恋人姉妹は誕生日に最高の想い出をつくる
誕生日に最高のプレゼントを贈る妹と、最高のプレゼントを受け取る姉のお話
【登場人物】
彩歌さくら:高校一年生。春から姉のもみじと付き合っている。感情をあまり表に出さないが姉のことが大好き。
彩歌もみじ:高校三年生。性格は明るく大らか。妹への気持ちを隠すことなく溺愛している。
十月二十日は姉の誕生日だ。
私と姉が恋人になってから初めての誕生日。それは楽しみであると同時に悩みの種だった。
物心ついてからこれまで姉に何かをプレゼントしたことなんてなかった。両親の誕生日を祝うことはあっても姉妹で互いに祝ったりはしなかった。……本当はお祝いしてあげたかったけど、どう接していいのか分からなかったから。
両親へのプレゼント選びは簡単だった。父へのプレゼントは母に、母へのプレゼントは父に聞けばいいだけ。小さい頃は『家事手伝い券』なんかでも許されていたのだから何も気にする必要はなかった。
でも姉へのプレゼントはそういうわけにはいかない。
恋人になったからこそちゃんと喜んでくれるものを贈りたい。きっと姉に聞いたら気持ちがこもってれば何でもいいなんて答えるだろうけど、それじゃ私がイヤなんだ。だって気持ちがこもってるのは当たり前なんだから、それだけでは物足りないではないか。
なにがなんでも最高のプレゼントを贈ってやる。
「もみじ先輩への誕生日プレゼント?」
クラスメイトの宇佐見あゆちゃんが可愛らしく小首を傾げた。
私と姉の関係を知る数少ない友人で、何かあるとこうしてお互いに相談をし合ったりする仲だ。恋愛について気兼ねなく話せる相手というのはとてもありがたい。
「うん。何を贈ればいいか決めかねてて」
「でも私、もみじ先輩の好みとか分からないよ」
「意見を言ってくれるだけでいいから」
「うーん、さくらちゃんのプレゼントならどんなものでも喜んでくれそうだけど、一番はやっぱり――」
「やっぱり?」
私が聞くとあゆちゃんは慌てたように笑顔を浮かべて両手を振った。
「あー、うん、いつも身につけていられるようなものがいいんじゃないかなって。ほら、会えないときでもそれを見ればいつでも相手のことを思えるし」
「なるほど」
美味しい食べ物とかでもありかなと考えていたが形に残るものの方がいいのかもしれない。
「そういえばあゆちゃんは御園先輩の誕生日に何贈ったの?」
あゆちゃんの恋人でもある御園先輩は先月誕生日を迎えた。私と姉も二人でプレゼントを贈ったのだが、そのときは名店のスイーツを選んだ。姉いわく『二人で食べられるものを贈るのがいい』とのこと。食べ物、というよりは二人で楽しく過ごせる時間を贈ったということらしい。
私の問いかけにあゆちゃんがぎこちない笑顔を浮かべた。
「アクセサリー的なものを、ちょっと」
多分私に言いづらいものを贈ったんだろうな、と思った。
「もみじへの誕生日プレゼント?」
御園茉里奈先輩は姉と同じクラスの三年生で、私と姉が付き合い始める前から姉の恋愛について相談にのっていたらしい。つまりは私以上に姉のことを知っている唯一の友人。
その流麗な容姿に加えて泰然とした佇まいは高貴なお嬢様のようで男女問わず人気がある。私も最初のころは面と向かって話すのを躊躇ったほどだ。そのとき姉に『私と態度が全然違う! 姉差別だ!』と抗議をされて普通に接するようになったのだが。
「はい。御園先輩ならもみじねぇの好きそうなものを知ってるんじゃないかと思ったので」
「単純な好みで言えばあなたの方が知っているとは思うけれど――まぁプレゼントするならひとつしかないわね」
「なんですか!?」
御園先輩の指が私に向けられた。
「さくらちゃん自身」
「……え?」
「リボンを巻く、のは少しやりすぎかもだけれど、下着姿で『私をあげる』とでも言えばそれに勝るプレゼントはないと思うわよ」
「し、した――え、その……そういう意味ですか?」
「そういう意味よ。具体的に言った方がいいかしら?」
「い、いえっ、大丈夫です!」
顔が熱い。以前からこの人はこういうことを恥ずかしげもなく言う人だと分かってはいたがこうも直接的に言われるとは思わなかった。
両頬を手で押さえる私に御園先輩が切れ長の目を向ける。
