恋人姉妹は留守番で戯れる
彩歌姉妹が両親不在の休日にいちゃいちゃするお話
姉を学校で見かけた。
私はちょうど五限の為に教室を移動していたところだった。姉はクラスメイトらしき女子の先輩と楽しそうに話しながら階段を上がっていた。その先輩はすごく綺麗な人で、一緒に並んで歩く姉と合わせてとても絵になっていた。私なんかよりもよっぽど相手に相応しいんじゃないかと思えるくらいに。
お風呂に入っているときも、晩ごはんを食べているときも、テレビを観ているときも、昼に見た光景が頭から離れなかった。
なんだろう。胃の上のあたりで重い渦がぐるぐると回っているような、変な感じがする。
部屋に戻って宿題に取り掛かってもそれは変わらなかった。問題に集中しようとすればするほど姉と先輩の笑顔がちらついて、うまく思考が働いてくれない。
「さくら入るよー」
ドアを開けて入ってきた姉は机に向かう私を見て興味津々とばかりに近づいてきた。覗き込みながら首を傾げる。
「宿題? 数Ⅰ・Aかぁ。あ~、一年の頃はこんなんだったねぇ」
「今日中にやらないといけないから、もみじねぇ部屋に戻っていいよ」
「そんなにかからないでしょ? 適当にマンガ読んで待ってるよ。もしくはてっとり早く私が答え教えてあげてもいいけど」
「自分でやらないと意味ないって」
私の返答を聞いて姉が私の頭を撫でてきた。
「ん~、えらい! さすが私の妹。ズルしちゃ身につかないからね~。まぁどうしても分からないとこあったらヒントくらい出すから言ってね」
本棚を物色し始めた姉を横目でちらと見てから、私は再び問題と向かい合った。
…………。
ダメだ。さっきよりも集中できない。姉が来たせいで余計に意識してしまっているのだろうか。形容し難い気持ちの悪さはどんどんと増していく。
(もしかしてこれが嫉妬? まさかそんなわけない。たかだかもみじねぇが同じクラスの人と楽しそうに話してたからってなんで嫉妬なんかしなきゃいけないの。相手がどれだけ綺麗な人でも関係ない。私がもみじねぇの彼女なんだから)
なんとか気持ちを奮い立たせてシャーペンを握り直した私に、もみじねぇが話しかけてきた。
「あんまり進んでないようだけど大丈夫?」
「え、だ、大丈夫。ちょっと考えてただけだから」
「だったらいいけど。体調悪いなら無理しなくていいからね」
私の不調を感じ取ったのか、姉が心配そうに告げた。顔には出さないようにしていたつもりだったが、気付かれていたようだ。それだけ私のことをよく見てくれているのだろうか。もしそうなら嬉しい。
続けて姉の声が優しい音を響かせる。
「つらいときはつらいって誰にでもいいから言うようにしてね。口に出すことで痛みとか気持ち悪さがマシになったりするんだから。私でもお母さんでも友達相手でもいいからさ。まぁおねえちゃんとしては真っ先に頼って欲しいなって思うけど」
姉の思いやる心が伝わってきたお陰か、気持ち悪さが少しおさまった。それと同時に思った。昼のことを聞くなら今しかないのでは、と。
私は宿題を進めるフリをしながら背中越しに姉に問いかける。
「あ、あのさ、その、今の話とは関係ないんだけど、聞いてもいい?」
一応予防線だけ張っておいて。
「うんいいよ。何?」
「今日学校で昼休みが終わるくらいのときに、階段でもみじねぇを見かけたんだけど」
「え、ホント? だったら声掛けてよ~」
「いや、なんか友達と話してるかんじだったし……。それでその、一緒にいたのってクラスメイトの人、だよね?」
「えーっと、昼休みは……あぁ茉里奈と中庭でお弁当食べてたっけ。そうそう、同じクラスの子だよ」
