、その兜の下を美形だとか思ってるんだろうけど」
グレイスもグレイスで、モカの兜の下の顔を見たことがある訳ではないというのに、興味なさげにつらつらと言われたグレイスのそんな言葉に、モカは可笑しくなりふっと笑う。
「僕、王女には何もかも全て嫌われてるんだと思っていましたので、幸いです」
「はあ? 何よ、あんた別にわたしに好かれようなんて思ってないでしょ」
「……まあ、それはそうですけど。嫌われているよりは」
「……別に、嫌ってないわよ。ただ、気に入らないだけで」
正直な物言いのグレイスに、モカはやはり「そうですか」と笑った。そんなモカの様子に居たたまれなくなったのか、グレイスは手早く朝食を食べ終えると、ギッとモカを睨みつける。
「――それで、あんた恋人は!?」
「はい?」
「居るかどうかって聞いてるのよ! わたしは興味ないけどメイドたちが聞けって言うから!」
突拍子もないませた質問の理由に、モカは「ああ」と納得し、やはり笑った。
「居ませんよ。居ませんけど、今は作る気もありませんね。少なくとも、ここで雇われている間は」
「え?」
「――王女のお世話で手一杯ですので、他のことは考えられそうにありませんから」
さらりとそう言って微笑んだモカを見て、グレイスはぱかりと口を開け、そのまま固まる。
「…………あんた、よく女たらしって言われるでしょ」
「はい?」
「さらっと普通にそんな台詞言うなんて、相当たらしよ、あんた」
腑に落ちないレッテルをグレイスに貼られ、そのまま会話は終了した。
*
「今日は来客の予定でしたか」
ぽつりと言われたモカの言葉に、グレイスはつんとした態度で「そうね」と言った。
「本当はあんたから剣を教わりたいんだけど、これも王女の務めだからそうも言ってられないわ」
「えっ? 剣なら別にいつでも教えますけど」
「あんた城勤めする気ないって言ってたじゃない。なら此処には三ヶ月しか居ないんでしょ。時間が惜しいわよ」
グレイスのそんな言葉に、「なるほど」とモカは納得する。
モカにはっぱをかけられ、ハンターになると強く決めたグレイスは、あれから多くのことを現役ハンターであるモカから、学ぼうとしているのが目に見えた。元々運動神経も良く、頭も良いのだろうグレイスは、何にしても吸収がとても早かった。
それが自分でも分かるのだろう、知らないことを知ることや、やれなかったことが出来るようになっていく今、それらがグレイスは楽しくて仕方ないようで。
思ってモカは「うん」と頷いた。
「――王女が望んで、王がそれを許してくれるのなら僕でよければやりますよ、家庭教師」
「え?」
「僕も人に教えることは嫌いではないですし、王女を焚き付けたのは明らかに僕ですからね。行く末は気になりますので」
「……言ったわね? 言質取ったわよ」
「はい、言いましたね」
「後から取り消したら許さないわよ!」
「ええ、はい」
「――――グレイス様、来客がお見えになりました」
渡り廊下を歩く途中、門兵にそう声を掛けられ、グレイスとモカはそれまでしていた会話を打ち切り、門兵に振り返る。
「今行くわ」
一言そう言って歩き出したグレイスは、それから目を見張るものだった。
王女、一言で言って彼女はそうだった。
今までモカが見てきたグレイスという人物は、ほんの一部だったのだろう、そこにはモカが見たことの無いグレイスが居た。
静々と、粛々と、はきはきと、来客の対応をする彼女は間違いなく王族である。不在の父――王の代わりを務めるに、ふさわしい立ち振る舞いに、モカはただただ驚きっぱなしだった。
凛としたその姿に、モカには自然といずれグレイスがこの国の王として動く姿まで、簡単に想像出来てしまう。それくらいに彼女は、歳不相応にしっかりとした立ち振る舞いをしていたのだ。
そうして全ての対応が終わり、来客が帰った瞬間、グレイスは「はあぁ~~っ」と大きなため息を吐いた。
「疲れた……何か甘いものが食べたい……」
心底うんざりとした表情でそう言ったグレイスに、モカはついふっと笑ってしまう。