「もみじは今までに迫ってきたことはないの?」
「せ、迫ってきたこと、とは……?」
「ベッドに押し倒したり、服を脱がせようとしたり」
「な、ないですよ!」
「本当に?」
「……胸とかをちょっと触ったりは、されたことありますけど」
「そこから先はない、と」
「はい……」
姉とそういうことをする想像をしたことがないと言えば嘘になる。ただそれはあくまで想像の中での話で、実際にそこに至るには色々と心の準備やらきっかけが必要になるわけで。
御園先輩が小さく息を吐いた。呆れるというよりは心配するような仕草だ。
「もみじらしいと言えばらしいけど、相当我慢してるのねあの子」
「……我慢、してるんですかね?」
「してるわね。大方自分が大学に行くまでか、さくらちゃんが大学生になるかを待つつもりなのでしょうけど」
そこまで考えたことがなかった。
キスやハグだけで私は幸せだったし、当然姉も幸せなのだと思ってた。体に触れてくるときも私の反応を見ながら少し触れるくらいで無理矢理なんてことも全然なかったし。なにより私が抵抗したらそれ以上しようとはしなかった。……全部我慢をしていただけなのだろうか。
「あ、あの……やっぱりそういうこと、したくなるんでしょうか」
「当然よ」
自信満々に御園先輩が答える。
「恋人の体の隅々に触れたいと思うのはおかしいことではないでしょう? 全部を知る、知ってもらうというのは最上級の愛情表現だと私は思ってるわ。もちろんプラトニックな関係というのもあっていいのだけれど、もみじがそういうタイプに見える?」
「……見えないです」
「こと恋愛に関しては私ともみじは似ているから、私の推理は概ね当たっていると思うわよ」
だからあなた自身をプレゼントしなさい、と言いたげだった。
姉が本当にそれを望んでいるのかは私には分からない。喜んでくれるならいいが、さくらにはまだ早いと断られたらへこむかもしれない。
まだ悩む私の心を見透かしたように御園先輩が耳打ちしてきた。
「……だって、私がもらって一番嬉しかったんだもの」
「――――」
再び私の顔に火がついた。御園先輩がそれを言うということはつまりあゆちゃんとそういうことがあったということで、友人のそんな光景を想像するのは申し訳なさを覚えるとともに言いようのない淫らさを感じてしまう。
同時にあのときあゆちゃんが私に何を言いかけたのかも理解した。確かにこんなことを面と向かって言えるのは御園先輩くらいだ。
「もしもさくらちゃんの方からが難しいなら際どい下着を贈るのもいいんじゃないかしら。私の場合、あゆちゃんのお誕生日が先だったから予め下着をプレゼントしておいたの。そうしたらね、私の誕生日にはその下着をつけてきてくれて恥ずかしそうに見せながら『受け取ってくれますか?』って――」
「あ、あ、あの、だ、大丈夫です! もう分かりましたから!」
それ以上は聞くに耐えず話を終わらせた。あゆちゃんが言ってた『身につけられるもの』ってもしかして……。
「そうそう、一緒に何か形に残る物を贈ってあげると記念になるわよ。あゆちゃんから誕生日のお返しにって貰った下着は一生の宝物にしようって思ったもの」
まだまだ喋り足りないとばかりにあゆちゃんとのやりとりを話す御園先輩。
私はそれを止めることも出来ずに愛想笑いを浮かべて相槌を打っていた。
この場にあゆちゃんがいなくて良かった。もしここにいたら今頃は昇天してしまっていただろうから。
◆ ◆
十月二十日は私、彩歌もみじの十八回目の誕生日だ。そして十八回目にして恋人と過ごす最初の誕生日でもある。
前もってさくらに誕生日をアピールするくらいにはすごく楽しみにはしていたけど、正直なところどんなプレゼントだろうが良かった。さくらが茉里奈たちに相談したというのは聞いていたし、私の為にあれこれ考えて選んでくれた贈り物というだけで満足だ。
「十九日の土曜から出掛けようと思うんだけど、もみじねぇは大丈夫?」
だからさくらからの申し出を聞いたときは驚いた。
「どこに行くの?」
「栃木。那須高原のあたり」
「いいね~。私行ったことないよ。出発何時? 日帰りだったら早く出るよね?」
「……泊まり」
「へ?」
「泊まりだから、朝の九時くらい」
「…………とまりって宿泊の意味の泊まり?」
