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2.変化

少しの




 明朝、モカはグレイスの部屋から一番近い水場にて、兜を外し顔を洗っていた。


(さて……昨日は結局一日中鬼ごっこで終わったけど、どうしたもんか。貰った予定表じゃ、一週間後

は来客予定で、今日は午前座学の午後剣術だったか……女の子なのに剣術なんて大変だなあ。まあ、姫、だったらまだしもいずれ王になる王女だから仕方ないかもだけど)


 そんなことを考えている時だった。


「――――モカ様~っ」


 少し遠くの方から呼びかけられ、モカは慌てて外していた兜を被り直し、声の方へと振り向く。そこには二十代前半くらいだろう、メイド姿の女性が此方に向かって来ていた。

 彼女の顔を見て、モカは「ああ、」と声を漏らす。


「フレイドルさん、でしたか。何かご用ですか?」


 昨日、グレイスに紹介される前にヴァイスから紹介されていた人物の一人――グレイスの一番の世話係をしている、メイドのフレイドル。

 フレイドルはモカの近くまで歩み寄ると、「すみません」とはにかんだ。


「驚かせてしまったみたいで。もう少ししたらグレイス様を起こす時間でしたので、何かお変わり無かったかをお聞きしたくて」

「ああ、いえ、別に……特に変わったことはないかと思います」

「そうですか、でしたら良いのですが――大変でしょう、グレイス様のお相手は……母親譲りで運動神経がとても良いですから、最近は来る家庭教師の方々は皆グレイス様を見失って困り果てていましたけれど」

「そうなんですね」


 答える中で、ふとモカはフレイドルにまじまじと顔を見られていることに気付き、思わず身を引く。


「あの……何か?」

「ああ、いえ、そういえば私、モカ様のお顔を拝見していないなあと思いまして。最初ヴァイス様からご紹介があった時、兜をしたままで紹介されましたので驚いたのですけれど、ヴァイス様が選んだ方ならと安心していますが……話してみて良い人だというのも分かって、そうなればお顔が気になるのは当然でしょう?」


 ふふっと笑いながらそんなことを言われ、モカは対照的に「はあっ」とため息を吐いた。

 現状、この城の関係者でモカの顔を知っているのは王であるヴァイスと、その側近であるギースの二人だけである。けれど、その二人ともが今は城に居らず、城内にはモカの素顔を知る者は誰も居ない、という状態だった。


「取りませんよ。僕、顔見られるの嫌なんです」

「どうしてですの?」

「……色々あったんです。以来僕は仕事中顔を隠すことにしてるので、顔を見せることは出来ませんが、それ以外ならやりますから」

「あらまあ、それは残念です。――そういえば昨日、グレイス様は一度でも脱走に成功しましたか?」

「えっ? いえ、全て阻止しましたが……」

「そうですか、じゃあ今朝はきっと、とても機嫌が悪いんでしょうね!」

「……それが僕の仕事ですので。愚痴を言うようでしたら聞いてあげて下さい」


 言って、歩き出したモカに着いて行くように、フレイドルも歩き出す。


「そうですね。……私、グレイス様が赤子の頃からずっとお世話させて頂いてるんですけれど、私も最近、グレイス様のことがよく分からないんです」

「はい……?」

「グレイス様のお母様……マイ様が亡くなられて、グレイス様はヴァイス様共々ずっと塞ぎ込んでおられました。けれど、ある日突然そこから立ち直ったかと思えば、今度は何故あんなにもヴァイス様に反抗されるのか……グレイス様は、ヴァイス様のことが本当に大好きなはずですのに」