うんざりするのも無理は無いだろう、来客の目的は王の行った発表についての詳細を、探るようなものだったのだから。王が不在の今、子供であるグレイスならば何か有益なことを漏らしてくれるのではないか、という意地汚い魂胆が会話の端々で見えていた。
ただ、それはグレイス自身も感じ取っていて、そんな来客者よりも数枚も上手であったグレイスは、結局来客者が欲しがっているような情報は、何も口にしなかった。
本当、年齢は子供であるというのに下手な大人よりも賢いのではないか、とモカは感心したくらいである。
「――変わり身が早いですね」
「務めは終わったからいいのよ。さ、部屋に戻りましょ」
そう、グレイスが城に向かって踵を返した時だった。
「――王女っ!!」
「、えっ」
グレイスには、何が起きたのか良く分からなかった。
ただ、ギィンっ!という金属と金属がぶつかる音がグレイスの耳に響いた。呼ばれたことに振り返った目の前は、モカの陰でよく見えず、モカのマントに包まれるようにされている。
そしてすぐ、モカが少しだけ離れたことで開けた視界の端に、矢が一本落ちているのに気付き、漸く何となく何が起きたのかグレイスは理解した。
――弓で狙われたのだ、来客を見送るタイミングで。
それにいち早く気付いて、矢を剣で叩き落したモカは、辺りの気配をすぐに探った。矢を射ってきた人物以外の、怪しい気配は特に感じない。
(……雇われの単独兵か)
思ってモカは大した危険はもうないと判断し、グレイスから離れた。
「――王女、怪我はありませんか」
「え、ええ……」
「なら良かったです。ライアスさん! 来て下さい!」
呆然とするグレイスを他所に、モカは城の衛兵である近くに居たライアスに声を掛ける。モカの呼びかけに、ライアスはすぐモカとグレイスの傍に駆けつけた。
そしてモカは今起きたことを、ざっとライアスに説明し、グレイスに振り返る。
「――では、王女はライアスさんと一緒に部屋に戻っていて下さい」
「えっ? あ、あんたはどうするのよ」
「僕はちょっと今の犯人捕まえてきます。では」
短くそれだけ言うと、モカはグレイスが何かを言うよりも先にグレイスの前から姿を消した。
実際には瞬間移動をしたわけではないので、走って行ってしまった、と言う方が正しいのではあるけれど、モカの足は恐ろしく速かった。
モカの運動神経に対して、「可笑しい」「変だ」「異常だ」とは常々思っていたグレイスだったが、目の前でちゃんとその片鱗を見たことはなく、見てしまったグレイスは驚きから、あんぐりと口を開ける。
普通に考えて、先ほど弓を射ってきた犯人はもう近くに居ないだろう。居たとしても隠れているか、姿を眩ましたりしている筈だ。
自分を守り、尚且つその後のことを他の人間に引き継いでから追ったところで、追いつくことも、見つけることも叶わないと思われる。けれど、今のモカの動きを見て、そんなことは無いのだろうとグレイスは考えを改めることになった。
きっと、おそらく、いや確実に――モカは犯人を捕まえて来るんだろうと。
「――いや~流石王が選んだ護衛ですねえ。獅子の如く! ありゃ相当お強いんでしょうねえ」
「……ライアスもそう思うのね、やっぱり」
城の衛兵であるライアスは、比較的グレイスと仲の良い人物である。グレイスと仲が良いのに伴い、ライアスは王であるヴァイスとも仲が良い。そして、その腕は確かであった。元々、この城の兵の殆どを指揮していたのは、このライアスであるのだ。
今はモカにその指揮権が移っているものの、王から城の兵を任せられるような、強く、信頼の置ける人物である。
グレイスの言葉を聞き、ライアスはグレイスをひょいと持ち上げ、自分の肩に座らせるようにした。グレイスからすると、ライアスは近所のおじさんというような感覚の人物であり、こうされることは少なく無く、特に抵抗せずグレイスは、いつものようにライアスの肩に掴まる。
それを確認すると、ライアスはモカに指示された通り、グレイスの部屋に向かって歩き出した。