耳に入った言葉が信じられずに確かめると、さくらがこくりと頷いた。
まだ喜ぶのは早い。飛び上がりそうになる気持ちを抑えて尋ねる。
「それはその、私とさくらの二人だけで……?」
再び頷くさくらを見て全身の血が熱くなっていくのを感じた。私の体中が喜びに滾っている。ここが私の部屋じゃなかったらこの溢れ出んばかりの気持ちを大空に向かって叫んでいたところだ。
暴走しそうな感情を抑えてさくらをぎゅっと抱き締める。
「嬉しい。本当に嬉しい」
「……行く前からそこまで喜ばれるとハードル上がって困るんだけど」
「さくらと一緒なら網走刑務所でもアルカトラズでも楽しいから大丈夫」
「なんでそんな物騒な例えなの」
「同じ牢屋に入れられてもいいよってこと。そうしたら一日中いちゃいちゃ出来るもんね」
「いくらもみじねぇと一緒でも捕まるのは絶対ヤダ」
「例えだよ例え。あ、泊まるならお母さんたちに言っとかなきゃ」
「もう許可もらったよ」
「え?」
体を少し離してさくらの顔を見ると、頬を染めて照れるように視線を逸らしながら答えた。
「もみじねぇの高校最後の誕生日だから特別にお祝いしてあげたいって言ったら、帰りが遅くならないならいいよって」
「~~~~!!」
「つよい! 力つよいって!」
一層力を込めてさくらを抱き締める。
「ありがとうさくら、最高の誕生日だよ」
「……だからそれは誕生日が終わってから言ってよ」
最高と断言するには早い、と言いたいのだろうか。そんなこと気にしなくていいのに。さくらと共に過ごせる誕生日が最高じゃないわけがないのだから。
那須岳。栃木県那須郡那須町にある茶臼岳の別称であり、連なる成層火山群の総称でもある。
どの山も二〇〇〇メートルに達しておらず、山頂近くまでを結ぶロープウェイも敷設されていることから登山初心者にも人気の山になっている。
「上から見るとすごいね」
登山客で混み合ったロープウェイの中で、小声でさくらに話しかけた。
眼下に映るのは山の斜面を明るく彩る暖色の木々。緑の中に交じっているからか、赤色や黄色がよく映える。
「うん、ちょうど今が紅葉のシーズンなんだって」
この景色を見ると人の多さにも納得がいく。染色でもされたのかと思うほど綺麗に染まった木は芸術作品と呼べるほど見事だ。この葉っぱたちがほんの二カ月ほど前には何の変哲もない緑色だったというのだから本当に世の中は不思議に溢れていると思う。四季の移ろいに合わせて植物が変化するのは当たり前ではあるけど、葉っぱという普段は目立たないものがこうして華々しく色彩を放つからこそ見る人の心を奪うのではないだろうか。
(まぁ私はいつもさくらに心を奪われてるんだけどね!)
胸中でどや顔をしてからさくらの方を盗み見た。動きやすい服装のさくらはいつもより少しボーイッシュに見えるがその可愛さはまったく変わらない。むしろ快活さを感じて可愛さが引き立っているまである。
私の視線にさくらが気付いた。照れたように唇を尖らせて呟く。
「……せっかくなんだから景色を楽しみなよ」
「せっかくだから両方楽しんでる」
「…………」
さくらが窓の外に視線を戻した。それに合わせて私も紅葉に目を向ける。何も言わずとも互いの手が自然と相手を求めた。
ロープウェイが到着するまで、私達はしっかりと手を握り合っていた。
那須ロープウェイの山頂駅は茶臼岳の八合目あたりにある。標高のせいか高い木々は生えておらず、剥き出しになった岩肌に低い草木が点々と広がっている。そのどれもが赤く色づいていた。
他の登山客に交じって山頂への道を歩き始める。
「けど意外だったな。さくらが登山をしようだなんて」
「そんなに意外?」
「さくらってインドア派というか、運動あんまり得意じゃないでしょ? スポーツで遊ぶとかならともかく、自分から山に登ろうとするのは珍しいというか」
「元々はどこか近くで紅葉を楽しめたらいいなって思って色々調べてたんだけど、そのときにこの場所を見つけて、感想とか写真とか見てるうちに行ってみたくなったの」
「あ~、そういうのあるよね~。テレビとか見てても綺麗な海とか広大な草原とか見るたびに、行きたいな~って思うもん」
「私がそう思うようになったのは、もみじねぇのおかげだよ」
