恋人姉妹は初デートを心底楽しむ
彩歌姉妹が初めてのデートに臨むお話
晩ごはんも終わった夜時間。居間のテレビでは芸能人たちが日常の雑学に感嘆の声をあげている。だけど私はそのテレビを見ていながらもまったく内容が頭に入ってこなかった。
理由は私の隣に座っている姉の彩歌もみじにあった。
姉が私の手を握っている。しかも握るだけではなく私の指や手のひらをにぎにぎもみもみと弄んでいるのだ。私たちのいるソファーの後ろには両親がテーブルで飲み物を飲みながら一緒にテレビを見ていると分かっているのに、姉は一向にやめようとしない。両親から死角になっているとはいえこんなときに触ってこなくても、と思う。
そう思うだけで姉の手を払ったりしないのは喜んでいるからだろう? と頭のなかの私が囁いた。違う。ここで変な行動を起こして両親に怪しまれたくないだけだ。だから仕方なく耐えているのであって、決してこの行為を受け入れたというわけでは――。
ふと横目で姉を見ると、ちょうど目が合ってしまった。姉がくすりと笑い、その口元が声を出さずに小さく二回動いた。唇を突き出すような発声は母音でいう『う』。続いてニッと笑うように唇を引き伸ばす発声は母音でいう『い』。二文字で表される母音が『う』『い』の言葉。
――すき。
幻聴が聞こえた瞬間、私の体温が2度くらい一気に上がった気がした。もうまともに姉の顔を見ることが出来ない。顔が赤くなっているところも見られたくない。
私はスマホをチェックするフリをして顔を俯かせた。適当に操作しながら体の熱が冷めるのを待つ。そのとき姉からラインが届いた。
『何て言ったかわかった?』
なんという意地の悪さだろう。私の反応を見れば分かりきっていることじゃないか。姉はこうやって私をからかって楽しんでいるのだ。
(ウニとかスリって返してやろうか)
そんなことをしても多分意味なんてほとんどないんだろうけど。
私は少し悩んでから、先程幻聴で聞こえてきた二文字を打ち込んだ。
私、彩歌さくらと姉の彩歌もみじが恋人関係になって数日が経った。
姉のスキンシップは日を追うごとに増してきて、私はいつもそれに翻弄されてばかり。
「もみじねぇ! ちょっとは時と場所をわきまえてよ!」
私の部屋で二人きりになってから憤りを姉にぶつけた。しかし暖簾に腕押し。姉はのんきに私のベッドで寝そべったままのほほんと笑う。
「何で? リビングって家族の憩いの場でしょ? 姉妹が仲良くしてて何か問題ある?」
「仲良くって、あんなの見られたらなんて言い訳したらいいの?」
「大丈夫だって。お母さんたちも『最近あなたたち仲良しさんね』くらいにしか思わないよ。小さいころは私がさくらを膝の上に乗せたままテレビ観てたんだから」
「いつの話よそれ!」
「も~、さくらは細かいことでうだうだ考えすぎ~」
「もみじねぇが大ざっぱなだけ!」
私の剣幕に押されてか、姉がしぶしぶ了承する。
「はいはい、分かりました。人のいるところで自重するようにしますぅ~」
真偽はともかく言質を取ることができてひとまず一安心、と思ったのも束の間、姉は体を起こしてベッドに腰掛けると自らのふとももをぽんぽんと叩いて言った。
「じゃあ、はい」
「……何?」
「膝の上にさくら乗って」
「い、いや、いきなり意味わかんないし」
「人のいるところでは自重する=(イコール)二人きりのときは自重しなくていい、ってことだよね。せっかくだから昔を思い出して膝の上に乗ってもらおうかと」
「そ、そういうつもりで言ったわけじゃなくてっ!」
「ほら、はやく」
私の言葉を無視して姉はせかすようにふとももを叩いた。
「だ、だって、お母さんが上がってきたら」