「…………そう、ですか」

「――まあ、考えても分からないことは分からないですし、私は自分の仕事を頑張ります! では、グレイス様を起こして参りますね!」


 そうしてフレイドルは、モカよりも先をパタパタと駆けて行った。

 そんな背を見つめながら、モカは「なんかちょっとぽんに似た人だな……」とぼんやり思った。







「も~~~~っ! 何なのよあいつ!! フレイドル、聞いてるの!?」

「はいはい、聞いておりますよ、グレイス様」


 フレイドルに起こされたグレイスは、フレイドルの予想通り大層不機嫌だった。

 憤慨だ、と言わんばかりに声を荒げるグレイスに、フレイドルは穏やかにくすくすと笑いながら、ドレッサーの前で座るグレイスの髪を梳かす。


「あいつ信じられないのよ! わたしが昨日どれだけ手を尽くしたか知ってる!? 何食わぬ顔で全部当たり前みたいに阻止して! 顔は見えてないけど!!」

「流石はヴァイス様がお連れされた方ですねえ~」

「褒めてるんじゃないわよ! 貶してるの!! わたし絶対あいつのこと好きになれないわ!!」

「けど、優秀であるのは事実でしょう? モカ様、グレイス様が見ていないところで衛兵の采配もされたりしているんですよ」


 うふふっと笑いながら言われたフレイドルの言葉に、グレイスは思わず「……え?」と声を上げた。


「何、あいつ、そんなこともしてるの……?」

「はい。ヴァイス様に頼まれたことだと言って、さらっとこなしておりました」

「あいつ機械かなんかじゃないの……?」


 あの男が自分という我儘な――グレイス自身、それは重々自覚している――子供の相手を一日中しつつ、他の仕事も難なくこなしているということが、グレイスからしても異常だというのは分かる。


「そうですねえ、でもモカ様は人ですよ。……私には何故グレイス様がそれ程までにヴァイス様に反抗なさるのか分かりませんけれど、モカ様にも同じようにきつく当たってはモカ様がお可哀相ですよ」

「わ、たしはっ」

「まあ、フレイドルはいつでもグレイス様の味方ですので! 何かあれば仰って下さいね、いつでも聞きますから」


 言って、フレイドルはグレイスの頭をぽんぽんっとあやすように優しく叩き、「よし、可愛くできたっ!」と、踵を返してドアに向かった。ドアを開け、すぐ外に居たモカにフレイドルはお辞儀をすると、「私は洗濯をしなければいけませんので、これで」とその場を後にする。


 フレイドルと入れ替わり、モカはこんこんっとドアを叩いてから、グレイスの部屋へと足を踏み入れた。


「――失礼します、王女。朝食の時間ですので、そちらまで移動しましょう」


 言われて、グレイスはモカに目を向ける。昨日と変わらない、顔が分からないように鼻下まで覆われた、ヘルメット型の鉄兜を被っている、モカという名の男。

 フレイドルの「モカ様にも同じようにきつく当たってはモカ様がお可哀相ですよ」という言葉を思い返し、グレイスはぎゅっと眉を寄せた。


(……我儘だって、分かってるわよ。でも、わたしはどうしても気に入らない)


 グレイスの中には、とある理由が渦巻いていて、その理由から、突然現れたモカの存在がどうしても気に入らないのだ。


(……代わりなんて居ないのに……そんなの、成りえないのに、それと同じように――……)

「王女?」


 考える中で再びモカに問いかけられ、グレイスははっとし、沈みかけていた顔を上げる。

 目に映ったモカの姿を憎らしげに睨むと、グレイスはそれまで考えていたことを振り切り、座っていた椅子から飛び降りた。


「――今行くわよ」


 抑揚無く言われたグレイスの返事は、モカの耳にとても冷たく聞こえた。







「………………あの、王女。何か用があるなら言ってくれませんか」


 朝食を食べ終わり、ヴァイスの付き人であるギースから渡されていた、ここ三ヶ月のグレイスの予定表を元に動くと、今日の午前中は座学であったため、食事を摂る部屋から、昨日足を運んだ部屋にグレイスとモカは移動していた。

 勉強部屋について早々、昨日と同じくモカが「勉強されますか?」と聞けば、これまた同じくグレイスから「しないわよ」と返って来たため、モカは「じゃあ、時間まで適当にお過ごし下さい。部屋から出る際は声を掛けて下さい」とだけ言い、昨日読みかけていた本を手に取った次第である。