マリナという名前はともかく、姉が一緒にお弁当を食べていたという事実に私の頭の中でガーンと鐘が鳴り響いた。妹とはいえ一年と三年が昼食を共にするのは憚られていただけに、してやられたという思いでいっぱいだった。
「茉里奈がどうかした?」
「べ、別にどうもしないよ。ただ綺麗な人だなぁって思っただけで――」
背後で姉が立ち上がる気配がした。どうかしたのかなと振り向くよりも早く、姉が私の隣までやってきた。ぎょっとして横を見ると、姉は何故か泣きそうな顔をしていた。私と顔の高さを合わせ姉が見つめてくる。
「見惚れたの?」
「え?」
「私っていう恋人がいながら茉里奈の方に見惚れちゃったの?」
「ちが――」
「私より茉里奈の方が綺麗だって思ったんでしょ? さくらはああいう清楚系が好きなの? 言ってくれたら私も黒髪ロングにするのに!」
「待って、待ってよ。もみじねぇ、いったん落ち着いて。私そんなこと思ってないから」
姉の髪を撫でつつ必死になだめ、なんとか冷静さを取り戻させる。このまま変な誤解を与えるよりも全部正直に話す方がマシだと結論が出た。
「だからその、もみじねぇがその人と私の見たことない楽しそうな表情で話してるし相手の人は美人だしで、本当にクラスメイトの人と喋ってただけだったのか気になってただけ。理解してくれた?」
「……じゃあ家に帰ってからのさくらがちょっと具合悪そうだったのって」
「それは……もみじねぇたちのこと考えてたらなんかもやもやして……」
ぶっきらぼうに告げた途端、沈んでいた姉の顔がみるみる明るくなっていき、満面の笑顔へと変わった。
「さくら~!!」
姉は抱き着くと頬を押し付けるようにぎゅっと力を込めた。
「なに!? ちょっともみじねぇ!」
「も~、やきもち焼いてるんだったら早くそう言ってよ~。すぐ抱き締めてあげるのに~」
「やきもちとかじゃないし!」
「じゃあ何?」
「ち、ちょっとうらやましいというかズルいというか……」
「それをやきもちって言うんだよ~」
まったくもってその通りなのだが、それを認めてしまうとこの姉はまた調子に乗ってべたべたしてくるだろう。私は姉の体を引き離しにかかった。
「ほら、誤解も解けたんだしもういいでしょ。宿題しなきゃいけないからもみじねぇは部屋に戻って」
しかし姉は回した手を解こうとしない。力ずくで離すことは私には不可能なので、諦めて姉の背中を優しく叩いてあげた。
こうしていると心が落ち着く。さっきまでの気持ち悪さが嘘のようになくなっている。私は何に対して気を揉んでいたのだろうか。姉に抱き締めてもらうだけで他の物事はすべて瑣末なものに感じられるのに。
二人の体温がひとつになる頃に、姉が耳元で囁いてきた。
「さっきさくらがさ、茉里奈と話してる私が自分の見たことのない表情だったって言ったよね。でもわかってる?」
姉がそっと体を離し、笑顔をみせた。
「私がさくらに見せてる表情って、全部さくらにしか見せたことないんだからね」
慈しむように、いとおしそうに、あふれでた幸せを乗せて姉が笑う。
私だけが知っている愛する恋人の顔。そう考えると嬉しくて恥ずかしくて誇らしい気持ちになれる。
私はこくりと頷いた。きっと今の私の表情も、姉にしか見せたことのない顔になっていることだろう。
これは恋人の特権だ。ほかの人には絶対に見せない私たちの特別。この特別が増えていく度に私たちの絆も強くなっていくのかもしれない。
それが恋人というものだと思うから。
「もみじねぇ、そろそろ離れてもいいんじゃないかな」
再び宿題に取り掛かった私は、後ろにべったりついて私の頭をなでなでしている姉に向かって言った。だけど当然姉は言うことを聞いてくれない。
「ダメダメ。さくらが宿題終わらすまではこのままで~」