「私?」
「もみじねぇと一緒に色んな場所に行って色んなことしたいって思えたから、こうやって登山にも来れた。多分私ひとりだけだったら一生来なかったと思う。私の行動する理由はいつだって……もみじねぇ、だから……」
最後らへんは恥ずかしさのあまりか消え入りそうな声だった。そんなことを言われてきゅんとならない恋人などいるわけがない。
「さくら、キスしていい?」
「だ、ダメダメ! こんなとこで、だ、ダメだからね!」
ダメだった。残念。
そうして歩き続けること数十分、山頂に近づくにつれて植物の姿はほとんどなくなり岩だらけの荒涼とした景色に変わっていった。麓を見下ろすと紅葉の絨毯、見上げると青空へと続く岩の道。贅沢な自然の光景に心が弾む。
鳥居が見えた。山頂はもうすぐそこだ。私とさくらの歩みが早くなる。
「――ついたぁ」
茶臼岳の頂上に到達した。山頂には石造りの祠が置かれていて、台座の部分に『那須岳神社』と掘られていた。その奥には土砂に埋まった火口があり、ところどころで白い噴気をあげている。
二人並んで岩の上に立ち、遠くを眺める。
「すごい……」
青く澄んだ空。いつもより近いと感じるのは雲の位置が低いせいかもしれない。
眼下には地平線に至るまで那須の街と自然が広がっていた。少し視線を横に向けると、茶臼岳から連なった山々が見事な紅葉を見せていた。
私はさくらの指に指先だけ絡ませた。
「ありがとう、さくら。連れてきてくれて」
「それを言うなら、もみじねぇの方こそ一緒に来てくれて、ありがと……」
「……やっぱりキスしていい?」
「ダメ」
「ちぇ~。あ、どうせだからお参りしていこうよ」
「うん」
祠の前に設置されていた郵便受けのような石のお賽銭箱の所へ行く。さくらが財布を開けて小銭を探しながら言った。
「こういうのって五円玉がいいんだっけ? ご縁と掛けて」
「私達の場合別に気にしなくていいんじゃない? もうご縁はあったわけだしさ」
「……そうだね」
「でも私は百円を入れる」
「え、なんで?」
「百円玉には桜の絵が描かれてるから。さくらにあやかってお参りするのが私的には一番効くだろうってね」
「ち、ちょっと待って、紅葉の絵が描かれてる硬貨探すから」
「残念、無いんだな~」
「ずるい、もみじねぇだけそういうのやって」
「じゃあ五円玉でいいんじゃない? 稲穂だから秋、秋といえば紅葉」
「こじつけっぽいけど」
「ゲン担ぎなんてだいたいこじつけみたいなもんだよ。大事なのは気持ち。さくらの私への想いって硬貨に左右されちゃうくらい弱いの?」
「……そういう言い方ずるい」
「おねえちゃんはずるい生き物なのだよ」
さくらに五円玉を握らせてから一緒にお賽銭箱の中に入れさせる。手を合わせて目をつむり、胸の中でお願い事をした。
祠から立ち去るときにさくらにこそっと尋ねてみる。
「なんてお願い事したの?」
「……うまくいきますように」
「私とのこと?」
「……まぁ、うん」
「ねぇさくら、私のお願い事きいてよ」
「もみじねぇはなんてお願いしたの?」
「さくらとキス出来ますように」
「…………」
黙り込むさくら。しつこく言い過ぎたかなと反省したときにさくらが私の手を引っ張って大きな岩の陰に連れていった。そして周囲を見回して誰もいないのを確認するや否や私にキスをしてきた。
歩いてきたからか唇は少し乾燥していたけど、口の中はあたたかく唾液で湿り、絡み付いてくる舌が官能的で気持ちが良かった。
「……御利益、あったみたいだね」
それだけ呟くと、さくらはそそくさと元の場所に戻っていた。その後を追いながらしばらくの間にやにやが治まらなかった。
火口をぐるりと巡ってから下山し、ロープウェイで山麓駅まで降りた。峠の茶屋という車でも乗り入れられるお土産屋兼休憩所でバスを待っているときに鮮やかな紅葉が目に入った。
木のそばに近寄って落ち葉を拾う。真っ赤な紅葉の葉を指先でくるくると回す。
「花と違って葉っぱは気軽に持ち帰れるからいいよね。ラミネートして本のしおりにしてもいいし」
「!! 持ち帰らないと!」
綺麗な葉っぱを探し始めたさくらを見てくすりと笑う。
「紅葉狩りって言葉があるけど、確かにそうやって落ち葉をあさるのは狩りっぽいかも」