「足音で分かるよ。ほら、こっち」
ぽんぽんぽんぽん。早く来い来いと姉のふとももが呼んでいる。
「…………」
仕方なく。本当に仕方なく、私は姉の膝の上に腰を降ろした。座った途端、姉が後ろからぎゅっと抱き締めてくる。
「ちょっ――」
「ん~、さくらの感触だ~。はぁぁぁ、落ち着くぅ~」
部屋着越しに姉の感触が私にも伝わってくる。柔らかく、あたたかい。嬉しいやら恥ずかしいやらで私は身を縮こまらせたままじっとしていた。
数十秒は経っただろうか。背後から姉の呟きが聞こえてきた。
「……夢じゃないよね」
紡ぐ言葉を噛みしめるように姉は続ける。
「私がさくらをこうやって抱き締めてるのは、夢じゃないんだよね?」
回された姉の手にそっと触れながら、私は答える。
「……うん。夢じゃないよ」
お互いが、好きになってはいけない相手を好きになった。妹を、姉を前にして決して叶うことのない恋心だと知りながら、ずっと想いを秘め続けていた。
それが成就したのだ。不安に思う気持ちは私にもよくわかる。私だっていまだに信じられないのだから。
好きな人と心を通わせ、触れ合うことがこんなにも幸せなことだと知らなかった。何気ないちょっとした日常も、好きな人がそばにいるだけでまったく違うものへと姿を変える。それを二人で共有し笑い合えることがたまらなく嬉しい。
「すんすん――はぁぁ~」
しんみりとした私の耳に、看過ならざる音が聞こえてきた。
「……なにしてるの、もみじねぇ」
「ん~? さくらの匂いかいでるだけ~。すんすん」
「今いい話っぽくなってたのに!?」
私の首元に鼻をうずめていた姉が照れたようにいじらしく笑った。
「だって、いい匂いがしたから……」
「いい匂いがしたら妹の匂いをいきなりかいでもいいの!?」
「妹の、じゃないよ。恋人の、だよ」
「…………」
こういう言い回しはずるいと思う。その言葉を出されたら私には何も言えなくなってしまうから。
「知ってる、さくら? 好きな人の匂いってね、かいでるだけで心が穏やかな優しい気持ちになれるんだよ?」
「……知ってるよ」
私も、姉の匂いをそういうふうに感じていたから。
「じゃあさ、さくらも私の匂い、かぐ?」
「かがない」
「えぇー!? そこはかぐ流れでしょー?」
「私はもみじねぇみたいに変態じゃないから」
「変態じゃないよ~、自分の気持ちに正直なだけだよ~」
やっている行為が変態じみているのだから気持ちに正直もなにも無い。むしろ悪気がないぶん変態としては厄介まである。
姉が抗議するように顔を私の肩の上でごろごろ動かす。
「いいじゃ~ん、さくらも私の匂いかいでよ~。そこらへんのアロマより効果あるからさ~」
それはアロマに失礼なのでは、と思うが、まぁ私にもかぎたい気持ちがないわけではない。むしろ私だって姉の匂いをかいでやりたい。でも人としての良識がその行為を安易に許そうとしないのだ。
「我慢しなくていいから、ね?」
姉が私の体を横に向けさせ、私の頭を抱き締めた。自然と姉の胸に顔をうずめる形になり、否応無しに姉の匂いが私の鼻腔に流れてくる。
ボディソープと柔軟剤の混ざった人工的な香りは、だがそれが姉の体から漂ってくるというだけで得も言われぬ芳香に感じさせる。匂いだけではなく、腕に包まれたぬくもりや頬に伝わる感触、とくとくと聞こえてくる姉の鼓動――全てが私を癒してくれていた。
姉が私の頭をぽん、ぽん、とゆったりとしたリズムで優しく叩く。母親の腕で抱かれているような安心感にほっと心が落ち着く。
ずっとこのままこうしていたい。すっかり毒気を抜かれてしまった私の耳に、姉が囁いてきた。
「今日、一緒に寝ようか?」
「……え?」