「くっつかれてると集中できないんだけど」
「そうそれ。それを治していきたいなって」
「それってどれ?」
姉は背後から私に頬を擦り寄せてくる。
「さくら、こうやって私が触ったりくっついたりするとあからさまに態度に出て冷静じゃなくなるでしょ? せめて外面くらいは取り繕えないと今後困ると思ってさ」
「そ、そんなの仕方ないじゃん!」
「だーかーら、こうやって常日頃からスキンシップしてれば多少のことで動じなくなるっていう寸法よ」
「……もみじねぇが私に触りたいだけじゃないの?」
「失礼な! これはお昼をさくらと一緒に食べるために必要な修行なのだ!」
「お昼?」
姉がにこりと笑い、首を傾ける。
「うん。さくら私とお昼食べたいんでしょ? 私もさくらとお昼食べたい。だから一緒に食べるのは決定として、私が触るたびにさくらが分かりやすい反応しちゃったら困るからさ。日々の生活のなかでちょっとずつ慣らしていこうって話」
予期しない申し出に私の胸が高鳴る。お弁当をともに囲むということは、恋人定番のおかずを食べさせてあげたりということもあるかもしれない。なによりも学校で姉と一緒にいられる時間ができるなら、こんなに嬉しいことはない。
「わかった。私も頑張ってみる」
視界の端で姉がガッツポーズをするのが見えた気がしたが気のせいだろう。
まずは手初めにこのまま宿題を片付けてみせる。私は深呼吸をしてから改めて問題文に目を通した。もう大丈夫だ。抱き締められていようが視覚に集中し、確固たる意思にもとづき問題に取り組めばやってやれないことはない。
私は勢いよくシャーペンを走らせた。
十分後、耳元に息を吹きかけられたり首筋に吸い付かれたりして怒り狂う私の姿があった。
◆ ◆
それは突然舞い込んできた僥倖だった。
「お母さんとお父さんの友達が入院しちゃってね、ちょっと遠いとこだから土日泊まりがけでお見舞いに行ってくるから二人で留守番お願いね」
人の不幸を喜ぶのは恥ずべきことだと承知している。だがこのときばかりはその友達に感謝せざるを得なかった。あなたのお陰で家で妹のさくらと二人きりで過ごせます。どうか一日も早いご快復をお祈りいたします。
土曜になり、部活を終えた私は一目散に帰宅した。父の車が無いことを確認してから私はうきうきしながら玄関のドアを開けた。
「ただいまーっ!」
居間の方から「おかえり」とさくらの声が聞こえてくる。私は靴を適当に脱ぎ捨ててばたばたと居間に飛び込んだ。キッチンからカレーの匂いがする。ソファーでテレビを観ているさくらを見つけて声を掛けた。
「お母さんたちもう出たよね?」
言葉の端々から嬉しさを隠し切れない。私がよほどにこにこしていたのか、さくらはこちらを一瞥すると呆れたように息を吐いて答える。
「昼過ぎに出て行ったよ。明日の昼くらいには戻るってさ。あと、お土産買ってくるからねって。お見舞いっていうかもう観光する気満々」
「入院した人も命には別状なかったってことだしいいんじゃない? たまには夫婦でゆっくり旅行して、日々の疲れを癒してもらわないとね」
その分私たちが二人きりでいられる時間が増えるから、という一番大事な理由は伏せておく。
「……考えてることバレバレだよ、もみじねぇ」
「え? 何のことを言ってるのかワカラナイなぁー、あはは」
さくらがまた息を吐く。だがその口角が少し上がってるのを私は見逃さなかった。結局さくらも私とおんなじ気持ちなのだ。
ニヤニヤと見つめる私と目が合って、さくらはバツが悪そうにそっぽを向いた。
「そ、それでご飯もう食べるの? お母さんがカレー作ってくれてるからすぐ食べられるけど」