 勉強部屋と称された、部屋の壁一面に並ぶ書物は種類が多彩で、勉強が好きなモカとしてはとても有り難いものだった。この部屋であれば午前中といわず、一日中、なんなら一週間は過ごすことができるだろう。

 そうしてグレイスに言ったよう、モカはモカで勝手ながら本を読み、適当に過ごし出して三十分。流石に耐えられなくなったモカが声を発した。


 何故だか分からないが、部屋に入ってあれから三十分間――ずっと、モカはグレイスに見つめられていたのである。


 モカの声に、一度モカから視線を外したグレイスだったが、またすぐにモカに目を向けた。視線が合わせないように、モカは本に目を落としたまま、仕方なく再び口を開き「あの」と息を吐く。


「王女、何かご用でもあるんじゃないんですか?」

「……別に何もないわよ。あんたに用なんて」


 だったら何故、こんなにも穴が開くんじゃないかというほど見つめられなけらばならないのだろう、とモカは思った。


「…………王女、今日はお逃げにならないんですね」

「逃げても無駄な相手からは逃げないわよ。疲れるだけじゃない」

「そうですか……」


 何とかこの視線を和らげようと、会話を試みたモカだったが大した意味も無く、ただ、グレイスはそんなモカに「はあっ」とため息を吐いてみせる。


「――――……あんた、それ、何読んでるのよ」


 聞かれたことにモカははっとし、今読んでいる部分に人差し指を挟んで本を翻し、表紙に目を向けた。


「えー……っと、野草図鑑、ですね」

「はあ? そんなの読んでどうするのよ」

「職業病なので気にしないで下さい。僕、勉強するの好きなんです」


 話しかけられたかと思えば、そんなことだったのにモカはやれやれと息を吐く。

 けれど、考えてもみれば出会いの昨日は鬼ごっこでほぼ終わっていたため、こんな風に会話するのは初めてのことだった。


「職業病? ……あんた普段何してるの」

「僕ですか? しがないハンターですが」


 そうして答えたモカの言葉に、グレイスは明らかに目の色を変えた。それに気付いたモカが、思わず顔を上げてグレイスに目を向けてみると、グレイスはモカに対して身を乗り出すように身体を向けている。


「……あんた、ハンターなの?」

「ええ……普段はそうです」

「………………」


 明らかに目が輝いている様子のグレイスに、モカは首を傾げて見せた。


「王女……もしかして、ハンターという職業に興味あるんですか?」


 思わず、口から出てしまったモカのそんな問いかけに、グレイスははっとして、すぐにふんっと鼻を鳴らすとモカから顔を背ける。


「別に無いわよ! 興味なんて!」

「え、でも」

「どうやってなるんだろうとか、そんなこと思ってないんだから!!」


 努めて不機嫌そうに言ったグレイスを見て、「どうやってなるんだろうって思ってるんだなあ」と分かりやすいグレイスの反応に、モカは内心笑った。


「……血ですかね」

「えっ?」

「王女は、マイさんの血をきっと色濃く受け継いでいるんでしょうね」


 ふと少しだけ笑いながら言われた、モカの口から出た何気ない言葉に、グレイスは大きく目を見開く。


「……お母様を、知ってるの?」

「えっ? ああ、はい、まあ。一緒に狩りに行ったことはないですけれど、何度か僕が拠点にしている村のギルドでお見かけしたことはあります」


 言いながらグレイスの様子を見て、モカは半端に閉じていた本を本格的に閉じてしまい、グレイスに歩み寄った。何か言いたげなのに、言葉を発しないグレイスから、モカが分かることは一つのこと。


「……マイさんの話が聞きたいんですね」


 きっと、今の今まで自分に対して悪態を吐いていたというのに、聞きたいことができたからと、聞いていいものなのかグレイスは迷ったのだろう。観察眼が優れているが故に、それが分かったモカは、敢えて自分からそれを口にしてみた。