「そりゃあ思うでしょうよ。グレイス様は今何が起きたか分からんかったでしょうけど、たまたま俺は一部始終見てたので……ありゃ化けもん並ですね」
「どういうこと?」
「いやあ……だってさっきグレイス様まるで気付いてなかったでしょう、狙われてるのに。お恥ずかしながらまあ、俺も気付くの遅れたんですけど」
「……ええ、そうね」
「で、それは多分モカさんも同じだったと思うんですよね。気付いてなかった。でも防いだんです」
「え……?」
「グレイス様が振り返って門に向かって背を向けて、モカさんも背を向けたその瞬間、明らかに隙だらけだった。だから犯人も矢を射った。けど彼はその瞬間の相手が放った殺気を野生の勘みたいなので感じ取って超反応で矢を叩き落したんです。隙だらけだったのに、彼に隙なんてなかった。どう生きてきたらあんな風になるんですかねえ~。というか、あんなに強いのに無名っていうのも信じられませんよ。城の兵や騎士団の兵なら、あれだけの強さがあれば名前くらい聞けると思うんですけど。王が紹介してきた時は何処の人間が来たんだってちょっとざわつきましたし」
そう言いながら笑うライアスの言葉を聞いて、グレイスは「ふうん」と口を尖らせる。
「……あいつ、ヴェリス様の子だそうよ」
「えっ! ヴェリス様の!? あー……なるほど~……それは強いわけですね! じゃあ相当若いんじゃないですか?」
聞かれたそんなことにグレイスは目を丸くし、きょとんとした。
「知らない。聞いたことないから」
「えっ。でもグレイス様モカさんと四六時中一緒に居るじゃないですか」
「居るけど知らないわよ。あいつ、自分から自分のこと話したりしないもの。最初なんて着いてくるなって言ってるのに“仕事ですから”ってずっと着いてくるし……そんな奴よ。雑談なんか殆どしたことないわ。お互い好きで四六時中一緒に居るわけじゃないんだから」
「でもその言い分なら、グレイス様から話しかけたら普通に話してくれるってことですよね?」
ライアスのそんな言葉に、グレイスが思い出したのはあの時の会話。
初めて自分から話しかけてみて、結果的に自分の欲しかった言葉をくれ、グレイスが少しだけモカに対しての棘が取れたきっかけになった、あの会話。
「……そうね」
「ならグレイス様から話しかけたらいいじゃないですか~お嫌いではないんでしょう?」
緩い笑顔を浮かべて言うライアスの言葉に、グレイスは何故かぐっと顔を顰めた。
――そう、嫌いではない。あいつのことは
――むしろその考え方や発言は、胡散臭い言葉で固められた他の大人たちよりも、ずうっとはっきりしていて好意的ではある
――けれど
「……気に入らないから」
「ええ? 何でっすか? あんなに優秀なのに」
「気に入らないものは気に入らないの!!」
ライアスの言葉を突っ撥ね、ふんっと顔を背けたグレイスに、ライアスは「あらら」と笑った。
「しっかし、これでモカさんが犯人を捕まえてきたら三件目のお手柄ですね~」
話題を変えようと、何気なく言われたライアスの発言にグレイスは「えっ」と声を上げる。それにライアスは同じように「えっ?」と声を上げ、首を傾げた。
「三件目って……どういうこと? 何が……わたしは今日初めて、」
驚いた表情でそう言って来るグレイスに、ライアスは「しまった」というような顔を見せる。
「口が滑りました……モカさん、グレイス様には伝えないようにしてたのか」
「何よ……どういうこと!?」
「……グレイス様が襲撃されたのはこれで三件目なんです。グレイス様の知らない他の二件はグレイス様が寝静まった後に起きました。そして、全てモカさんの単独で事なきを得ています。それこそ、昨日の夜にもありました」
「え……」
全く知らなかったそんな事実に、グレイスはライアスに掴まっていた方の手の力を、きゅっと強めた。
「何で……知らされてないの……」
「んー……多分ですけど、モカさんがお優しいからでしょう」
「優しい……?」
「だって、今の聞いてグレイス様どうですか? 夜、安心して眠れますか?」
