1.出会い
これは、恋のお話です。
色々と拙いでしょうけれど、最後まで見守って頂ければ。
僕が彼女と初めて出会ったのは、マイさんが亡くなった後のことだ。
それまで近しいハンターの死は経験したことはなく、初めて知り合いのハンターが死んだ。
少なくとも僕にとってはそれだけのことだった。
泣くことも無かったし、嘆くこともなく、淡々と「ああ、あんなに強い人でも死ぬ時は死ぬんだな」と言うあっさりした感想しか生まれず。
一つだけ印象的に覚えていることと言えば、そこで初めて見た父の泣く姿くらいのもの。
これは、そんな彼女の死の痛みも少しずつ和らいで来た時の話である。
*
モンスターと様々な種族の人がそれぞれ勝手に生きる世界。呪文を唱えたら手から炎が出るような、便利なことなどは無く、モンスターと相見えてしまったら、逃走するか、物理的に殺して生き残るか、選択肢はそれだけだ。
ただ、そんな世界のモンスターと呼ばれる、所謂動物を根絶させてしまえば、自然の生態系が狂ってしまい、様々な種族の人も根絶してしまうだろう。
結果、人とモンスターが共存できるよう、この世界のモンスターは「ギルド」と呼ばれる統括機関によって常に観測され、例えば異常に増えているモンスターが出現した場合、数調整のために「ハンター」と呼ばれる職業の人間がそのモンスターの討伐に赴く。
魔法のような力が存在する訳では無いこの世界では、当然その「ハンター」は己を鍛えて無骨に戦い、それは常に死と隣り合わせと言ってもいい職業だ。その代わり、成功した時にギルドから払われる報酬というのは、一般的な職業よりも高いのだけれど。
お金が欲しくてハンターをやる者も居れば、「ギルド」の試験にさえ合格すればその資格を得れるため、普通の仕事が出来ずハンターをやる者も居る。
そして、この話の主軸であるところのモカ・デイ=カディネット、十八歳。彼は、そんなハンターを生業として、温泉が有名なとある村を拠点にし、「ハンター」をしている人物だ。
*
「モカ、お前に今長期任務とか渡したら行けるか?」
諸事情で最近はよく顔を見せていた実家にて、家を空けがちな父であるヴェリスもたまたま居たところ、ふとした時にモカはそう話しかけられた。
「長期任務……? 僕のパーティで?」
「いんや、お前単独で」
リビングのダイニングテーブルで、買って来たのだろう情報誌を開きつつ、そう言ったヴェリスの向かい側に、モカは自分で淹れたコーヒーを片手に座る。
「……まあ、行けなくないけど。最近ぽんが二人目産んだばっかりで当然ぽんは動けないし、フォウさんも暫くぽんの傍離れたくなさそうだから」
「おおそうか! アイツらもう二人目か~付き合うまでは長かったけど、そっからは早かったな」
「そうだね」
ふっ、と笑ってコーヒーに口を付けるモカを見て、ヴェリスは開いていた雑誌を閉じ、テーブルに置いた。
「なあモカ、お前は最近何やってんだ?」
「僕? 僕は……別に、相変わらず。ギルドから頼まれたクエスト行ったり、たまに姉さんの手伝いしたり。フォウさんが動けるならフォウさんと二人でクエスト行ったり。まあ基本は頼まれたものに赴いてるけど」
「だよな。あのギルドじゃお前の名前はよく聞くし、そうかそうか」
「で? それが何?」
「何ってわけじゃないが、お前はやっぱ誰かの陰で動いてるんだなあと思ってよ」
「……そっちの方が性に合ってるからね。僕は前に出たい欲とか無いし」
「欲は無くてもその力はあるんだよなあ」
ゆったりとした口調で言われたヴェリスのそんな言葉を聞き、モカはぴくりと反応を見せ動きを止める。モカが顔を上げてみれば、ヴェリスはにこやかな笑顔を浮かべて、モカのことを見つめて来ていた。
「待って父さん、嫌な予感しかしない。僕やっぱり暫く用事が」
「お前が最近まま暇だってのは此処に足を運ぶ回数で分かってた。悪いなあ、モカ、先方にはもう了承を伝えちまってる」
「なっ」
「喜べ! お前が尊敬する父さんからの課題だぞ~っ」
にっと歯を見せて笑うヴェリスの顔を見て、モカは肩を落とす。
「ああ……そんな事だろうと思った……何、僕は一体何させられるの……」
「なあに、簡単なことだよ。お前の腕なら」