「ほら、私はさくらの匂いのおかげでぐっすり、さくらは私の匂いのおかげでぐっすり。お互いが安眠できる最高のシチュエーションでしょ? だから、一緒に寝よ?」
「あ、う……」
姉と一緒に寝る。もしかしてこれはそういう意味なのだろうか。いや、ぐっすり眠ると言っているのだから決していやらしい意味ではないはずだ。純粋に私と一緒に眠りたいから申し出てくれているに決まっている。私もこのまま布団に横になれたならきっと安眠できる自信がある。姉の提案はとても魅力的だ。
「やめ、とく」
だけど私は体を離し断った。
「お母さんがもし起こしに来たらバレちゃうし……それに、寝たフリをしたもみじねぇが私を押し倒したの、まだ覚えてるから」
家族に不本意な形でバレてしまうのだけは避けたかった。加えてこの姉はまだ信用出来ない部分がある。今は安眠の為と言っておきながらいざ寝始めると豹変するかもしれない。
「あ、あれは偶然押し倒しちゃっただけで実際には未遂だったんだからもういいでしょ~! 他意はなかったんだって~」
必死に謝る姉に、私は胸中で舌を出す。
(別に押し倒されたのはイヤじゃなかったんだけどね)
姉を制御できるカードである内は有効活用させてもらおう。きっといつかは効かなくなるときがくるから。
(私だって、興味ないわけじゃないし)
ただ、今は不安の方が大きいのだ。未来に対する不安。現在の幸せを本当に受け入れてしまっていいのか、まだ踏ん切りがつかない自分がいる。
「う~、じゃあさ、ベッドだけ交換しない? 私がここで寝て、さくらが私のベッドで寝るの」
「はい?」
「布団被ってればお母さんも気付かないだろうし、ひとりで寝るならさくらも安心でしょ?」
そこまでして私のベッドで寝たいのか。しかし、姉のベッドで寝られるというのは確かに貴重な体験だ。姉の枕に頭を沈め、布団にくるまれて眠るのはいったいどんな心地なのか。私はあくまでも姉の懇願に仕方なく折れてあげるという体裁で了承することにした。
「もみじねぇがそんなに言うなら、まぁ、一日だけ」
「ホント!? やった~!」
無邪気に喜び抱き着いてくる姉に私はやれやれと息を吐く。落ち着いた大人な姉のときもあれば、感情を隠すことなく表現する子供っぽい姉のときもある。そのギャップがまた姉のいいところだと私は思う。人は自分に無いものを持つ人に惹かれると言うが、私がまさしくそれだ。いつだってこの姉は私の目標で、羨望の的で、意中の人だった。
(こんなに喜んでくれるなら、また交換してあげてもいいかな)
なお、ベッドを交換したはいいが私の胸がドキドキしすぎて逆に眠れなかったため、一時間ほどで元に戻してもらったという。
◆ ◆
妹のさくらともっとイチャイチャしたい。
私がさくらと恋仲になってから、その想いは日に日に増していくばかりだ。
これまでさくらと触れ合うのをずっと我慢していた反動だろうか。ダイエットのリバウンドと同じ。私の体がさくら成分を欲してやまないのだ。
しかしなかなかにさくらのガードが堅い。先日の『一緒に寝ちゃえばどさくさにまぎれて触ったりキスしたりしても大丈夫だよね作戦』はあっけなく失敗に終わってしまった。抱き締めると子猫みたいにおとなしくなるくせに、危機察知能力だけは高い。
(やっぱりちょっとがっつき過ぎかなぁ)
これでも自制しようとしているつもりだ。同じ屋根の下で暮らしているからこそ、ある程度の節度は守るべきだと思っている。それが妹を恋人に持つ姉の当然の義務なのだと。しかし実際のところ妹に触れたい病が発病し、私もそれに流されてしまっている。それは何故か。
(勉強机の横にずっとケーキが置かれてるのに、勉強に集中できる?)