「……いいの?」


 モカの言葉に返って来たのは、グレイスのそんな一言。それには、あんなに酷い態度を取ったのに聞いてもいいのか、という意味が見て取れた。

 自分が悪いことをしているというのを自覚している上、それに罪悪感を感じているグレイスを見て、子供だけれどちゃんと大人の考えが出来る賢い子だなあ、とモカは思う。


「構いませんよ。勉強をされないなら、暇潰しにもなるでしょう」


 言って、モカはグレイスが腰掛けていた椅子の横に並んでいた椅子を引き摺り出し、ある程度の距離を取ってそれに座った。


「何が聞きたいですか? 僕が知っていることであればお話します」


 グレイスの今は亡き母である、マイ。彼女は、モカと大して関わりがあった人物ではないけれど、モカ自身、生前その姿自体は何度も見かけたことがあった。見かけた場所は「ギルド」にて。

 その理由は、マイがこの国の王妃である傍ら、「ハンター」をやっていたから。

 ハンターであればギルドに赴き、ギルドの受付でクエストを受ける。ギルドは大きな村にしか存在していないため、同じハンターであれば、まま顔見知りは増えていくのだ。モカにとってマイはそんな中の一人。

 また、マイが仲の良かったハンターは、自分の父であるヴェリスの方であり、その関係から、同じクエストに赴いたことはないけれど、会話は何度かしたことがあった。


「あ……え、と、あんたから見て……お母様は、どんな人、だった……?」


 躊躇いがちに聞かれたグレイスの言葉に、モカは「そうですね……」と言いながら、自分の知るマイの姿を頭に思い浮かべる。


「強くて、優しい人でした。僕が見る限りでは、あまり自分のためには自分の意見を言わない感じの人でしたね」

「自分の、意見を……?」

「はい。マイさんの周りにはいつも同じ人たちが居たのはご存知ですか?」

「アルガ様に、ノアールさんと、ロクちゃん……のこと?」


 グレイスの口から出た三人の名前は、クエストに赴き協力して狩りをする、マイの所謂パーティメンバーの名前。

 それにモカは頷いて見せた。


「そうです。お陰でギルドで見かけるマイさんの周りはいつも賑やかで……次は何に行こう、だとか近くを通りかかると丸聞こえだったんですけど、マイさんは決まってこう言っていました。“わたしはいいから、皆が行きたいのに行くといい”と」


 そんなモカの話に、グレイスは亡き母のことを思い浮かべたのだろう、モカと出会ってから初めて柔らかい表情を浮かべる。


「ふふっ……お母様らしいわ」


 グレイスの遠慮がちな笑顔を見て、モカが思い出したのはいつかの日、仲間たちと笑い合っていたマイの笑顔。あまりマイと関わりの無かったモカが、思わずそれを思い出してしまうほど、グレイスとマイの笑い方はよく似ていた。


「……やっぱり、親子ですね」

「えっ?」

「王女は、マイさんに雰囲気がよく似ています」


 そんなモカの言葉に、グレイスは嬉しそうな表情を浮かべる。


「……お母様は、わたしの憧れよ。いつも強くて、綺麗で、優しかった。わたしはいつかお母様のようになりたい」

「……だから、ハンターになりたいんですね」


 誘導尋問のようにモカから言われたそんな言葉に、グレイスは一度身体を強張らせた後、膝の上でぎゅうっと拳を握った。


「――でも、お父様はそれを許してくれないわ」

「何故そう思われるんですか? 王に、そう言われましたか?」

「っ! 言われてないわよ……、でも、分かるわ! だって……、お母様はお父様を守って、モンスターに殺されたんだから!! それと戦うことを許してもらえるはずないじゃない!!」


 叫ぶように言われたそれに、モカは一度黙り込む。


 今は亡き、グレイスの母親であるマイ。彼女は二年前、とある事情からハンターとして対峙したモンスターが原因で、その生涯を閉じていた。そして、その原因を作ることになってしまった一つの要因は、この国の王であるヴァイス。

 細かいことの詳細まではモカは知らないが、様々な不運が重なった結果、とある強大なモンスターにマイとヴァイスの二人だけで鉢合わせてしまい、マイは国の王であるヴァイスを生かすために一人でそのモンスターに立ち向かい、そして、命を落としたという記録が残っている。