先程から漂ってくるカレーの匂いに私のお腹がくぅくぅ鳴いている。すぐにでも食べたいところだったが、部活終わりだということを思い出した。
「お腹もぺこぺこだけど、汗かいちゃってるから先にお風呂にしようかな」
「多分そう言うと思って沸かしといた」
さくらの意外な発言に私は驚いた。お風呂の準備はだいたい母がやってくれているので、沸いてなければシャワーだけでいいやと思っていた。なので正直さくらがそこまで気を利かせてくれているとは思いもよらなかったのだ。
「え、どしたのどしたの? そんなに私の帰りを待っててくれたの?」
「ち、違うって! もみじねぇは帰ってきたらすぐお風呂入ってたの思い出したから、その方がいいかなと思っただけで……」
「どういう理由でも私のために準備してくれたっていうのが嬉しいの。あ、もしかして私と一緒に住むようになったときの予行演習? だったらちゃんと玄関で私を出迎えて、『ご飯にする? お風呂にする? それとも……』ってやらなきゃ!」
「やるわけないでしょ! さっさとお風呂に行ってきなよ!」
「うん、さくらも一緒に入ろ?」
「――――」
瞬間、さくらが固まった。これは都合がいいとばかりにさくらを持ち上げようとして、手を払いのけられる。
「ちょっと! 了承してないんだけど!」
「え~、姉妹なんだから一緒にお風呂くらい普通でしょ~? 小さいころはよく二人で入ってたんだよ?」
「小さいころは小さいころ、今は高校生!」
私はわざとらしく肩をしゅんと落としてみせる。
「……恋人とお風呂に入りたいっていうのがそんなに変かな? 一緒に入りたくないくらいイヤ?」
「い、イヤっていうわけじゃなくて、その、心の準備がまだっていうか……」
「今日を逃すと家のお風呂に一緒に入る機会なんてもうないかもしれないんだよ?」
「で、でも……」
さくらの視線が泳ぎ、表情に困惑と恥ずかしさが入り交じっている。これはこのまま押しきれるのでは、と希望が灯る。
「この前言ったよね? さくらも触れ合いに慣れるべきだって。学校でもまだぎこちないとこがあるから、お風呂に一緒に入るのはいい訓練になるんじゃないかって思う。裸での付き合いをこなせば大抵のことは動じなくなるはずだよ」
動じなくなるパターンと会うたびに思い出して恥ずかしくなるパターンがあるのだがみなまでは言うまい。口八丁でもこの場を抜けられればいいのだ。
さくらは口を結んだまましばらく考えたのち、諦めたように呟いた。
「……変なことしたらすぐ出るからね」
ちょろい。ちょろすぎて心配になるレベルだ。しかしそんなことはもはやどうでもいい。お風呂だ。お風呂なのだ。
さぁいざゆかん湯気けむる天上の楽園へ。
「さくら~、まだ~?」
風呂椅子に座ったまま洗面所の方へ声を掛けた。半透明のプラスチック扉の向こうでさくらのシルエットが動く。
「今いくから待って」
「もし土壇場で逃げたりしたら私今日ずっとすっぽんぽんでいるからね」
「それどういう脅しの掛け方?」
「いいから、おねえちゃんに風邪ひかせないようにするために早く入ってきてよ~」
カチャ、とドアが開いた。さくらがまず顔だけをひょこりと出す。途端にその顔が赤面した。
「も、もみじねぇっ、タオルは!?」
言われて自分の体を見下ろす。今私の裸身を隠すものはなにもない。
「家のお風呂に入るときに要らなくない?」
「い、今はあってもいいと思う!」
必死なさくらが可愛くて笑ってしまう。
「さくらはタオルで隠してていいよ。別にさくらが私のを見るぶんには問題ないでしょ」
「……それはそれで困るんだけど」