いつも手が届く場所にいるということは、それだけ誘惑が多くなってしまうのだ。好きな人がすぐ隣でテレビを観ている。だから触りたい。好きな人がすぐ目の前で頬を赤らめている。だから抱き締めたい。
(さくらが可愛すぎるのも原因のひとつなんだから、私だけの責任じゃないもんね)
華麗に責任転嫁をしてから私はさっそく次の作戦を練り始めた。
「さーくら、今度の土日のどっちかデートしようよ」
夜、さくらの部屋を訪れた私はさっそく切り出した。
名付けて『デートでいい雰囲気になったらあとは流れで大作戦』。恋人ならデートするのは当たり前。さくらも嫌とは言いますまい。
「……部活はいいの?」
「大丈夫大丈夫。夏のインターハイはまだ先だし、部活よりもさくらの方が大事だから」
「……なら、うん。私も大丈夫」
さくらが軽く頬を紅潮させながら頷いた。部活よりも大事だと言われて照れたのだろうか。相変わらず可愛い妹だ。
「じゃあ日曜にしよっか。さくらは行きたいとこある?」
「うぅん。もみじねぇの好きな所でいいよ」
好きな所と言われてよからぬ場所が頭をよぎったが、雑念を振り払ってさくらにびしっと親指を立ててみせる。
「よし、おねえちゃんにまっかせなさい! ばっちりエスコートしてあげるね」
私は燃えていた。初めてのデートを最高のものにするという使命に。これは言わば姉妹という枠組みを破り恋人へと昇華する為の第一ステップ。絶対に失敗は許されない。
そして待ちに待ったデート当日。
コンコン、とさくらの部屋をノックして呼びかける。
「準備できた? そろそろ行くよ」
「うん、今行く」
ドアを開けて出て来たさくらを見て、私は息を呑んだ。
カジュアルなショートパンツとパーカーに黒のニーハイ。絶対領域から見える白いふとももがなんとも眩しい。ボーイッシュな装いながら瑞々しい少女っぽさを感じさせるのはさくらの艶のあるショートの黒髪のせいだろうか。
「……何かヘン? 動きやすい服って言われたからこれにしたんだけど」
さくらが自分の服を不安そうに見下ろした。その顔には薄めのメイクがされている。唇のピンクがいつもより明るい。
私は抱き締めたくてうずうずしている両腕を抑えて微笑みかける。
「私服のさくらが可愛すぎて惚れなおしちゃった」
「ば、バカなこと言わなくていいから。ほら、早く行こ!」
さくらに押されるようにして階段をくだっていく。その途中で背後からぽつりとさくらの声が聞こえてきた。
「私よりもみじねぇの方が……」
最後の方は声が消えてしまい聞き取ることは出来なかったが、何のことを指しているのかは分かった。
(ここで聞き返したりしたらきっとまた顔を真っ赤にして『何でもない!』って言うんだろうなぁ)
想像するだけでニヤニヤが止まらない。でも今日はさくらをからかうことが目的じゃない。恋人として一緒に遊ぶのが目的なのだ。
「ありがとう」
振り返らずにお礼だけ口にすると、さくらは答える代わりに私のジャケットの裾をきゅっと握ってきた。
私は確信した。今日のデートは最高のものになるだろう。だってまだ出発してもいないのに、私の心はこんなにも満たされている。
「靴、履かなくていいの?」
私の声に慌てて手を離してスニーカーを履き始めるさくらを見ながら、私は決めた。
心からあふれた分の幸せは全部妹にあげよう。そうしてさくらの心もいっぱいにしてあげるのだ。
先に玄関を出た私は、満開の笑顔でさくらに手を差し出した。
午前中に家を出発した私たちは郊外のラウンドワンに向かった。ラウンドワンのスポッチャでは様々なスポーツ体感ゲームを楽しむことが出来る。
何故ここを選んだかといえば答えは簡単。さくらに良いところを見せるためだ。
そこそこ体が動かせる私と違い、さくらはあまり運動が得意ではない。となればゲームをなんなくこなす私に対して当然『おねえちゃんすごーい』となってくるだろう。さらには手取り足取り指導することで自然とボディタッチまで出来てしまう。まさに一石二鳥。