そうしてモカの目の前に突きつけられたのは、ピースサインを出す要領で薬指も立てた三本指。
「三ヶ月! お前には三ヶ月間住み込みでとある王女の護衛をしてもらう!」
「とある王女……?」
「名前はグレイス・ザクセン=コーブルク。年齢は七歳の少女」
「え、ザクセン=コーブルクって――……」
「そう、マイちゃんの子どもだよん」
*
「誰かの援護じゃなく、自分の腕のみで何かやってみるのもいいんじゃないか?」と尤もらしいことを言われてこの任務が渡され、モカが訪れたのはコーブルク家の――東の小国の城門前。ヴェリスから渡された紹介状を片手に、モカはその紹介状に向かって溜め息を吐いた。
(絶対これ頼まれたの僕じゃないだろうに……父さん押し付けやがって……)
そんな事を思いながらも逃げ出さない辺りが、彼の人の良さである。
「あの、すみません。ハンター名ヴェリスの紹介で来た者なんですけど……王のヴァイス様にお目通りを願います。これ、紹介状です」
モカは目に付いた城の門兵に声を掛け、持っていた巻物を渡した。その巻物はコーブルク家、王家の紋章で蝋印が施されていたため、それを目にした門兵はモカに対しての緊張をすぐに解き、紹介状を開いて目を通す。そうして、頷いた。
「ヴァイス様より伺っております。第三客間にお通しするよう言われていますのでどうぞお入り下さい」
*
簡易な身体検査を受けてから、通された来客用の部屋は流石城、という広さを誇っていた。
「お待たせしてしまって申し訳ありません」
この部屋にモカが通されて十数分後、そんな言葉と共に数名の付き人と共に姿を現したのは、モカが訪れたこの国の王――ヴァイス・ザクセン=コーブルク。
マイの葬儀で一度見かけたことはあったものの、モカにとっては直接的な関わりは無かった人物である。一度だけ見かけたことのあるモカの記憶にあったヴァイスは、妻であったマイの死が受け入れられている様子が無く、嘆き、悲しみ、憔悴している、そんな姿だった。
けれど今、モカの目の前に居るヴァイスは、かつてのそんな姿を思い出させない程に穏やかで、優しい笑みをその顔に浮かべている。物腰は柔らかく、それでいて強さを感じる辺り、彼が王であることをモカは肌で感じ取った。
「――いえ、大して待っていませんのでお気遣いなく」
そんなモカの言葉に、ヴァイスはにこりと微笑む。
「こうして顔を合わせるのは初めてになるね。初めまして、この国を治めています、ヴァイス・ザクセン=コーブルクです」
「モカ・デイ=カディネットです。宜しくお願いします」
「――うん、君がヴェリスさんが言っていた息子のモカ君か……よく似ているね」
「父にですか?」
「うん、よく似た強さが君からは見えるよ」
そう笑うヴァイスに、モカは「そうですか」と答えつつヴァイスの顔を伺った。
「あの……今回頼まれたことなんですけど、元々父さんに頼んだことでは……」
面倒ごとを押し付けられたかどうかを確かめるために、そんなことを聞いたモカだったが、モカの言葉に対しヴァイスは一度目を見開き、すぐにくすくすと笑う。
「――いいえ、違いますよ」
「えっ……?」
「僕は始めから貴方に依頼をしました。ヴェリスさん伝にですけど」
「え、僕にですか? 会ったことも無い僕に?」
心底不思議そうに聞いてくるモカを見て、ヴァイスは楽しそうな笑みを浮かべたまま答えた。
「はい。ええと、僕はヴェリスさんとはそれなりに長い付き合いなんですけれど……会ったことは無くとも、ヴェリスさんからは貴方の話をたくさん聞いていました。それで思ったんです。貴方になら、僕の娘の心を開くことが出来るんじゃないかと。ヴェリスさんの方も適任じゃないかと言ってましたし」
ヴァイスの口から出たそんな話に、モカは少し黙った後、首を傾げる。
「……心を開くって何の話ですか?」
「えっ。ヴェリスさんから聞いてないですか」
「えっ? 僕、父さんにはここで三ヶ月間住み込みで王女の護衛をしろという風にしか……」
「ああー……ヴェリスさんも人が悪い……」
モカの言葉に対して、分かりやすく溜め息を吐いたヴァイスにモカが再び首を傾げると、ヴァイスは何かを腹に据えたように、溜め息とは違った息をふうっと吐き出した。