「紅葉狩りって言い方はあんまり好きじゃない」
さくらがぼそっと呟いた。私を狩る、みたいでイヤなんだろう。たかが言葉なのにそんなことまで気にするなんて、いじらしくて抱き締めたくなる。
「別にいいじゃん、紅葉狩り。さくらが私を狩ってくれるなら願ったりだよ。そのまま私をお持ち帰りして食べてくれればもう最高」
冗談めかして笑った。これでさくらが『狩って食べるなんて原始時代じゃないんだから』とか軽く返してくれれば笑い話になる。
しかしさくらは「そ、そう、なんだ」と言ったきり落ち葉探しに専念してしまった。
この反応は本心を隠しているときのものだ。紅葉狩りで何を言い淀む必要があるのだろう。しばらく考えてみたけど私にはそれが何なのかは全然見当もつかなかった。
紅葉の葉を拾うさくらの横顔は、紅葉にも負けないくらい赤く染まっていた。
一泊二日の旅行の内容について事前情報をほとんどもらわなかったので、泊まる場所というのもそこに行って初めて知ることになった。
そこは宿泊施設にしてはそこまで大きくない洋風のペンションのようなホテルだった。周りの自然に溶け込んでいて少し幻想的に見える。
(へぇ、すごいおしゃれなとこだな~)
そんな風にのんきに考えながら部屋に通されたとき、『ん?』と感じるものがあった。
内装もこじゃれた欧風のものだったんだけど、まず目に飛び込んできたのがキングサイズのダブルベッド。ベッドの真上には天窓があり、夜になったらそこから夜空を拝めることだろう。
そして浴室を覗くと中の浴槽とは別に奥に備え付けの露天風呂があった。当然他の客室からは完全に見えないように遮られている。
テーブルに置かれていたパンフレットに目を通す。そこには『二人のためだけのプライベートな時間を』とのキャッチフレーズと共に設備の案内が載っていた。
隠れ家的な宿。ダブルベッド。客室についている露天風呂。この三つが揃って何も思わない恋人がいるだろうか。いやいない。
それでも、もしかしたらさくらが他の人たちの目を嫌ってこういった宿を押さえた可能性もある。私だけが意識し過ぎた結果、さくらを不快にさせてしまっては意味がない。
自然な笑みを心掛けてさくらに話しかける。
「す、すごく素敵な部屋だね」
「ソ、ソウダネモミジネェ」
(めちゃめちゃ緊張してるーーーっ!!)
ロボットのような動きと声。端から見ても分かるくらいさくらは緊張していた。
(え、え? これってホントにそういうこと? いやいや、え? うそうそ、え? 私もそんな心の準備が――)
「オ、オフロドウスル?」
「あっと、えっと、ご飯もうすぐなんだよね? あ、後でいいんじゃないかな」
「ワカッタ」
今さくらの裸なんて見ようものなら精神がどうなるか分からない。この状況に少しでも心と体を慣れさせないと。
荷物を置いてしばらくして夕食が運ばれてきた。プライベートを尊重して食事をすべて運んできてくれるのは確かに楽でいい。夕食はコース料理になっていて、地元の豚をメインに使っていてとても美味しい。美味しいのは美味しいんだけど……。
「…………」
「…………」
「さ、さくら、これすごい美味しいよ」
「……うん」
会話が全然続かない。
多少さくらの緊張もほどけたとはいえ、私のことを意識し過ぎているのか目もなかなか合わしてくれない。
注意するのも何か違う気がして結局ほとんど会話らしい会話もないまま夕食を食べきった。
するとさくらがフロントへ電話をした。少しして従業員の人が部屋にやってきて食べ終わった食器類を片付けると、一人分の小さな丸いケーキをテーブルの上に置いた。ケーキの一番上には『Happy Birthday』というチョコプレートと火のついたロウソクが一本刺さっている。
従業員が出ていってからさくらが恥ずかしそうに話し始めた。
「ホテルの人に誕生日なんですがって言ってケーキ用意してもらった。明日は明日でお母さんたちが用意してくれてると思うけど、今日もお祝いしてあげたかったから」
「さくら……」
「あ、あと、これ――」
さくらが横から小さな箱を取り出した。手のひらに収まるサイズのそれはドラマなんかでよく見るものに似ていた。
箱の口が私の方に開かれた。中には指輪が入っていて、指輪の真ん中には七色に光る乳白色の石がはめ込まれている。