聞かれて、グレイスはぐっと息を呑む――例えそういう訓練をしているとしても、命を狙われることに決して慣れているわけではない。夜に襲撃があった、そんな事実を聞いて安心して眠れるか眠れないか、聞かれればそれは、眠れないだろうという答えになる。
「だからちょっと今のは失敗しました。すみません――まあ、でも、夜ぜーんぜん安心して眠ってもらって大丈夫ですよ」
「……どうして?」
「そりゃ何せ、今は最強の護衛がグレイス様の傍に居ますからねえ。本当は俺の役目だと思うんですけど、こればっかりはあの働きを見たらお任せしますとしか言えません」
*
昨夜のこと、グレイスが寝静まった後にそれは起きた。
「――では、僕は仮眠を取らせてもらいますので、ライアスさんは王女の部屋の前で護衛をお願いします」
「はいよ~了解っ!」
モカの指示にライアスがそう答えた時だった。不意に、モカがすいっと空を見上げたかと思えば、そのまま数秒停止したため、不自然なモカの動きにライアスは当然首を傾げた。
「モカさん? どうかし……」
「――予定を変更します。アドルフさんを呼んでもらえますか」
突然の申し出に疑問を抱きつつも、ライアスは城内の警備のため巡回していたアドルフを呼び止めた。アドルフが来るとモカは直ぐにアドルフに目を向けこう言ったのだった。
「アドルフさん、王女の部屋の前の警備をしてもらっていいですか」
「はい、分かりました」
「え、俺はあ?」
突然理由も分からずアドルフに役割を取って変わられ、ライアスが素っ頓狂な声を上げると、モカはライアスにくるりと向き直り、懐から城内の地図を取り出した。
そうして広げられた地図を見るように指差され、ライアスはモカの指差したそこを覗き込む。
「ライアスさん、今から僕はこっち回りで王女の部屋の周囲を進むので、ライアスさんはこっち回りで進んでもらっていいですか?」
「お、おう?」
「多分、三人侵入者が居ます。僕が回り込む側に全員居ると思われますが、逃げられては面倒ですので僕が全員捕らえられず逃してしまったその時はお願いします」
「え」
「では、行きましょう」
急を要しているのか、短くそう言うとモカはライアスの返事も待たず姿を消した。慌ててライアスもモカの指示通りの場所へ向かって、数十秒後のこと。
侵入者が居るというモカの言葉が、嘘か本当かもライアスには判別がつかなかったが、ひとまず警戒して歩いていると、丁度グレイスの部屋の裏手だった。月明かりも明るくない、宵闇の中で何かが動いたのをライアスは感じた。
そして、聞こえたのは「うあっ」「がっ」「ぎゃ」という三様の短い叫び声。一体何が起きているのか、闇が深く見通せなかったライアスが動けないで居ると、その闇から姿を現したのは、モカではない人物だった。
見知らぬそいつが侵入者だろうことは明白で、ライアスが剣を抜こうとしたその時、そいつは何故かライアスに向かって助けを求めるように、手を伸ばして来たのだ。
「――助け……! っ、が」
そして、小さく叫び声を上げてそいつは地面に倒れ込む。入れ替わるようにそいつの真後ろから姿を現したのは、モカだった。
「――――全く、王女が起きてしまっては面倒なので夜の襲撃は止めて頂きたいんですけど」
やれやれと息を吐くモカの両手には、気を失っている大の男が二人引き摺られている。今目の前で倒れこんだ男を含め三人、モカの言った通りの人数の侵入者だった。
「ありがとうございました、ライアスさん」
「え……いや、俺、何もしてないっすけど……」
「そうですか? まあ、でもありがとうございます」
「つーかモカさん……この暗い中、よく見えましたね……こいつらのこと」
ライアスが関心したのは、モカの夜目が利いたこと。
先程まで一緒に行動していたライアスは、城内から外に出ると物のシルエットしか分からないくらいに、ぼんやりとしか見えていなかったが、モカはそうでもなさそうであったから。