「――そう、護衛です。その内容で君を雇います」
「ええ、はい」
「ですが、君にお願いしたいのは単なるそれだけじゃありません」
「……と、言いますと?」
「……恥ずかしながら、最近娘のグレイスは反抗期なのか……僕の言うことを全く聞いてくれないんです」
苦笑しながら言われたヴァイスの言葉に、モカはやはり首を傾げる。
「えー……っと、はい」
「僕の言うことを聞かないだけならまだいいんですが、それだけじゃなく家庭教師を付けようもあらゆる方法でそれを抜け出し、挙句城から抜け出そうとすることもしょっちゅうでして……」
「………………はあ」
「モカ君は聡明な方だと聞きました。それで、モカ君にはグレイスの付き人、兼護衛、兼家庭教師をやって頂きたく思っていまして……」
モカの様子を伺いながら、恐る恐る申し訳なさ気に言われた事の詳細に、モカは一瞬言葉を失った。そして同時に思う――「だから父さんは詳細を言わなかったのか」と。
「滅茶苦茶なお願いをしているのは分かっています! ですが当然それに見合った報酬は出しますので!」
「ええ……はい……。報酬は何でもいいんですけどただ、あれですね……文字通り――面倒ごと、ですね……」
はっきりと言われたモカの言葉に、ヴァイスは苦笑を漏らした。
「すみません……、でもあの、断られてしまうとかなり困ってしまうんですよね……」
「一度お引き受けした以上断りはしませんけど……あの、一つ聞いてもいいですか?」
「はい、何でしょう」
「何故、僕が今こうして雇われるんでしょうか。王女が言うことを聞かなくなったとしても、それは些細なことでしょう。わざわざ僕のような外部の人間を一人、固定で三ヶ月間あえて王女に付けようとしているのは何故ですか?」
モカの質問に対し、ヴァイスは驚いたような表情を一瞬見せ、すぐにふっと微笑む。
「――やっぱり、聡明な方ですね。モカ君は」
「……あの、」
「多分、モカ君の予想通りです。もうすぐ此処がとても危険になるからです」
あっさりと答えられたヴァイスの言葉に、モカは特に驚いたような反応は見せなかった。ヴァイスの言った予想通り――そうだったから。
「……何か、なされるんですか?」
「はい。僕はこれからとある二つの発表を世界に向けてするつもりで……片方はまあ、何の問題も無いと思うんですけど、もう片方の発表の方はあらゆる方面から、あらゆる反感を買うことになるでしょう」
「………………」
「その内容は当然発表前ですので言えませんが……ただ、確実に言えるのはその発表で僕の身が、同時にこの王族の者の身が危険になるということです。僕の娘であるグレイスは、確実にその影響を受けるでしょう」
「それで……住み込みの、付き人で、護衛……」
「はい。まあ、家庭教師はおまけです。モカ君は頭が良いと聞きましたので、できれば勉学を見てもらえたら嬉しいな~程度でして……」
「……その発表はいつですか?」
「二日後を予定しています。……そして、今日から僕は三ヶ月間城を空けることになります――その間、どうか娘を宜しくお願いします」
そう言って、頭を下げてきたヴァイスの姿はモカの目に、王ではなくただの父親にしか見えなかった。娘の身を案じる、ただの父親。
元より断る気などモカには無かったが、そんな姿を見せられては「良い人」であるモカが断れる筈も無かった。
「……王が留守の間、そうですね……、命に代えて、とまでは言えませんが守ります。必ず――快く、引き受けましょう」
そんなモカの言葉に、ヴァイスは心底嬉しそうに顔を上げる。
「――ありがとう……! ヴェリスさんの息子である君になら安心して任せられるよ」
「あ……、でも、一つだけ条件を出してもいいですか?」
そうしてモカがヴァイスに対して出してきた条件というものは、冗談のようなものだった。
*
「グレイス、彼が今日からグレイスの付き人になるモカ君だよ。三ヶ月間だけだけど、仲良くしてね」
そんな言葉と共に、ヴァイスの実子であるグレイスがヴァイスから紹介されたのは、口元は見えているものの鼻まで隠れているヘルメット型の鉄兜を被っている、異様な人物だった。