「うーん、まあ、普通はそうですけど……だったら許してもらえるように頑張ってみたらどうですか?」


 黙り込んだかと思えば、あっさりと肯定された上で言われたモカのそんな言葉に、グレイスの目からは鱗が落ちるようで、グレイスは一瞬息を止めた。


「許してって……どうやって……?」

「さあ……方法なんて幾らでもあると思いますが、まあ、まずは強くなってみてはいかがです? 少なくとも、僕だったら剣の腕も無い、外の知識も無いような人間が、いきなりハンターになると言ったら止めますね。それはただの自殺行為ですから」

「………………」

「それと、王女がもしもマイさんの仇を討ちたくてハンターになりたいと言っているのなら、僕はそれも止めます。……けれど、貴女はそうではないでしょう?」


 言われた内容に驚いて、グレイスは思わず顔を上げる。そうして、仮面の奥にあった翠の瞳に、グレイスは何処か吸い込まれるような感覚を感じた。


「――貴女は、純粋にハンターになりたいと、そう思っていますよね」


 真っ直ぐに、確信を持ってモカから言われた言葉に、グレイスはぐっと顔を顰める。


 ――ただ、嬉しかった。


 自分がハンターをやってみたいということを、マイが亡くなった後に、試しにフレイドルに言ってみたことがある。フレイドルの答えは「マイ様は特別」「危ないから止めておいた方がいい」「無理だろう」、そんなものだった。

 グレイス自身、何も今すぐハンターをやるのか無理だということは分かっている。誰がどう見たって子供の自分なのだ。

 それなのに、いつかの話として言ってみたにも関わらず、周りに居た召使いたちからも、自分のその発言に対して否定の言葉しか生まれなかった。どころか、「仇討ちなんて考えないで」とまで言われた。


 だからグレイスは思ったのだ。父であるヴァイスにそれ言っても、きっと同じような反応しか返って来ないのだろう、と。


「――……お、母様は、よく言っていたの……“自分は、ハンターであることに誇りを持っている”って……」

「……はい」

「だから、自分がもしモンスターに殺されたとしても、それは仕方の無いことだって……。自分もモンスターを狩るために対峙しているのだから、モンスターも当然自分を殺しに来ているから……もし、自分がモンスターに負けて死んだのなら、それはモンスターに殺されたんじゃなくて、自然に、在るべき理由で死んだんだって……だから、自分は自分を殺したモンスターのことを恨むことは無いって、だからわたしにも恨んだりしてはいけないよって、そう、言われてて……」

「はい」

「だから、わたし、お母様が亡くなったって聞いた時、悲しかったけど、お母様を殺したモンスターのことを恨んだりしなかった……! お母様は、自然に還ったんだって、そう思って、なのにみんな、わたしの話なんか聞いてくれなくて、仇を討ちたいなんて、そんなこと思ったことないのに、みんなそう言って全然取り合ってくれなかったわ……!」


 その時のことがよほど悔しかったのか、零れ落ちはしなかったけれど、グレイスの目には涙が浮かんでいた。


「わたしはただ、お母様の話してくれる世界が好きで……とても自由で、とても広くて、とても綺麗で、でも……怖くて……そんな世界のことをわたしは知らないから、自分で、自分の足で見てみたいって、そう、思ってるだけなのに……」


 悔しそうに漏らす、グレイスのそんな言葉たちに、モカは自然と優しい笑みを浮かべる。


「――ハンターになりたいと思う、立派な理由ですね。僕よりも立派です」

「え……?」

「僕なんて、何となくでハンターやってるだけですよ。本当に」

「何となくって……」

「親がハンターだったので、流れで僕もやり始めたってだけです。まあ、ハンターとしての父のことは僕も尊敬してるんですけど」

「あんたの、お父様……」

「ああ、王女は知ってるかもしれませんね。僕の父さん、この城によく出入りしてるみたいですから。それで僕にこの仕事が紹介されたので……ヴェリスっていう人なんですけど」