「これは……?」
「オパール。十月の誕生石なんだって。その、全然いいやつじゃないんだけど」
「――――」
私は感極まったあまり言葉を失った。だって今日一緒に山に登ってこんな素敵な部屋にも泊まれて、そのうえ指輪までもらえるなんて幸せの過剰摂取が過ぎる。
「もみじねぇ……?」
不安そうに私を見るさくらに心からの笑顔を返す。
「ね、その指輪、私につけて?」
差し出したのは左手。薬指を突き出すように指輪の前にもっていく。その意味をわかったのだろう。さくらは頬を染めたまま私の手を取り、そっと薬指に指輪をはめた。
手をかざして自分の薬指で輝くオパールを見つめる。なんて綺麗なんだろう。なんて嬉しいんだろう。指輪という小さなリングに指を通すだけでこんなにも心が満たされる。
「よかった、もみじねぇの指に合って」
「あ、そういえばどうやって測ったの? 寝てるとき?」
「御園先輩にお願いした」
「茉里奈か。確かに茉里奈なら見ただけでサイズ当てそう。くぅっ、また今度お礼言っとかないと」
「悔しそうに言わなくても」
「だって~、さくらが私以外の女を頼るのが悔しいの~」
「そんなこと言わないの。御園先輩がアドバイスくれたからここに来たんだし」
「どんなアドバイス?」
「――――」
さくらの顔がかぁっと真っ赤になった。それだけで何をアドバイスしてもらったのかが理解できた。
(やばい……茉里奈には一生頭あがらないかも)
とりあえずこれ以上は何も追求しないでおいた。
すっかり短くなったロウソクの火を吹き消して、ケーキを半分こにしてから二人で食べた。
さて、食事のあとはお風呂である。そして部屋には露天風呂がついている。となれば一緒に入るのが当然かつ必然。
指輪を一旦箱に戻してサイドテーブルの上に置いた。着替えもろもろを準備して、あとはお風呂に入るだけ。
「あのー、さくらさん……?」
一緒にお風呂に入りませんか? と聞こうとしたとき。
「……すぐ行くから先に入ってて」
「え……いいの?」
「もみじねぇは私と一緒に入りたいんでしょ?」
「そりゃまぁ」
「だったら、いいよ。誕生日祝いなんだし」
まさかそんなにすんなりとOKが出るとは。もちろんさくらがそういう覚悟でこの旅行に臨んでいるのなら不思議ではないのだけど、それでも裸を見せることを恥ずかしがっていたさくらが一緒にお風呂に入ってくれるなんてそれだけでもう幸せ過ぎる。
「じ、じゃあ先に行ってるね」
浴室に入り、ざっと全身を洗ってから外の露天風呂に身体を沈めた。空はすっかり暗くなり、星がまたたいている。
(だいぶ前にさくらと二人で留守番したときもお風呂に一緒に入るためにこうやって先に入って待ってたっけ。あのときは私が無理矢理お願いしたけど、今日はさくらが自分から言い出してくれた。……なんだろう、さっきから胸の鼓動が治まらない)
気持ちを静めようとお湯で顔をばしゃばしゃと洗うけど動悸はむしろ早くなっていった。
「……おまたせ」
その声に後ろを振り向く。そこにはさくらが立っていた。一糸纏わぬ姿で、手に持ったタオルで体を隠すこともせずに。
「…………」
「……横、入るよ」
ちゃぷん、とさくらが隣に腰を降ろした。立ちのぼる湯気の中、自らの肩にお湯を掛けているさくらをただただ見つめる。
さくらの視線がこっちに向けられた。
「あんまり見られたら、恥ずかしい」
「ご、ごめん!」
顔を正面に戻して口までお湯に浸かる。やっぱりさっきから私はおかしい。裸でこれだけの至近距離にいたらいつもなら間違いなく抱き着いているし、さくらの体を触ろうとするはず。でも今は固まったかのように腕も足も動かない。いや、多分そうじゃない。一度タガを外してしまったらもう止められないと自分で気が付いているのだろう。だから動けないのだ。
(さくらが高校卒業するまでは待とうと思ってたのになぁ)
同じ家に住む家族だからこそ、最後の一線だけは時期を見てと決めていた。
それがこのざまだ。さくらがその気を見せただけで一秒も早くさくらに抱き着いてキスをして体の全部を自分のものにしたいと思ってしまっている。
(ダメダメなおねえちゃんだ)
そう自虐はするけど、だからといってこの気持ちが静まることもない。