侵入者はそれこそ夜目が効くように慣らしてきただろうし、そういう準備をしてきた筈だ。なのに予定にはなく、急に飛び出して行った以上、モカも自分と同じくそんな準備していなかった筈で、にも関わらず交戦して勝利を収めている。
それにただ感心をし、漏らしたライアスの言葉だったが、モカは不思議そうに首を傾げた。
「僕別に、夜目が効くわけじゃないですし……見えては無いですよ」
「えっ?」
「気配で何となく戦っただけです。逆に言えば気配読めれば目は見えて無くても分かります」
当たり前のようにそう答えた、野生の獣のようなモカの答えに、ライアスは素直にぞっとした。
そうして思う、先程自分に向かって助けを求めてきた侵入者について――怖かったのだろう、それこそ野生の獣にでも襲われたかのように。
*
「そんなわけで、モカさんが居る以上大丈夫でしょう。冷静で冷徹で冷血なまでに仕事だからと侵入者を排除する……こう言ってはなんですが、あの時は侵入者にちょっと同情を覚えました」
「そう……だったの」
「それにしてもあの後モカさん自分でそいつら憲兵に突き出しに行ってましたし、あの人いつ寝てるんですかねえ。仮眠は取ってるようですけど、いつも仮眠しか取ってない気がしますし」
ははっと笑うライアスのそんな言葉に、グレイスは何故か顔を曇らせるのだった。
*
「…………ねえ、あんた出来ないこと無いの?」
「はい?」
ライアスとグレイスの予想通りに、モカは矢を射った犯人を当たり前のように捕まえて、戻って来たのだった。モカが戻ると、入れ替わりでライアスは「自分の持ち場に戻ります」とその場を後にした。
その後、部屋の中でずっとグレイスが何故かは分からないが、険しい顔をしたまま黙り込んでいたため、モカは思案した後、「ちょっと離れますね」と部屋から出て行き、そうして数十分後、再び部屋に戻ってきたモカの手には、焼きたてのパイとそれに添えられたアイスクリームが綺麗に盛られた皿があったのである。一目で「美味しそう」と思うそれは、部屋の中の机で座っていたグレイスの目の前に置かれたのだった。
置かれると共に言われたのは、「甘いものが食べたいとおっしゃってましたよね。作りましたので、どうぞ」という言葉であり、思わずグレイスはあんな言葉を吐いた次第だ。
「出来ないこと、とは?」
「出来ないことっていうか……苦手なこととかでもいいんだけど……なんか段々あんたが完璧すぎて怖くなってきたわ」
「はあ……」
ぼんやりとした返事をモカが返すと、グレイスは「座れば」と部屋の中にあった近くの椅子を指差してきたため、モカはそれに従い座った。
それを見てからグレイスはナイフとフォークを手に持ち、モカが作ったと言うパイに切り込みを入れる。パイの中身は木苺だろう、赤い果実がごろごろと出て来た。パイと一緒に果実にフォークを刺し、添えられているバニラアイスと共に口に運べば、何とも美味である。疲れた身体に沁みるとはこのことなのだろう。
美味しいけれどそれが悔しい、というような表情で自分の作ったパイを食べ進めるグレイスを見て、モカの顔からは思わず笑みが零れた。
「うーんそうですね……自分で言うのもなんですが、僕基本的に器用ですから出来ないことと言われるとそんなに無いですけど……苦手はたくさんありますよ」
「例えば?」
「モンスターと戦う時にですけど、様々な種類の武器があるのは分かりますよね。僕はその中でも、大剣やハンマーといった重い武器を扱うのは苦手です。使ってみたことはあるんですけど、僕には扱いきれないかな、と」
「ふうん、他は? 食べ物とか」
「食べ物に関しては特に……辛いものも苦いものも僕は平気ですかね」
「じゃあモンスターは?」
不意に言われたそんなグレイスの質問に、モカは何故かぴたりと動きを止めた。
モンスターと一言で言えど、勿論その種類は豊富に存在している。例えば熊のような二足歩行のモンスターもいれば、狼のようや四足歩行のモンスター、毒を吐くモンスターや、火を吐くモンスター、果ては空を飛ぶモンスターも確認されていて、形態は様々だ。