ぼそぼそと呟きながらさくらが入室してきた。胸元から太もも辺りまでタオルでしっかりガードしているが隠しているのは前側だけなので、さくらが動くとタオルの横から腰のくびれやお尻が見える。全体的に身体の線が細く、肌は雪のように白い。幼さを感じさせる華奢な裸身は昔に美術館で見た天使の像を連想させた。ある種上品で幻想的ですらある裸体は、だが恥じらいを浮かべた表情と合わさることで途端になまめかしく世俗的なものへと印象を変える。さくらがタオルを押さえて体を隠そうとすればするほど、ちらりと覗く体の一部が卑猥でいやらしいものに見えてくる。
(タオルを剥ぎ取ってしまえばあとはこっちのものだよね……)
思考がダークサイドに堕ちかけている。それも無理からぬことではあるまいか。神が創りたもうた至高の芸術品を前にして、正気でいることこそ不敬に値するのではと私は思う。
「もみじねぇ、こっち見過ぎ」
眉間に皺を寄せるさくらを見て我に返る。
「あ、あはは、さくらが魅力的だったからつい、ね。まぁ減るもんじゃないからさ」
「私の羞恥心が削れていってるんだけど」
「削れてなくなっちゃえば平気になるかも」
「つべこべ言わずに向こうむいて!」
「は~い」
素直に体を前に向ける。鏡で後ろを見ればいいだけだ。すると、鏡の中のさくらと目が合った。
「鏡越しに見るのも禁止!」
「う~……じゃあ洗いっこ! 洗いっこしよ!」
「……最近もみじねぇが本当に私の2コ上なのか信じられないときがある」
「違うんだって。私がこんなになるのはさくらと二人きりのときだけなの~。これでもバスケ部では頼れるかっこいい先輩って評判だから」
「私の前でも頼れるかっこいい姉でいようとは思わないの?」
「ずっとそれだと息がつまっちゃうじゃん。さくらの前でくらいは甘えさせてよ?」
「…………」
さくらがシャワーノズルに手を伸ばした。そのままシャワーからお湯を出して温度を確かめている。
「……頭くらいなら洗ってあげる」
シャワーの音にかき消されそうなくらい小さな声で、さくらはそう言った。
「ふぃ~、気持ちいい~」
湯船に肩までつかり私は息を吐いた。
「おじさんみたい」
対面で湯船に腰を降ろしながらさくらが言った。湯船のなかでもタオルを手放す気はないらしく、体育座りするようにしてしっかりタオルで前面を守っている。
「年齢性別関係なく気持ちいいものは気持ちいいの。お風呂にこうやって肩まで入るの気持ちよくない?」
「まぁ、わかるけども。でも二人だと狭い」
「さくらがそっち側にいるからだよ。こっちに来たら足も伸ばせるよ」
ちょいちょいと手招きをすると、さくらが顔をしかめた。
「……またくっついて変なことする気でしょ」
「しないって。ほら、こっちおいで。それとも私がそっちに行こうか?」
どちらに転んでもさくらと肌を触れ合わせられる最高の2択。ただしさくらが怒って湯船から出ていかない限りは、だが。
さくらは葛藤の表情を浮かべたのち、すーっと体を反転させた。
「私が行く」
そうして私の腕の中にさくらが収まると同時に、私はさくらを抱き締めた。さくらの背中が私にぴったりくっついて、柔肌の感触がじかに伝わってくる。
「変なことしないって言ったのに、嘘つき」
嘘つき呼ばわりするくせにさくらはまったく抵抗しなかった。こうやってぎゅっとされることを受け入れているように見える。
「抱き締めるのって変なこと? ハグっていうのは愛情表現だと思ってたんだけど」
「…………」
さくらは何も言わずに回した私の腕に触れた。これがさくらの愛情表現なことを私は知っている。
こつんとさくらに頭を寄りかからせてしばらくゆっくりと湯浴みを堪能する。お湯以外の成分が私の体の芯までぽかぽかとあたためてくれる。