城の衛兵と同じ種類の鎧と服を身に纏ってはいるが、顔が見えていないそいつはグレイスからすれば、相当異様な人物に見えていただろう。門兵ならいざ知らず、城の護衛は誰一人、城内で兜を被っている者など居ないのだから。
そのせいなのかもしれないが、ただそれだけの理由でもなさそうに、そんな姿のモカを紹介されたグレイスは、ヴァイスにむすっとした表情しか返さなかった。
返事をしないグレイスの様子に、モカは一人「なるほど、反抗期」と思う。
「グ、グレイス~……? 聞いているかな~……?」
不機嫌そうな表情を浮かべるだけで、反応を見せないグレイスにヴァイスが苦笑を浮かべつつ、まるで「どうしよう」とでも言うようにモカに目を向けた時だった。
「――ヴァイス様、出立のお時間です」
近くに居たヴァイスの付き人がそう言ったため、ヴァイスは「ああ~……」とやるせない声を上げる。
「グレイス、お父さんもう行かなくちゃいけないから、モカ君の言うことちゃんとよく聞くんだよ? あまり我儘を言ってはダメだからね? 三ヵ月後に帰って来るから、その時は元気な顔を見せてね」
「………………」
「ヴァイス様、お時間が」
「ああ、もう……、モカ君、娘のこと宜しくお願いします! 僕はさっきの貴方の言葉で貴方のことを全面的に信用しましたので! すみませんが、僕はこれでっ」
「はい、お任せ下さい」
「グレイス! また三ヶ月後に帰って来るから!」
そんな言葉を残して、ヴァイスは慌ただしく部屋を後にした。
モカが連れて来られていたのはグレイスの部屋なのだろう、少女らしい可愛い内装の部屋である。幾人か居た衛兵は全てヴァイスの護衛だったらしく、ヴァイスが去ったことで二人きりとなり、取り残されたモカがふと息を吐いた時だった。
「…………何よ、お父様なんて……」
小さな声が聞こえ、モカは反射的に「ん?」とグレイスに振り返る。すると、グレイスは今の声を聞かれていたとは思っていなかったらしく、びくりと肩を跳ね上げた。
「今、何か言いましたか?」
「――別にっ! あんたにはかんけーないでしょ!!」
やっとまともに口を開いたかと思えば、自分に対して警戒心全開でそう答えたグレイスに、モカは今一度「反抗期……」と思う。
「……ひとまず、自己紹介でもしましょうか。三ヶ月間王女の付き人になりました、モカ・デイ=カディネットです。宜しくお願いします。気軽にモカとお呼び下さい」
言って、モカはグレイスに対して敬意を示すよう膝を着き、握手を求めるようにした。しかしグレイスは、そんなモカに対して胸の前で腕を組み、ふんっ!と鼻を鳴らして顔を背けてみせる。
「――何よ! お父様の用意した付き人なんて絶対に信用しないんだから!!」
「…………はあ」
「大体自己紹介してるくせに頭の兜取らないってどういうことなのよ! 顔見せなさいよ!!」
グレイスのそんな言葉に、モカはとりあえず何も答えることはせず、すいっと立ち上がりグレイスを見下ろした。
腰ほどまである銀糸のような真っ直ぐで美しい髪に、雪のように白い肌、マイに良く似た色の澄んだ海のような深い青の瞳。整った目鼻立ちのグレイスは、一言で言えば美少女である。
(王族の人ってみんな美形が多いのかな……ヴァイスさんも美形だったけど)
思いつつ、「ああ、でもマイさんは別に元々貴族でも王族でもないから偶々か」と勝手ながらモカの考えが行き着くと、グレイスは更にモカに対して声を張り上げた。
「――ちょっと! あんたわたしの話聞いてるの!? 頭取ったらどうなの!!」
叫ぶように言われて、モカはグレイスにじろりと目を向ける。兜の奥の自分の深い翠の瞳と目が合ったことで、グレイスが今度は怯えたように、びくりと肩を跳ね上げた。
それに気付き、あまり怖がらせないようにと目を閉じ、ただ首を横に振る。
「……取りません。そういう条件ですので」
「はあ……? 条件?」
「“いつ如何なる時でも頭の兜は取らなくてもいい”、そういう条件で僕はこの仕事を引き受けましたから」
「……あんた何言ってるの?」
「そのままの意味です。僕、素顔見られるの嫌なんですよ」
そうしてモカは思い返す、先ほどのヴァイスとの会話。
*