 そんな、モカの口から出た人物の名がグレイスにとって衝撃的だったらしく、「えっ!?」とグレイスは声を上げた。


「ヴェリス様の子なの……!? あんた……!」

「ええ、はい。そうなります」


 改めて、じろじろと観察するようにグレイスに上から下まで見られ、グレイスの口から出たのは「信じられない」という言葉。


「……全っ然、似てないのね……ヴェリス様と……」

「性格の話でしたらまあ……よく言われます。父さん派手ですからね。目立ちたがり屋ですし、僕は反面教師と言いますか、目立つこと嫌いなんですよ」

「逆に目立ってるわよ、その鉄兜」

「それよりも顔を見られることの方が嫌ですから、これはこれでいいんです」


 頑なにそう言うモカに、こうなって来るとその理由が気になってしまい、グレイスは恐る恐るモカの目を覗いた。


「……昨日言ったことは謝るわ。ねえ、あんた何でそんなに顔見られるの嫌なの?」


 素直なグレイスの言葉に、やはりグレイスは頭がよく、賢い子なんだろうとモカは微笑む。


「……申し訳ありませんが言えません。王女に言うようなことではないですし、言いたくもないんです。顔も、見られるのはどうしても嫌なんですよね」


 そんな、やんわりとしたモカの拒絶の言葉に、グレイスは昨日のように強く「取りなさい」とは言わなく、ただ一言、静かに「そう」と納得するように頷いた。


「――誰にだって知られたくないことはあるものね。だったらいいわ、無理に言わなくても」


 モカの拒否に対して、グレイスの返答があまりにも大人びたものだったため、モカは思わず「はあ……」と気の抜けた声を上げる。


「何よ、その反応」

「いえ、昨日と打って変わってあまりにも大人びた答えでしたので……本当にそれでいいのかと」

「嫌でも大人びるわよ、王族に生まれついたら。運が悪いのか、わたしと同世代の人は殆ど居ないから付き合うのはみんな年上だし」


 ご尤もである、そんなグレイスの言葉に、モカは少し考えるようにした後、「それもそうですね」と返した。


 モカが思い返したのは、自分のことについて。

 モカは基本的に、他人のことを放っておけない面倒見のいい人物だけれど、何もモカは元々面倒見が良かった訳ではない。それこそ、元は自分の責任は自分で取れ、みたいなスタンスで居た筈だったが、いつしか周りの人間を放っておくことが出来ない人間になってしまった。

 始まりは、モカの双子の姉であるカフェの存在。そもそもモカは、姉に誘われてハンターを始めたのだが、モカの姉であるカフェは戦闘能力がかなり秀でていて、その代わりになのか何なのか、生活力というものが全くなかった。ハンターになった当初、二人で狩りをするようになって、「このままでは駄目だ! 姉さんに任せておけない!!」とモカが家事全般を覚えたのは、どうしようもない事実である。


「ねえ、ところでわたしはどうすればいいと思う?」


 唐突に聞かれ、モカは「はい?」と首を傾げた。


「何がですか?」

「わたしがハンターになるためには、わたしはどうしたらいいと思うってあんたに聞いてるのよ」

「ああ……僕としてはとりあえず強くなったらいいとは思いますけど。手始めに、午後からの剣術の稽古をちゃんと受ける、とかでしょうか」

「そう……なら――」


 と、おそらくモカの言葉に同意しようとしたのだろうグレイスだったが、その言葉はモカの「ちょっと待って下さい」という言葉によって遮られる。


「あの、王女、一つ勘違いしないで頂きたいことがあります」

「勘違い……?」

「さっきから僕の言っていることはただの僕の意見であって、王女に提案している訳ではありません。僕ならこうする、ということをお伝えしているだけです」

「? ええ」

「つまり、何が言いたいかというと――僕の言葉を頼りになどしないで頂きたいということです」


 すっぱりと切られるように言われた、モカの言葉の正しい意味が分からなく、グレイスは眉を寄せた。それを見てか、モカは続ける。


「僕がこう言ったからこうした、けれどハンターになれなかったその時、僕のせいにしないで下さい」

「え……?」

「僕は確かに今、こうしたらどうですかとは言いました。けれどそれでどう進むのか、何をされるのかは全て王女自身の責任です。……僕は、面倒ごと嫌いなんです。もしも王女がハンターになれなかったとして、責任を取れと言われても僕は知りません。それを決めてそう動いたのは王女自身、貴女ですから。自分の行動の結果を誰かのせいにしないで下さい。それを分かって下さるのなら、僕は王女に色々なことを教えて差し上げます」