「このお風呂を『さくら風呂』って名付けよう。効能は私の疲労回復、血行促進」
「……私からすれば『もみじ風呂』なんだけど」
「ふふ、そうだったね」
さくらの上気した肌が桜色に色づいている。頬が、濡れたうなじが、湯面に沈む鎖骨が、艶やかに私の目に映る。綺麗だ。そう感想を抱いた私は、ごく自然にさくらの首筋に唇をつけていた。
「んっ――」
さくらが鼻にかかった声を漏らした。もしも嫌がったらここまでにしておこうと様子を窺うが、さくらは非難するどころか離れようともしない。
(同意したってみなしていいのかな)
唇に神経を集中させる。ついばむように吸い始め、ちゅっちゅっ、とわざと大きな音を立てる。キスの音は扇情的だ。聞いているだけでたまらない気持ちになってくる。
小さく吸うだけではもう足りない。口を開けて噛み付くように首に吸い付いた。強く吸ったところで何も吸い取れないとわかっていても、私は強く吸引するのをやめられない。吸いながら、舌先でちろちろと舐めるとさくらがびくっと体を震わせた。その反応が楽しくて私はさらに舌を動かす。
「ん、んん――」
さくらが声を我慢しているのが可愛いすぎて変な気分になってくる。これはいじわるして欲しいと言っているようなものではないか。私はさくらのタオルの下に手をすべりこませてお腹に指を這わせた。
「っ――」
さくらが私の手を止めにかかったが今更抵抗しようとしてももう遅い。私の指はさくらのお腹から上にあがっていき、小さな膨らみに到達した。
「あっ」
指で柔らかな丘陵をつつくとさくらが可愛らしく鳴いた。私の指は二本三本と増えその丘をのぼっていく。のぼる途中に指が勝手に曲面に沈みこむ。その感触が気持ちよくて、何度も何度も指を動かした。
「んっ、も、もみじ、ねぇ――やっ、あっ、おねえ、ちゃ――」
小さいころの呼び方に戻っている。それだけ心が無防備になっているのだろう。私はキスを続けながらなおも指を進ませ、ついに丘の頂上の先端にたどり着き――。
「やめてって!!」
さくらが側頭部を私の頭にぶつけてきた。
「いっ――」
「言ってるでしょ……はぁ、はぁ」
痛みに手を離した隙にさくらが反対側に逃げてしまった。さくらも痛かったのか側頭部を押さえている。私が近づこうとすると足を伸ばして牽制してきた。
「やっぱり変なことした! もみじねぇの嘘つき!」
「やだなー、妹の成長を確かめようとしただけだよ~。さくらだって最初は受け入れてたじゃん」
「あ、あれはキスくらいならいいかなって思っただけで」
「え、キスはオッケーだったの?」
「…………」
さくらがしまったという顔をして目を反らした。今がチャンスとばかりに私はさくらと距離をつめる。
「じゃあキスだけ。キスだけしよ?」
「だ、ダメ……」
頑なに拒もうとするさくらの顎に手を添えてむりやり正面を向かせる。
「ダメじゃない。私はさくらとキスしたい。唇と唇でちゃんとキスがしたい」
「は、初めてのキスの場所がお風呂になってもいいの?」
「どこでもいいよ。これから何十回何百回とキスするのに最初の場所なんて関係ない」
「うう……」
ここまできて踏ん切りがつかないさくらにじれったくなる。裸で向かい合ってなお何を躊躇する理由があるのだろうか。でもそんなものはもう知らない。
「このままキスするからね。本当にイヤだったら殴ってでも止めて」
ゆっくりと顔を近づけていく。さくらは目をぎゅっとつむり唇を引き結んだ。しかしそれだけだった。暴れることも逃げることもなく体を縮めたその姿は、私にすべてを任せているようだ。
私はフッと微笑んでから顔を斜めに傾け、さくらに唇を重ねた。
「んっ、ふ――」