「――え? 顔が隠せる兜を貸して欲しい?」
「はい。それで、どんな時でもその兜を取らないことを許して欲しいです」
「……それが、モカ君がこの仕事を受ける条件かい?」
「はい」
はっきりきっぱりそう言い切るモカの言葉に対し、ヴァイスは戸惑いを見せた。
「えーっと、それは……何故だい?」
当然、聞かれることになるだろうなと思っていたそんな質問に、モカは息を吐く。
「……僕、顔を見られるの嫌なんですよ」
返ってきたモカの言葉に、ヴァイスは更に首を傾げた。その理由は。
「う、うん……? こう言うのもなんだけど、モカ君はかなり美形だけど……」
顔を隠したい、そう言われてヴァイスの浮かべた疑問は「隠すのが勿体無いほどの美形なのに」という事だった。それにモカは「分かってます」と言わんばかりに頷く。
「――だからです。それこそ、自分で言うのもなんですけど……、僕が整った顔をしてるっていうのは自負してます」
「う、うん」
「それで、僕の顔を見て態度を変える人……特に女性ですけど、そういうのをうんざりするほど見てきました。だから僕は仕事中は顔を隠すという事を決めているんです。変なやっかみは受けたくないですし、顔で態度変えられるのは本当……、うんざりするんです」
そう言ったモカの言葉を聞き、ヴァイスは暫し黙った後、何故か「ははっ」と声を上げて笑ってから、「そうかそうかっ」と頷いたのだった。
「――うん、大丈夫です。良いですよ、僕はモカ君の顔を見ているわけですし、城内で隠していても何の問題もありません」
笑うヴァイスにモカが変な顔を浮かべつつ、「はあ……」と答えればヴァイスは続ける。
「――確かに、外見だけで態度を変えられるのは辛いものがありますよね、分からなくもないです。……まあ、でもモカ君は多分、一緒に居れば一緒に居たその人には好かれてしまうと思いますよ」
「えっ……?」
「その証拠に、例え今、モカ君の顔が分からなかったとしても、僕はもうモカ君を好意的に思っていたでしょうから」
*
思い返して、モカはやれやれと息を吐いた。
(最後にヴァイスさんが言ってた意味はよく分からなかったけど、まあ、顔隠すのは許されてるわけだし)
「はあ? 何よ、顔見られるのが嫌って」
「言葉通りの意味です」
「……傷でもあるの?」
「そういう訳ではないんですけど」
「なら取れって言ってるんだから取りなさいよ!」
「絶対に取りません。暗殺企ててるとかそういうのもありませんから。王の方には素顔見せてありますので、ちゃんと」
「命令よ! 取りなさい!!」
「……僕の雇い主は王女ではなく王の方ですから、王女の命令を聞く理由は僕にはありません。取りません」
「~~~~っ! 何よ! きっとすっごく不細工なんでしょ!!」
「はあ……じゃあそれでいいですよ。僕、不細工なんで顔見られたくないんです」
そんな、モカの自分のことをまるで相手にしていないような発言に、グレイスは「何よ何よ何よっ!!」と声を荒げたかと思えば走り出し、部屋のドアを勢い良く開ける。
「――誰か居ないの!? この不届き者を追い出して!!」
そんな風に叫んだグレイスだったが、そのグレイスの叫びに誰かが反応することは疎か、いつもだったら部屋のすぐ外に居る筈の衛兵二人も、今は何故か居なかった。グレイスの声は、城内に空しく響いただけである。
「えっ……なんで誰も来ないのよ……」
戸惑うグレイスの背に、モカは一歩近付いた。カツンっという靴が床を叩いた音がやけに響いた気がし、グレイスは慌ててモカに振り返る。
するとモカは抑揚無く、淡々とグレイスに告げた。
「――お言葉ですが王女、この三ヶ月間の王女の付き人、兼護衛、兼家庭教師は全て僕に任されています。お風呂や朝の身支度などは女性のメイドの方がやってくれるでしょうが、それ以外は殆どを僕に一任されています」
それを聞いて、グレイスは心底信じられないとでも言うように大きく目を見開く。
「はあ~~~~っ!? こんなわけ分かんない鉄仮面と三ヶ月も四六時中一緒に居ろって言うの!? ふざけないで!!」
「王のご命令ですので」
「あることないこと吹き込んで、すぐにでもクビに――……っ!」