 要約すると――自分の行動の責任は自分で取れ、こっちを巻き込むな、というモカの言葉にグレイスは、思わずあんぐりと口を開けた。


「……あんた、歩み寄ったかと思えば、清々しいほどに突き放すのね」


 モカの言葉に対して生まれたグレイスのそんな感想に、モカは首を傾げて見せる。


「お言葉ですが王女、僕は歩み寄っても無ければ離れてもないです。常に同じ位置に居るつもりです。王女がそう感じるのなら、それは王女が僕に歩み寄って、そして離れたのでは?」


 表情を変えず――元々兜のせいで表情らしい表情は見えていないけれど、おそらくそうなのだろう――、淡々と言われた言葉にグレイスは「……そうね」と小さく呟いた後、「あははっ」と声を上げて笑った。


「そうね、そうかもしれないわね――いいわ、わたし、あんたのその考え方嫌いじゃない。自分の行動の責任は自分で取れってね、当たり前よね」

「はい」

「臨むところよ。わたしがハンターになりたいから、わたしが頑張る。なれなくっても、それは頑張りの足りなかったわたしのせい――これでいいかしら?」

「――はい、結構です。では、昼の食事後、僕から剣術を学びますか?」

「ええ、教えなさい!」


 二日目にて、自分の授業を受けてくれるらしいグレイスに、モカはふっと笑う。

 相当失礼なことを言った自分に対して、怒るでもなく呆れるでもなく、挑んでくる辺りグレイスがとても負けず嫌いなんだろうことが見えた、そんなことに。







「僕が雇われた理由ですか?」

「そうよ。何でかはちゃんと分かってる?」

「ちゃんと、と聞かれると分かってないと言った方が正しいですね。王が明日、何かしらの発表を行うため、それに伴い王族が危険になるから護衛を雇いたかったという風にしか。その発表とやらの内容は聞いていませんので」


 モカのそんな返答に、グレイスは小さく「そう」と言った後、渡り廊下を歩く途中で立ち止まってモカに振り返った。


「なら話しておくわ。わたしはお父様から聞いているもの」

「え……いいんですか?」

「いいわよ、別に。城に居れば明日、嫌でも耳に入るだろうし、あんたとしても先にその発表の内容を聞いておいた方が動きやすいんじゃない?」


 言われたグレイスの発言に、モカは「んー……」と唸り声を上げる。確かに聞いておいた方が動きやすくはあるものの、問題はあった。


「この会話を第三者に聞かれてしまった場合、内容によっては王に迷惑が掛かりませんか?」


 発表までにまだ時間があるため、その内容を第三者にもしも聞かれてしまったら、という危惧を提示すれば、グレイスはふんっと鼻を鳴らす。


「――大丈夫よ。盗聴器の類は毎朝信頼の出来る人たちが調べている筈だし、わたしが身に着けるものにしたってそう。あんた自身やあんたの装備にしたって、あんたがちゃんと管理してるんでしょう?」

「……まあ、僕の装備はそうですけど」

「周りに人が居るかどうかもあんたなら分かるんでしょう?」


 言われて、とっさにモカは神経を集中させ辺りを探った。周囲に怪しいと感じる人物の気配は特に見受けられない。


「……まあ、怪しい人は今近くに居ません」

「なら話すわよ。いいわね――お父様が発表しようとしてるのは、連合国を作るっていうことよ」

「……連合国、ですか?」


 グレイスの口から出たヴァイスの行おうとしていることに、モカは大きく目を見開いた。


「ええ。お父様は連合国を作って周囲の国と結託を謀っているの。ただそれは、何か別の国に挑むためではなくて、和平、そんなもののために連合国を作り、その領土を広げようとしてるの。すでに南東、東、南の国はうちの連合国になってくれてる。謳ってるのは“貧富の差の無い、平等な世界”……そして、お父様はこの発表を元に西、北の国も連合に入れようとそれぞれの国と話し合いの場を作るそうよ」