だから、グレイスとしては、戦うのが苦手なモンスター、戦いにくいモンスターは居るのか、というそれだけのつもりの質問だったが、モカはグレイスの質問に何故か、暗く目を伏せる。
それに気付き、グレイスは何か悪いことを聞いてしまったのかと慌てた。
「え、何よ、思い出すのが怖いモンスターでも居るの? 無理に言わなくってもいいわよ」
そんなグレイスの言葉に、自分よりも十も年下のグレイスに気遣われていることが可笑しくなり、モカはふっと笑う。
「王女、僕、そこそこ強いんです」
「はっ? ええ……はあ?」
唐突に自慢されたことに一度納得しかけたグレイスだったが、やはり意味が分からず聞き返すと、それにモカは目を閉じた。
「強いことは自負していますが、慢心をしたことはありません。モンスターはいつだって怖いです。命を取りに行っているのだから、命を取られたって仕方ない――いつだって命がけで、だからモンスターを狩ることは別に好きではありません。全般に苦手です」
「……ハンターをやってるのに?」
「はい」
「モンスター狩るの、怖いの?」
「はい、とても」
一言で言えば「情けない」、そんなモカの発言に対して、グレイスは不思議なものでも見るように目を見開いた後、すぐに目を伏せる。
「……あんた、強いのね」
ぽつりと言われた、自分の言葉に対してのグレイスの感想に、モカは思わず「えっ?」と疑問の声を上げた。
予想していたのは、それこそ「情けない」や「何で?」という否定の言葉だと思っていたモカだったが、グレイスの口から出てきたのはそうではない、どちらかと言えば肯定の言葉だったことに驚いたのである。
「……今の話を聞いて、強いと思いますか?」
「ええ、強いわよ――だって、あんたはモンスターの命と自分の命を対等に見てる。見た上でそれと対峙してるんでしょう? あんたが怖いって言ってるのは戦うことじゃなくて、その命を刈り取ることよね? それが強い以外の何だって言うの? ……お母様と同じだわ。憧れる」
――ああ、初めてだ、とモカは思った。
自分の言った言葉を、ここまでちゃんと理解してくれた人は、これまで居なかったと言ってもいい。
子供なのに大人な考えをするグレイスは、下手な大人よりもずうっと大人で、子供でいることが許されなかった環境が故にそうなっているのだろうけれど、それを差し引いたとしても――彼女ほど聡明な女性に会ったことは今までにないなあ、とモカはそんなことを思う。
だからこそ、モカには分からないことがあった。
「――ねえあんた、前に自分がハンターをやってる理由を何となくだなんて言ったけど嘘ね? 本当は理由あるでしょう」
「え……ええ、はい。そうですね……王女には話してもいいしれません。――僕は、この世界が好きなんです。だからこの目で、この足で、この手で色々なものを見て、感じたくて、ハンターをやってます。ハンターを始めたきっかけこそ何となくではありますけど、今はそう思ってハンターをやってます」
「ふふっ、わたしと同じね」
「そうです。だからこれでも驚いたんです、王女がハンターをやりたいと思っている理由を聞いた時に」
「全然顔に出てなかったけど」
「よく言われます」
そうして、グレイスが機嫌よさそうに笑ったため、モカはグレイスに聞くに聞けなかった。
「――じゃあわたし、今日はもう休むから。ありがとう、美味しかったわ」
「あ、はい」
「それと……、助けてくれてありがとう」
「えっ? はい……、仕事ですので」
「あんたならそう言うと思ったわ――ほら出て行って、フレイドルを呼んで来てくれる?」
「あ、はい……」
言われて、グレイスが食べ終えてくれて空になった皿を手に、部屋を出たモカはぽつりと呟く。
「…………どうして、」
――どうして、あれだけ聡明な彼女が、王の前ではあんなに我儘な態度を取ったのだろう
考えたってそんな疑問の答えは分かる筈もなく、自分の立ち位置を変えるつもりのないモカには、それを自らグレイスに聞くことも出来ず、ただ疑問は浮かんで沈む。
そうして事件が起きたのは、更に五日後のことだった。