というのは半分くらい冗談だが、映画を観にいったりショップを巡ったりするよりは、一緒に体を動かして遊ぶ方が楽しいと思ったのだ。こういうのはうまいへたは関係ない。うまくいったなら笑ってハイタッチ、失敗したなら笑って背中を叩く。それだけでどんなゲームも二人で楽しめる。
「もみじねぇ、もしかして前に来たことあるの?」
受付カウンターを通り抜けたあとさくらが聞いてきた。手慣れてると思ったのだろう。
「かなり前に部活のメンバーでね」
そのとき楽しかったからこそこの場所を選んだというのはある。私の返答を聞いてさくらがほっとしたように呟く。
「そっか、部活の人と……」
さくらの反応に私はピンときた。
「あれ? もしかして私が前に誰かとデートで来たんじゃないかって疑った?」
「…………」
さくらは顔を伏せたまま肯定の沈黙をする。
まったくこの妹は……と内心で息を吐いた。こういうときに直接聞かずに溜め込もうとするのはさくらの悪い所だと思う。性格だから仕方ない部分もあるが、もう少し私を信用してほしい。
私はさくらの頬を左右から挟んで顔をつき合わせた。
「いい? 私は誰とも付き合ったことはないし、デートもしたことない。だから、二人きりで出掛けるのは今日が初めてなんだよ。これから私の初めては全部さくらのものになるんだから、さくらももっと自信持って恋人らしく振る舞いなさい。わかった?」
「わ、わかった、けど……まわりに人もいるしあんまり言わない方が」
さくらが目線をちらちらと横に向ける。確かにあたりは高校生や大学生らしきグループで賑わっている。だがそれがどうした。
私はさくらから手を離して周囲を見回し言い放つ。
「どうせここの人達とは二度と会うことないんだからどう思われようが平気。私にとってはそんなことで気を遣って恋人をおざなりにする方がよっぽど問題だよ。今日はデートなんだから、他のことは気にしないでめいっぱい私と遊ぼ? ね?」
私の本心からのお願いに、さくらは小さく頷いた。
野球のバッティングにストラックアウト、テレビで見たことのあるサッカーの的当てやバスケのスローイン、ダーツやビリヤードのような大人向けのものからアーチェリーやミニボウリングのような変わり種まで――色んなゲームで私たちは遊びまくった。多少ルールが分からなくても二人でわいわい騒いでいるだけで楽しかった。
時刻はお昼を過ぎ、そろそろお腹も空いてきた頃合いだ。さくらがローラースケートがしてみたいと言ったので最後にそれだけすることにした。
車輪が一列になっているインラインタイプのスケート靴を選び、ヘルメットとサポーターを着けてから滑り始める。
私は慣らしがてらにゆっくり一周回ってから、エリアの囲いに捕まったままぷるぷる進んでいるさくらに声を掛けた。
「さくら、大丈夫?」
「大丈夫……じゃない。なんでそんなに滑れるの」
うらみがましい目で睨まれて私は苦笑する。
「うーん、やったことあるから、としか言えないなぁ。ほら、氷のスケートとおんなじだって。足をななめ後ろに滑らすような感覚で地面を蹴れば――」
「そっちのスケートもやったことない」
落ち込むさくらを見てどうしたものかと悩む。せっかくなら滑る楽しさを味わわせてあげたいのだが。
「あ、だったら私に掴まって滑ってみる? 私が引っ張るからさくらは私の腰を持っててよ。ゆっくり滑るし、足さえ動かさなければ転ばないから」
私の提案にさくらは少し考えてから首を横に振った。
「……恥ずかしいし、他の人の迷惑になっちゃダメだからやめとく。それに、これくらいはひとりで滑れるようになりたい」