私に出来ることは残った理性が飛ばないようにさくらから身を離してじっとしておくくらいだ。
せっかくの露天風呂だというのに夜空も見上げず、ロマンチックな会話もせず、黙ったまま露天風呂に浸かっていた。
不意に指先が何かに触れた。さくらに当たってしまったと思い指を離す。するとその何かは私の指をさすり、手を包み込み、ぎゅっと握ってきた。
もう、耐えられるわけがなかった。
「――さくら、いい?」
何がいいのか、何をいいのか、言わなくてもさくらには伝わっていた。
「……うん」
「お風呂は? あがる?」
「……あがる」
さくらと一緒に露天風呂から出た。体を拭いている間も会話はほとんどなかったけど、さくらの表情が、ときおり向けてくる視線が、心が通じ合っていることを私に教えてくれた。
心臓は先程よりも激しく脈打っている。でも多分それはさくらも同じこと。だからせめて姉らしく、妹を不安にさせないようにしなければ。
特別なことなんて何一つ必要ない。抱き締めて、気持ちを言葉で表す。たったそれだけで私達の心は落ち着き、満たされるのだから。
そしてこの日、私は最高の誕生日プレゼントを受け取った。
◆ ◆
私の計画した一泊二日の誕生日旅行は大成功で幕を閉じた、と言っていいのだろうか。
翌朝、目が覚めたときの恥ずかしさといったらなかったが、起きた私を姉が抱き締めてくれたことも、キスをしてくれたことも、全てが幸せなことだったと言い切れる。もちろんこれまで同じベッドで寝たことはあったし、起きたときにキスをされたこともあった。でもそのときに迎えた朝と今朝でこんなにも私の気持ちの在り方が違うのは、まぁつまり、そういうことなんだろうな、と思う。
ホテルをチェックアウトするまではお互いに会話もぎこちなかったが、那須高原近辺を観光しているうちにいつもどおりに話せるようになった。とはいえ時々昨夜のことを思い出してどうしようもなく恥ずかしくなることもあったが。そんなとき姉はからかったりすることもせずに私が落ち着くまで黙って手を握ってくれた。
両親や友人へのお土産も買って、バスと電車を乗り継いで家に着いたのが夕方。
晩ごはんのときに両親に登山や巡った観光地の話をした。デザートに誕生日のケーキを食べ、家族で姉をお祝いした。
夜、私はいつものように姉の部屋にいた。いつもと同じように他愛ないことを喋り、笑い合う。その姉の薬指にはオパールの指輪がはめられていた。
旅行を終えて私達は一層恋人らしくなれたのではないかと思う。
それは指輪のこともそうだし、昨夜のこともそうだ。身も心も通じ合ってようやく姉妹の殻を打ち破れた気がする。最上級の愛情表現だと御園先輩は言っていたが確かにその通りだと思う。とはいえ――。
「さーくら、こっちおいで」
「……なに?」
「キス、しよ?」
「……キスだけ?」
「さくらは、どっちがいい?」
妖艶に微笑む姉のほっぺにでこぴんをくらわせた。
「ぃて」
「ここが家だってこと忘れてない? おねえちゃんなんだからちゃんと場所とか時間を弁えてよ」
過ぎた愛情表現には制限がかかるものだ。最上級だからこそ慎重にならざるを得ないときもある。その辺りを私がしっかり監督していかなければ。
姉がおかしそうにくすくすと笑った。
「……なにかおかしいこと言った?」
「そうじゃなくて、キスし始めの頃もそんなこと言ってたなぁって」
「別に今も変な場所でキスしようとしたら注意してるけど」
「でも、注意したあとにキスできるタイミングを見つけてキスしてくれるようになった」
「それは、もみじねぇが可哀想だなって思ったから」
「ということは、キス以外のことでもそうなる可能性はあるんだよね」
「……ないから」
「ホントかな~?」
「絶対ない!」
私達が本当の本当に恋人になれるのは、もう少し先の話になりそうだ。
終
〈薄明の独り言〉
早くに目が覚めてしまった。カーテンの向こうではようやく太陽が昇り始めたようで隙間から薄明かりが差し込んでいる。
隣では妹のさくらが寝息を立てていた。可愛い寝顔に思わず私の顔がほころぶ。
昨夜、私達は結ばれた。
心の底から嬉しかったし、一晩たった今も体中に幸せが満ちている。今日という日を私は一生忘れないだろう。本当に最高の誕生日だ。