固く閉じたさくらの唇をほぐすように私は唇を動かす。優しく、優しく、唇を上下させて怖くないよと語りかける。少しずつさくらの唇が開いてきた。開いた唇は徐々に私の動きを模倣するようにうごめき始める。初めてのキスだというのに自然に口が相手の唾液を吸うために蠕動する。さくらも同じなのだろう。いつしか二人とも夢中で唇を動かして互いを求めあっていた。
「んん、っはぁ――」
吐息が漏れる。口が離れるとすぐ塞がれ、キスをして、また吐息が漏れる。これは息継ぎだ。ずっとキスをしたままだと溺れてしまう。だから息を吸って、またキスをしなければ。
何かに取り憑かれたかのように私たちはキスをし続けた。キスをすればするほど動きは洗練されていき、次第に息継ぎも減っていった。そうなると口はさらなる刺激を求めてしまう。さくらの下唇を舐めていた私の舌が口内へと伸びていく。舌の先端がすぐにさくらの舌にぶつかった。
「――んんっ」
さくらが私の体を押した。いったん口を離して荒い息のままさくらに尋ねる。
「ん、はぁ、イヤだった?」
「イヤ、っていうか、そこまでしちゃうと、本当にいけないことをしてるような気がして……」
「もう手遅れだよ。とっくにいけないことしちゃってる」
姉妹で付き合って、一緒にお風呂に入って裸のまま体を密着させキスをする。すでにいけないことだらけだ。いまさらキスがディープキスになったところで変わりはない。
私は再びさくらに唇を重ねた。そのまま舌を入れてさくらの舌と絡ませるが、今度は抵抗されなかったどころかさくらも積極的に舌を動かし始めた。互いの舌を舐め合い、吸って、甘噛みして、口内に刺激をもたらすたびに私の背中からぞわぞわと何かがせり上がってくる。そのぞわぞわは頭まで到達すると今度は脳を溶かし始める。嫌な気分ではない。むしろ体が浮き上がるような心地よさがある。多幸感、恍惚感とでも言えばいいのか。
(あぁ、気持ちいいんだ、これ)
キスだけでこんなに気持ちがいいのは相手が自分の最愛の人だからだろう。人が愛を確かめるのにキスをする理由がよくわかる。
(さくらも気持ちいいって感じてくれてるのかな)
自分だけが快楽に浸っているわけにはいけない。恋人にこそ最高の幸福をあげたいのだ。
私は気持ち良さを分け与えるように、さくらに深くキスをした。
その後、二人とものぼせるまでキスをし続けてへろへろになりながらお風呂を出て、さくらにさんざん怒られました。
ベッドがいつもより狭い。そのことがこんなにも嬉しい。
「うふふ」
「もみじねぇさっきから笑いすぎ」
「だってぇ、さくらと一緒に寝られるのが嬉しくてさぁ」
私の部屋のベッド。今その布団のなかに私とさくらが入っている。両親がいない今夜こそとさくらにお願いをしたらオッケーが出たのだ。ただし『もみじねぇのこと信じてるから(ニッコリ)』と釘を刺されてしまったが。
それでも同じ布団で寝られるのは嬉しい。肩と肩、腕と腕がさくらと触れ合うとそれだけでにやけてしまう。さくらの体温を、匂いを側に感じられるだけで安らかな気持ちになる。
「さくら、私と一緒にいてちゃんと寝られる? 前にベッド交換したときは眠れなかったんでしょ?」
「誰かさんのお陰で汗もかいて疲れたから多分ぐっすり寝られるんじゃない」
「お風呂ではやり過ぎましたぁ。ごめんなさい」
さくらもしっかり舌を動かしてたくせに、と思うが口には出さないでおく。ここで機嫌を損ねて部屋に帰られでもしたら泣くに泣けない。
「……ああなっちゃうと思ったから、キスするのためらってた」
布団を口元まで被りながらさくらが呟いた。
「何のこと?」
「一回キスしちゃったら歯止めが効かなくなっちゃうんじゃないかって」