グレイスがそう言っている途中でだった。モカはカンっ!と踵を床に打ちつけ、グレイスの言葉を中断させる。反射的にモカの顔を見上げたグレイスは、モカと目が合ったことに気圧されて、息を飲むように口を閉じた。
「……我儘はそれくらいにしておいてくれませんか、王女。それをしたとしても、最終的に僕をクビにするか否かは王が決めることです。在ること無いこと……それが分からない王ではないと思います。そうなると、評価が下がるのは王女の方ですよ」
モカのそんな言葉に、グレイスは口の中でぐっと歯を噛み、俯く。
「――あんた何かにそんなこと言われなくったって……!」
「はい?」
「うるさいっ! バカ! 無能!!」
叫ぶように言うと、グレイスはモカに背を向けて逃走を謀った。
けれど、ものの数秒でグレイスの足は浮遊し、床を蹴れなくなる。同時に感じる腰周りの締め付けに、グレイスはモカの腕に抱え上げられていることに気付いた。
「――勝手なことをされては困ります、王女」
「はあああっ!? あんたどんな反射神経してんのよ! やめて! 離しなさいよ!!」
「すみません、運動神経いいものですから。止まって見えました」
「わたしだって運動神経いいわよ!! 離してったら! 人のこと荷物みたいに持つんじゃないわよ!!」
「ああ、すみません――こうならいいですか?」
グレイスの抗議に、モカはグレイスの身体をふわりと持ち替え、小脇に抱えるようにしていた持ち方から、所謂お姫様抱っこに変える。抵抗する間もなくそう抱えられ、グレイスは怒りから顔を真っ赤にさせ、モカの腕の中で手足をばたつかせた。
「そういうことを言ってるんじゃないわよ!! 離しなさいって言ってるのよ!!」
「離すと逃げるでしょう。そろそろ勉強の時間ですし」
「しないわよ勉強なんて!! はーなーせーっ!!」
「離しません。あんまり暴れられると落としてしまいますよ」
「誰かーーっ! 人攫いーー!!」
「人攫いって……ここは王女の家でしょう」
腕の中で暴れるグレイスを落とさないようにしながらつかつかと歩き、モカは内心静かに思う。これは前途多難だなあ、と。
「あんたいい加減にしなさいよ!!」
「こちらの台詞です。それと、モカです。僕の名前はあんたじゃなくて、モカ。呼び捨てで構いませんので」
「あんたなんかあんたでじゅーぶんよ!!」
*
グレイスの部屋から移動し、ヴァイスに貰った城内の地図を頭の中に描きつつ、モカは勉強部屋に辿り着き、そこで抱えたままだったグレイスを床に下ろした。勉強部屋と言っても、かなりの広さがあるのはさすが城、と言うものか。
ここに着くまでの間、城勤めの何人かとすれ違ったがヴァイスの采配でだろう、皆王女をお姫様抱っこして歩くモカに、何か言う者は居なかった。どころか一様に優しい目で見つめられて、ここまで来ている。
そんな城の人たちの反応に、先程までモカが言っていたことが本当のことだと分かったからか、モカの腕の中で暫く暴れていたグレイスだったが、ある時を経て急に大人しくなった。
床に下ろされたグレイスはつかつかと歩き、おそらくいつもそこに座って勉強をしているのだろう椅子に腰掛ける。
「……勉強、されますか?」
「しないって言ったじゃない。やらないわよ」
椅子には座ったものの、モカから目を逸らし、ふんっとそっぽを向いてそう答えたグレイスに、モカは一言「そうですか」と返してから、勉強部屋の壁一面にずらりと並ぶ書物から適当に一冊本を手に取り、ドアの近くで立ったままそれを開いて、文字に目を落とした。
「ならやらなくていいです。今日の予定としては一日座学ですので、やらないのなら王女は適当に過ごして下さい。ただ、此処から出る際は僕に声を掛けて下さい。一応、着いて行きますので」
つらつらと言われたモカの言葉に、グレイスは心底信じられないものでも見るような目をモカに向けてくる。それに気付きながらも、モカは開いた本から顔を上げることは、敢えてしないでおいた。
「――あんた、それでいいの?」
「何がですか?」
「仮にも家庭教師なんじゃないの、わたしの」
「ええ、そうですね。でも、それについてはやってもやらなくてもいいと王には言われてるので……王女がやりたくないならば、やらなくてもいいんじゃないですか?」