けれど冷静な私が囁く。
これで本当によかったのか、と。
キスまでなら、かなり厳しいとはいえまだなんとか言い訳がたつ。少し愛情表現が過激な仲の良い姉妹だと言い張れる。不審に思われはするだろうけどそれまでだ。追求されたとしても躱しきれる。しかし、身も心も結ばれるというのは絆を深めることであると同時に、他者へ自分たちの関係を示すことにもなりかねない。もしバレれば当然結末は決まっている。
同性。姉妹。
前者はともかく後者の二文字がなによりも重い。何度も何度も考えて、悩んで、それでもさくらと一緒ならと振り切ったつもりになっていても、この言葉から逃げることは一生出来ない。
私達は世界の倫理から外れている。禁忌の塊とも言うべき在り方は、どうあがいても認められることはない。
だからこそこれまで最後の一線は守ってきた。他ならぬさくら自身を守るために。
違う。守りたかったんじゃない。逃げ道を作っておきたかったんだ。いつでも普通の姉妹に戻れるよう安全弁として。
さくらのことは好きだ。愛してる。でもそれだけじゃどうにもならないことがあるのも知っている。
今更神様を恨むことはしない。大多数の人間の考え方を変えるつもりもない。けれど、だったら私は何をすればいいのだろう。
自分の左手の甲を顔の前にかざした。薬指にはめられているのはさくらがくれたオパールの指輪。
この指輪を眺めているだけで頬が緩んでくる。部屋が薄暗いのにダイヤ以上に輝いて見えるのは気のせいではない。私にとっては数億円のダイヤより価値があるものなのだから。
実際はいくらぐらいしたのだろうか。あえて尋ねたりしなかったけど宿泊代や交通費など合わせれば結構な金額になっているはずだ。でもさくらは一言もお金のことなんか言わなかった。ただ私に喜んでもらうためだけに尽くしてくれた。その気持ちはお金なんかでは決して買うことが出来ない。
オパールの石言葉は『幸福・希望』なのだという。
贈り物にうってつけの良い石言葉だ。きっとさくらも幸福に満ちあふれた未来を望み、この指輪を贈ってくれたのだろう。
なら、その期待には応えなければいけない。
それは姉としてではなく、さくらの恋人として。
もう後戻りが出来ないのなら、せめて全力で前に進むべきだ。いつか来る未来を恐れず、さくらを全力で愛して、さくらに全力で愛される。親不孝だと罵られても、非生産的だと謗られても、多分私にはそれしかやれることがない。
結論なんてとっくの昔に出ていたはずなのに、またずいぶんと考えこんでしまった。
幸せの絶頂にいるときこそ落ちるときのことを考えて不安になる、というやつだろうか。私らしくもない。
いつもの私ならきっと目を覚ましたさくらに『さくら~、キスしよ? え、キスだけじゃ足りない? しょうがないなぁ~』と言って襲おうとするはずだ。あ、結構この手はいいかも。どこかで使おう。
悩みを解決した途端にさくらへの愛情が湧き上がってきた。今すぐさくらにキスしたい。寝てるからやらないけど。
さくらと向き合うように体を横にして腕をさくらの背中に回す。軽く抱き締めるような体勢でさくらの寝顔に微笑みかける。この距離なら目を覚ましたときに驚いてくれるはずだ。きっと顔を真っ赤にして恥ずかしがることだろう。
うん、元気が出てきた。いつだってさくらは私に元気と幸せをくれる。それさえあれば十分だ。
次に目を開けたとき、視界いっぱいに飛び込んで来るさくらの顔を想像しながら、私は二度目の眠りについた。
終
お待たせいたしました。
さくらの誕生日は四月八日、もみじの誕生日は十月二十日、とわりと前から決めていたのですが、もみじの誕生日が日曜なのを見てガッツポーズしました。
展開は少し迷ったのですが、多分それぞれがこう考えて動くだろうという結果になったと思います。茉里奈がいなければ数年後だったかもしれません。
部屋に入ったときのさくらの心の声。
(こ、ここで――この部屋で――ここで――この部屋で――(繰り返し))
最後の部分はシリアス展開への伏線でもなんでもなく、私がずっと考えていたことの一部分です。似たことはこれまでも書いてはいましたが。
彩歌姉妹はハッピーエンドで終わります。(バッドエンドで終わるような作品はおそらく書かない)