こうやって子供は成長していくんだなぁ、と感慨にふけりながら私は頷いて「頑張ってね」と声を掛けてその場を離れた。こういうときは近くにいない方がいい。多少転んでも自分ひとりの力で滑れるようになったときの達成感は素晴らしいものだ。
このあとは私が調べた手作りハンバーガーの店で昼食の予定なので、ここでの頑張りは最高の調味料になるだろう。そして昼食後は腹ごなしに軽く散策をしてから、おいしいチーズケーキで評判のパティスリーへ行き、店内で食べてから帰宅。
チーズケーキ好きなさくらはきっと気に入ってくれるはずだ。おいしいものは人を笑顔にする。そうして気分がよくなったところで帰りながらイチャイチャするのだ。あわよくばキスさせてくれるかもしれない。
今後の予定を脳内でシミュレートして私はひとりでほくそ笑む。我ながら完璧なデートプランだ。
ちょうど滑っている円周の反対側にさくらの姿を捉えた。なんとか何も掴まらずに滑れるようになったようで、多少ぎこちない仕草で賢明に前に進んでいる。
さくらと目が合ったので手を振っておく。私を見てやる気が湧いたのかさくらは勢いよく足で床を蹴り出し――バランスを崩した。
そのすぐ後ろから人が迫っていた
「さくらっ!!」
私の叫びもむなしく、二人はぶつかるようにその場に倒れ込んだ。
頭のなかが真っ白になったまま、私はその場に棒立ちしていた。
結果から言うと怪我はさくらが右足首を軽く捻った程度ですんだ。ヘルメットとサポーターを装着していたことと、後ろから来た人が寸前で回避してくれたおかげで直接ぶつかることがなかったからだ。ぶつかったように見えたのは回避しようとして転んだのがそう見えただけで、その人も特に怪我はなかった。
私のテンションは最低だった。
「ごめんねさくら……私がちゃんとついてたらこんなことにならなかったのに……」
さくらが湿布を貼った足首を軽くさすりながら微笑む。
「私の注意不足が悪いんだからもみじねぇは悪くないよ。それよりぶつかった人に怪我がなくてよかったよね」
話していると自分の情けなさに涙がにじんでくる。私よりもさくらの方がこんなにも立派だというのに、なにをやっているのだろうか。
涙をぬぐう私にさくらが慌てて声をかける。
「ちょっと、もみじねぇが泣かないでよ。むしろ自分の運動神経のなさに私の方が泣きたいくらいなんだから」
さくらの気遣いが今はつらい。
「もみじねぇもお腹空いたよね? そろそろお昼食べに行こうよ」
笑顔で明るく振る舞うさくらに私は力なく頷いた。
結局お昼ごはんは近くのファミレスで済ませてそのまま帰宅することにした。足をかばいながら歩くさくらを見てこれ以上歩き回るべきではないと判断したからだ。
さくらは気にせず行きたいところに行こうと言ってくれたが気にするに決まっている。これでもし捻挫が悪化でもしようものなら私はもう立ち直れない。お店は足が治ってからいくらでも行けるのだ。私の説得にさくらも少し寂しそうな顔をしてから了承してくれた。
予定よりもかなり早く地元の駅へ戻ってきた。
私が暗い顔をすればさくらまで暗くなってしまうと思い他愛のないことを話して帰り道の場を繋いできたが、この頃になると会話のネタも尽きてしまいお互いが無言で歩くようになっていた。
私は頭のなかでずっと『あのときこうしていれば』を考え続けていた。怪我をしたこともそうだが、それ以前の行動のどこかの歯車を変えてさえいれば事故は避けられたかもしれないのだ。怪我さえなければ今日は最高のデートになるはずだった。それなのに。
「もみじねぇ」
並んで歩くさくらが呼びかけてきた。私はにこりと笑って返す。
「ん? どうかした?」
「まだ気にしてるの?」
「いやいやいや、そんなことないよー。今日の晩ごはん何かなーって考えててさぁ、あはは」
笑って誤魔化そうとするが、さくらからジト目を向けられて私は観念した。