実際そうなってしまったのでさくらの予想は当たっていたことになる。それに関しては反省するべきだろう。けれどさくらの言葉に引っ掛かるものを感じた。
「歯止めが効かなくなるのは、私が? それともさくらが?」
「…………」
さくらは目を閉じたまま何も答えない。だが、寝たふりにはまだ早い。
私は布団をめくりさくらにキスをしてやった。
「ん~~~~~!」
唇を離してさくらに笑いかける。
「おやすみのキスもしてないの寝ちゃダ~メ」
「今日の分はもう十分すぎるくらいやった!」
「キスは鮮度が命なのでキスのし溜めはできませ~ん」
「なにそれ」
さくらが笑った。その顔が愛らしくてまたキスをする。
「……もみじねぇの歯止め、効かないどころか吹っ飛んでるでしょ」
「そういうことにしておいてあげよう」
「私は違うから」
「はいはい、じゃあそろそろ電気消すよ。小さいの点けとく? 全部消す?」
「……全部消して」
「もしかして寝顔見られるのが恥ずかしい?」
「いいから消して!」
「はーい」
リモコンで部屋の明かりを消灯する。一気に部屋が暗くなるが、閉じたカーテンの向こうから差し込むわずかな月明かりのお陰で薄ぼんやりとは見ることができる。
「さくら、手つないでもいい?」
「……うん」
布団のなかでさくらと手を繋ぐ。デートするときにも手は繋ぐが、ベッドで繋ぐ手というものもなかなかに趣がある。手以外の体が休んでいる分、手の感覚が鋭敏になりより繋がっていることを感じさせる。親指でさくらの親指をさすってあげるとさくらも同じように返してくれた。
今まで生きてきたなかで最高の夜だ。恋人と一緒に寝るだけでこんなに幸せなら毎日だって一緒に寝たい。どうにかして普段から寝られるようにならないだろうか。
ひとりで熟考しているとすぐ横でさくらが囁いてきた。
「もう寝た?」
「起きてるよ」
「もみじねぇも寝られないんじゃない?」
「私は寝ようと思ったらすぐ寝られるから大丈夫。なんだったら今から眠ってみせようか?」
横を向くとさくらも私の方を向いていた。顔の位置は分かるが、薄闇を隔てたさくらの表情までは読み取れない。
さくらの囁きだけが私の耳に届いてくる。
「……寝るならおやすみのキスしないと」
まさかの言葉に眠気も何もかも飛んでいってしまった。おそるおそる尋ねてみる。
「それ、誘ってる?」
「誘ってない。キスは鮮度が命ってもみじねぇが言い出したんでしょ」
「――ぷ、そうだった。私が言い出しっぺだったね」
笑いを堪えてさくらに顔を近づける。
「暗くて見えづらいから唇突き出して欲しいなぁ~」
さくらの顔が上向きになった。電気が消えていてよかった。きっと今の私の顔を見られたら怒られていた。
まったくこの子は……。そういうとこも含めて大好きなんだけど)
お互いの顔も見えない暗がりで、さくらに口づけをする。お風呂場のときのように濃厚なものをしたかったが我慢して口を離す。
「これでいい?」
「いいんじゃない? 私は知らないけど」
「はいはい。キスしたせいで寝られなくて寝不足になった、とかならないようにね」
言いながらふと気が付いた。
「あれ、これでちょっと時間経って寝てなかったらまたおやすみのキス必要にならない? キスするごとに目が覚めちゃったら寝られないような……」
「……すぅ――」
「急に寝たふりするんじゃない! えぇい、こうなったらとことんやってやる! 今夜は寝かさないからね!」
「変な意味に聞こえるんだけど!」
後に『おやすみのキスの攻防』と呼ばれるこの戦いは明け方近くまで行われ、ようやく寝られたもののお昼に両親が帰ってきたのに気付くのが遅れて本気で慌てふためくのだが、それはまた別のお話。
終