「……なるほど」


 グレイスの言葉に、モカは何かに納得したように頷く。思い出していたのはヴァイスの言っていた、「多方面から敵を作るような発表になる」という言葉。


「確かにそれは多くの敵を作ることになる発表でしょうね……連合国になりたくない国もあるでしょうし、そんな話し合い無益だと喧嘩にもなり兼ねません。謳っていることにも多く批判は出るでしょう。他にも、連合国など作ってどうするつもりだ、と危険視してくる国も出てくるでしょうし……王はその貧富の差の無い平等で、平和な国を作るためにそのような発表を?」


 モカの言った、これから起こりうる危惧すべきそんな事柄たちに、グレイスは表情を変えず頷いた後、目を伏せる。


「――――それが、お母様の作ろうとしていた世界だから」

「っ、マイさんが……?」

「そうよ。お母様はそのためにずっと奮闘してた。この国では実際、王族や貴族を除けば国民の殆どに貧富の差は無いの。みんな自由で、平等に、お母様はそれを成し遂げようとずっと頑張ってた。そしてお父様は、そんなお母様の思い描いていた世界を引き継いで作ろうとしてるのよ」


 発表の内容を聞き終え、モカが思い出したのは、父であるヴェリスがかつて語っていた思い出話。


 父とグレイスの母親であるマイさんは、いつからなのかは知らないが、随分長い付き合いだったようで、それ故に父はマイさんのことをよく知っていた。

 そして、彼女が死して間もなく、一回りほど歳下の彼女のことを父は娘のように思っていたのだろう、マイさんの死の辛さから飲めない酒を飲んで、酔った父が僕に話したのはマイさんの生い立ち。


 マイさんは、一言で言えば壮絶な人生を送っていた。大凡、普通の人ならば一歩も踏み入ることが無いような人生。傍から見て、決して幸福そうだとは思えなかった。

 むしろ、殆どの人が彼女の歩んできた人生を聞けば、揃って「可哀相に」と言うだろう。それなのに、彼女は笑ったのだ、と。


 マイさんの最期を看取った父は言っていた、「彼女は満足そうに笑って逝った」と。


(……ああ、そうか。だからマイさんはそんな世界を)


 理想郷、とでも呼べばいいのか、そんな世界を作ろうとしていた。それは多分、彼女が自分のような人間を生まないためにと。


「……ねえ、お父様は他に何か言ってなかった?」


 聞かれ、はっとしモカは「ああ」と思い返す。


「他、ですか……そういえばもう一つ大したことではないけれど、発表することがあるとか」


 聞かれた質問に対して返したモカの言葉を聞き、グレイスはピクリと反応を見せ、何故か明らかに表情を曇らせたのだった。


「……そう。お父様にとっては、やっぱりこっちのことの方がどうでもいいのね」

「えっ?」

「わたしにとっては、今言ったことの方がどうでもいいことだけれど……お父様にとってはそうではないのね」

「何の話ですか……?」

「――何でもないわ。早く稽古場に行くわよ」


 そうして、グレイスはふんっと鼻を鳴らすと、モカから顔を背け、歩き出してしまった。止める理由も無いため、着いて歩きながらモカは思う。

 グレイスが先ほど見せた表情。


(……嫌そう、とは違うし、悔しそう、とも違う……何だろ、寂しそう、というか)

「――何ぼさっとしてるのよ! さっさと行くわよ!」

「っ、ああ、はい」


 考えるも、そんなグレイスの言葉にモカの思考は強制的に打ち切られるのだった。

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『とあるハンターの話』/弓鳴千風
上記よりどうぞ。
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