「………………」
「僕も面倒なことは出来ればやりたくないですし、王女がやりたくないと仰るのならば、却って僕は楽です」
馬鹿正直な物言いをするモカに、グレイスはあんぐりと口を開けた。
「呆れた……、あんたそんなこと言っていいわけ? やらなくていいなんて、言われたの初めてよ」
「やりたくない時にやったって、身に付かないですから。王には王女の勉強を見ることはどっちでもいいと言われている以上、僕に無理強いするつもりはありません。覚える気のない人間に物事を教えることほど、労力が要るものはありませんし……、王女が勉強したくなったら教えます」
「あんた城勤め向いてないんじゃないの」
「元々、三ヶ月間だけ王女の護衛として雇われてる身です。城勤めする気は僕にはありませんよ――逆に言えば王女、たったの三ヶ月間だけです。王女がどれだけ僕を嫌に思おうが、僕は三ヶ月経ったら自動的に居なくなりますので、ご安心を」
「は……、」
「一つだけ、僕から王女にお願いがあるとすれば、面倒ごとが嫌いですので余り僕の手を煩わせないで頂きたい、くらいのことです」
「……例えば?」
「さっきのような逃走を謀る、とかですかね。王には王女から目を離すな、とは言われてますから」
それを聞き、グレイスは小さく「そう」と漏らした後こう言った。
「――トイレ」
「はい?」
「お手洗いに行くって言ってるのよ!」
「ああ、はい」
グレイスの言葉にモカは読んでいた本を閉じ、本棚に戻すと椅子から降りたグレイスを見て、ドアを開ける。
そうして、つかつかと歩いてモカが開けたドアをくぐり抜けたグレイスの後ろにモカは着いて行き、化粧室のドアの前に辿り着けば、グレイスはギッと眼光鋭くモカのことを睨んだ。
「……中まで着いて行ったりしません。此処で待ってますので」
「当たり前じゃない! 着いて来たりしたらそれこそお父様に言いつけてやるわよ!!」
言うとグレイスはドアを開き、八つ当たりもいい程にバタンっ!と力強くドアを閉める。そして、ドアの中に入ったグレイスは一人呟いた。
「気に入らない気に入らない気に入らない! あんな奴、クビになればいいんだわ……!」
グレイスは今、用を足したかったわけではない。では何のために此処に来たのか――それは、脱走するためだった。
広めの化粧室内の洗面台に足を掛け、グレイスは近くの窓枠によじ登る。一階の化粧室の窓の下は、地面から見てグレイスの身長よりも高いけれど、此処から飛び降りても草と土がクッションになり、痛くないことをグレイスは知っていた。よく使う逃走経路の一つであるからだ。
「あいつが自分から目を離し、見失ったとなれば当然それはクビの対象になるだろう。ざまあみろ」、そんなことを思いながら、グレイスは窓から飛び降りた。けれど、グレイスの身体にはいつもの地面に衝突する衝撃が起きず、ただ、代わりにふわりと何かに抱き止められる。
「――だから、余り僕の手を煩わせて頂きたくないのですが……王女」
そんな風に上から声を掛けられ、顔を上げたグレイスの目に映ったのは鉄仮面の男――モカだった。
再びモカにお姫様抱っこをされるように、着地点にて抱き止められてることに気付き、グレイスは驚きの余り「いやーっ!!」と叫び声を上げた。
「ななななんであんたがここに居るのよ!!」
「えっ? 王女が逃げようとしたので捕まえに来ました」
「そうじゃないわよ! ここで待ち構えてるのおかしいでしょ!!」
「ああ……、王女の気配が窓際に移動したので、窓から逃げるのかと思って」
「……気配?」
「はい。僕、生き物の気配読むの得意なんです。壁一枚くらい隔てても、集中すれば何となくならどこに居るか分かりますので」
言いながらモカは歩き出し、ガサガサと草を揺らして道無き道から脱すると、床のある場所でグレイスを下ろす。
すると、グレイスの身体はわなわなと震え出したのだった。
「……誰よ、こんな奴よこしたのは……っ」
「貴方の父君である、王ですね」
その後、意地になったグレイスは幾度と脱走を謀ったが、全て脱走できることもなく未然で防がれしまい、その日は終わりを迎えた。
まだまだ恋には発展しない。