「……うん、ごめん。めっちゃ気にしてる。私があそこに誘わなかったら、違うところに行ってたら、さくらは怪我なんかしなくてすんだのに、って」
「それって今日のデートは失敗だったって思ってるってこと?」
「そういうことじゃないけど、もっと良い結果に出来る選択肢があったなぁってだけで――」
「わたしはっ!」
突然さくらが足を止めて叫んだ。視線は横に逸らせたまま言葉を続ける。
「わ、私は今日、すごく楽しかったし最高のデートだったって思ってる。遊んだことだけじゃない。私は、もみじねぇとこうやって一緒に歩いてるだけで嬉しいから」
さくらが私の手を取り、ぎゅっと握る。
「どんな場所に行ってもどんなことがあっても、もみじねぇと手を繋いで歩けば嫌なことなんか忘れちゃうよ。もみじねぇは違うの?」
「…………はぁ」
私がため息を吐いたのを見てさくらがびくっと不安そうな表情を浮かべる。私はすぐに笑って説明した。
「ごめんごめん。今日はずっとさくらにフォローされてばっかりだなぁっていうのと、そんな当たり前のことも忘れちゃってた自分に嫌気がさしちゃってね。うん、私もさくらと一緒にいられればそれで幸せだよ」
今日のデートが最高のものだということは出発する前からわかっていたではないか。あとはさくらが楽しんでくれれば目的は達成していたのだから、失敗だったなんてことはない。さくらの気持ちを無視してひとりでいじけていた自分がバカらしい。
お互いにはにかんで笑いあった後、私たちは手をしっかり繋いで歩きだした。
さくらの足のことは災難だったが、もう気に病んだりはしない。そんなことよりもこの手のぬくもりの方が大事だと思い出したのだ。いつまでも過ぎたことで嘆いていては手を握ることすら忘れてしまう。
(恋人なんだからこうするべきって急ぎすぎてたのかもね)
恋人だからデートをしなくては。初デートだから完璧なものにしなくては。心のどこかでそう気負い過ぎていたのだろう。
私たちはもっと自然体でいいのかもしれない。だって家族で姉妹で恋人なのだから。
「でもさぁ、ホントはこの帰り道でいい雰囲気になったらさくらがキスさせてくれるかなーなんて考えてたんだよ。これは次回におあずけかなー」
おどけながらさくらの方を伺う。まぁどうせ『バッカじゃないの』と冷たい目をされるのがオチなのだろうけど。
不意に――私の頬に柔らかいものが触れた。それがさくらの唇だと気付いたときにはすでに離れてしまい、さくらがぶっきらぼうに呟いた。
「……これでいい?」
ぽかんとさくらの横顔を眺めていた私はようやく我に返った。顔を背けるさくらに詰め寄りまくしたてる。
「え、え、待って待って、今のもう一回、もう一回やって。私準備してなかったから、ほら、あらためて、はい」
「やらない。さっきのでもう終わり」
「え~、あんな不意打ちじゃ私が満足しないよ~。今度は正面からでいいから、ね?」
「だからもう終わりだって! ちょっと抱き着いてこないでよ!」
「さくらがもう一回やってくれるまで離れないから~。ほら、一緒にいるだけで幸せでしょ?」
「ただし時と場合によるって付け加えといて! あ、足が痛い! 痛いから早く離れて!」
「足痛い? じゃあ私がおんぶしてあげるから、後ろからこう私のほっぺにチュッてしてくれていいよ?」
「おんぶとかしなくていいから! 恥ずかしい」
「小さいころさくらが転んで泣いたときに私がおんぶして帰ったこともあるんだから大丈夫だって」
「私は全然大丈夫じゃないんだけど!?」
すっかりいつもの調子に戻ってしまったが、これでこそ私たちらしいと思う。こういうやりとりをしながらも互いの心が繋がっているのを感じられる。
姉妹だからなのか恋人だからなのか、その両方だからか。
(まぁそれでもいつかはさくらの方からイチャイチャさせてみせるけど)
ひそかに野望を燃やしつつ、私とさくらは賑やかに家路を進んでいった。
終